第三十八話「ステラ=ヴェローチェ」
「死神さん……。僕にはね、妹と弟がいるんだ」
ヴェネツィアへ向かう列車の中で、向かい合わせに座るオロはユキナに語り始めた。
「僕らヴェローチェの人間は宝石商と暗殺を生業としているんだ。弟は暗殺や手先は不器用だけど僕よりも政治が上手くてね、アレはいい店主になるよ。妹の方は手先が器用で暗殺の技術も僕よりも遥かに上だ。でも、頭が少し悪くて猪突猛進だが素直で良い娘だ」
「……急に家族について語りだしてどうしたのよ……」
「いや……。死神さんがレイディアントを葬ってくれてから頭がスッキリとしてきてね。本当に僕はレイディアントに良くも悪くも呪われていたんだなと実感したよ。そして、今度はヴェローチェ家に呪われるんだ。全部君のおかげだ」
「礼を言っても何も出ないわよ……」
ユキナは呆れて車窓から望む景色を見ていた。
「本当はヴェローチェ家ではなく死神さん――君に呪われたかったんだけど……きっと今の僕では力不足だろう。だから代わりに腕の立つ妹や弟をヴェローチェ家の呪いから解いて欲しいんだ」
「私の仲間にでもさせろって……?」
「そんな良いものでなくても良い。使い走りや配下において貰うだけでも十分だ」
「断ったら……?」
「今この場で君を殺す」
オロはニコニコと笑顔で話す。
「死神に対して殺すなんて、どっちが死神なんだか……。私は口下手だから勧誘なんて向いてないわ……。それに、どうせ配下に置くならあなたの方が幾分マシよ……」
「そう言って貰えると嬉しいよ。君にならレイディアントと出会う前でも従い、君という存在に呪われていただろうね」
「まるでプロポーズね……。残念だけど、私には|あなただけを愛している《ラヴズオンリーユー》と決めた人がいるから諦めなさい……」
「残念だよ」
「寡夫になったばかりの人間が何言ってんのよ……」
オロは微笑み、ユキナと同じく車窓から望む景色を見つめた。
――ヴェローチェ家の仮初めの大屋敷では、玉座に座るバゴと、ステラが一人で呼び出されていた。
「ステラよ、家のために自ら命を断つか、それとも家のために命を捧げるか、どちらかを好きな方を選ぶが良い」
「と、父様……? どういうこと……?」
突然の言葉に立ち尽くすステラ。
分かたれる時が来た。それはすぐに理解できた。
しかし、オロがいなくなった今、カルロよりも明らかに腕のある自分が当主第一候補だと思っていたため、自らが当主に選ばれないという事は想定外だった。
「ヴェローチェ家の当主は暗殺技術の腕からしてお前に継いでもらう予定だったが、愚かにも駆け落ちしていたお前の兄がおめおめと帰ってきおった」
「兄様が!?」
「あぁ、お前は暗殺の腕は確かだが、道には迷い、対象を見失い、何より教養が足らん。他の兄弟は肝心の暗殺の腕が足らぬ故、お前を選んでいたが、駆け落ちなどする恥知らずとはいえ全てが優っている長兄が帰ってきたのであれば話は別だ」
自らが慕っていたオロにまた会えること自体は単純に嬉しいことだったが、自由になりたくて出ていったオロが戻ってきてしまったということは、あれだけ望んでいた自由がなくなってしまったのだという落胆が大きかった。
そして、ようやくオロがいない生活に慣れてきた所に自分よりも明らかに腕の立つ兄が戻ってきたことで、自分の居場所が減ってしまうという焦燥感がステラの胸を締め付けてきた。
「我がヴェローチェ家が暗殺稼業の名家として成り立っているのは、それが謂わば一子相伝だからだ。過去に家の名と財産を巡って身内で凄惨な争いがあり、その反省と戒めとして劣るものは家の繁栄のために命を捧げてきた。次はお前の番だ、ステラ」
死ぬのが怖いのではない。暗殺の現場だけではなく、身内との命をかけた競い合いをも生き抜いてきた父の圧倒的な気迫に、ステラの足は震えて止まらなかった。
『怖い……? 死にたくない……? 生きたい……? その想いを強く持つのよ……』
ステラの背後から魔女のような不気味な声が聞こえてくる。
『あなたのお兄様は運命の赤い糸で結ばれた女と駆け落ちしたのよ……。名家と言われた暗殺一家でも連れ戻せなかったお兄様の実力は大したものね……。まるで呪いの力でも持っているかのよう……。だからこの私ユキナ=ブレメンテはお兄様の赤い糸の方を断ち切って無理矢理連れ戻したのよ……』
ステラが後ろを振り向くとそこにはパーマのかかった黒髪のミドルヘアの女が立っていた。いつからいたのか、何故気づかなかったのか、何故誰も気にしないのか、全て理解ができなかった。
『あなたを含めて、私のことは気が付かないようにお願いしてあるの……。さぁ、ステラ=ヴェローチェ、この閉じた世界であなたにだけ唯一の選択肢をあげるわ……。ただただ死ぬだけか、死んで私に仕えて扱き使われるか……』
「嫌だ! 嫌だ!! ワタシは生きたい! 当主なんてどうでもいいけど、折角自由になって楽しそうに過ごしてた兄様を連れ戻したお前なんて絶対に許さないッ!!」
ステラはその場で大声を出して地団駄を踏んだ。
「優先されるべきは自らの命より兄の自由というわけか、なるほど。家族のためならば命をも捨てるか、良いだろうその願いを叶えてやろう」
そう言いながらステラの父が高速で手を振ると次の瞬間にはステラの頭、喉、心臓に短剣が深く刺さっていた。
綺麗に刺さった短剣によって一撃で絶命したが、美しい殺しの技術は出血すらさせなかった。
『あら……折角大好きなお兄様を連れて帰ってきてあげたのに……。お兄様が妹は腕が立つと言っていたから代わりに私の配下にしようと思っていたのに、全く骨折り損だったわね……能力ではなく地力が強い者は便利だと思ったのに残念だわ……』
赤く黒い霧が現れると、その中へゆっくりと歩いて消えていくユキナ。
生きたい、兄を探させない、敵を見つけたい、迷いたくない、様々なその想いは力となり具現化する。
肉体という枷を捨て、精神だけの存在となったステラは世界を渡る力を得ると同時に、自らが持つ力で守りたいものを、そして討ちたいものを天の彼方であっても誰よりも早く探すことの出来る力を得た。
その名を『星をみるひと』という。
自由となっていた兄を連れ戻し、自らが死ぬきっかけとなったユキナへの『恨み』を果たすため、彼女の旅はここから始まった。




