父と母と
病院を去って1月ほど経ったろうか。
私は母に語りかける。
「そう、お腹が、空いたのね。すぐあげるわね」
母は私の声を、聞いて答えてくれた。
それを父は、言いしれぬ不安な表情で見つめている。
「......また、聴こえたのかい?」
父は聴いた。
「ええ。もちろんよ。私の天使は、いつも教えてくれるわ。神に選ばれた子なのよ。」
母は、言った。
私が母に話しかけたのは、新生児室を出て、母のもとに戻ってすぐだった。
最初は、驚いたようだが、母は私を天使と言って、私の声を受け入れた。
今思えば、母こそ異常だ。
しかし、当の私も、人の常識など知らないもので、
コミュニケーションが取れる母がいて嬉々したものだ。
もちろん、この状況を父を含め、殆どの人が、認めていなかった。
母に対する酷い視線に、私は憤りを覚えていた。
されど母は、気にしない。
私が元気ならば良しと、常々笑顔でいてくれた。
この頃の私は、
私に向けられる内なる声を聞くことができた。
そのせいで、父が私に思っていることが、母とは正反対なのを知っていた。
母を狂わせているのが私だと、
私が生まれるまで幸せだったと、
私が何処かに行ってしまえばいいと、
父は、母の事でそういった専門機関に連絡を取り、相談しているらしく、病院に行くことを強く薦めようとしていた。
母は、そんな父のことはどこ吹く風のように
「大丈夫よ。」
一蹴し、私をあやした。
その度、父の憎しみのようなものが、
私に降り注がれた。
私の声は父にも届いているはずだった。
しかし、父は、それを幻聴と言い聞かせ、必死に無視し続けた。
そんな日々の中、父は限界を迎え、私を母から引き離した。
母と父は、壁の向こうで言い争い、その後、父の声が消えた。
この頃の私は、まだ、私以外に向けられた声を聞くことができず、向けられるものと直に聞こえてくるものだけしか聴くことができなかった。
母は、私の前に帰って来た。
「もう大丈夫よ。ママがいるからね。」
心から私に強く、重く言い聞かされたような感じだった。
その後、母は忙しく動き回って、家を出た。
「大丈夫。大丈夫。」
母がそれをひっきりなしに繰り返した。
私はこのときから
この言葉が嫌いになった。