第三十二話「夢」
その屋敷は大きかった。
ヴェネツィアの住宅街の一角にあるその屋敷は、見た目こそ周りの住宅と似て橙色のテラコッタの屋根に、白の漆喰の壁だ。ただ、一般的な住宅と比べて二倍から三倍は大きく、装飾も華やかだった。
この屋敷の所有者はバゴであり、本日は富豪向けの宝石展示即売を兼ねたパーティーが開かれていた。
「さぁ、皆さん。呑んで踊って、おまけに我がヴェローチェ商会の宝飾品もご覧ください」
ガハハと笑いながら大勢の前で司会をするバゴ。白いスーツに蝶ネクタイ、大柄で筋肉質な肉体を隠し、まるで肥満体であるかのように少しだぶついた服を着ていた。
来場した紳士淑女はタキシードやドレスを身に纏い、広いホールでダンスに興じたり豪華な料理やワインに舌鼓を打っている。そして、メインである宝飾品が其処此処に飾られ、即売会が行われている。
街にある宝石店はあくまで庶民向き、こちらは富豪向けの高級品を扱う会場だ。
給仕には多くの者が付いており、その全員が足音も立てずに完璧な身のこなしをしている。この者たちもある程度の暗殺技術を学んでいる。
その中にはオロ達三人の姿もあった。オロは他の給仕たち以上に素早く動き、カルロは誰よりも素早くスマートに動く。一方のステラは何をやっても少し鈍臭く、気が利かない対応ばかりだった。
「ステラ姉はこういうの苦手なんだからジッとしてろよ」
「苦手だからこそ練習してるんだよ!」
「ステラの気持ちはわかるけど、ここは父様も見ている本番の席だよ。裏と同じで失敗は許されない、わかったねステラ?」
オロがステラの頭を撫でながら優しく宥めると、ステラも不服ながらも納得した様子だった。
「全く、俺の言うことは全然聞かないのに、オロ兄の言うことは聞くんだから」
「普段の行いだよ。カルロ」
フフッと微笑むとオロは再び給仕の仕事に戻っていった。
パーティーは続く、もちろんオーナーであるバゴに直接話しかけてくる者達も少なくはない。
その多くは挨拶や値段交渉や発注なのだが、その中には『ブラックオニキスの腕輪を十三個』を発注してくる者たちがいる。それは裏の方の依頼の合言葉だ。
そう、パーティーは宝石の展示即売会でありながら、その実は暗殺対象の受け入れ会場でもあったのだ。
富豪ともなると表裏問わず敵は多い、ヴェローチェ家はその全てを請け負う裏世界の支配者である。
簡単な依頼であれば先程の給仕たちが行うが、重要性の高い案件であればオロ達が請け負うこととなる。それだけオロ達の能力が高い証拠だ。
例えば、暗殺技術を学んだ給仕達が三十人同時に襲ってきたとして、オロは傷を負いながらも全員を倒すことができる。カルロは給仕達を全て倒すことは出来なくても、全ての攻撃を避けて逃げる事ができる。そしてステラは給仕達が触れることすら許さず全員を肉塊にするだろう、ただし帰り道に迷ってしまう。
彼らは三者三様に能力が尖っている。しかし、現在のヴェローチェ家で最も能力が高いのがこの三人である。
「ステラ、後でオロとカルロを呼びなさい」
「はい、父様!」
ステラが跪いて返事をした。
パーティーが終わり、他の給仕たちが片付けを行っている中で、バゴは部屋に備えられている宝石類があしらえられた玉座に座っていた。
本来であればこちらが玉座と呼ばれる部屋なのだろうが、こちらの建物はあくまで仮初めの建物である。ヴェローチェ家の本拠地は小さな宝石店の地下である。
「カルロ、この前の報酬のダイヤはうまく使えたか?」
玉座から立ち上がり、屋敷の出口へ向かう途中でバゴが突然口を開いた。
「は、はい……自分にしては上出来だったかと……」
「僕から見ても販売には問題のない品質だったと保証します」
カルロの焦った回答にオロがフォローに入る。
「そうか、それならまぁいい……。部屋を変えるぞ、店に戻る」
宝石店ヴェローチェに戻ってきた四人は、そのまま店舗の奥から地下に入っていった。
玉座の部屋にある椅子に座るバゴ、先程のパーティーで見せていたにこやかな笑顔とは裏腹に全く笑みを見せない真剣な表情だった。
「雑件が幾つかと小さい案件が一つ。そして大きい案件が一つ入った。雑件は給仕の者たちにやらせる。一つは単純に殺すだけだ、それなりの実力があるようだが足がつかなければどういう処分でもいいそうだ。もう一つはなかなか面倒でな、どこぞの家出をしたご息女を連れ帰って来てほしいそうだ」
「恐れ多くも、一件目はともかく、二件目は僕達の管轄外の仕事なのではないでしょうか?」
オロがバゴの顔色を伺いながら口を開く。
「そう急くな、どうもその娘が逃げることに関してはなかなかの手練らしくてな、ただの大人程度では困難らしい。殺すなら容易だが捕まえて連れ帰るとなるとお前ら三人でもなかなかのものだろう」
「なるほど、そういう事情がありましたか」
「小物の方はステラに任せる、うまく処理しろ。逃げた娘に関してはステラが終わり次第合流しろ」
「娘の居場所は」
「行きそうな場所は特定出来ているようだ、後で指示書を渡す」
「畏まりました」
「……逃げたお姫様の救出か」
王座から出て、三人で店舗に戻ってすぐにオロが呟いた。
「どうかした? 兄様?」
「いや、ちょっと羨ましかっただけさ、何者にも捕らわれず自由に空を飛ぶ鳥のようでさ。別に今に不満があるわけではないけど、そういう人生も楽しそうだなと思っただけさ」
「オロ兄らしくないな、そんなことを口に出すなんて」
「僕らしいって何なんだろうね、時々わからなくなるよ。表ではお客様に真摯に対応して、裏では一言も喋らせずに対応する。どっちが本当の僕なんだろうってね」
オロは優しい顔でステラとカルロの顔を見ると、少しだけ目を細めて視線を横に向ける。
「それとも……」
「兄様は兄様でしょ、ワタシの兄様はオロ兄様しかいないんだから!」
「そうだね、ステラ。ごめんよ変なことを言ってしまって」
そう言いながらステラの頭を撫でるオロ。
「……親父には言わないでおくよ、今の兄貴の言葉」
「すまないね、要らない迷惑をかけてしまって」
ステラもカルロも、ふと出たオロの心中はそっと胸の奥にしまった。
この心中が表に出る日は二度と無いだろう、オロとはそういう男なのだ。二人はそう確信していた。




