6.アッシラからのお知らせ
本編29話から33話までの間。
優乃がごちゃごちゃやっている裏側のお話です。
軽いノック音に、座ったままうつらうつらとしていたアッシラは、は、と目を開けた。
全身に疲労が溜まっている。報告書を前に舟をこぐなど、少々まずい状態だ、と蟀谷を抑えた。
はあ、と疲れを隠さないため息をついたアッシラを急かすように、再び扉がノックされた。
面倒だ。居留守を決め込もうとしたアッシラの考えを見通すように、三度ノック音が響く。前の二回より少々乱暴なそれに、来訪者が諦めそうもないことを悟った。
「だれかしらあ?」
「ケノウです」
告げられた名に、アッシラは束の間言葉を詰まらせた。意識をしっかり向けた扉の向こうに、複数の気配を感じる。
間違いなく、現在アッシラの頭を悩ませているメイドたちだ。
アッシラの失態の犠牲になったキンドレイドたちと言った方がいいだろうか。
正直言えば会いたくはない。疲れているところに、彼女達の恨み言を聞く元気はない。
冷遇され続けても、その状況を耐え乗り越えてきた元洗濯メイドたち。彼女達の心はしなやかで折れることを知らない。
強靱な精神力を持つ存在との会話は間違いなく疲労を増加させる。立場に任せて追い返そうか、と考えたがすぐに打ち消した。
どうせこの場をやり過ごしても、また来るに決まっている。
面倒事は先に終わらせてしまった方がいい。腹を据えたアッシラは、だらけていた様子が嘘のようにピン、と背筋を伸ばした。
「どうぞぉ」
「しつれいします」
折り目正しく入ってきたケノウに続いて、シャラ、クロレナ、カラッカが入ってきた。
全員が硬い表情をしている。ふと、アッシラの脳裏に前回やってきたときのケノウの姿が浮かんだ。その時の彼女は緊張の裏に怒りを隠していた。
しかし今日はそれがなく、表情の裏に隠れているものは戸惑いと困惑だった。
「何の用かしらぁ」
「……私たちの今後について聞きたいことがあります」
赤い卵のような目がまっすぐアッシラを見た。言い逃れを許さないケノウの視線に、一瞬アッシラは気圧された。
彼女と話すときはいつもこうだ。ケノウ自身は自覚していなくても、彼女は相手を威圧している。恐らく、無意識に洗濯メイドたちを守ろうとしているせいだろう。
下級メイドと侮っている者たちも、嫌がらせをしても直接ケノウと会話をすることは避ける。ケノウが何かをするわけではない。ただ、彼女と言葉を交わすと追いつめられる気分になるのだ。こちらに非があればそれは殊更強くなる。
千五百以上年下のケノウの視線から逃れたくなる気持ちを誤魔化して、アッシラは首を傾げた。
「洗濯メイド増員の件なら、すんだわよねえ」
「ええ。手が増えたので、少しは楽になりました」
眉一つ動かさずケノウは言った。〝少しは〟という言葉に棘を感じる。
新しく洗濯メイドとされた者たちは、全員洗濯の仕事は初めてだ。彼女たちを指導しつつ普段通りのサイクルで仕事を回すことは、ケノウたちに負担になっている部分が大きいのだろう。
しかし、教えなければせっかくのメイドたちを遊ばせておくことになる。そういうわけにはいかない、と分かっているからケノウたちは文句も言わず仕事に当たってきた。
この山を越えれば、仕事が楽になると信じているからこそやる気になっていた、とも言える。
それが実は引き継ぎだった、と知ったら?一通りの事を教えたら、異動になると知ったら?
アッシラだったらやっていられるか、と叫んでいる。
異動先が異動先なだけに、もろ手を挙げて喜ぶ者の方が多いだろうがケノウたちの場合はどうだろうか。
「私たちが、今の部署から異動になる、と聞きました」
ケノウはもったいぶらず、正面から切り込んできた。
アッシラの性格をよく掴んでいる。下手に遠回しに言えば、アッシラはのらりくらりと交わしてケノウの望む答えを返さない。
それが分かっているからこそ、ケノウは直球勝負に出てきた。
アッシラとしてはやりにくいことこの上ない。
「ええ。そうよぉ。よかったわねぇ。引き継ぎが終わり次第あなたたち全員侍女メイドになるんですってぇ。大昇進よぉ」
「何がよかったわねぇ、ですか!」
ケノウの後ろで眉を吊り上げて叫んだシャラに、カラッカが口をとがらせて続いた。
「いいことなんて、ひとっつもないですぅ」
「あらぁ。侍女メイドになれるのよぉ。メイドの憧れの職場じゃなぁい」
「そういうことはやりたい人がやればいいんです。あたしたちが侍女メイドになりたいなんていつ言いましたか?!!!!」
「クロレナの言うとおりです。私たちは現在の職場に満足しています。異動や昇進の必要を感じません」
熱を上げる三人のメイドを後ろに下がらせて、ケノウが静かに言った。
彼女の冷静さが不気味だ。
どう答えるべきか、悩んだのはわずかな時間だった。ケノウたちが何を言ってもこの決定は覆らない。
それはアッシラにも言えることだ。アッシラが異議を唱えても、誰も相手にしない。下手をすればアッシラ自身の首が危険になる。
事実を告げて納得させるしかないだろう。
下級メイドにここまで気を使うことなど、初めての事だ。
金輪際ないことを願いたい、とアッシラはこみ上げるため息を無理矢理飲み込んだ。
「私に言われても、この異動は決定事項で変更は不可能なのよぉ」
「総監メイド長の名が泣きますよ」
「所詮は中間管理職よぉ。大公補佐であるロダ様の決めた事に、一介のキンドレイドが逆らえるわけがないわねえ」
ケノウの嫌味に、アッシラはおっとりとした笑みを浮かべた。
今回の異動は魔人の上層部が決めた事だ。一般メイドたちの頂点に立つアッシラでは異議を唱えることは許されない。
アッシラの言いたいことが分かったのだろう。ケノウがぐ、と言葉を詰まらせた。
「でもでもでも!いくらなんでも無茶苦茶すぎます!下級メイドが侍女メイドになるなんて、段階飛ばすにも無理があります!!」
往生際悪くカラッカが言った。目がかすかに潤んでいる。彼女の言うことはもっともだ。
いくら不遇の待遇だったことが明るみになったから、とは言え彼女たちの若さで侍女メイドと言うのは大抜擢もいいところだった。
侍女メイドはメイドたちの中で唯一魔人の世話を許される立場にある。特に、大公一家の侍女メイドともなれば、メイドの中で最も名誉職ともいえる位置づけだ。なりたいと思ってなれるものではない。
今回は、第八公女誕生による侍女メイドの補充が必要となり、一般メイドの中から数名の異動が決まった。それに指名されたのが、ケノウたち四人の洗濯メイドだった。
もちろん、これには裏がある。
「だって、あなたたちは枷なんですものぉ」
「「「「は?」」」」
「新しい公女様はぁ、どうにも自覚に乏しいらしいらしいのよねぇ。下手をすると逃げ出す恐れもあるからぁ。知り合いが近くにいればぁ、ちょっとはマシかしらぁって言うことよぉ」
第八公女ユウノ。どこかの馬鹿に目をつけられて攫われ、自覚のないまま長く下級メイドとして働いていた公女。
下級メイドとして働いていた故か、はたまた別の理由からか。どうにも公女どころか魔人としての自覚が薄いらしい。
それならば、と言うことで、彼女の親しい存在を近くにおいて様子を見てみよう、と言うことになったらしい。
この案を出したのは、レジーナだった。元大公の筆頭メイドにして現第八公女の筆頭メイドである彼女は、ユウノを逃がす気はさらさらない。使える物は何でも使う気だ。
この話を聞いてロダはすぐに許可を出したというから、レジーナへの信頼の高さがうかがえる。
「私たちでユウノを繋ぎとめよう、と言うのですか?」
ケノウが冷えた声で言った。怒ると、とことん冷めていくタイプの彼女が纏う気は冷気を放っている。
「ユウノ様、よぉ。そうねえ。どこまで効果があるかは怪しいけどぉ、打てる手は打ってみようってことみたいよぉ」
「みたいって。メイドの配置権はメイド長にあるはずでしょう?!どうして、ヒト事みたいに言ってるんですか?!」
いきり立つシャラに、アッシラは顔をしかめた。
「さっきも言ったじゃなぁい。魔人の方が決めた事には逆らえないわあ。これであなたたちが無能だったら話は違ったんだけどぉ。そうじゃなかったんだものぉ」
「それってどういうことなんですか?」
首をかしげたのはカラッカだった。
「調査の結果ぁ。洗濯場って十五人は必要な場所だってことが分かったのよう。そこを魔人がいたとはいえ五人で回せる能力があったのよお。有能だって、自ら証明しているものよねえ」
「それって。あたしたちが仕事でぼろ出したら要員が増えたかもしれないってこと?!」
シャラの言葉に、カラッカとクロレナがえええええええ!!と悲鳴を上げた。
ケノウの頬も小さく痙攣をしている。衝撃が大きかったらしい。
「もうちょっと駄目駄目なメイドだったらあ、わたくしも耳を傾けたのにぃ。なんだかんだ言いながらも、あなたたち仕事を完璧にこなしていたから目立たなかったのよぉ」
「それって責任逃れですよね?職務怠慢ですよねえ?????」
「ケノウ。わたくしだって失敗することわあるわぁ」
「百年以上放置していたヒトの言うセリフではありません」
冷たく言い放ったケノウを、アッシラは笑って誤魔化した。こればかりは、アッシラに非があるので下手に言い訳をすると墓穴を掘ることになるだけだ。
「とにかくう。あなたたちの異動はぁ、もう取り消し不可能なのよぉ」
「そこをなんとかするのが総監メイド長としての腕の見せ所だと思いませんか?」
「いやあねえ。ケノウ。この城で長生きしたかったらぁ、魔人には逆らわなあい。これこの世の常識よぉ」
アッシラの言葉に納得する部分があったのだろう。ケノウだけでなく、他の三人も黙り込んだ。
魔人に逆らうことができるのは、魔人だけ。
これがアーバンクルの常識であり、絶対的な理の一つ。
「じゃあ、うっかりポカやれば侍女首ってことになるのかな?」
「文字通り首が飛ぶと思うわあ」
ポツリ、と希望的観測を零したカラッカの提案に、アッシラはなけなしの親切心で忠告しておいた。
全メイドの憧れの職場は、命の危険と背中合わせの危険な仕事場であることを理解しているものは少ない。
魔人の勘気を被ったら、即あの世逝き率が最も高い現場なのだ。
言葉を無くしたケノウとシャラ。床に崩れ落ちて泣き出したカラッカ。
「どうしろっていうのよおおおおおおお!!」
四人を代表したクロレナの絶叫が使用人棟に響き渡った。
優乃がハーレイに浚われた後に、動けるようになったシャラがケノウたちを誘ってアッシラの下に行きました。