第八話「手がかり」
歩いて三ヶ月が過ぎた。
西の村――名前がウリウリ村という事とおばあさんから聞いた『結構遠い』という情報だけで具体的な距離が分からなかったから、想像以上に遠くてラヴェルも疲れの色を隠せない様子だった。
幸いか否か、山道が続いたから湧き水や野生動物を狩れたので食事にはそこまで困らなかった。
クマみたいに襲ってくる動物は連携して倒せるし、シカやトリみたいな逃げる動物はステラが一人で捕まえられるし、最近はラヴェルも水魔法を使って一人で獲物を倒せるようになってきている。
私? 私は皆の身を守ってるんですけど? なにか?
ここまで来るとハートが頑丈になってくるから何とも思わなくなってきている。むしろ精神だけの存在の私達が気負ってしまったら、それこそ死んでしまう。
「ちょっと疲れてきましたけど大丈夫です! ここもきっと父が歩んだ道なのだと思えば大したことありません!」
芯の強い娘だ。私よりもずっと若いだろうに、これだけしっかりしているのは生きてきた世界の辛さや背景もあるだろうけど、やはり溜まっていた父親への想いが強いのだろう。
ジャックさんという尊敬すべき養父がいる手前、恐らくタイドさんへの想いはあまり表に出さないようにしていたのだと思う。
その長年の蓄積された想いを一気に発散させているんだ、その身が疲れることがあっても心は簡単には折れないだろう。
――っと理想はそうかもしれないけど、実際には身体が疲れるとどうしても心も疲れてしまう。気張るのは良いけど、心も身体を壊してしまっては元も子もない。
「気にするなと言っても難しいかもしれないけど、時間が決まっているものでもないんだから焦る必要はないわよ」
「そうですね、気ばかり勇んでも身体がついていかなかったら意味無いですからね……! ありがとうございます、レイラさん!」
私やステラとラヴェルは時間の感覚が違う。私達からしたら焦る必要がない時間でも、彼女にとっては長く感じてしまうのは無理もない。
ただ、今はそれくらいしかかけてあげられる言葉はなかった。
ウリウリ村に着いたのは更に二週間後の昼だった。
それまでも数軒程度の住宅がある集落はいくつかあったけど、森に囲まれたその村は久しぶりに百人単位で人がいる大きな村だった。
山道を登って標高が高くなったのか、あるいは季節が変わってきたのか、少し肌寒くなってきている。私とステラは寒さを感じるものの、存命時よりも鈍感になっている。油断すると凍死してしまうかもしれないので割と気にしないと危険ではある。この辺りで一度衣替えしなければならないだろう。
村に着いたのだからタイドさんの情報も調べたかったけど、三ヶ月以上もずっと野宿で過ごしてきたのだ、何よりまずはラヴェルを一度ゆっくり休ませたいと思い、宿屋を探すことにした。
そして五分程度探して見つけたその宿屋の名前で私達は固まってしまった。
「――宿屋……ブラックタイド……」
ラヴェルが宿屋の看板に書かれた文字を小さい声で呟いた。
これには流石に私も驚いたし、ラヴェルに至ってはそのまま口を開けて呆然としていた。
これでタイドさんと関係がなかったら、それはそれでどうしてこの名前をつけたのか尋ねたくなる。
「ラヴェル! ブラックタイドだって! ラヴェルのお父さんのことかな!?」
「流石にこれで関係ないってことは無さそうよね。いずれにせよ宿を取ろうとしていたんだから、今日はここに泊まりましょ」
「そ、そうですね! こんなに早く手がかりが見つかるなんて……。あ、いや、まだ手がかりときまったわけでは……?」
ラヴェル自身、早く見つかって欲しいという想いがもちろんあっただろうけど、あまりにも早くそれらしい情報が見つかり面食らった感じで、目をグルグル回したように少し混乱しているようだった。
「すみません、三名で一部屋一泊食事付きで、空きがあればお願いします」
「はい、かしこまりました。空きがございますので早速お取りします。料金については先に頂きますのでよろしくお願いいたします」
店主であろうか、四十代くらいの割と体格の良い黒髪の男性が受付をしていた。
ほぼステラが稼いだ手持ち金の中から料金を支払うと、そのまま男性は手際よく受付もこなし、部屋へと案内された。
建物自体は木造で少し古くなっているものの、しっかりと手入れがされていて家主の性格が現れているように感じた。
こういった建物は、特に木造の建物は管理をしていないと直ぐに朽ちてしまう。
逆にしっかりと管理されていればレンガ造りの建物なんかよりももっと寿命が長くなる。
余談だけど、私の生まれた並行世界のロンドンはレンガ造りの街並みだったけど、何百年前は木造が当たり前だったらしい。しかし、どうやら街が全て燃える大火事があったから今ではレンガ造りの街並みになったようだ。
だから、別の並行世界に移動したときに木造で出来たロンドンの街並みを見かけたときは結構驚いた事がある。未来とは火元一つでこれほどまでに変わってしまうのだなと感じた瞬間だった。
「こちらのお部屋になります」
「ありがとうございます。それと、どこかお時間のある時で良いのですが、この宿屋のことについてお聞きしたいことがあるのですが」
「宿のことについてですか? そうですね……。本日は今のところお客様方しか宿泊はおりませんので、夕食後でも宜しければいかがでしょうか?」
「ありがとうございます。ではその時間にお願いします」
「それでは夕食のお時間になりましたら、またお声がけいたしますので、ごゆっくりおくつろぎください」
男性は一礼し、部屋のドアを閉めて立ち去った。
室内にベッドは四つあった。もちろんベッドとは言っても、長方形の木箱に布が敷いてある程度のものだけど。
私は近くのベッドに座り、ステラは奥のベッドに勢いよくダイブしてベッドを壊しそうになり、ラヴェルは荷物を床に置くと立ったままソワソワとしていた。
「気持ちはわかるけど、少しは休んでおいた方がいいわよ」
「そ、そうですね! 休みますッ!」
とても休もうとしている人間の返事ではない。
ベッドに腰掛けても、背筋がピーンと伸びていて、わかりやすく力んでいるのが見て取れる。
これは夕食まで――いや、夕食後の話が終わるまでこのままだろうな……。
夕方が近づいた頃、ラヴェルは力んだまま、そしてステラが笑顔のまま軋むベッドでゴロゴロと転がり続けていると、コッコッココと部屋の扉をリズミカルにノックする音が聞こえた。この世界ではこれが丁寧なノックの仕方らしい。
「はい」
「失礼いたします。お食事の準備ができました」
「ありがとうございます」
ステラは飛び跳ねるように立ち上がり、ラヴェルは力んだままロボットのような動きで食堂へ案内された。
ちなみに、私とステラは別に食事を摂らなくても問題ないけれど、やはりラヴェルは自分だけ食べることに申し訳無さがあるようだった。
どちらにせよ道中ならともかく人の目がある場でラヴェル一人だけ食事を摂ると違和感があるため、多少金銭の負担は増えるけど三人で食事をすることにしている。
どうしても生きている者と死んでいる者とでは、こういう食い違いが生まれてしまう。生きている者に合わせた世界だ、どんな対応をしてもラヴェルには気を遣わせてしまう事が多い。
ただ、一応私もステラも食事が摂れないわけではないし味わうことは出来る。
生きていた頃で言えば嗜好品というような感じで楽しめるから、完全に無駄なわけではないし、時々楽しめること自体は悪くない。
それこそ精神だけの存在になった当初は食べないと違和感があったけど、今では食べないことが当然なくらい慣れてしまった。
ちなみに摂った食事も排泄されることがないし、一体どこへ行っているのだろうか。その辺りは自分自身でもよくわかっていない。
テーブルへ案内されると、コッペパンが一つと具の少ないシチューが用意されていた。
この世界の宿屋の食事は、どこもこれくらいのものだ。
席に着き、ラヴェルに教えてもらったよくわからない言葉の食前の挨拶をし、食事に手を付けたが、量も少ないのですぐに食べ終わってしまった。
ただ、旅の道中は狩りをして得た肉類を食べることが多いので、村で購入するしか方法のないパン類は意外と貴重だ。ラヴェルにとっては貴重な炭水化物だ。
我々の狩りの方法は、身体能力に優れ、探索も出来るステラがイノシシやクマのような野生動物を見つけて敵視を取り、近づいてきたところで私がバリアを展開してラヴェルを守り、水を操る魔法で仕留めるという戦法で毎回安定して戦利品を得ている。安全に狩りをするためにもバリアを展開するというのは非常に重要な役回りだ、非常に。
例えばクマなんかを倒したら、ステラが解体処理をして、肉は食べられるし村が近ければ肉だけでなく肝や皮も売れるし、いいとこ尽くしだ。ちなみに私は解体作業の手際が悪いのでステラに手伝わなくていいと言われている。
ちなみにラヴェルが食べるため分の保存は、ラヴェルが魔法で血抜きをしたうえで水分を全て取り出して乾燥させ、簡易なジャーキーにしている。
そんな貴重な資源なので、ラヴェルには最小限の攻撃で致命傷を負わせるようにお願いしている。
しかし、ラヴェルの水を操る魔法は、まだジャックさんの家で見たものよりも強力なものは見たことがない。
どうやら本人曰く強力すぎて危ないから使わないようにしているらしい。
いつか拝んでみたいという好奇心はあるけど、できればそんな強力な魔法を使うような事態に巻き込まれないまま旅を終えたい。
そんなラヴェルにまだ見ぬ姿があるように、ステラにもラヴェルに教えていない姿がある。
ステラは暗殺家業を行う一家の当主候補だったので、本気になればハンティングナイフくらいのサイズの刃物があれば、クマ程度なら一人でも仕留めることができるのだ。
刃物なしでも一般人なら楽に仕留められる。流石に能力者は難しいらしいから、ステラもラヴェル相手に正面から対決したら素手では難しいだろう。もちろん不要な殺生は禁止しているけれども。
ただ、獲物を一人で仕留めるなんてことをしてたらラヴェルだけでなく私自身もやれることがなくて肩身が狭いから、全員に役割を持たせるということは精神的な面で非常に重要な事だ。
この三人の中で一番やれることがない私が言うんだから間違いない。
「お食事はいかがでしたでしたか? 改めまして店主のスウェプト=ビレンと申します」
テーブルで食事を摂り終わった私達の元に店主が訪れ、一礼した。
大柄な体格で角刈りのようなショートヘアをして、少し四角の輪郭に厳しそうな目つきながらもその笑顔は営業スマイルなどではなく、本当に優しい人なのだとわかる笑い方をしている。
「美味しかったよー!」
「お、おいしかった、ですッ!」
「ありがとうございます、スウェプトさん」
改めてこの地域の人たちの服装を見ると、長袖なのは私達も同じだけど、明らかに服の生地の密度と厚みが違っていた。生きていた頃の感覚ではそれでも寒いとは思うけど、これしかないのであれば明日にでも早速この地域の服装を買っておこう。何より自分から言い出さないラヴェルに買ってあげなければ。
「それで、お話というのは何でしょうか?」
スウェプトさんが話を進める傍らで、黙々と娘さんと思われる方が食器をテーブルから片付けていった。
小さい村の宿にしておくには勿体ないくらい丁寧なサービスの宿屋だ。
「お伺いしたいのはこの宿の店名です。どうしてブラックタイドという名前に?」
「名前……ですか。それでしたら皆さんもお名前はご存知かもしれませんが、大魔道士と呼ばれたタイド=サン=ブラック氏にあやかって付けたものです。御本人に承諾もせず勝手に付けたものですので、大変恐縮ではありますが」
「タイドさんはこの宿に何か所縁があったのですか?」
「いえ、宿自体には特にないのですが、私個人が一度タイド氏に命を救っていただいた事がありまして。それでこの宿を開く際に感謝と尊敬の念を込めて付けさせて頂いた次第です」
「ち、父にお会いしたことがあるんですか!?」
ガタッという音とともにラヴェルが椅子から立ち上がり、宿中に響くくらいの大きい声をあげた。
緊張はするが冷静なことが多いラヴェルがここまで声を荒らげたのは初めてかもしれない。
「お父上というと、もしやタイド氏のご息女で……?」
「はい! ラヴェル=エミューズ=モーリス。養子に入る前の名はラヴェル=エミューズ=ブラックです!」
「そうでしたか……。まさかタイド氏のご親族の方と、それもご息女とお会い出来る日がくるとは……」
「スウェプトさん、良ければタイドさんとのことについて詳しくお伺いしても宜しいでしょうか?」
「もちろん。むしろご本人に言いそびれたお礼を込めて、こちらからお伝えさせて欲しいくらいです」
そう言い、スウェプトさんは自身の過去について語り始めた。