転校生の自己紹介
ジリリリリリリリ!!……。
爽快とはとてもじゃないが思えない轟音が部屋に響く。
音の元凶の目覚まし時計を止め、モソモソとまた布団の中に潜る。
春眠暁を覚えずとはよく言ったもので、朝が来たとは全く思えない。というか思いたくない。
ああ、そんなことを考えてたらまた眠気が……。
このパターンはマズイ……。ここで寝たら確実に二度寝する……。
頭ではわかっているつもりだが、体が言うことを聞かない。
行動力が無いことに定評がある俺は、朝っぱらからそれを証明している。
四月の下旬。陽気な春の心地は、朝っぱらからガンガン俺に攻撃をしてくる。
そんな葛藤を繰り広げている最中ふと時計を見ると、家を出る時刻のデッドラインに差し掛かっていた。
「うわっやば」
流石にこれは起きた方がいいな。さっさと家をでないと間に合わない。
この際朝ごはんはスルーの方向でいこう。お母さんごめんなさい。次の朝からは良い子になります。
早々に身支度を済ませて、自室の扉を威勢よく開ける。
階段を一歩飛ばしで降りながら、車庫に置いてある自転車に乗って学校へと向かう。
玄関を出るときに母親の怒号とも呼べる声が聞こえたが、時間がないので構っていられない。俺のせいだけど。
こんな感じの忙しない朝がここ最近続いてる。
通学路はいつも通り。特に変わったことはない。
川沿いに沿って植えられている桜の木は、もう来年の春に向けてせっせと準備をしていますよ感が、いやというほど伝わってくるぐらいに青々としている。
それを横目に見ながら自転車を漕いでいると、前からいつもすれ違う人が歩いてくる。
スーツを着てやけに腕時計を気にしながら、足早に何処かへと向かっている。
すれ違っても特になにも起こりはしない。会話はおろか挨拶すら交わさない。
そんないつも通りの光景。
学校についてからはきっといつもみたいにボーッとしながら一日を終えてまた次の日、この光景を目にするのだろう。
たった二十日そこらかでできたこの俺の『普通』が、刺激と思える物事がなにもないこの生活が、今日で豹変するなんて立ち漕ぎでぜぇぜぇはぁはぁ言ってる時の俺には知る由もなかった。
★ ★ ★
学校に着くと見慣れない車が、職員の駐車場のところに停まっていた。
「なんだ、あれ?」
無駄に高級感溢れる黒光りした細長い鉄の牛。
車の知識がない俺にもギリギリわかるあのフォルム。
あれって所謂リムジンってやつじゃないか?何でそんな高級な車がこんなところに……。
黒光りしているリムジンは、まるで自ら私はこんなところに置かれるべき存在じゃないと主張しているかのようだ。
もしかしたら、どっかのお偉いさんでも来てるのか?
だが、こんななんてことのない別に有名でもない学校に何の用があって?
疑問が頭の中を渦巻いていく。
まあ、でも俺には関係ないな。
自転車を駐輪場に停めて足早に自分の教室、一年一組へと向かう。
これならなんとか遅刻にならずに済みそうだな。
自分のクラスの前まで来ると、外にいても騒いでることが分かるほどに教室内はざわめきだっていた。
ガラリと戸を開けて自分の席へと腰を下ろす。
「おい紡!あのリムジン見たか!!?」
と、同時に今のところは!唯一といっていい友人の五色大地が話しかけてきた。
「朝っぱらからうるさいな。あの真っ黒いやつか?」
やっぱ自分以外も見たのか。そりゃあれだけ目立っていれば誰だって目につくか。
「あれって転校生が乗ってきた車らしいぞ」
「転校生?」
「ああ、しかも結構金持ちなんだと」
なるほどなるほど。だからあんなところにリムジンがあった訳か。
「ほら、あそこ見ろよ」
そう言った大地の指が差す場所を見ると、窓際の一番後ろにポツリと机が置いてあった。
それはいかにも下ろし立てと言わんばかりの綺麗な机と椅子だった。
「ん?え、じゃあまさかその転校生ってこのクラスなのか?」
「どうやら、そうらしいぞ!」
そう言う大地の目は輝きに満ちていた。
まあ、こいつなら大抵の人間とは仲良くなれるだろう。
俺とは違って明るくて人当たりもいいから、そりゃワクワクもしますわな。
「なんか、紡あんまり嬉しそうじゃないな」
卑屈ぶってる俺を何やら察したのか、大地が声を発す。
「そりゃな。たぶん関わらないと思うし」
なんせ俺は、あんまし人と会話するのが上手くないからな。
転校生に喋りかけるなんていう勇者にはなれない。
「まあ、昔っから紡はそんな感じだしな」
「ほっとけ。それよりそろそろ朝のホームルーム始まるんじゃないか?」
「そうだな! どんなやつが来るんだろうな!」
自分の席に戻っていく大地の姿は、誰が見ても浮かれている様子だった。というより、大地以外にも大多数がなにやらアゲアゲな空気感を醸し出していた。
すげぇ。ついていけねぇ。
溜め息と感嘆が混ざったような息を吐ききった時、教室の扉が開いた。
「みんなー席につけー」
クラス担任の一声で各々席に着いていく。
浮かれている様子を我慢しながら……。まあ、だだ漏れなんですけど。
「今日は転校生を紹介するぞ」
入ってきていいぞと、担任に言われ所々に傷がある扉から入ってきたのは、こんなところにはかなり不釣り合いだと思わざるを得ないほどの、絵に書いたような……いや、まるで描かれているような美少女というやつだった。
髪は腰の辺りまで伸びていて色は黒い。
加えて歩く度にサラサラとその髪が優しく揺れるおかげで、その少女自体の存在の綺麗さを一層引き立てている。
顔はどのパーツも端正で、美人という言葉が相応しい。芸能人と言われてもなんら疑う余地は無いほどのものだ。
当然クラスはざわめく。
「うわっ!なにあれヤバっ!」
「スゲー!めっちゃかわいい!」
「すっごい美人!!」
そんな中彼女は静かに黒板に字を書いていく。
その字もまた綺麗という言葉がぴったりな整った字だ。
「じゃあ自己紹介をしてくれ」
そう言われコクりと頷いた彼女が発したのは……。
「名前は城森麗花です。私はあなたたちとは仲良くする気はありません。ですのでできるだけ話しかけないで頂きたいと思います」
自己を紹介しすぎるような内容だった。
★ ★ ★
ついさっきまで騒がしかった教室内が一瞬にして凍りつく。
もしかしたら、俺の聞き間違いかと思ったがこの様子を見るとそれはありえないな。
「え、えーっと……じゃあ自己紹介をしてくれ」
あらま!なんかなかったことにしてる!
流石にこの状況は打破できそうにないと思うのだが……。
「なぜですか?私はもう自己紹介は済ませましたが?」
はい終了。せっかくの担任のフォロー台無し。
城森は首をかしげながら疑問を発す。
これが本心からの言葉だということはなんとなく察することができた。
もしかしたら本心というよりなぜ一度したことをまたしなければいけないのか?という点に対しての疑問なのかもしれないが。
「わ、わかった。じゃあ、そこの空いてる席に座ってくれ……」
そう言った担任の顔は、もうすでに今日一日の仕事を終えたような、酷く疲れたものになっていた。
「わかりました」
城森は素直に席に向かって歩いていく。
教師って仕事も大変そうだなとかこの時初めて思った。
それにしても、席が隣じゃなくてよかった。この調子だと隣だったらまず間違いなく『じゃあ、隣の◯◯城森の面倒見てやってくれ』と、言われるだろうし。
人と話すのが得意じゃない上になおかつあの態度のしかも女の子ときたら、なにもできずに終える自信が俺にはある。
「じゃあ、小山。隣のよしみで城森のことよろしくな」
ほーら言われた。怖い怖い。
幸い城森の隣は女子だった。これなら男子よりかは幾分マシなんじゃないか。
「よ、よろしくね?」
「…………」
「えーっと……」
「あなた私の自己紹介聞いてましたか?」
「うん、まあ一応……」
「聞いていたならなぜ私に話しかけるのですか?」
「え、だって……それは……」
全然マシなんかじゃなかった。
持論になるが女子の世界では、孤立することイコール死を意味する。
となるともう既に城森は、秘孔をあたたたたた!された状態なのかもしれない。
それに……なんだか城森は自分から敵を作りにいっているようにも思えてしまう。
「なんかあいつうざくね?」
城森と小山のやり取りの最中、そんな言葉が教室の宙に飛び上がって散乱し、それぞれの耳に到達する。
あーやっぱ言われるのか。
たぶん、この声は女子のグループの中でもリーダー的権力を持っているやつの声だ。
リーダーの指令は絶対、反抗することなど許されない。
反抗したら最後、次の標的は自分自身になる。
こんなものは別に女子だけに限ったことじゃないけど、こんな状況でハッキリ言っちゃうあたりマジ女子ぱないっす。
「そ、そうだね。なんか偉そうだし」
「自分が一番とか思ってんじゃない?」
「あーそれありそう」
次々に同調の意見が無駄に大きな音量で交わされる。
誰も自分が傷つきたくはない。だから身を守るために相手を傷つける。
これが『普通』ってやつなんだろう。
城森にもこの声達は聞こえているはずだが、それでも眉ひとつ動かさず平然と前を向いていた。
その姿はまるで、もうそんな言葉は言われ慣れてきたかのようにただただ平然としている。
「お前ら静かにしろ! 全く……小山。俺も出来る限りサポートするから少しの間よろしくな」
「は、はい……」
さっき教師は大変なものだと思ったが、この担任城森を完全に小山に任せる気だな。
出来る限りのサポートってなにもやる気のないやつのセリフだしな。
なにか相談されたとしても、うーんどうしようかとか適当に相槌うって、ありふれた提案だけするんだろう。……知らんけど。
それに、小山がこのまま城森の世話係をするとなると、もしかしたら小山は孤立化してしまうかもしれない。
まあ、でもあの上位カーストと小山が所属しているグループは違うから大丈夫だとは思うのだが。
ただ、高校が始まってまだ二十日ほどしか経っていないないというのに、ここまで自分の立場を確立しているあのリーダーの力は本物そうだし、もしかしたらなにか牽制とかはされるのかもしれないけど。
こういう状況をたぶんだが分かっていて、小山に城森を押し付けたあの担任のことは、あまり好きになれそうにない。
「じゃあ、これで朝のホームルーム終わるぞー 」
自分の役目を完全に終えたかのように、そそくさと我がクラスの担任は教室の外に逃げていった。
その直後、教室内は瞬く間に騒音で埋め尽くされていく。
「城森さんって凄い金持ちなんでしょ?」
「あの、校門のところに停まっているリムジン城森さんのなんだよね?」
「前の学校はどんな感じだったの?」
騒音の正体はよくある転校生への質問だった。
目を向けてみると、城森の周りに集まっているのは男子ばかり。
女子はというとそれぞれのグループに分かれて談笑しているようだが、あのリーダーのいるグループだけはなんだか高飛車な笑い声が響いていた。
会話の内容は男子の城森に対する猛烈な質問のせいで聞き取れないが、きっとろくなことではないだろう。
教室の中心でくっきりと別れている明と暗。
窓からはそんなことなど何も知らない穏やかな風が、教室の中を吹き抜けていく。
机に突っ伏している俺にとって、この風はとても心地のいいものだった。
「あのー城森さん。なんか答えてくれないかな」
「そーだよ。流石にガン無視はひどくね?」
だが俺の耳には、心地いいとはまるで言い難い会話が聞こえてくる。
「……私は自己紹介の時、はっきりと関わりたくないと申し上げましたが?」
城森は少しだけ声に怒気を含めたような感じで返す。
「え、あれ冗談じゃないの?」
「いやいや、お前あんな馬鹿げてる自己紹介冗談に決まってんだろ。な?城森さん?」
男子の方はどうやらあの自己紹介は一種のショーだったと思っていたらしい。
「……失礼します」
「あ、ちょっとまってよ!」
そう言い放ち、城森は教室を出ていった。
そしてこの日、六限の時刻になっても城森が教室に戻ってくることはなかった。
★ ★ ★
放課後。
部活動に勤しむ生徒たちが、慌ただしく教室を出ていく時間。
俺はというとタラタラと帰る支度をしている。
特に部活にも所属してない、所謂帰宅部というやつだ。
当然教室から出て向かう先は家一択。べつに悲しくなんてないがな。
机の横にかけてある鞄を肩にかけ教室を後にする。
一年の教室は最上階の四階にあるため長い階段を降りなければならない。
全く……無駄に縦にでかいんだよなこの校舎。
漸く一階に着いた時、朝に見た強烈な人間の背中が目に映った。
……あれって城森か?
後ろ姿ではあるがなんとなくそんな気がする。
よく見ると大きな段ボール箱のようなものを二つほど重ねて両手に抱え、肩には自分の鞄を掛けてふらつきながら廊下を歩いていた。
まだ、帰ってなかったんだな……。まあ、関係ないか。
昇降口にたどり着き下駄箱に手を伸ばす。
新調したばかりなはずの靴には、もう既に汚れがついている。
…………このまま見なかったことにして帰るっていうのもなんとなく後味が悪いな。……ふらついてたし。
普段ならなに食わぬ感じで帰るはずなのに今日に限ってなぜだか気になってしまう。
自分の気持ちがよくわからないまま、靴をとろうとした手を下ろして上履きを再度履き直し、城森を足早に追いかける。
ものの数秒で追い付くと、城森は丁度階段を上っている最中だった。
「あ、あの城森?」
ちょっと、声が上擦ったよ畜生。
慣れてないことするもんじゃないな。
「………………」
城森は何事かと振り返りじっと俺を見つめた後に無視してきた。
まあ、わかってたけどねー。あんだけクラスで他の人のことを無視してたのに俺だけ無視しないとかないよなー。
ああ、もう精神がやられかけている。けど、ここで引き返したらもっとキツくなりそうだ。
「…………手伝うよ」
「結構です」
はや!即答過ぎんだろ……。渾身の力を振り絞ってだした言葉は一蹴された。
振り向きもせずに歩きだす城森の言葉や仕草の攻撃力は、俺のヒットポイントを遥かに上回る勢いだ。
流石にこれ以上は止めとこう……。
もう帰ろうと思ったのと同時に城森が階段を踏み外した。
足元が見えない状態で上っていたのはやはり不安定だったらしく、城森はバランスを崩し、更には重ねていた上のダンボールまでもが城森の後方へと投げ出されそうになる。
「…………っっ!」
俺は自分でも驚くほどのスピードで城森に駆け寄り、滑り落ちそうになったダンボールを右手で、城森の体を左手でそれぞれ支えていた。
ふー危ないところだった。
俺の両手が疼いてくれてよかったぜ。
「やっぱり俺も手伝うよ」
流石にこの状況になれば承諾してくれるだろう。
「…………わかりました」
全く納得がいってないような顔で城森は同意した。
夕日が差し込む階段を一歩ずつゆったりと上っていく最中ふと思う。
…………これってかなりしつこくないか俺?
よくわからんやつに急に話しかけられて、いきなり手伝うよとか言われたらそりゃ誰だって引くよな……。
関わらないでくださいとか言い出す人でなくても、あんまり関わりたくないと思えるレベルなんじゃ……。
「ここです」
やっぱりやめておけばよかったか……。
そんな無駄な後悔の念が押し寄せてくるなか、漸く目的地についたらしい。
この湖北高校の校舎はアルファベットのH型になっている。Hの右側には各学年の教室が階層ごとにわけられていて、一階には職員室や保健室などがある。
そして、今俺達のいるHの左側は、理科室や美術室などの移動教室がメインで設置されている。
その校舎の最上階まで上り続けて、一つの教室の前で城森は停止している。
「ここって……?」
視線を上にあげ教室名が書かれたボードを見つけるが、白紙のままで何も書かれていない。
「ここは元々とある部活が使っていた部室らしいのですが」
城森はガラッと扉を開ける。
「廃部になって空き教室となったそうです」
「なるほど」
教室の中はがらんどうとしていて、特に目立つものはなかった。
強いてあげるとするならば、窓に掛けられているカーテンぐらいだろうか。
暗幕の類いのカーテンが、半端に閉められているせいで少しばかり暗い。
城森は覚束ない足取りで教卓の近くまで歩いていき荷物を床に置く。
俺もそれに倣って城森の置いた近くに荷物を置く。
「そういえば、この荷物って何が入ってるんだ?」
「あなたには関係ないと思います」
「で、ですよねー」
さて、もうやることは済んだし帰ろうか。
微妙に気まずいこの空気に、そろそろ耐えれなくなってきた。
自分から手伝うとかいっておいて情けないが。
「じゃあ、俺はそろそろ……」
そういいかけると同時に、城森は自分の鞄の中に手を入れ、財布を俺に向けて差し出してきた。
「えっと……」
よくわからない事態に頭がついていけない。
「? これが目当てだったのですよね?」
「え……は?」
えっと……どういうことなんだ?わかんないっすけど。
俺そんなこと言ったか?いやいや、そもそも財布差し出すっていう状況がおかしい。
というか、この絵面はマズイ。非常によろしくない。
「俺、そんなこと言ってないと思うけど」
「言ってないだけで思っていたのではないのですか?」
呆れたように言う城森の声は、少しばかりため息じみている。
なんだなんだ。俺が悪いのか?これ。
「いや、だから俺はそんなこと言ってもないし思ってもいない」
再度誤解だということを抗議する。
「じゃあ、何故手伝うと声をかけてきたのですか?」
すると城森は、また別の疑問について追求してくる。
「それは…………わからん」
正直なところ自分にもわからない。
ただ気になったってだけなのかもしれないが、今この状況でそんなこと言ったって城森は納得しそうにないしな……。
「そうですか。『普通』はなにかしらメリットを求めると思うのですが」
城森はそう言って口元に手を当てて、思考している素振りを見せる。
城森が言った言葉にピクッと体が無意識に反応した。
「普通……ねぇ……」
「……」
遠くを見ながら呟く俺に、城森が怪訝そうな目を向ける。ちょっと恐いです。
「その普通って何を基準にして言ってるんだ?」
俺が質問した後、少しばかりの沈黙が流れてから城森は小さな声で、だがよく通る澄んだ声で言った。
「そうですね……。世間一般からしてとか、その事柄がごくありふれたものである……とかでしょうか」
言い切った城森の顔はどこか陰を潜めているかのようだった。
「なるほど。他には?」
「……他?」
え?何?私全部言ったよね?他とかの何いってるの?聞こえてないの?バカなの?死ぬの?
なんかそんな風に聞こえるような言い方だな。なんてつくづく俺もひねくれた捉え方しちゃうな。
「その普通の中には城森の経験とか思想とかが含まれてないのか?」
「…………確かにそうかもしれませんね」
城森はフッと俺から視線を反らす。
「……これは俺の勝手な憶測だけど昔何かあったんじゃないか?城森がそう思うようになった何かが」
城森は無表情を貫いているが、構わず俺は続ける。
「でも、それは城森の中だけの普通であって俺からしたらそんなものは普通じゃないんだよ」
「どういう意味ですか?」
俺達の微妙に空いていた距離の空間へ、グイっと城森が身を乗り出す。
……なんか良い匂いがする。
いや!待て落ち着け俺!紳士にいこう。黒くない清廉潔白な白い紳士で。
「さっき城森は自分の考えの上で普通って言葉を使ったってことに同意してくれただろ?つまり城森に近づくイコールなにかしらのメリットを要求してくるっていうのは、城森の中の普通であって俺からしたら寧ろ異質な考えに思えるんだよ」
自分の考えを言葉にして伝えるってのは疲れるな。それに、あまり会話が得意じゃないから尚更だ。
……ふぅ。あ、賢者タイムじゃないよ。
でも、これでやっと伝わったはずだ。
だからその手に未だに握りしめている財布をしまってください。お願いします。
「結局何が言いたいのですか?」
全然伝わってなかった。
「だ、だからその……。俺が城森に声をかけたのは城森になにか見返りを求めたわけじゃなくてただ、手伝おうって思っただけなんだよ。それが……俺の普通だから」
今俺はもしかしたら、気持ちの悪い嘘をついてしまったのかもしれない。
「そう……ですか」
心底納得したって訳じゃなさそうだけど、取り敢えずは分かってもらえたようだな。
途端に、幾度となくやってくる沈黙。お互い落ち着きを取り戻すためのもののような時間が流れる。
再度似たような事を思う。あれ?俺かなり痛くね?
冷静になって考えれば何突然女の子に説教紛いのことしてんの?しかも、一方的に言って城森の意見聞いてなかったんじゃ……。
『普通』って言葉に反応しすぎたのか……。
おかしいな……。いつもはそこら辺のやつらが使っててもなんら気にも止めないのに。
頬を冷たい汗が伝う。ここから見えるのは死亡フラグ一点だ。
こういった男が女に何か意見を言った時って「うわ、きも」とか言われるんだよな。
小学校の時、砂場の遊び場を男女で取り合った際に、ちょっと宥めようとしたらそんなこと言われたりね。別に経験談じゃないよ。いや、ほんとに。
「……じゃ、じゃあ俺もう帰るわ。手伝いは済んだし」
傷つきたくないし。
そう言い振り返った直後、背後から少し強めな声が聞こえる。
「待ってください」
「な、なんでしょう」
嫌な予感しかしない。何言われるのだろうか。
もしかしたら通報とか?高校生男子が同学年同クラスの女子に声をかける事案発生とかになったりして。いや、これは別に至って健全だな。
「名前……まだ聞いていませんでした」
「へ?」
あまりにも思考の範疇から飛び出していたので、振り返りながら思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「えっと三上紡だ」
「三上君ですか……覚えました」
柔和な微笑みを浮かべたその顔は、人を……いや、俺を魅了するには充分すぎるものだった。