悪魔
悪魔と取引をした。
特別な才能を持たずに生まれた俺はごく平凡に生き、
家と会社を往復するだけの毎日に退屈していた。
50年分の寿命を捧げれば世界の支配者にもなれたが、
それではあまりにも残りの人生が短すぎる。
なのでチキンな俺は捧げる寿命を10年分だけに留め、
平凡ではない能力を悪魔から授けてもらったのだ。
悪魔が提示した能力は2つ。
『波動拳が撃てるようになる』
or
『横顔がトム・クルーズになる』
この2つの中から選ばなければならなかった。
究極の二択というやつだ。
波動拳と聞き、若かりし頃の思い出が蘇る。
中学生当時はスーファミの全盛期だった。
あの頃はゲームソフト1本買うのに1万円もしたので、
親にねだる作品は慎重に選んだものだ。
兄弟のいる家庭なら尚更であり、喧嘩にならないよう
双方が心から欲しがっている作品でなければ
買ってもらえないというのが我が家のルールだった。
そんな中、兄と意見が一致したのがスト2だった。
タイトルからして2作目であるのは明らかであり、
正直なところ1作目については今でも知らない。
だが、それでも周りの友達はみんな持っていたので、
自分たちもやってみたいと思ったのである。
そしてそれが大当たり。
さすがは格ゲー界の王様的な存在、
今尚世界中から愛され続けている不朽の名作だ。
俺も兄も学校が終わると家まで寄り道せずに直行し、
夕飯の時間までひたすらスト2に明け暮れたものだ。
兄はベガの↓強Kが苦手だと見抜いた俺は、
そればっかりやって完全勝利したせいで
リアルファイトに発展したことがある。
今となってはもう笑い話の1つになっているが、
あの時は本当に殺されそうだったのを覚えている。
兄の弱点は他にもあった。
兄弟で対戦する際、兄は常に1P側を使用していたので
逆境からのスタートに慣れていなかった。
説明書には1P側、つまり右向き時の技コマンド表が
記載されていたので、その入力方法しか知らない兄は
めくられると途端に技を放てなくなったのだ。
そして俺自身の数少ない強みとして、
左手の人差し指の連打がやけに速かった。
そのため春麗の百裂キックを強Kで使えたので、
友達から尊敬の眼差しで見られたのはいい思い出だ。
そんな思い出深いスト2の主人公的な存在、
リュウの代名詞とも言える技が波動拳なのだ。
他の格ゲーでも、離れ技と対空技を持っている
スタンダードな使用感が特徴のキャラクターは
波動昇龍キャラと呼ばれるくらいに影響がでかい。
その波動拳を撃てるようになる……
なんとも夢のような話ではないか。
だが、俺は踏み止まった。
40過ぎたおっさんが「波動拳!波動拳!」と叫ぶのは
大変恥ずかしい行為であると思い直したのだ。
それにたしか、スト2のキャッチコピーは
『俺より強い奴に会いに行く』だった気がする。
もしかしたら俺の他にも悪魔と取引をした奴がいて、
そいつとリアルファイトしなければいけないような
状況に陥るということも考えられる。
冗談じゃない。
俺より強い奴なんかに会いたくない。
波動拳が撃てる以外は取り柄の無いおっさんなのだ。
どうせ普通に殴られて負けるに決まっている。
わざわざ痛い思いなんてしたくない。
そんなわけで、俺は別の能力を選んだ。
俺は後悔した。
横顔がトム・クルーズになったことで
周りの見る目が変わったのは明らかなのだが、
それを喜んでいられたのは最初だけだった。
よく若い女の子が俺の顔を覗き込んでくるのだが、
彼女たちは皆、とても残念そうな表情をするのだ。
考えてみれば当然だろう。
女の子たちはトム様の御尊顔を拝見したかったのに、
期待に胸を膨らませながらいざ正面へ回ると、
そこには覇気の無いえなりかずきがいるのだ。
これほどガッカリするものはない。
最近、フードを被りながら街を歩いていると、
笑った時だけ橋本環奈になる女性をよく見かける。
彼女たちも悪魔と取引をしてしまったのだろう。
いずれ彼女たちも自らの犯した過ちに気づき、
近いうちに笑えなくなる日が訪れる。
それか、一生笑顔を貼り付けたまま生きるしかない。
なんにせよ、俺は思い知った。
悪魔と取引をしても幸せにはなれないのだと──




