第六十話「序曲」
どこの並行世界にも『元々世界は一つだった』という神話が一つはある。
その『世界』という言葉の意味をどう解釈するかは人に依るだろう。
しかし、現に『世界』は一つであったし、そこに『神』はいた。
神々の暮らす楽園は優雅であり、華美であり、絢爛たるその生活は何不自由ないものであった。
◇ ◇ ◇
神には多くの種族や性別があった。
しかし、神に種族や性別の違いはあれど、そこに差はなかった。
数多くの友愛こそあったが、一方で最愛の者を持つこともなかった。
神が住まう世界は枝葉のない一本の太い幹であり、そこに果実は実らなかった。
何故なら神に食など必要なかったからだ。
◇ ◇ ◇
神は個として完全であった。
時が動かぬ故に死ぬこともなく、子を成す必要などなかった。
思い描くもの全てを生み出す力があり、あらゆることが個人で完結していた。
しかし、神の中に天才が現れた。
彼女は自らを「レッドラマーダー」と名乗った。
彼女は完璧な世界を良しとしなかった。
完璧ではなく欠けた部分があることで、欠片を埋めようと渇望し、より高みを目指すと考えたからだ。
彼女の思想を知った他の神々から「欠片の神」と呼ばれていた。
◇ ◇ ◇
欠片の神は、まず性愛を撒き散らした。
神々は愛する事を覚え、そして溺れていった。
しかし、愛によってより深い絆を結ぶことができた。
欠片の神は、つぎに矛盾を作った。
神々は頭を抱え、そして悩み、苦しみ、中には狂う者も現れた。
しかし、悩みは時として新しい知識を生み出し、世界に発展をもたらした。
欠片の神は、睡眠を生み出した。
睡眠は悩みや苦しみから容易に逃避でき、目覚めという喜びを生み出した。
無限の命を持つ神々にとって、睡眠に割かれる時間など誤差にすぎなかった。
欠片の神は、空腹を生み出した。
神々は自らが住まう大樹に枝葉を伸ばさせ、果実を実らせるようにした。
果実は美味であり、神々は餓えを知るということと同時に、満たされる喜びを知ることとなった。
◇ ◇ ◇
平穏であった世界に様々な刺激が生み出されたことに賛否はあった。
しかし、一つの出来事によって崩壊した。
神が性愛によって『子』を成したのだ。
生まれた子は個として完全ではなくなり、僅かであるが脆弱であった。
子は更に子を成した。
子の子は更に脆弱となり、個として成り立たなくなっていった。
子の数は増え、いつしか枝葉に実った果実の数が足りなくなってきた。
果実を得られるものは限られ、飢える者が増えてきた。
神々は悩んだ末、果実の場所を教えた者の命を奪う呪いをかけた。聞いた者ではなく、教えた者に対する呪いだ。
果実を得られる者をこれ以上増やしてはならない。果実の在処を教える裏切り者を裁きだしたのだ。
皆は口を閉じ、弱き者に果実は与えられなかった。果実を与えられなかった者はやせ細り、そして動かなくなった。
神々はついに自らの手で『死』という究極の欠片の概念を生み出したのだ。
子は増えていった。
そして、いつしか子達は自然と『死』が訪れるようになった。
子は更に増えていった。
その頃には大樹に変化が現れた。
枝葉の先が伸びなくなり、痩せ細っていた。
爆発的に増えていく子達に果実を与えるために、大樹を育てすぎたのだ。
枝葉は伸びず、果実には限りがある、しかし子は増えていく。
欠片の神は、その光景を見て満足気に自らの命を滅した。
自らの命を滅するとき、彼女は語った。
「私は生と死をもたらす神、RedruMurdeRだ」
彼女は欠片を生み出す神ではなく、生も死もない世界を崩すのが役割だった。
◇ ◇ ◇
神々は考えた。
中には欠片の神と同じく自らを滅するものもいた。
元の楽園へ戻そうとする者もいたが、欠片を満たした際の味を一度知ってしまえば忘れることなど出来なかった。
現実を受け入れるしかない。
そうして一つの案が出された。
『神』であることを辞めると。
全ての者は『神』ではなく子と同程度の『人』となり、全員が存在を堕とすのだと。
果実の大半は『神』が独占していた。人に必要な果実が一だとすれば、神は幾千万という果実を要していたからだ。
脆弱であった子達と完全な『神』が同程度の存在となることで、果実は広く味わうことが出来るだろう。
果実があれば子は個として完全ではないものの、群れであれば生きていけるようになるだろう。
しかし、枝葉の伸びぬ問題だけは解決されなかった。
そこに二柱の神が自らの命を捧げ、大樹の栄養になると申し出た。
女神レイラフォードと男神ルーラシードであった。
レイラフォードは時を統べ、大樹が伸びることを促進することとした。
ルーラシードは世界を統べ、大樹が広がることを促進することとした。
レイラフォードとルーラシードもまた欠片の神によって互いに性愛の味を知った者であったが、それ故にお互いを最愛の者であるという深い愛情という繋がりを持つこととなった。
レイラフォードとルーラシードはその身の全てを数多の種子とし、それを可能な限り『人』に撒いた。
レイラフォードという雌しべを持つ者とルーラシードという雄しべを持つ者、その二人が出会った時、大樹が伸び、世界が広がる因子が埋め込まれた。
その因子の名は『最愛』。
これで『世界』から『神』は全ていなくなり『人』となった。
大樹の成長は芳しくないが、それでも少しずつではあるが伸びている。
かつては大樹そのものに住んでいた『神』も、『人』となっては数が多すぎるため大樹から伸びた『世界』という枠で住んでいる。
『世界』は枝葉を伸ばし分岐していく。人は分かれた世界達を『並行世界』と呼んだ。
大樹の根幹となった世界――『根幹世界』は神の存在は希薄となり、科学を中心として発展し、枝葉の端の世界は神の力が残って魔法や神術の残る世界となった。
◇ ◇ ◇
『神』には全てを生み出す能力があった。
それは『神』が『人』になった今でも、希薄となったが存在はしている。
魔法、神通力、超能力――色々な呼び方があるが、仕組みは全て同じ。
その能力は神から産まれた『子』であれば誰もが持ち、誰にでも手に入れることの出来る力だが、誰もが手に入れることの出来る力ではない。『人』はその能力の存在に気づいていないからだ。
人となった世でそれは、精神的な力で世界を書き換える機構――PsychoRewriteSystemと呼ばれるようになった。
『神』の使う力は全てが『無色』の光だった。
しかし『人』の使う力は希薄ゆえに色がブレてしまい、多彩であった。
青、赤、緑――
時には緑にして黄色、赤にして紫、緑にして空色。
青は『生』、赤は『死』、緑は『停滞』
世界を広げ、時を進める、その力は『生』を促す『青』の力だった。
◇ ◇ ◇
『人』となった世でも、果実の呪いは残っている。
人は果実の場所を口にしてしまうと死んでしまう。
しかし、そもそも『人』は果実の呪いがあることなど知らず、人の世で生きていくことには影響などない。ただ呪いだけが残っているだけだ。
ただ、果実の味を知った者は蜂が花から蜜を集めるように、『世界』を渡ってレイラフォードとルーラシードという種子を受粉させるために働くことが多い。
『世界』は生きている。これも『世界』という生態系に生まれた『人』の役割だ。




