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後編

『ロボット三等兵』とか『ガンスリンガーガール』とか『攻殻機動隊』とか『ヒートガイジェイ』とか『護樹騎士団物語』とか色々な要素が詰まってます。

皇紀2669年 睦月(1月)

京都市西京区 弓之宮邸



パチクリと何度も瞼を開け閉めする。やはり変わらない。目頭をぐいぐいと揉んで、もう一度目の前の鏡を覗きこんでみる。やはり、変わらない。


「……聞いてない」


呟いた抗議の声音も、やはり変わらない。ほっそりと頼りなさ気な声にさらに苛立ちが募り、病床の鉄パイプを握り締める。ミシリとくぐもった音がして、鉄パイプが手形に歪んだ。


「……聞いてない」


怨敵を睨み殺すように強い眼差しをぶつければ、潤むような大きな瞳が私を真正面から睨み返してくる。磨きぬかれた黒真珠の瞳の奥で、光学検知装置(センサー)の蒼い光が微かに煌めく。

頬に指を滑らせる。飴細工を連想させる細く白い指が、白桃色の肌をつうっとなぞる。肌の感覚がやけに鋭い。うっすらと生えた産毛は一本一本が高性能な検知器の役割を果たしているらしい。そのまま鼻梁や唇に触れてみる。生身とは少し違う肌触りだが、ぽってりと厚みのある唇はフニフニと本物そっくりの張りを持っている。


「……女の身体(・・・・)だなんて、聞いてない」


見目麗しい少女(・・)が柳眉を逆立てて低く呻く。そう、どこからどう見ても少女だった。

目鼻立ちは以前の私の容貌にどことなく似通っているものの、作りがだいぶ繊細になった。髪も濡れ烏のようにしっとりと背に流れる長髪へと変わっている。何より、身体つきがまったく異なる。痩軀だが引き締まっていた肉体は跡形もなくなり、女性特有のふくよかな輪郭を描いている。見た目の年端は18くらいだろう。子どもと大人の中間のような危うげな魅力を備えている。じっと見ているとなんだか下半身が反応―――……しない?

はたと重大な問題に気付き、慌てて股間に手をやる。やはり、あるべきものがそこにない。簡素な患者服を乱暴に破り捨て、鏡に向かって大股を広げる。


「……ない(・・)……!!」


なんということだ。共に死の淵から這い上がった大切な戦友を失ってしまったことに、まるで腹の中身をごっそり引き抜かれたかのような喪失感に襲われて寝台の上に倒れ伏す。ズシ、とスプリングが大きく軋む。


「……体重だけは男勝りなんだな」


頭の中でこの身体の情報を呼び出せば、網膜に重なるように様々な数値情報が視界の左右にチカチカと表示される。


【当方全高:1尺3寸(約160センチ)】

【当方重量:20貫】

【補助機関:出力安定】

【各駆動系:同期未完了】

【菊69式主機関:始動不能 調整続行中】


この身体の重量は20貫(約75キロ)もあるらしい。道理でスプリングが跳ね返してこないはずだ。


「……ん?」


不本意ながら新しく与えられた身体について調べておこうとうつ伏せのまま眼球を動かしていると、不意に【守護対象接近】という表示が青く浮き出てきた。人工眼球の検知装置を赤外線形式(モード)に切り替えて周囲の壁を透視する。瞬時に【目標探知】という文字が浮き出て、扉の前に誰かが立っているのが確認できた。長身の、若い男のようだ。逢引き前の婦女子のように落ち着きなく髪型を整えているのが透けて見える。

この身体の人工眼球とその奥に装備された高性能の多目的検知装置(センサー)は、壁の向こうすら見透かして敵味方を識別できるらしい。守護対象なら青、敵なら赤色で表示する、といった感じだ。我ながら便利な身体になったものだ。いったいどれほどの金がこの身体に費やされたのか。

感嘆とも呆れともつかないため息を吐いたのと“守護対象”が入室してくるのは、まったく同時だった。


「―――ッ、や、やあ。君が3ヶ月ぶりに覚醒したと聞いて、和歌山から飛んできたよ」


風体は、優男といった感じだった。茶色がかった短髪と柔和な面差しの、良く言えば心優しい、悪く言えば軟弱な佇まいをしている。銀座を闊歩するに相応しい上等なスーツは持ち前の長身によく映えてはいるが、どこか“馬子にも衣装”といった印象が拭えていない。きっとその童顔のせいだろう。もっと大人びているかと期待していたが、予想よりずっと子供の頃の面影を残している。

男は私を目にした瞬間、なぜか顔を赤らめて視線を逸らした。ぎこちない動きでマフラーとコートを脱ぎ、扉脇の洋服掛けにかける。そのままたっぷり5秒ほど壁を見据えたまま何かを悩んだ末、「よし」と気合を一声吐き出して再び私に目を向ける。


「す、座ってもいいかい?」

「どうぞ。ここは貴方様の御屋敷です」


男の正体には察しがついていた。紫檀製の椅子を病床の脇に引きずり出し、手で着席を促す。本来ならば傅いて頭を垂れるのが筋だが、内心で怒り心頭だった私は敢えて彼と向かい合うように病床に腰掛けることにした。

私と向き合う形になった男が目のやり場に困るように視線を右に左に流す。私は眉を顰めつつ、男が落ち着いて私と目を合わせてくるまで黙して待った。


「コホン。……その……僕を覚えているかい、綾樹」

「もちろん記憶しております。ご無沙汰しておりました、弓之宮 槍仁親王殿下」


そう言って、さっと会釈する。この優男こそ、弓之宮家の長にして、私をこのような姿に変えた張本人、弓之宮 槍仁殿下だ。

覚えていられたことに安堵した殿下がホッと胸をなでおろす。幼児のように頬を綻ばせる様は本当に昔のままだ。


「覚えていてくれたか。久しぶりだね、綾樹。此度は、僕からの頼みを受け入れてくれてありがとう。嬉しかったよ」

「滅相もございません。此方こそ、新しい身体と御役目を与えて下さったことに感謝のしようもございません。まあ、女子の身体とは聞いておりませんでしたが」


私の声音に鋭いものを感じ取ったのか、槍仁殿下は困ったように苦笑してみせる。


「技術官から聞いたよ。君には、新しい身体が女性になると知らされてなかったらしいね。そのせいでとても混乱させてしまったようだ。こちらに手違いがあった。すまない。この通り、心から謝るよ」

「なっ!?」


膝に手をつき、深々と頭を下げる。その姿に、先程まで煮えくり返っていたはずの腹底は一瞬にして冷却された。宮家の人間が下位の者に頭を下げるなど聞いたことがない。自らの不備を認める潔さには感服するが、主君となる人物から頭を下げられるのは受け入れがたい。


「あ、頭をお上げください。済んでしまったことは仕方がありませんし、五体を得られたことに不満はありません。それより、なぜこのような身体にしたのかをお聞きしとう存じます」

「ああ……その通りだね」


殿下が半身を持ち上げる。今度はこちらが胸を撫で下ろす番だった。早鐘を打つ人工心臓を胸の上から押さえ、ふうと息を吐く。驚愕すれば動悸が早まるのはこの身体でも変わらないらしい。


「君は、私の状況と、君が置かれている状況について、どれくらい理解している?」

「現在、弓之宮家傘下の企業は天に登るような好調な財政成長を遂げている。それを導いた殿下は争い事がお嫌いで、最高執行者となられてからは軍需産業と距離を取られている。この程、その戦争嫌いの殿下が弓之宮家を引き継いだとあって、他の宮家と軍需産業は殿下の台頭を快く思わないと考えた。そのことに殿下は身の危険をお感じになられた。だから、強力かつ心が許せる護衛が必要になった。

そこで、ちょうどよく戦場で負傷して五体のほとんどを失い、実家からも勘当された顔見知りがいることを知り、“戦争は嫌っているが背に腹は代えられない”と軍事技術の結晶である最新鋭の電装義肢を与えて自分の警護をさせることにした。その際、常に男が傍にいるのはむさ苦しいから、女の姿に変えさせた。

……不躾な物言いですが、おおよそこのようなものだと認識しています」

「ははは、手厳しいね。昔と変わってない」


まいったな、と頭を掻く。その自然な仕草はその辺にいるひ弱な文学青年のようだ。浴衣とゴム靴でも身に着けて街をぶらつけば、戦前の文豪の再来だと持て囃されるかもしれない。

ふと、苦笑が唐突に止む。不思議に思って殿下の顔を覗き込めば、まるで今から入水自殺でもするのかと疑うほどに表情を暗く沈ませていた。


「そうだね、おおよそは間違ってない。君の言わんとする通り、僕は臆病者で卑怯者だ。親父の事業の失敗を取り戻すことを言い訳にして、ずっと君に会うことを躊躇っていた。君を諦められなかったのに、君の手を取りにいかなかった。君が、実家でつらい境遇にあっているとも知らずに……」

「……殿下?何を仰っているのですか?」


「絶対に君を諦めない」と叫ぶ殿下の小さな背中が思い出される。まさか、あの時のことをずっと引きずってきたとでもいうのか?


「悪辣な人間だと罵ってくれて構わない。だが、君に隠し事はしまい。正直に教えよう。君が……君が前線で死にかけ、実家からも勘当されて行き場のない立場になったと知った時……僕は、喜んだんだ。ああ、そうだとも。心の底から喜んだ。これで君を手に入れることができる、と。やっと、長年かけて君のため(・・・・)に蓄え続けた財産の使い道が出来たのだ、と」

「私の、ため?」

「そうだ。頭がおかしいと思うかもしれない。そう思われるのが怖くて君に会いにいけなかった。だけど僕は、君が男だとわかった後も君が好きなままだった。一目惚れを忘れられなかった。だから、金と威名を積み上げれば荒唐無稽なこの気持ちも叶えられると信じてガムシャラに働いた。

電装義肢なんか大嫌いだった。君をひどい目に遭わせた戦争から生まれた軍用技術なんかに金を掛けたくはなかった。だけど、君を女にして僕の傍に置けるなら、それも我慢できた」


言い終わるや否や、ずいと身を乗り出してくる。視界に表示された【接近警報】の赤い文字を押しのけるように、殿下の意を決した顔が眼前まで迫る。


「身の危険とか僕の護衛なんてのは、宮内省の連中を納得させるためのただのこじつけだ。屋敷から使用人を追い出したのも、君が伸び伸びと自由に暮らせるようにするためだ。僕のような腑抜けを狙う奴なんて、いやしない。

君の名前は今日から綾狩(あやか)だ。君には女として新しい人生(・・・・・)を生きて欲しい。僕の傍にいて、何不自由ない暮らしをして、幸せに笑っていて欲しい」


大きな手の平に両肩を包まれる。正気を疑うことすら躊躇われる眼力に真正面から射貫かれて、その強い輝きから目を逸らせない。今まで向けられたことのない熱い感情に、胸の内の魂がざわざわと震える。

まさか本当に、この御人は幼少の頃からずっと、私のことを―――?


「槍仁殿下、よもや貴方は……」

「そうだ。君を愛している。今度こそ僕と婚約してくれ。ここでいつまでも共に暮らそう、綾狩」


歯が浮くような言い回しだ。今時、安っぽい大衆映画でも使われないような台詞だ。―――だが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

見つめられているだけなのに、人工心臓がトクトクと高鳴る。熱に侵されたように意識がふやけ、背筋をゾクゾクとした刺激が走る。改造されたのは身体だけと思っていたが、もしかしたら脳にも何か細工をされたのかもしれない。でなければ、私が同性に見蕩れてしまうはずがないのだから。

肩を包んでいた手の平が、それぞれ腰と首筋に滑る。陶器を扱うように優しく抱き寄せられれば、両者の距離は息が絡まるほどに近づく。

【接近警報】の真っ赤な表示が鼓動に合わせて激しく明滅する。聴覚が勝手に研ぎ澄まされて、互いの緊張した息遣いまではっきりと聞こえるようになる。ゴクリと殿下の喉が大きく盛り上がり、唾を嚥下する。


「長らくこの時を待っていた。さあ、答えてくれ、綾狩。答えを恥じらうのなら、せめてその唇で語っておくれ」

「ぁ……」


首筋を流れた指が顎に添えられ、くいと持ち上げられる。抵抗しようと思えばできるはずなのに、私はされるがままになっている。私の意識とは別のところにある予備の思考(補助回路)が「備えろ」と呼びかけている気がするからだ。何の準備をしろというのか。このまま唇を重ねて、その流れで男女の契りを結ぶことに心の備えをしろとでもいうのか。

唇が皮一枚というところまで近づく。ドクドクと【接近警報】が煩わしいほど赤く明滅し、聴覚を含む全身の検知器が自動的に最大稼働状態になる。

唇が完全に重なるまで、あと一刹那――――。



―――待て。どうして、敵を示す(・・・・)赤い警報(・・・・)が出ている―――!?



補助回路が再び「備えろ」と叫ぶ。自動追尾形式(モード)に移行した聴覚が、何者かが壁を蹴破る寸前の物音を探知する。反射的に赤外線検知装置(センサー)を起動させれば、殿下の背後の壁の向こうに人間を超えた熱量反応を感知して最大級の警告を発した。


【守護対象ヘノ攻撃ヲ感知】

【補助機関:出力増加 高起動形式ヘ移行】


転瞬、心臓の強靭なポンプが人工筋肉に送り込んだ液化燃料を爆縮させる。ついに轟音とともに壁を破壊して現れた敵を視界に入れたと同時に、待機状態にあった全身の駆動系が唸りを上げて準戦闘状 態(モード)に切り替わる。


「殿下、お逃げ下さいッ!!」

「あ、綾狩っ!?」


動転する殿下の胸ぐらを掴み上げ、扉に向かって思い切り振り投げる。乱暴なやり方だが、仕方がない。少なくとも、一瞬前まで殿下が腰掛けていた椅子を粉々に砕いたこの一撃を喰らうよりは遥かにマシだ。

バガン、と雷鳴の如き破砕音が轟く。大理石の床に蜘蛛の巣のような亀裂が走り、激震によってあらゆる家具が次々と倒れていく。たった一撃で大地震を生み出したその化け物には、嫌というほど見覚えがあった。


『のガした!チクしょウ!ヤリひト、ドコだァあああ!!』

「鬼人……!?なぜ鬼人がここに!?」


間違いない。7尺半(約230センチ)はあろうかという巨躯は分厚いレーンコートに包まれているが、その魔物じみた膂力とけたたましい駆動音はまさしく戦場の鬼、『鬼人』だった。ザラザラと耳障りで拙い声音は、この鬼人がすでに幾度もの戦いを経て擦り減っていることの証だ。

だが、鬼人はごく一部を除いて前線に駆りだされている。本土残留を許されているのは軍需企業の実験機か皇族が抱える護衛のみのはず。こんなところにいるわけがない。つまりコイツは―――表沙汰に出来ない目的(・・・・・・・・・)のためにここに送り込まれた不合法な鬼人ということになる。


【敵機影:我軍ノ陸軍機甲兵ト推定 所属師団信号:確認不能】

【敵機甲兵:武装多数】

【当方二兵装ナシ】

【各駆動系:同期未完了】

【菊69式主機関:始動不能 調整続行中】

【戦闘行動:非推奨】


補助回路に「勝てない、逃げろ」と悲鳴を上げられ、悔しげに歯噛みする。この身体は皇族護衛用に調整されているとはいえ、覚醒したばかりで未だ戦える状態ではない。武器の一つでも埋め込まれていればよかったのだが、殿下の争い嫌いが仇になった。

殿下の姿がすでに見えないことを確認し、鬼人の目を惹きつけておくために真正面に陣取る。戦えなくても、時間稼ぎくらいはできる。


「貴様、どこの師団の者だ!何故(なにゆえ)、殿下の御命を狙う!ここを弓之宮 槍仁親王殿下の御邸宅と知っての狼藉だというのなら、貴様を差し向けた愚か者の名を答えよ!!」

『あア゛?ナンだ小娘ェ、てメえなんかニャ用はネエ。やりヒト出せ、ヤリヒト出せヨォオ!!』

「うぁっ!?」


レーンコートを激しく翻し、大砲めいた一撃が振り下ろされる。咄嗟に身体を捻って回避した私の目の前で、私の代わりに一撃を受け止めた病床が粉々に弾けた。鉄パイプが枯れ枝のように散逸する。さながら破城槌の如き破壊力だ。もしもあの直撃を受ければ、この華奢な身体ではひとたまりもない。

ゾッと肌を泡立たせた私を、遥か高みから鬼人が見下す。頭部の至るところに備えつけた複数の人工眼球が蜘蛛の目のようにギョロギョロと転がり、獲物(・・)を狙う。そのおぞましい顔が、思い出したくない記憶を呼び覚ます。


「―――ひっ、―――」


レーンコートの頭巾の下にあったのは、かつて味方の本陣で自爆した強襲型鬼人と同じ頭部機構だった。猛然と舞う土煙と唸り声に、胸の内に封じていた地獄の恐怖を無理やり引きずり出される。


「……ぁ、ぁぁ……」


……この化け物は、あの地獄(・・・・)からの迎えだ。一人で地獄から逃げ延びて、死んでいった仲間から目を背けて幸せに浸ろうとした私を罰するために追いかけてきた、地獄の鬼だ。

鬼人の体躯がさらに大きくなる。腰から力が抜けた私がその場に座り込んでしまったからだ。


『ヤリひト出さないなら、テメえから殺ス。見セシめに庭でバラばらに千切ッてヤるんだァアアひひひヒヒヒ』

「ぁ、ぃ、嫌だ。離せ、やだぁ!」


圧搾機のような豪腕に二の腕を掴まれ、軽々と持ち上げられる。柳のような腕が醜く捩れ、関節からゴリゴリと何かが擦れる鈍音が聞こえる。途端に視界が真っ赤に明滅して、【危険:左腕部装甲耐久限界】【危険:左腕部関節耐久限界】【緊急脱出推奨】と大きく表示されるが、抜けだそうにも電装義肢の出力が圧倒的に劣っている。

何より、心がすでに負けている。

恐怖に肩を上下させる私の眼前に、鬼人の腕が突きつけられる。腕部兵装の空冷式重機関銃の銃口が鈍い光を表面に走らせる。まるで機関銃が舌舐めずりをしたかのようだ。ガチン、と薬室に実包が装填される音が鼓膜に滑りこんでくる。

もう、ダメだ。殿下は逃げ果せることが出来ただろうか。あの御方は走るのが得意では無さそうだから、隠し部屋にでも身を潜めてくれていればいいが。


「お気持ちに応えられず申し訳ございません、槍仁殿下。……お誘い、嬉しかったです」


口内に呟き、己の最期を予見してぎゅっと目を瞑る。絶望に閉じた瞼の向こう側で眩い光がカッと炸裂する。


「うおおぉッ!!綾狩を離せ、化け物め!!」

「―――槍仁殿下!?」

『アァア゛あああ゛あ゛アアア゛ア!!??』


眩い光が煌めき、鬼人の腕部を深々と斬り裂いた。

それは刀だった。3尺にも及ぶ長大な打刀(うちがたな)は豪腕の奥にある電纜(ケーブル)まで届いて振り下ろされる。電装系を断ち切られた鬼人の腕から力が抜け、解放された身体がその場に尻餅をつく。

呆気に取られて動けない私の頬に、大きな手が添えられる。見上げれば、逃れたはずの槍仁殿下が息を荒くして私を見つめていた。私の無事を確かめて安堵したのか、目元がふっと緩む。血の通った手の平の温かさが恐怖で凍っていた心を溶かしてくれる。


「すまない、これを取りに行って遅くなった。もう大丈夫だぞ」

「で、殿下、まさかその刀は……」


先反り式の優美な拵えに、流れる火炎のような刃紋を刀身に焼き付けられた日本刀―――。幼い頃に殿下から伝え聞いたことがある。この一振りこそ、弓之宮家に代々伝わる国宝級の銘刀、『虎牙ノ宗光(コガノムネミツ)』に違いない。

なんと、見事な業物か。鋼鉄を紙のように斬り裂いて尚、その刀身には刃毀れ一つ見当たらない。「天の隕鉄で鍛えられた」という逸話は真のようだ。つい先ほどまで頭を吹き飛ばされる寸前だったというのに、その美しさに私は思わずほうと吐息を漏らした。


【被攻撃動作感知 敵兵装:陸軍60式重機関銃ト推定】

【守護対象:危険】

【当方二迎撃可能兵装ナシ 防御不可能 回避推奨】


「ッ! 殿下、捕まってください!」

「うわっ!?」

『よクモ俺ノ腕をォおヲヲお!!!ヤりヒトォ、ヤっパリテメえから先に殺スぅウウウ!!!』


ガリガリ、とノコギリが稼働するような金属音が轟く。すかさず殿下の腰に手を回してその場から飛び退れば、その後を追うように大理石の床が弾丸の雨で耕される。

冷静になった頭でこの状況を打破できないかと考える。しかし、どんなに必死に思考を巡らせても有効な策は思いつかない。機動力ではこちらに分があるが、新しい身体との感覚補正がされていない上に、殿下を脇に抱えている状態ではその優位も殺されている。せめて主機関が動いてくれれば戦えるのだが。


「で、殿下!お味方は駆けつけてはくれないのですか!?」

「今日は皆に休暇を出してしまった!この屋敷にいるのは僕たちだけだ!」

「くっ……!」


最悪だ。弓之宮邸は恐ろしく広大だから、銃声を聞きつけて官警が駆けつけることは期待できない。

せめて部屋の外に脱しようと試みるが、弾幕の嵐に行く手を遮られて隅に追い詰められる。


『逃ゲルなぁぁアアアア!!てめエを殺シて、オレはモトの人間のカラダに戻シてもラうんダアぁあああアアあ!!!』

「何を戯けたことを……!元の肉体を失ったからこそ、その醜い身体を得て生き延びてきたのだろう!!」

『ウルサイうるサイウルサイぃいいイイイ!!いいからてめェら早くシネよおおおお!!!』


【被攻撃動作感知 敵兵装:57式軽迫撃砲】

【守護対象:危険大】

【当方二迎撃可能兵装ナシ 防御不可能 回避推奨】


まさか、こんな閉所で迫撃砲を―――!?

肩部に設置された対陣地用の兵装が解放され、誘導装置の赤い光が私たちを睨む。如何に強固な装甲を誇る鬼人とはいえ、密閉空間で迫撃砲が爆発すれば自らもただでは済まない。この鬼人はすでに正気を失っている。でなければ、先の「ヒトに戻れる」という世迷言を盲信しているのか。


「殿下、私の影に隠れてください!盾代わりにはなれます!早く―――」

「ダメだ、君が僕の影に隠れるんだ!!」

「なっ!?」


この身に代えて爆風と破片からお守りしようと腕を広げる。しかし、必死の形相の殿下に逆に抱き締められる。擦り付けられた頬にぬめるものを感じる。それは涙だった。


「やっと君を手に入れたんだ!君を幸せにすると誓ったんだ!君を、君だけを死なせるものか!」

「槍仁、様―――」


ドクン、と心臓が跳ねる。胸の内に灼熱のような歓喜が漲る。かつて私の人生で、これほどまで私を愛してくれた人がいただろうか?身を呈してまで私を護ろうとしてくれた人がいただろうか?

護らなければならない。この御人を傷つけさせてはならない。この人だけは、命に変えても守ってみせる!!


【各駆動系:同期完了】

【菊69式主機関:調整完了 始動準備】


「守護対象を護れ」と叫ぶ補助回路と私の覚悟がピタリと重なる。瞬間、ズレていた身体との感覚が完全に合致する。ウォン、と腹甲の奥底にある主機関(エンジン)が猛回転し、この身体の本来の出力(・・・・・)を全身に行き渡らせる。

ガポン。卵を勢い良く打ち出したようなくぐもった音が空気を揺らした。眼球の高解像カメラが迫り来る砲弾を視認する。

何か使えるものはないかと手を振り乱す。あの脅威を見事に弾き返してこの人を救える、強力な武器が―――!!


【兵装感知 装備可能 迎撃可能 攻撃推奨】

【菊69式主機関:出力制限緊急解除 限界出力稼働:許可】

【全駆動系:戦闘形式ヘ移行  近衛ノ侍二栄光アレ】


指先が触れたと感じた刹那、柄巻きを握り締める。積み重ねてきた剣術の経験が「お前なら扱える」と背を押す。脳よりも先に脊髄が思考し、身体が別の生き物になったかのように跳ね上がる。

瞬きにも満たない須臾の時間、振り上げた切っ先が砲弾の信管を正確に寸断した。無力化されて壁に跳ねた砲弾には目もくれず、この手に握る虎牙ノ宗光(コガノムネミツ)を下段に構えて力強く踏み込む。音のない世界で鬼人と私の視線が交差する。


『小娘、てメえは―――!?』


踏み込んだ足が床を穿つ。爆発的な速度で懐に肉薄すれば、隙だらけの胴が目と鼻の先に聳え立つ。一拍遅れて鬼人の眼球が私を追うが、今の私には遅すぎる。


「せいや―――ッ!!」


人外の速度で放った袈裟斬りが鬼人の胴体に食い込む。鬼人の胴体部は分厚い装甲で覆われている。しかし、隕鉄で鍛えられた刀身はまるで粘土を切り裂くような感触を私に伝えた。わずか一秒で鬼人の身体を通り抜けた刀身が、凛と微かに振動する。まるで刀身にへばりついた血とオイルを嫌がっているかのようだ。驚くことに、この刀には意思が宿っているようにも思えた。

バチバチ、と紫電が走る。腹甲内部の主機関を破壊された鬼人が血とオイルを噴き出し、苦悶に蹌踉めく。


『ぁア―――があア゛ア゛―――お、オレ、モトのかラだに、戻してモラウんだ―――オれは―――

―――俺は、家族の元に帰りたいんだ―――泰子―――与太郎―――俺の、家族が待つ、家、に―――………』


そして、モノ言わぬ木偶となった兵士は死んだ。鈍重な音を立てて崩れた鬼人を静かに見下ろす。何も映さなくなった頭部の検知装置から一筋のオイルが滲みでた。鬼の目にも涙、という言葉が脳裏を過ぎる。


「……貴様にも、護りたいものがあったんだな」


同じ国に仕えてきた先達の軍人にそっと手を合わせる。

この鬼人はきっと誰かに誑かされた。「槍仁親王を殺せば元の身体に戻してやる」と嘯かれた。すでに理性が欠如したこの鬼人は、ほんの僅かな希望を利用されて暗殺に使われたのだ。

憤怒の炎が燃え上がり、身体中の駆動系から高温の排熱となって噴出する。


「我が主君の御命を狙い、我が同胞の希望を弄んだ悪辣の輩―――断じて許すまじ。この戦の継続を望む高貴なる愚者ども、断じて許すまじ!!」

「……綾狩。それが、君の願いなのかい?」


包み込むような優しげな声音に振り返る。土塗れになった私の主君が、ニコリと穏やかに微笑む。私の全てを受け入れてくれる、大きくて温かい微笑み。


「どうやら、僕は命を狙われる羽目になったらしいね。軍部に知り合いだっていないこの僕を、主戦派の連中は殺したいくらい邪魔に思っているようだ」

「それだけ御身には影響力があるということです。殿下には、この戦争を止める力がある。少なくとも、誰かが踏むべき一歩を最初に踏める力がある。そして何より、殿下には無敵の盾(・・・・)がある」

「……それが、君の願いなら。愛する君が僕にそれを望むなら。僕は死力を尽くしてそれに応えよう」


ああ、この御方だ。

この御方以外に、私が仕えるべき主君はいない。ようやく理解した。私は、槍仁殿下に仕えるために生まれてきたのだ。今までの業腹も辛苦も、全てこの時の充足感のために必要不可欠な通過点に過ぎなかったのだ。

全身を貫く歓喜の震えを味わいながら、地に片膝を突いて深く頭を垂れる。


「これより綾狩は、槍仁親王殿下に身も心も捧げます。愛情も憎しみも、何もかもを捧げます。何時までも何処までも、殿下のお側に控えさせて下さい」

「ああ。ずっと僕と共にいてくれ。僕たちが、この国を変えるんだ」



皇紀2669年 睦月(1月)

京都市西京区 弓之宮邸


ここに一対の主従が生まれた。

この二人が後に、大日本帝国の運命を―――そして世界全体の行く末を左右することになることは、未だ誰も知る由もない。


この後、槍仁が攫われて綾狩が機能停止に怯えながら必死に探す話とか、宮内省から強制的に回収された綾狩を救うために槍仁が奔走する話とか、実は死んだはずの戦友も全身式壱号になってライバルキャラになるとか、他国の全身式と戦うことになるとか、アメリカに行って和平交渉するとか、そんなストーリーがあるかと思ったがそんなことはなかったぜ。

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