3.ダラスの拾い物
大公が優乃を拾った時の逸話です。
その日、ダラスが地球に転移したのは単に気が向いた、という理由からだった。
異世界の転移術は時に命を懸けるほどの危険を伴う。普通ならば、実行知ることなど考えもしないほどの魔力を必要とするとする技だ。
ただし、ダラスにとっては大したことのない技である。暇を少しでも潰せるのであれば、何の問題もなかった。
己の生まれ育った世界と異なる進化を遂げた世界を見れば、少しは気晴らしになるだろうと考える程度だ。
景色を見ることを目的とするため、彼が乗る車には屋根がない。それを引くのは、一匹の魔獣だった。
全長一チェインズ(約三メートル)を持つガイパーは、一度食いついたら決して離すことのない鋭い歯と小さくも攻撃的な目をしている。巨大な四本の足の先からは四本の太く長い爪が伸びる。額と左右の蟀谷の辺りからはねじれた角が生えている。
凶暴な外見に反して、性質は大人しく力も強いことから移動手段や農耕の家畜に利用されてきた。自動魔車が造られてからは、好事家が利用する以外では街中で見ることは少なくなっている。
ダラスを乗せる車を引くガイパーは、乗り手の意思を敏感に感じ取っているのか遅くもなければ速くもない適度な速度を保って走っていた。
よく躾けられた魔獣は御者がなくても、危険な走行をすることなく先を進む。
地球の町中をダラスの騎車は堂々と進んだ。下手に姿を見られると騒ぎになることを知っている為、目くらましをかけてある。すれ違ったところで、風が吹いたように感じるだけだ。
いつしか車は人気の途絶えた、住宅街を走っていた。白や灰色といった色合いの家が規則正しく並び建っている。
面白味はなかった。
ただ別の場所に跳ぶ気にもなれずガイバーを走らせていたとき、前方から後方に四角い箱をつけた車が近づいてきた。道の真ん中を走ってくる車は、こちらに気付くことはない。
このまま走れば正面衝突をする。そう判断したガイパーが嘶き、狭い脇道へと曲がった。
次の瞬間小さな衝撃が、ダラスへと伝わってきた。右折をした先に誰かが立っていたらしい。
ガイパーにはねられた小柄な少女の身体がボールのように高く舞い上がり、狙ったかのようにダラスの腕の中に落ちた。
なんとなく受け止めた弱い存在をダラスは感慨なく見下ろす。貧相な体つきをしたどこにでもいるような少女だ。ガイパーに蹴られた時に内臓を損傷したのか、口から血が流れていた。
ダメージが大きかったらしく、荒い息を繰り返している。
脆弱な生き物だ、とダラスは思った。ガイパーと接触した程度で死ぬのだ、と。
そのまま興味なく捨てようと抱えた少女の身体が、大きく震えた。は、とひときわ大きく息を吐き出す。
固く閉じていた目が開き、黒い瞳にダラスを映した。
加害者を認めた彼女は、魔人を前にして怯むどころかダラスを思い切り睨みつけてきた。
「……新人、戦……近い、のに、死ねるか……。さ、っさと、びょ、病院つれて、け、ば、か」
とぎれとぎれであるものの、怯えなくまるで喧嘩を売るような口調だった。ダラスことを知らないにしても、命知らずにも程がある暴言である。
小さいながらも、言いたいことを言うと少女の身体から力が抜けた。
がくり、と首がもたげる。呼吸がどんどん小さくなっていく。
それでも、生きよう、と魂が諦め悪く体にしがみついていた。
「……その覚悟、本物か見せてみろ」
どうせ、退屈だった。ならば、この少女で遊んでみるのもいいだろう。
くつり、と喉を鳴らした漆黒の魔人の顔に、興味深いおもちゃを見つけたような笑みが浮かぶ。
ダラスは、ためらいもなく自らの胸を貫いた。心臓にまで達する傷口から血が溢れ出す。傷が塞がるまで零れてきた血を魔力で小指の先ほどの大きさに凝縮させ、少女の口入れた。嚥下する力すら残っていない少女の喉に押し込み、無理矢理体の中へと流し込む。
身体の中に入るや、ダラスの血が少女の身体を侵食し始めた。
最強と謳われる魔人の血が壊れかけた体を修復し変化させていく。
「あ……」
少女は小さくうめき声を上げた。血管が浮き出し、小さな痙攣を繰り返した。
それだけだった。
目に見える反発はなく、ダラスの血は少女の身体に吸収された。
その事実に、ダラスは珍しく驚き、美しい笑みを浮かべた。
「これは、拾いものか」
くつり、と喉の奥で笑うと、自らの左目をえぐり少女の口に押し込む。ついでとばかりに、目から流れ出た血も集めて飲ませた。
今度も、少女は大きな反発をすることなく強大な力をその身に取り込んだ。
「……使えるな」
ぽつり、と呟くとダラスは、ガイパーを走らせアーバンクルへと転移をした。車は厨へ送り、自分は長く使用されていない部屋に転移した。
室内にあるベッドに少女を寝かせる。規則正しく息をする少女は目覚める気配はない。
おそらく、しばらく眠り続けるだろう。
目覚めるのは、体の中に入った血肉が身体へと馴染んだ時。
目覚めた後、少女はどのような反応を示すのか。
「さて。百年にも満たぬ寿命しかもたぬお前が、果てのない時を狂わず生きることができるのか。それもまた見ものだ」
すんなりと己の心臓の血と左目を受け入れた少女。
本能で自分の恐ろしさを感じ取っていたはずなのに、それを屈服させるほど生きることに執着した少女。
「少しは、楽しめるか」
くつり、と一つ笑い声を落し、ダラスは部屋を後にした。
哀れ主人公、なお話でした。