Cheap Castle
昔は書物にされるほどポピュラーだったが、今となっては「それらは全て捏造である」と一言で片付けてしまう。それ故、人間たちは知らなかった。魔物を、侵略者の存在を、生物の遺伝子に深々と刻まれたはずの恐怖を、そして遥か過去の惨事すら。
また、彼らは知っていた。人間を。
魔界の魔物共が地上を進行していくようになったのは人間界の携帯電話が全て平たい板になっていった頃からだった。
その日「宇宙」から地球に黒い小さな点が観測された。
そこは元は街であった。だが今となっては高い建物が軒を連ねていた面影も残っていない。木々は枯れ、瘴気が満ち、地面は植物が絶え土が露出し茶褐色の色味を帯びていたていた。またそこには大きくも無く、見栄えもよくない非常に地味で簡素な城が建っていた。ここは人間侵略を開始するときに作った最初の拠点。
人々はこの悪魔らしいといえば悪魔らしいがそうでないといえばそうでない無様な城をこう呼んだ。
「Cheap Castle(安い城)」
「ガデム…それで、人間界制圧の方はどうなった」
ガデムとは、俺が地球侵略をするにあたって最初に攻撃隊指揮官に任命した男だが、近頃は奴から老いを感じてきた。そろそろ切り捨てるときだと思っている。
「はっ!お任せを!」
「いや、結果を聞いてるんだ」
切り捨てるときだと思っている。ホント。
「はっ!なんとわが軍はこの一ヶ月もの間に人間どもをたっくさん蹂躙してまいりました!」
小学生か。
「おう。具体性に欠けるな、一体どの程度のものなんだ」
「東京ドーム5個分と3人でしょうかね」
「……」
「フフフフ、攻撃隊長の私にかかればこんなものです」
いや、この地位で媚売ってももう何も出ねぇから。「侵略総指令」の座は譲らないから。
ここはアメリカ、カンザス州。地図で言えばアメリカ内陸部で見た感じ真ん中らへんだ。
何故アメリカかと言うと、簡潔に言えば出現位置を誤ったのである。本来の予定は日本。
ちなみに我々は少しの間だけ日本にホームステイしていたことがある。
正直、あの頃はよかった。
まだガラパゴスケータイを持つサラリーマンが闊歩していた時代。そして「フラッシュ」全盛期。
あの頃の俺は何が面白かったのか、何もかもが可笑しく見えた。
人々は楽しみ、快楽を求め、某巨大掲示板を介した犯罪は多発した。小学生でさえ、パソコンがあればアダルトサイトを閲覧することが出来た。そして老いた者はめっぽう新しい時代を嫌った。
俺は『この日本を』占領したいと思った。
「まずは日本から領土を広げていこう。そしてそこから西へ行くのだ、そうすれば中国、韓国を占領してロシアまで侵略する。その頃には魔物の軍勢も強化され、核を食らっても耐えることが出来る固体も作れるはずだ」まだ曖昧な計画だがそれらを考えるにあたり、せっかくだから日本は多少優遇してやろうと思った。
「瘴気の排出を抑え、尚且つ産業は盛んに、あわよくば魔界の鉱物や植物、繊維を提供させて作らせよう」
「そうだ、魔物にも手先の器用なものを雇おう。手先が器用なら人間どもの兵器を扱うことが出来る。それには語学力のある者が必要だ。今かろうじて日本語を喋る事が出来るのは俺とガデムだけだ、いずれは世界を相手取らないといけないからな、英語も覚えさせよう」
有名になってフラッシュでネタにされるんじゃないか…そんな事も考えていた。
小さな淡い夢を抱いていた。あの頃は、若かったからな。
魔界に帰って魔物を徴収した時、自ら侵略するという輩は80万体いた。無抵抗な人民を攻撃するのに数はそれほど関係ないと思っていたが、ただただ嬉しかった。小学生がプラモデルの箱を開けてパーツを眺めるぐらい。確実性のある。夢のカケラ。後は組み立てるだけだった。
しかし夢という名の設計図こそありはすれど、俺のプラモデルにはパーツが足りなかった。
語学力のあるものは極僅か、ゲートは位置情報を誤る、出現位置を修正しようと奮戦するが触手が地表に落下し、それが船の碇のようになる形で固定される。
場所はアメリカ、カンザス州。
夏冬の気候は厳しく、また着陸した土地も平坦としており物資も足りずまともな城塞が築けるような場所ではなかった。
侵略を開始して今年で一年目。ガデムはあの様へと果て、知能を持つ魔物は絶望し、知能を持たぬ魔物はガデムに続いて不満も漏らさず侵略を行っていた。
アメリカ軍の対処はすばらしく、人々はいち早く非難。先遣隊の魔物も掃討、鹵獲。
最近ではチープキャッスル上空を取材ヘリコプターが飛び交うようになっていた。
しかし二日前からか、城の周囲から音が消えた。
翌日、ある魔物が揚々と戦利品のテレビを持ち出してきた。
俺が色々説明をして電源を入れると最初にニュース番組が流れた。映像には軍隊、ミサイルを積んだトラックが行進していた。字幕の中には「Cheap Castle」の文字が写っていた。小魔たちはゲラゲラと囃し立てる。
「みろよあの張りぼてみたいな乗り物、うちの戦車の方が断然強いゼ」
「はははは!どいつもこいつもおんなじ格好なんかして全然個性が無いゾ~!」
「ありゃきっと魔蟻のまねしてるんだヨ!馬鹿な奴らダ」
ここの知識の無いものにはこれがどういう状況なのかまったく分かっていないようだった。むしろその方が幸せだろう。明日朝には軍隊がここへ攻撃を仕掛ける。
ニュースの内容によると、捕獲した魔物の研究は俺が思っていた以上の速さで『終了』し、煽り文字にはいよいよをもって魔物の軍団を殲滅すると銘打っていた。
先遣隊を含め、今回の侵攻作戦の魔物の中に知的なものはいなかった。まして先遣隊の魔物らに指揮官はおらず、見せしめ的な余興をかねて俺が地上に放ったのだ。結果は先述したとうりである。
このことから、侵略直後こそ悪魔と恐れられた俺たちだったが知能の低さと醜い外見が相まって一部の団体は俺たちのことを「ドードー」と呼んでいるそうだ。
研究なんて、普通は終わるはずが無いんだ。
俺たちがこの世の不都合以上の存在であるかのように始末をしてくる。
もはや何も残りはしないだろう。悪魔ならば、悪魔らしく振舞おう。それこそ日本の萌えなどではなく、古の…体にしみこんだ恐怖を呼び起こさせよう。
「バッカード博士、この研究資料…見ていて不自然じゃありませんか?なんというか…曖昧極まりないというか」
眩しいと思うほどに明るい研究室、今回の魔物に関する資料を持った若き研究者が机に向かっている博士に問いかける。
「それはな、簡潔にすると彼らが恐怖そのものだったからだ」
「恐怖そのもの?」
若い彼は言葉の意味が理解できないような口ぶりだった。
「オカルト専門の研究者も集めて色々と議論したんだが、奴らには人間の本質的恐怖を具現化したような性質がある」
「本質的恐怖…?」
博士は空いていた右手でカップを握る。まだ少し暖かいコーヒーを一口のむ。
「君は資料でしか彼らを見ていないのだあろう、それでは子供向けのホラーファンタジーの絵本を見るのと同じだよ」
「……」
「最初に魔物が襲撃したとき、現地の警官らは上司に報告し…結果的に軍を収集させた。これは、その時の精神状態を記述したものだがね…全員がとあるものに対する恐怖に非常に酷似している」
「暗闇ですか?具体的にどういうものですか」
まるで今しがた作られた溝をなぞるように質問をする。
「誰しも考えたことはあるだろう。宇宙の死、地球の死、自分の死…。それらは現実に起こりうることが無い、信じたくないあるいは現実性に欠ける恐怖」
「現実性に欠ける恐怖?」
「彼らは、我々にとっては必要の無いものなのだ。調べれば調べるほど…」
研究員は紙に印刷された資料を手に取り目を通す。
「この体の主成分…いままで見たことのない物質が使われてるんですよね?だったら…」
「よしたまえ」
「えっ」
渇いたのどを潤そうと博士は温くなったコーヒーを飲む。
「人間は、恐怖する。それが20年でも60年でも変わりはしない。だが、年を重ねるごとに動物は己の経験から学習し、そして慣れてしまうのだ。ある一定の位置から鏡を見るとかけてある衣類がまるで人間が立っているように写る。幼い子供が怖がりこそすれ、その保護者はその出来事に遭遇し、原因が分かっている。経験とはそういうことだ。」
博士は目を伏せ、人生を思い返すように、絵本を読むように物語る。
「……」
「だがな、彼らの場合は…」
カップを持った手ががたがたと震えだした。
「怖いのだ、私は心底」
「すいません。あまり考えずに物言ってしまい…」
水を差すように研究者は言葉を遮る。
「いや、いい。それでかなり話を戻すが、軍隊がなぜ魔物の軍勢を掃討することに成功したのか」
「恐怖ですか?」
「どの兵に話を聞いても皆が皆「とにかく撃ちまくった」と答えたよ。頭、首、心臓、腕、足、口、目、触手、尻尾、肉塊、本体…目に見える魔物共の全てを標的にしたそうだ」
「それじゃ今回の作戦では」
「ああ、間違いなく全滅させるだろう。知能を持たぬ力のあるものとはこれはこれで恐ろしいものだ。こうするのも致し方ないというもの」
「……」
「せめて彼らが、信じる神の元で安らかに眠れることを祈ってあげよう。彼らに神がいるのならば」
そういって博士はカップを机に置いた。
生まれてこの方標本図鑑以外で虫を見たことのないような若き研究者には、恐怖の意味が分からなかった。
「ガデム、ゲートは閉めておくぞ」
「フフ、意義はありません」
「嬉しそうだな」
「久しぶりです、あなた様のこの姿を見ることが出来るのは…いわゆる、本気モード」
「そういう訳はいいから」
明日の朝、日が空に登りきる前までにこちらの準備を整えておく。
きっとどこへ突っ込んでも重火器を持っている兵がいるだろう。そいつらには破裂、爆散させる種をもつ者を送りつけてやろう。
上空からは爆撃がけしかけられるだろう。だったらそいつらには空を飛ぶ者を送りつけてやろう。彼らならあっという間に鉄の塊に追いつき中の人間に食いつくことが出来るだろう。
テレビにはたくさんの戦車が写っていた。きっと長距離からの砲撃をけしかけてくるだろう。ならば我々は戦車を率いて突っ込もう。いくら強力な砲弾だろうが俺の率いる戦車郡の馬力の前には腰が抜けるだろう。
いずれは核を落とさせる。未来の事なんて考えることが出来なくなるほど、恐怖を与える。
だが日本辺りは信じないだろう。彼らは出来事に対し不審を抱きすぎる。俺らのことなんてCGにしか見えないだろう。
いずれは俺にも名前が付く。できたら立派なものがいいな、デビルマンあたりのかっこいいのが。
……もともと未練は無い。俺たちは地球の人間とは価値観が違うのだ。
せいぜい、人間にとって陽極の感性。美しいとか、綺麗ってのが無いところかな。
人間界へ入った初めの頃は清潔という感覚に慣れるのに苦労をしたもんだが…。
ドカンと城に衝撃と轟音が響き渡る。
慌てふためくことの無い魔物たち。同じ形をした仲間が吹き飛ばされようと動じない。
彼らに家族はいない。
今はただ、侵略総司令の言葉を待つのみだった。
「聞いたか諸君!今の轟音と衝撃は、同時に我々が世界へ与えるもののほんの一割にも満たないもの!我々はこれの数倍、数十倍の威力を出すことが出来るだろう!今、今日ここをもってして、地球侵略の第一歩とする!日が昇る頃には気づくだろう、我々の醜き姿を!そして我々と遭遇してしまった恐怖を!いままで知能を特化しただけの動物がこの地を支配してきたようだが、もうそれも意味を成さない!この星で一番の繁栄をしたものは未だに侵略される恐ろしさを知らないものがいる!物量ではない!戦力差ではない!精神的な苦痛は人間どもに多大なダメージを与えることが出来る!そしてこの星を滅ぼすことが出来る!しかし、人間は、生き物はその程度では滅びはしない。また知能が特化したものが現れこの星を制するだろう…。ならば予め統治するものが必要だろう!魔界には俺らに似た奴らは五万といる、だが今までに知能を持つものは一体何体いただろうか?まともな奴はほとんどいないだろう…。だったらそう、この星を占拠した暁にはお前たちに知性を与える。お前たちに個性を与える。お前たちに抑制された自由を与えてやる!欲しいか欲しくないかの話ではない、希望を!お前たちに神を与えてやる!神とはすばらしいものだぞ、消滅することが無いからだ!食ってもいい犯してもいい溶かそうが焼こうがなんだってしてもいい!神は常にお前たちにとって最高を提供してくれるだろう。その前にはまず、俺が神になる必要がある。さあ進め!人間たちに我等の力を見せ付けるのだ!」
指令の怒号とともに城から離散していく魔物。一方で戦車に飛び乗った指揮官とガデム。
「往くぞぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!」
そして人間と魔物との争いが始まった。