第四十話「オロ=ヴェローチェ」
東京から数ヶ月かけてヴェネツィアを訪れたレイラ。
地図を片手にステラから聞いていた場所へ向かうと、そこには小さな宝石店が確かにあった。
「ここで間違いなさそうね」
店のドアを開けると、そこには栗毛の少し天然パーマのかかった若い男性がいた。
「いらっしゃいませ。どうぞご自由にご覧ください」
ステラから聞いていた風貌とは全く違うから別人なのだろう、レイラはそう考えていた。
「失礼ですけど、こちらにオロ=ヴェローチェさんという方はいらっしゃいますか?」
「え? 父様ですか? えっと……普段はこの店にはいないので、お会いになりたいのであれば月に数回行っている富裕層向けのパーティーに参加されるのが良いかと……」
「そうですか、ありがとうございます」
「あの、ちなみにどういったご要件で……?」
「郵便配達です。オロさん宛のお手紙を預かっているので直接お渡ししたくて」
後日、仮初めの屋敷で行われる富裕層向けの宝石即売会に、ドレスを着込んで参加したレイラはその華やかさに少し驚いていた。
「こんな催しがあるなんてね、まだまだ知らないことばかりね」
ウェイターから貰った白ワインのグラスを口に含むと、見た目からは想像できないアルコール度数の高さと苦味に顔をしかめてしまった。
既に数百年は過ごしているが、肉体自体は二十歳そこそこで亡くなったレイラには些か早い代物だった。
「あなたがオロ=ヴェローチェさんかしら?」
格好をつけるために白ワインのグラスを持ったまま、レイラはオロに話しかけた。
「えぇ、私が店長のオロです。宝石の発注でしょうか?」
黒く艶のあった髪には白髪が混じり、端正だった顔も少し皺が混じり始めていた。
「はい、『ブラックオニキスの腕輪を十三個』お願いしたいのですが、よろしいでしょうか?」
「……なるほど、後ほど詳しくお打ち合わせをいたします」
オロは眼鏡をクイッと上げると、ウェイターに待合の部屋を指示して去っていった。
レイラが通された部屋は、屋敷の奥にある壁が厚く窓のない部屋だった。
机にはオロとレイラが向かい合い、オロの後ろには給仕の者が二名立っていた。
「随分と古い合言葉だったので驚きました。合言葉は定期的に変えているので、本来なら今の合言葉以外の方はご遠慮頂いているのですが……」
「そうだったんですね、そういった事情は聞いていなかったもので」
「それで? どういったご要件でしょうか?」
「いえ、大したことはありません。『オーラトグ』さん宛にお手紙を預かってきました。それをお渡ししたかっただけです」
レイラはステラから預かってきた封書をオロに渡した。オロはまさかと言うような驚いたような顔をしていたが、給仕たちは全く理解出来ていない様子だった。
「すまない、二人とも下がってくれ」
オロが給仕の二人に席を外すよう指示をし、レイラとオロの二人だけの空間が出来上がった。
「コレをどこで?」
「そうですね、天国……でしょうか。信じるかは別として」
封書を開けて手紙を読むオロ、拙い書き方ではあったが、手紙にはステラからオロに対する愛情が込められていた。
その想いは親愛であり信愛、そして深愛でもある。兄妹であるが、まるでラブレターの様な愛に溢れた手紙だった。
「ステラ……」
オロの目から涙が零れ落ちる。
「本当ならここにいたのは君のはずだったのに……。僕が目の前の自由を求めさえしなければ……。すまない……」
「ステラさんは怒ってもいなければ、むしろあなたのことを心配しているようでしたよ」
「ステラに会ったのかい……。もう随分と前に亡くなったはずなのに……不思議なこともあるものだ……。だけど、不思議と嘘ではないと信じられてしまうよ、天国から来たって言ってたかな? 君はさながら天使といったところかな」
「そんな大層なものじゃないですよ」
「昔、死神と会った事があるんだ、天使がいても不思議ではないよ」
「死神か……」
「それにしても、これで思い残すことはなくなったよ、いつでも逝くことができる」
薄く微笑むオロは本当に何も心残りのない空っぽな表情をしていた。
「店には行ったかい? 彼を次の当主に選んだんだ。新しい当主が決まったら現当主は不要。新しい当主が手を下して交代とするのが通例となっている」
「それじゃあ……」
「僕も時期にステラと同じ所へ行くよ」
「……残念ながら、それは難しいかもしれません。あなたにはもう何も残っていない。強く願う渇望した気持ちを感じない、そういう人は私やステラさんとは違うところに行くでしょう……」
オロは少し落ち込んだように目線を下げた。
「そうか……確かに僕には資格が無いのも頷ける、そういう人生だったからね」
「お優しいんですね」
「優しくなんかない、全てを諦めているだけさ」
「それでも全てを受け入れるだけの器があるのには違いありません」
「僕はそんな大層な人間じゃないよ。さて、引き止めてしまって申し訳ない、ステラには礼を言っておいてくれ、逝く前に悔いが一つ減ったってね」
綺麗なスーツを身に纏い部屋を出るオロ=ヴェローチェは、この何十年の中で一番の笑みをこぼしていた。




