第三十一話「宝石店ヴェローチェ」
イタリアのヴェネツィアに小さく古めかしい宝石店がある。その名を『ヴェローチェ』という。
『迅速』を意味するそれはお客様のオーダーに迅速に対応することからつけられている。
「お客様ですと、こちらの色合いがお似合いかと。只今お客様にちょうど良いサイズの現物もございますが、お試しになられますか?」
全身ピンクで羽根付き帽子をかぶった小太りの女性は、店員であるその男性に見惚れながら指輪の試着を進めた。
彼の名は『オロ=ヴェローチェ』。物腰が柔らかく、整ったスーツ姿に細いフレームの眼鏡。そして誰もがその艶やかな黒い短髪に見惚れてしまうだろう。
「そうね、この指輪にしようかしら」
女性は微笑みながら指輪を掲げ、宝石に入る光の屈折を楽しんでいた。
「それでしたらお客様、サービスでリングへの名入れも行っておりますが、如何いたしましょうか」
「あら、それなら折角だしお願いしようかしら」
「畏まりました。ステラ、名入れをご希望のお客様です」
「はーい!!」
店の奥から元気な声がして出てきたのは、笑顔の眩しい少女とも少年とも取れぬ子供だった。
ウエストラインの細い薄い青のワンピースだからかろうじて少女とわかり、そのポニーテールの髪色は黒と呼ぶには青く、青と呼ぶには黒かった。
「名入れね! まっかせてよー!」
「お客様、名入れの文字は如何致しましょう」
「そうね、夫の名のダニオにするわ」
「かぁーしこまりましたー!」
指輪を受け取ったステラは店内の脇にある工具が置かれた小さな作業場に向かった。
椅子に座ったステラは小さなハンマーと、先端に文字が刻まれた道具を取り出した『Danio』の五文字を素早くカカカッと指輪の内側に一瞬のうちに仕上げた。
「まぁ、早いのね!」
「当店では看板通り『迅速』をモットーとしております。お客様に合う指輪をお探しするのも、刻印も、全て迅速に対応致します。さぁ、お会計の準備も既に出来ております」
「あら、そちらも早いのね」
「ただ、最近出来た汽車という乗り物はゆっくりと定刻どおり来ないものだそうです。ごゆっくり気をつけてお帰りください」
女性はふふふと笑うと会計を済ませて気分良く店を後にした。
「兄貴、終わったか?」
店の奥からボサボサの金髪の青年がゆっくりと歩いて姿を現した。
「カルロ、僕が店番の時は顔を出さないように言っているだろう」
「わーってるよ、親父がお呼びだ。ステラ姉も、アッチの方の仕事だ。今日はもう店じまいだってよ」
「そうか、閉店の準備をする。ステラも手伝ってくれ」
「はぁーい、兄様ぁー」
ステラ=ヴェローチェはヴェローチェ家の長女の座にいる。
兄のオロ、そして弟のカルロの三人兄弟だ。
「父様、お呼びでしょうか」
店の地下にある洋風の大広間で、オロ、ステラ、カルロの三人がひざまずき、オロが目線を上げる。
そこには大きな木製の椅子に腰掛けた大柄な中年男性が鎮座していた。名前をバゴ。
ヴェローチェ家の当主にして『創世』の異名を持つ男だ。
「大したことのない内容だが依頼が入った。どこぞの組の若造がやらかしたらしい。オロ、お前が片付けろ、ステラとカルロはオロの仕事を見ておけ。報酬は表で使えるように小粒のダイヤモンドにしておいた、こっちはカルロが表の練習で使え。以上だ」
「畏まりました」
オロの一声とともに三人は消えるように即座に立ち去った。
そう、ヴェローチェ家は表向きは宝石店だが、裏では暗殺業を行う一家であった。
宝石店『ヴェローチェ』の地下は広い。先程バゴのいた部屋に名前こそ無いが、オロ達は玉座と呼んでいる。
オロ達は玉座の隣にある小部屋で作戦会議をしていた。
「父様の言う通り、直接手を下すのは僕がやろう。ステラとカルロは周辺の対応などのサポートを頼む」
「りょうかーい!」
「……兄貴、たまには俺にやらせて貰えないか? 暗殺の技術じゃまだまだ兄貴には劣るからさ、鍛えたいんだよ」
「……カルロ、父様から下された命令は絶対だ、僕がやれと言われたら僕が嫌だと言っても覆すことは出来ない。それに失敗は許されない。そこに一分の隙もあってはならない。依頼を確実に達成するために最も確率の高い対応するのが僕達の役割だ」
スーツを脱ぎ、トレンチコートを羽織って白の薄い手袋をつけながらオロが厳しい口調でカルロに放った。
「ちっ……わかってるよ」
「まずは見て研鑽するんだな、カルロ。お前の伸び代は僕より上だ、そうでなければ僕の背中をお前に任せたりはしないさ」
厳しいながらもオロは優しい笑顔を見せた。
「兄様ー? ワタシはー?」
「ステラはまず身長に伸び代があるな、きっと大人になったら美人になるさ。腕前自体は既に僕より上だ、あとはもう少し勉強をするんだな」
「わかった!!」
オロがステラの頭を撫で、喜ぶステラ。歳の近い兄妹であるが、それはまるで親子のような対応であった。
「父様は若僧がやらかしたと言っていた、つまり必要なのは『処理』ではなく『処分』だ。ただ暗殺するだけではなく、ある程度の見せしめが必要な案件だということなのだろう」
「川にでも捨てるか?」
「そうだね、早朝辺りの目立ちすぎない時間に発見されるように仕込んでおこう。明日の開店準備もあるしね」
「明日の店番はカルロでしょ? じゃあワタシがそのあたりはやっておくよー」
その幼い見た目とは裏腹に、ステラは遺体処理に何の抵抗も無く、元気いっぱいにやる気を示していた。
「げぇ、明日の店番って俺だったかぁ……」
「言っただろ何事も研鑽さ、カルロ。お前は既に僕よりもスマートに動くことが出来るし、ステラは既に僕よりも暗殺や彫金技術は上回っている。二人共尖っているだけで僕は良くも悪くも平均的なだけだ、だが平均であるが故に安定した仕事が出来る。二人が腕を上げたら僕は敵わないよ、僕の仕事を減らすためにも早く腕を上げてくれると助かるよ」
「兄貴、平均的ってのは平均点じゃないってのを理解して言ってるだろ。兄貴は百点満点で八十点くらいの平均なんだよ」
「ワタシも早く兄様のお手伝いが出来るようにがんばるね!!」
呆れたように兄を見るカルロと、尊敬の眼差しで兄を見るステラ。二人の憧れは間違いなく長兄のオロだった。
「さぁ、今日も『迅速』に片付けようか」
その翌日の早朝、一人の若い男性の遺体がヴェネツィアに流れるとある運河から発見された。




