4 管理人さん
気が重いが、行かないことには始まらない。
勢いに身を任せ管理人のいる所へ向かう。
あさひコーポは2階建ての建物で、上階・下階にそれぞれ3つの部屋がある。
事前の情報だと管理人の部屋は下階の右側だったはずだ。
扉の前まで来てしばらく静止する。
扉の脇にあるのが呼び出しボタンで、押せば内部にいる者がでてくるというのは知っている。
だが、これまでの苦悩が邪魔をしてなかなかボタンに手が伸びない。
ひとまず心を落ち着かせるために大きく息を吸う。
そして大きく息を吐こうとした瞬間に、先輩がすっと手を伸ばしてボタンを押したので、驚いてむせ返ってしまった。
「ちょっと先輩!」
慌てて先輩の方を見ると、ニヤリとした顔をしていた。
「まあ、いくっきゃないじゃん」
先輩は爽やかに言い放った。
度胸があるところは尊敬するが、無鉄砲になられると相方としては困ってしまう。
中から「はーい。ちょっとお待ちを」と声がした。
今日の悪夢が蘇る。
自身の胸が強く鼓動し、血液が素早く駆け巡るのを感じた。
これが人間の緊張というものだろう。
だんだんと呼吸のリズムが早くなり、すこし息苦しくなってきた。
しばらく待っていると、中から扉に近づいてくる足音が聞こえた。
いよいよ久しぶりのニンゲンとの対面となる。
上手く対話できるといいがと思いながらその時を待つ。
ますます強く脈打つ胸を鎮めようと考えていると、ガチャリと扉が開いた。
「はいはい、どなたですか」
中からでてきたのは、落ち着いた雰囲気の女性だった。
顔立ちなどから察するに30・40代だろうか。
「あら、もしかして今日引っ越しのお二人?」
緊張が収まっていない私は、少し動揺しながら「はい」と答えた。
先輩も続いて「そうです」と言う。
管理人さんは私たちを少し眺めた後に、
「あらあら、やっぱりそうなのね。私は河野と言います。これからよろしくね」
と微笑みながら言った。
相手の様子を見るに、ひとまず私たちへは友好的なようだ。
不安と緊張でいっぱいだった気持ちが少し楽になり、
「こちらこそよろしくお願いします」
と明るく言葉を返した。
「えっと、佐藤君と鈴木君でよかったかしら?」
河野さんが尋ねる。
河野さんの言うとおり、私たちの地球上での仮名は、先輩が佐藤蒼で、私が鈴木湊だ。
仮名については調査にあたって与えられたのだが、この日本で最も多く使われているものを参考にしているのだとか。
まだ仮名に慣れていなかったので
「あ、はい。私が鈴木で、えっと彼が、えー……佐藤です」
と歯切れの悪い応答になってしまった。
「佐藤君と鈴木君ね。たしか二人ともご両親の都合でずっと海外にいたのよね。——そういえば、ずっと海外にいたのに日本語がお上手ねぇ」
また河野さんが鋭いことを言うので、
「まぁ、ほとんど日本語で過ごしていたので……ははは……」
とはぐらかすように答えた。
ニンゲン世界への無知をなるべく誤魔化すために、このような設定としたのだが、まだ体の芯まで落とし込めていない。
今後も起こりそうな展開なので、上手くいなせるようにならなければと思った。
それからしばらく取り留めのないの会話をしていると、河野さんが思い出したように言った。
「あら、つい長話しちゃってごめんなさいね。鍵が必要なのよね。今持ってくるわ」
そう言うと河野さんは部屋に戻り、鍵をひらひらさせながら持ってきた。
「お待たせ、これが鍵よ。あなた達の部屋は上の階の真ん中ね」
「ありがとうございます」
河野さんから鍵を受け取る。
「家電とかは引っ越し業者さんが設置してくれてるみたいだから安心してね」
河野さんはそう言ったが、もちろん引っ越し業者とはニンゲンに扮した先発調査隊だ。
「あと、初めての日本で分からないことも多いと思うけど、このアパートの皆は優しいからいつでも頼ってね」
河野さんは笑いながら「まぁ、クセも強いんだけどね」と付け加えた。
「ありがとうございます。皆さんには明日ご挨拶に伺おうと思います」
「それは良いわね。皆と仲良くしてね」
それではと挨拶をして河野さんと別れた。
別れた後すぐに先輩が言った。
「めちゃくちゃいい人じゃないか!」
たしかにニンゲンへのイメージが一変するような人だった。
先行きが不安だったが、河野さんやこのアパートの人達にサポートしてもらえれば何とかなる気がしてきた。
少し上機嫌になった私たちは、幾分軽くなった足で階段を上り、上階真ん中の部屋の前まで向かった。




