2.レジーナとユウノの出会い
過去にあったもろもろの出来事を思い返していたレジーナは、背後の空気が不自然に揺れるのを感じた。体の芯まで覚えてしまっている気配に気づいた彼女の行動は素早かった。
手にしていた雑巾を瞬時に転移させ、体を反転させる。流れるような動きで完璧なお辞儀をしたところで、レジーナの目の前に漆黒を纏う魔人が現れた。
「お帰りなさいませ。大公様」
「レジーナ。これの事を任せる」
レジーナの出迎えの言葉を無視して、ダラスは寝台に小柄な少女を寝かせた。彼と同じ黒い髪を短く切りそろえた少女だった。少し丸い年若い顔をしている。無駄な肉がついていない体を包むメイド服が、彼女を下級メイドだと示していた。
何者かしら。
微弱ながら彼女からは大公の気配を感じた。大公の力が馴染んでいない証拠だ。
恐らくダラスの新しいキンドレイドであるのだろう。元は他の魔人のキンドレイドだったのかもしれない。あまりないことだが、複数の魔人から血肉を分け与えられる存在、というものはいる。その場合、力が強い魔人がクアントゥールとされる。
レスティエスト公国に大公より強い魔人はいないから、黒髪の少女の意思とは関係なしに彼女は大公のキンドレイドとなった。
何らかの興味をもたれてキンドレイドにされるとは不運な少女だ、とレジーナはこっそり同情をした。
それとも大公のキンドレイドということに感涙を流すタイプだろうか。
違う、とレジーナは即座に自分の考えを打ち消した。そのような輩ならば、ダラスは適当にアッシラの目に着くような場所に彼女を放り出す。総監メイド長のアッシラならば、その辺りの対処に慣れており何の問題もない。
意識を失っている少女を大公自ら運んでいる時点で、彼女が通常のキンドレイドとは違うことを示している。
間違いなく彼女は大公の関心を一定以上引いたのだ、とレジーナは心の中でため息をついた。
レジーナに任せる、という言葉がある以上彼女の教育係はレジーナの役目になる。
目覚めた彼女には、まずダラスの侍女の心得として大公の関心を引く言動を慎むように教え込まなければならない。そうでなければ、大公閣下に反抗的な行動をとり徹底的に彼の玩具になる未来を招くことになる。
それは流石に哀れだろう。
「彼女はダラス様の新しい侍女と考えてよろしいでしょうか?」
間違いないとは思うが念のために確認をとったレジーナに、大公はくつり、と喉の奥を慣らした。
レジーナの言葉を不快としたのではない。逆だ。
ひどく楽しそうな様子の主に、レジーナは久方ぶりに体を震わせた。
これほど機嫌のよいダラスを見るのは何百年ぶりだろうか。どうやら寝台で眠る少女は、特殊中の特殊、と考えた方がよさそうだった。
「それは、私の子とした。名は……ユウノ」
「シークンとされたのですか?」
内心の動揺を押し殺したレジーナの問いに返ってきたものは無言。それで十分だった。
二千年近くダラスの筆頭侍女をやっているのだ。彼の態度から言いたいことくらい察する術は培っている。
「新しいお子様ということは、第八公女様と考えてよろしいでしょうか」
「お前が言うのなら、そうなのだろう」
「かしこまりました」
間違いなく少女を公女として迎えるつもりらしい。そうなると、大公によってシークンとして魔人にされた存在は六人目になる。
多いな、というのがレジーナの感想だった。
シークンを作らない魔人もいる中、ダラスのシークンの数は多い。もともと、シークンを作ることのできる力を持つ魔人事態少ないから、シークンの数自体少ない。第一世代ベタルの半分いないかもしれない数だ。
加えて平均して一人六百人持つキンドレイドを、大公の場合半分以下しか作っていない。彼の持つキンドレイドの数が少ないから余計多い、と思える。
大公の基準が分からないのはこういう時だった。何を基準にして、彼はシークンやキンドレイドを作るのだろうか。本当に国の事に興味がないのであれば、今更シークンなど必要ないはずだ。
聞いたところでまともな答えが返ってくるとは思えない。逆にそれをネタに遊ばれる可能性の方が高いので、レジーナは懸命にも口を噤んでいた。
墓穴を掘る必要はないのだ。
それにしても、とレジーナはユウノを見る。
血の一滴でも絶命する者がいる大公の血肉に籠る力は強い。シークンともなれば取り込む血肉は血の一滴、など生易しい量ではない。
ダラスの場合最低レベルで、心臓の血を百リンヒュート(約五十ミリリットル)は飲む必要がある。力の強さに体が耐えきれず、身体が破壊されておかしくはない量。レジーナだったら、絶対に飲みたいと思わない。
それをこのか弱そうな少女は飲み生き残った。見た目以上に意志が強い少女なのかもしれない。下位の者が上位の者の力を受け入れるのだ。最終的には、入り込んできた異物を屈服させるだけの意思があるかが生き残れるかどうかの道を分ける。
「それには、左目と指先を十、その際流れ出た血を与えた。ああ。初めに命を繋げるために心臓の血も多目にやったな。……五百リンヒュート(約二百五十ミリリットル)といったところか」
レジーナの考えを読み取ったかのように、ダラスが何でもないように言った。
大型のコップ一杯の量と聞かされて、束の間レジーナの思考が停止した。
おそらく、血を凝縮させて一口で飲めるようにはしたのだろうが多すぎる。
強靭な肉体を持つキ族のロダやロウ族のフロウでユウノの飲んだ量と同等。脆弱に見える少女が、大公の血がもたらす破壊と再生に耐えきれたものだ。
強い魔人の力を受け入れるときほど、身体はそれを拒む。結果、血肉を追い出そうとすることで身体が傷つき、生かそうとする力が体を修復する。
体格差は最終的な能力差に左右されないが、異物として入りこんだ魔人の血肉に耐えることを考えれば元の肉体が丈夫な方が壊れる可能性は低くなる。
それだけでも驚くのに、少女は更に左目と指先を十、それに指の血を飲んだという。
他に与えられた部位がロダが右目と眼孔から流れ出た血、フロウが右腕と小指の爪ほどの大きさの心臓の欠片であると考えれば、彼等より弱い種族のユウノが取り込んだ血肉の量が規格外であることがよくわかる。
通常、魔人の血肉に含まれる魔力の強さは、心臓・心臓の血・眼球・その他の身体・心臓以外の血、という具合に段階を追って弱くなっていく。
どこの部位をどれだけ合計でどれだけ取り込んだかで、シークンやキンドレイドとして新たに得る力は変わる。例えば、フロウが取り込んだ心臓の欠片とユウノが取り込んだ左目一つでは眼球の方に軍配が上がる。小指の爪先ほどの心臓の欠片では、眼球の半分ほどの力しか得られない。
単純にロダ、フロウ、ユウノがダラスより得た力に順位をつければ、ユウノ、フロウ、ロダの順に潜在能力が高いことになる。
実際は、経験や元々持っている種族的能力などもあるので、一概に誰が強いとは言えない。
それでも、ユウノが与えられた血肉の量は通常では考えられない量である。信じがたい事実に絶句したレジーナが見たのは、規則正しく動いている胸だった。
「生きておられますね」
「死んでは意味がない。それにはやらせることがある」
何をやらせるのか、はこの時点ではまだ言うつもりがないらしい。
うっそりと他者を魅了する笑みを浮かべるダラスが、ユウノにとって喜ばしくないことを考えているだろうこと言うことを長年の経験からレジーナは察した。
ここまで大公に気に入られるなど、彼女はいったい何をしたというのか。
レジーナはがんがんと釘を打ちつけて封じた過去の出来事が顔をのぞかせていることを感じた。
正面から大公に口答えをしたときの彼の楽しそうな顔。思い出すだけでも、背中に悪寒が走る。
「レジーナ」
「はい」
「それには、目の事はまだ伏せておけ。壊すな」
与えられたものの多さを自覚して、精神が崩壊するようなことはするな。しかし、その他の部分は告げて、立場を明確にさせておけ、といったところか。
主の言葉の裏を正確に読み取りレジーナは、深く頭を下げた。どうやら、ユウノは魔人となることに喜びを感じるタイプではないようだ。
どう事実を伝えるべきだろうか。少々大げさに伝えて自覚を促すことが良いかもしれない。
「それと、お前の筆頭侍女の任を解く。代わりにユウノの筆頭侍女になれ。後任は好きに選べ」
見るものがみたら降格と映るレジーナの突然の異動だった。その裏にあるものは、年若い新しい公女に自分が信頼する侍女をつけることで彼女の存在を他へと知らしめる事。
ユウノがダラスに望まれ必要とされている存在である、と。
そう分からせるだけの働きをレジーナはしてきた。落ち度もない彼女を新しい娘に着けるということは、彼女の事を知る者たちにダラスの意向を周囲に知らしめるには十分だった。
「かしこまりました。わたくし一人では足りませんので他に二、三名連れて行ってもよろしいでしょうか?」
突然の異動宣言にレジーナは淡々と応じた。内心は喜びに踊っていたが、それを気取らせることはしない。
ようやく、大公の気まぐれに振り回される確率の高い立場から離れられるというのに、それを台無しにする愚かな行動は絶対に慎む。ついでに、同じ考えを持つ二人の優秀な侍女の引き抜きも計算する。
「構わん。好きに動かせ」
案の定、レジーナに全てを丸投げしてきた大公にレジーナは再び頭を下げた。
レジーナが顔を上げる前に、やる事はやった、と大公は姿を消した。
残されたのは、レジーナと昏々と眠り続ける新しい公女。
大公と同じ漆黒の髪を持つ少女は、不快なことを聞いたかのように顔をしかめていた。
もしかしたら夢の中に今の会話が届いていたのかもしれない。
この下級メイドの服に身を包む少女はどういう存在なのだろうか。
彼女が目覚める前にやる事はたくさんある。
「まずは、侍女の配置換えとユウノ様のお部屋の準備ね」
全てはユウノが目覚めれば動き出す。
どのような不足な事態が起きても対応するべく、レジーナは動き出した。
補足:魔人の血肉の力
眼球一個=心臓の欠片1㎤=心臓の血10ml
本編18話の時点で、ロダとフロウは優乃が取り込んだ血肉量を知っています。逆に優乃は二人がどれくらい大公から血肉を与えられているのか知らないので、コップ一杯の心臓の血と指先十個で二人より潜在能力が高いとあっさり信じました。
二人が大げさに優乃の力が高いと言った理由は、また後日。




