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中編

僕の性転換好きって異常だと思う今日この頃。

大東亜戦争と呼ばれる戦争が始まり、すでに半世紀以上の時が流れた。古くは島国国家であった大日本帝国は列強国相手に辛くも戦勝を重ね、アジア全土にまで影響力を伸ばしていた。西洋列強の国際連盟に対抗する『アジア連盟』が我が国による主導で設立され、アジアは一つに纏まった。その後、「侵略者を撃滅すべし」と士気の高かった我が軍はアジアの仲間たちと協力し、破竹の勢いで列強国の魔の手を跳ねのけることに成功した。私たちは大いなる勝利に心を踊らせた。これで、西洋列強からの侵略に怯えることなく、平穏に暮らせるのだと。


しかし、上層部はそれで満足をしなかった。かつて西洋列強に苦しめられた過去を引きずった老人たちは、「やられたらやり返すのだ」とあろうことか西洋の領土へと手を伸ばしたのだ。それから、戦況は泥沼と化した。互いに侵略者と罵り合い、各地で大きな規模の戦闘が勃発した。

戦争の激化に比例して、両軍の兵器も異常なまでの早さで進化を重ねた。携行武器から車両、飛行機、船、潜水艦、果ては天空より遥か上の宇宙空間で、少し前までは想像もつかないような兵器が跋扈するようになった。遂には『原子爆裂型最終兵器』と呼ばれる強大な破壊力を秘めた爆弾が合計4つ、世界中で原初の大爆炎を咲かせた。過酷化の一途を辿る戦場に適応すべく、兵士たちは己の肉体を『電装義肢』によって肉と機械の融合物へと変貌させ、敵と壊し合い(・・・・)を重ねた。腕を失えば腕を補い、胴を失えば胴を補い、繰り返し戦場へ身を投じた。その化け物のような巨躯と雄叫びの如き駆動音から、彼らは“鬼人(おにびと)”と呼ばれて敵味方から恐れられた。

両軍が激突した戦地は瞬く間に修羅の地と化した。鬼人たちが耳を劈く駆動音を唸らせ、敵軍の鬼人に突貫する。手に持った打撃武器で互いの装甲が砕け散るまで殴り合い、どちらかが地に沈むまで雄叫びを上げて殴打を重ねる。辛くも勝利した方の鬼人は敵陣に向かって驀進し、幾多もの敵の血肉を爆ぜさせる。彼らにはすでに理性はない。人語も理解できなくなった鬼人たちはただ命令に従って敵を喰らう。我が国の歴史に燦然と輝く武士道は、そこには欠片もない。


私は、それがたまらなく不満だった。なんと情けないことか。古より格高い武家として続いてきた矯堂(きょうどう)家の男子として、己だけは戦場においても武士道を失うつもりはなかった。戦場の兵士たちに武士道を思い起こさせてやりたいとさえ思った。何より、「女のような顔貌だ。妾の母親にそっくりだ」と揶揄する長兄やその周囲の愚か者どもを見返す機会を得たかった。決意を胸に秘めた私は、年少の頃より必死に勉学を重ね、その身に剣術の修練を積み上げ、士官学校へと道を進めた。

そして去年、私は念願の戦場への出立を命じられた。

いよいよ武勲を挙げることができる。未だ戦場に出たことのない臆病者の兄たちの鼻を明かし、『矯堂家に綾樹(あやき)あり。彼の者こそ真の武士(もののふ)なり』と賞賛される日本男児への階段を登ることができる。

そうすれば―――もしかしたら、一度も私を振り返ってくれなかった父上から笑顔を向けてもらうことが出来るかもしれない。





地獄、だった。

形容しがたい光景だった。ヒトが足を踏み入れて良い場所ではなかった。理性を持ったまま立ち入るべきではなかった。そこでは常に背後に死神が付き纏っている。ヒトの命などこの場所では薬莢一つにすら劣る。神も仏も見放した、人間の業で形作られた人工の地獄(・・・・・)。そういう、この世とあの世の境界だった。


血肉、金属片、飢え、寒さ、臓腑、部品、恐怖、軋み、吐瀉物、オイル、汚物、排気、激痛、破損―――。覚えているのはそれらの断片的な記憶だけだ。それ以上掘り起こそうとすると発作と痙攣に襲われ、瞬く間に意識を失ってしまう。

武士道など、ちっぽけなものに過ぎなかった。そんなものが介在する余裕など在りはしない。前線に到着し、軍用車を降りた瞬間に私たちを待っていたのは、戦意を昂揚させる硝煙の臭いではなかった。何が混じっているのかわからないヘドロと、得体のしれない肉塊が発する吐き気を催す臭い。そして機械部品の燃えカスから発生する有毒ガスだった。

新兵の最初の任務はそれらを片付けることだった。だが、片付けようにも辺り一帯は全てそのゴミと同じモノで埋め尽くされていた。仕方なく地面を掘るが、掘った先には同じゴミが埋まっていた。悪い時には腐った遺体を掘り起こしてしまい、数人がその穴に滑り落ちて絶叫に喉を潰した。防毒マスクを貫いて侵入してくる腐臭で嘔吐し、マスクの中が吐瀉物まみれになった。

悪性ガスの曇天で太陽の光も届かない不毛の大地を、死骸と汚物とガラクタを担いでひたすらに駆けずり回った。想像していた戦場との落差に、私たち新兵の心は瞬く間に擦り切れていった。

そうしている内に、最初の週で士官2人が発狂した。次の週で5人が脱走して全員が野垂れ死に、次の次の週でさらに3人が発狂した。二ヶ月もたった頃には、30人もいた新任士官はわずか3人だけとなっていた。私自身もすでに限界に差し掛かっていた。

発狂する直前に味方の鬼人が暴走して本陣のど真ん中で自爆をしたのは、むしろ僥倖だったのかもしれない。肉を引き裂く激痛に身を揉まれる中、これでようやく地獄から抜け出せると安堵していたのだから。





皇紀2668年 長月(9月)

神奈川県 相武台陸軍特別病院



「今朝、彩島(さじま)准尉が死んだ。部隊で生き残った者はこれでお前だけになったぞ、矯堂准尉」


士官学校時代からの親友の呆気無い死に様になんと答えるべきかわからず、ただ呆然と残った片方の目で大尉の顔を見上げる。士官学校の教官だった日下部大尉は、常のような無表情を貼り付けて言葉を続ける。


「鬼人の自爆を間近で受けて半身を失うだけで済むとは、貴様は幸運だな。二度とまともに動けはせんだろうが、命が助かっただけ幸運に思え」

「………」

「思えないか。無理もない。だが、現実とはそういうものだ。理想を抱いて戦場に出た若造ほどそういう目に遭いやすい。俺は腰から下を勉強料にしてそれを学んだ」


ギュイイ、と鈍い音を立てて大尉の腰部が駆動する。常人の数倍もの出力を持つ軍用電装義肢は軍服の輪郭を歪に盛り上がらせている。日下部大尉は優秀な軍人であったから、こうして高額な電装義肢を与えられた。前線を退いた今でも軍用義肢の着装を許されているのがその証左だ。


「……家族は―――父上は、何か仰っておりましたか?」


その瞬間だけ、大尉の双眸が私から逸れて地に落ちた。それだけで父上がどのような反応をしたのか―――いや、しなかった(・・・・・)のかを容易に幻視できた。


「……何も。矯堂殿は、何も言わなかった。長兄の魁太郎殿は“愚弟のことは好きにしていい。もう矯堂の家とは関わりはない”と俺に告げた」

「はは。やはり、そうですか」


乾いた笑いしか出なかった。腹に手を当てて笑いたかったが、今の私には腕もなければ腹の中身もないので無理だった。それがまた愉快で、私はヒュウヒュウと風鳴りのような笑い声を漏らす。何の武勲も立てずに生きる肉塊となって帰ってきては、失望されるのは当然だ。父上に認めてもらおうなど、無理な話だったのだ。兄の鼻をあかすどころか、恥晒しとして勘当される体たらくなのだから。

一頻り自嘲に喉を鳴らした後、私が落ち着くのをじっと待っていた大尉に再び目を向ける。


「大尉、私はこれからどうなるのですか?このまま病床で野垂れ死ぬのですか?」

「貴様は何か武功を勝ち取ったわけではないが、士官学校出の成績は人並み以上に優れていた。名高い武家の家柄の出身ということもあるし、軍用電装義肢の申請は通るだろう。今日にでも申請をすれば、おそらく半年後には戦場に復帰できる」

「……私が、鬼人になるのですか?」

「貴様が望むなら」


まず初めに覚えたのは、並々ならぬ嫌悪感だった。野蛮な動物のように戦場を荒らす、ヒトを捨てた化け物。私を、私の仲間たちを散り散りに吹き飛ばした鬼の仲間に、私も加わるというのか。あんなモノに堕ちて、また地獄に足を踏み入れるくらいなら、こうして病床に縛り付けられたまま餓え死にする方が何百倍もマシだ。


「実はもう一つ、選択肢がある。とある高貴な御方から、貴様を雇いたいというご依頼が届いたのだ」

「……は?」


私が拒否の言葉を紡ごうと口を開く直前、それを遮るように大尉が懐から布封筒を取り出した。紫色の上質な布封筒は、主に公家が使用するような値打ち物だ。少なくとも巷では絶対に手に入らない。


弓之宮(ゆみのみや)親王殿下のことは知っているな?」

「は、はい。昔、矯堂家と縁のあった皇族の御方です。10年ほど前に弓之宮家が事業に失敗してからは疎遠になりました。跡継ぎの槍仁(やりひと)殿下とは、幼少の頃に一度お会いしたことがあります」


あまり良い思い出ではない、とは言わないでおいた。槍仁殿下は私より5つは年上だったはずだが、とかく奔放な性格だったことはよく覚えている。私を女子だと誤解して婚約の申し出をしてきた際には呆れて物も言えなかった。

大尉は私の答えに何か納得した様子で「うむ」と頷き、布封筒から一通の手紙を取り出す。分厚い純白の和紙もやはり価値あるもののようだ。


「貴様には手がないから俺が代わりに読もう。内容を手短に纏めて伝える。

『宛、矯堂 綾樹准尉殿。先日、我が父である弓之宮 泰仁親王が薨去した。それに伴い、我、槍仁が弓之宮家を継ぐことになった。長年、我が家の護衛を努めていた者たちも高齢のため暇を出すこととなった。至急、代わりの護衛が欲しい。弓之宮家に奉公してはくれないだろうか。良い返答を期待している。発、弓之宮 槍仁』。―――だ、そうだ」

「……正気とは思えませんね。生命維持装置を外せばすぐに絶命する肉塊に何を期待しておられるのか。槍仁親王殿下はやはり変わり者でおられる」

「いや、そうでもない。貴様を選んだのには理由があるし、切迫した事情もあるようだ」

「……?」


封筒の中からもう一通、紙が取り出される。こちらは手紙ではなく書類のようだった。


「槍仁親王殿下は経営手腕に異常なまでに優れておられる。先代が病床に伏せられてからは殿下が傘下の企業の立て直しを図ったのだが、まさに龍が天に登るが如き勢いで経営状況を改善させられた」


あの見るからに鷹揚な顔の殿下にそのような才覚があるとは思ってもいなかった。誠に、人は見た目では判断できないものだ。


「しかし、槍仁殿下は戦争への協力に否定的との噂だ。事実、弓之宮家は殿下の代になって軍需産業から手を引きだしている。そのせいで他の宮家からも遠ざけられているし、軍の強硬派には敵も多い。使用人も信用出来ないのか、最近は極少数を除いて暇を出したらしい。だから、信頼出来る護衛が必要なのだそうだ。それも最新鋭の護衛(・・・・・・)が」


目の前に書類が広げられる。濁った片方の目玉だけでは細かい文字までは読み取れないが、『試作型 全身式電装強化義肢 実験許可申請書 申請許可通知』まではなんとか認めることが出来た。文中には小さく『体型希望設定:女子』などともあるように見えるが、その意味まではわからない。


「これはいったい何ですか?全身式など聞いたことがありません」

「試作型の電装義肢だそうだ。詳しいことは俺も聞かされていないが、脳と脊髄だけを取り出し、電装義肢のみで構成された人間そっくりの新しい身体に移し替える。失った箇所を兵器に置き換える鬼人とはまったく異なる構造をしているらしい。高貴な身分にある方々が重症を負われた際、新しい身体を得るために一般生活用として開発された。

本来ならば宮内()門外不出の極秘技術として扱われるものだが、槍仁殿下のご好意によって貴様に最新鋭かつ戦闘用に調整された電装義肢が与えられる許可が降りたというわけだ」


ようやく全体像が見えてきた。殿下は昔から気が優しく、争いごとが好きではなかった。この戦争にも嫌気が差したのだろう。この国の経済基盤を支える軍需産業から手を引きながら経営を立て直すとは、確かに優れた手腕だ。事実、他の宮家は軍需産業と根強く結びついて巨万の富を得ている。声を大にしては言わないが、皇族は戦争の継続を望む者が多い。今さら戦争需要がなくなれば御家の存続にも影響を及ぼすからだ。

それ故に、戦争に否定的な弓之宮親王殿下は身の危険を感じた。父親の護衛だった者も信じるに値しないから解雇した。そんな中、見知った人間が実家から勘当されたと聞いて急遽目をつけたのだ。戦争を嫌がる人間が己の身を守るために兵器技術の粋を集めた電装義肢を頼るとは本末転倒な話だが。

それに、最新鋭の電装義肢が私に与えられるという旨い話にも何か裏がありそうだ。


「その全身式電装義肢ですが、私より先に着装した者はいるのですか?」

「おらん。独逸(ドイツ)との人材交換で取得したばかりの技術だ。貴様が全身式(ゼロ)号となる。ここに書いてあるだろう、試作型(・・・)実験(・・)と。

宮内省に引きこもってる公家の連中だって慈善で飯を食ってるわけじゃない。高貴なご老人たちに“早く若い身体をよこせ”と突き上げられとるんだろう。急いで人体試験をして完成度を高めるための資料が欲しいのさ。そこに、成績・家柄共に優秀な素材(・・)が現れて、槍仁殿下からの財力を伴った好意(・・・・・・・・・)が来た。飛びつかない手はない」


要するに、私に新しい身体が与えられるのは様々な思惑が絡まった末の打算の結果というわけだ。雲上人たちが自分の身可愛さで富と権力を振り回した末に出来たぼた餅が、運良く棚から落ちてきたわけだ。

我知らずくつくつと喉が鳴る。前線ではこの瞬間も地獄が作り出されているのに、それを止めることができる力を持った連中はそんなことを露とも気にしていない。


「全身式となれば、その自由は厳しく制限される。槍仁殿下と貴様にはそれぞれ生体電波発信機と受信機が埋め込まれ、貴様は殿下を中心として半径一町(約100メートル)以内からは出られない」

「出ればどうなるのですか?」

「電装義肢の機能が自動的に停止する。長時間の停止状態に陥れば、生命維持機能を失った貴様の脳は壊死する。槍仁殿下の身に何かあった場合も同じだ。殿下の生体電波が途絶した瞬間、どんなに近くにいても貴様も機能停止となる。それは殿下がご病気や老衰で薨去なされるまで続く」

「まさに一心同体、というわけですね」

「その通りだ。……悪いことはいわん。この話に乗れ、綾樹」


大尉の骨太の手が私の肩に触れる。大尉がこれほど悩ましげに眉を顰めているのを初めて見た。まるで、かつて想像していた“優しくて厳しい父親”のようだ。


「貴様は俺に似ている。こんなところでくたばるな。貴様には優れた価値がある。少なくとも俺はそう思っている。先方は急いでいるようだが、俺の方から連絡が遅れたと言い訳をしておく。一日やるから、存分に考えてみろ」


ポンと一度肩を叩き、大尉が席を立つ。義肢の関節がガシュンと油圧の音を病室に反響させる。

大尉の義肢は腰から下全てだ。おそらくは性器まで失ったに違いない。これほど優れた人格者から自らの子孫を後世に残す機会すら奪うなど、どう考えても理不尽なことだ。


「―――いいえ、その必要はありません。その申出、快く承らせて戴きます」


その理不尽を否定できる雲上人がいるというのなら、護ってやるのも良いだろう。それに、槍仁殿下とは知らぬ仲ではない。名君と呼ぶには首を傾げるが、人の良い性格であったことは覚えている。忠義を尽くす分には悪くない。ここで朽ち果てていくよりは少しは上等な死に方が出来るはずだ。


「……わかった。その旨、然と伝えよう。施術まではおそらく一週間とあるまい。悔いのないよう、今の身体との別れを済ませておけ」

「別れなど必要ありません。もはや矯堂からも勘当された身とあっては、むしろさっさとおさらばしたいほどです。出来れば施術を早めて頂きたく思います」

「……伝えておこう」

「ありがとうございます」


大尉が扉の外に歩む。扉が閉まる直前、こちらに背を見せたまま小さく告げる。


「さらばだ、綾樹。貴様が新しい人生(・・・・・)を楽しめることを願っている」

「はい。今まで、ありがとうございました。日下部大尉」


プシュ、と間の抜けた噴出音を立てて隔離扉が閉まる。前線の悲惨な有り様を国民に流布できないように、前線から戻ってきた傷心の兵士は厳重に隔離される。国民に反戦感情が広がるのを恐れた軍上層部の差金だ。そんなことをしなくてもこんな肉塊に出来ることなどないというのに。逆に言えば、上層部もそれだけ過敏になっているということだ。突けば破裂するような風船のように。


「願わくは、槍仁殿下にはその針となって貰いたいものだ」


呟いて、ゆっくりと目を閉じる。意識を遠い過去へと送り出せば、今となっては懐かしい幼少の砌の記憶が瞼の裏に幻視される。

弓之宮家の広大な池泉回遊式庭園を、槍仁殿下に引っ張られて案内して頂いた。殿下はまるで自分が建てたかのように庭園の各所の自慢をしてきた。自慢するものがなくなると、弓之宮家が所有する国宝級の銘刀など途方も無い財産のことを説明しだした。その話のネタも尽きると、今度は自らが抱くこの帝国と世界全体の展望を力説しだした。幼かった私には半分も理解できなかったが、とりあえず感心したようにこくこくと頷いていた。

半日も連れ回されて私の体力も限界に差し掛かっていた夕刻、殿下は二人きりになれる場所があると池の畔に私を誘い出した。


『そ、その、なんだ。今まで言説したように、我が弓之宮家は名誉ある家柄だし、僕自身も、自分で言うのもなんだが、悪い人間ではないと思う。だ、だから、嫁ぐのには申し分ないはずだ。わかってくれるな、綾樹』

『……嫁ぐ?』

『だぁーっ!鈍い奴だな君は!僕は君に一目惚れをしたんだよ!頼む、僕と婚約してくれ!』

『……あの、殿下』

『おお、そうか!了承してくれるか!大丈夫だ、身分の違いなど言ってくる奴もいるだろうが、そんなもの僕が蹴散らして、』

『私は男子です』

『おお、そうか!男子か!大丈夫だ、性別の違いなど言ってくる奴もいるだろうが、そんなもの僕が――――えっ?』

『私は、男です。殿下』

『………』




「針には、なれないかもしれないな」


目に涙を浮かべて走り去っていく槍仁殿下の背中を思い起こし、苦笑する。あれ以来、殿下とは会っていない。向こうから避けていたのかもしれないし、先代の事業失敗で余裕がなくなったのかもしれない。

殿下はもうあの時のことをお忘れになっただろうか。忘れてくれていた方が互いのためだろう。さもなければ、再開した直後に気まずい空気が流れることになる。

ふっと息を吐き、もう一度目を瞑る。沈鬱とした病室に心電図の電子音が小さく木霊し、子守唄となってやんわりと眠りに誘う。この病室に収容されてから睡眠時間が激的に増えた。常に血管に流される鎮痛剤の効果かもしれない。

そういえば、鬼人になると睡眠が出来なくなると聞いたことがある。薬物漬けになった脳が眠りを拒否するらしい。全身式の電装義肢にも同じ症状が出るのだろうか。だとすれば、こうして心地よい眠気に身を任せられる機会も数えるほどしかない。ならば、今は素直に眠ってしまおう。

曖昧になっていく意識の中、走りながら背中で叫ぶ槍仁殿下の声が聞こえる。



『ぼ、僕は諦めないからな!絶対に君を諦めないからな―――ッ!!うわあぁ―――ん!!』



そういえば、そんなことも言っていたか。本当に奔放な人物だった。少しは成長していてほしいものだ………。

まどろみの水底に沈み込む直前、扉が開く微かな音が遠くで聞こえる。



「はーい、准尉さん。Wie geht's dir?(調子はどうかしら)施術を早めにして欲しいと言ったそうね。宮内省のお偉方も早く試験ができると喜んでたわよ。ということで今から施術を始めることになったわ。……あら、ちょうど寝てるわね。gutes Timing!(グッドタイミング)ささ、早く彼を運び出して。全身式の準備は出来てるわね?

しっかし、少女の身体(・・・・・)なんて、よくもまあこの堅物そうな准尉さんが了承したわねえ」



な、なに?今なんと言った?そんなこと、聞いて、ない、ぞ――――――

次で完結です。

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