第二十九話「それぞれの思い」
ユキナがこの世界を去って数日が経った。
ユキナが去った後の後始末はなかなか大変だった。立つ鳥跡を濁さずという諺を覚えて欲しいものだ。
洗脳した人たちの記憶を消してから去っていったのは良し悪しだったけど、私達のせいで一人の老人が亡くなったという事実は変わりない。
私達はこの人を犠牲にしてしまったという業を背負って、これから生きていかなければならない。
レイラフォードである蘭翻さんをルーラシードの元に連れて行くという使命は果たすことができた。これで私達がこの世界に滞在する理由はなくなった。
今回はユキナという障害が行く先を阻んできたけれど、仲間の協力で作戦を無事に成功させることができた。
いや、作戦の中で本来はアスカがユキナが出現したら最終衝撃でぶっ潰すというものがあったのだが、アスカが躊躇して能力を使えなかったために失敗に終わっている……。これは仕方がないし、これが絶対に出来なければ今回の作戦が全て台無しになるものでもない。反省すべきことではあるが、これ以上振り返る必要は無い出来事だ。
蘭翻さんはルーラシードと出会ったことで、二人は恋に落ちた。そして世界に愛という栄養を与えて世界は新しい枝葉を伸ばし、新たな並行世界を生み出すことができた。
話によればルーラシードと出会い、今まで感じたことのない幸せを味わっていてまだ上海に帰国していないようだった。様々なものを投げ出して盲目になってしまうくらいレイラフォードとルーラシードを結ぶ力というものは強いのだ。
そこまでの強い結びつきを運命と捉えるか強制的な物と捉えるか、人によって印象は異なる。
私は運命と捉え、ユキナは強制的な呪いと捉えている。私達の争いはそんな捉え方の違いだけなのだろう。
新しい並行世界が生まれるということは、この世界の人々に新しい選択肢が増えることになる。
一つしかなかった未来が二つ三つと選択肢が増え、全ての人々は新しく増えた選択肢を選ぶことが出来るようになり、新しい並行世界へと分岐していく。
例えば、無職しか未来がなかった人に、就職する未来が生まれたり、芸能活動をする未来が生まれたりする。私達が行っている使命はその世界の全ての人々に影響を与えることなのだ。
だから、ラヴェルのいた世界でラヴェルとタイドさんを出会わせなかったのは世界中の人々から選択肢を奪うという、未来を生み出すことを使命とする人間として最もやってはならない行為だった。でも、私は自らの感情を優先してしまった。この使命を果たす者は相手に深入りしてはならない、私は使命を果たす人間として失格だ。
ステラとラヴェルが上海へ戻ってきてから数日後、借りていた部屋を引き払う日が来た。
アスカはあれ以来、情緒不安定な日々が続いた。精神だけの存在である我々が情緒不安定なのは危険な状態である。肉体で言うなら重い肺炎にかかっているような状態だ。
荷物の整理をしながらアスカが部屋でつぶやいた。
「もっとちゃんとしなきゃいけない……」
自らの荷物を全て片付けたアスカが神妙な面持ちで私の元に足を運び、話しかけてきた。
「レイラ、お願いがあるの。レイラの使命ってやつ、人のためになることだってのはわかったから手伝いたいとは思ってる」
「ありがとう。何の説明も出来ずに連れてきて、辛い思いまでさせてしまって、無理強いさせてないか気になっていたから安心したわ」
「でも、ちょっと時間が欲しいの。……アタシは半端な覚悟だった。旅をしたい、見たことないものを見たい、そんな好奇心だけで生きていけるほど世界は広くて甘くなかった。元の世界では知らない間に皆に助けてもらっていたのを実感できたわ……。だからもっと強くなりたいの」
普段の強気でワガママなアスカとは違い、真面目で決意を持った顔つきだった。肺炎にかかってはいるけれど、治そうという意志は強いようだ。
「どうする? このまま私達と共に行くか、それとも別の道を進むか」
「こうしたい……って言えれば良いんだけど、まだ決めてないわ。実際にはそれすら選ぶ覚悟もまだないのよ……」
悔しそうな面持ちで目線を反らした。
それほどこの前のことが悔しかったのだろう。
「また決めたらでいいわ、それまでは私達と一緒に行きましょ」
「……ありがとう」
今までにないくらい素直な返事だった。
私達の世界で言えばまだ中学生くらいの少女だ。心が弱いのではなくむしろ年齢にしては強いぐらいだろう。
それでもアスカは自分と向き合って自分の弱さを知った。彼女はまだまだこれから強くなるだろう。
「姐さん」
「どうかした? 大哉」
アスカが去った後、様子を伺いながら大哉が私を別室に呼び出してきた。なんだかバツが悪そうな顔をしている。
まぁ、何となく話してくるであろう内容は想像できる。
「アスカさんのことなんスけど……」
「まぁそうだろうとは思ったわ」
「ははは……バレてましたか。アスカさん落ち込んでいるというか、悩んでいるじゃないッスか……。俺、アスカさんになんか出来ることってないッスかねぇ……。何していいか分かんなくて……」
「……そうね。アスカは知りたいっていう欲求でこの旅を始めて、私達に付いてきたのよ。大哉はどうして私達――アスカに付いていこうと思ったの?」
「えーっと、アスカさんのことが好きだから? 姐さんの使命ってやつもアスカさんが手伝ってたから俺も手伝ってただけだし、それだけかもしれないッスね」
ある意味とてつもなく純粋でシンプルな回答だ。それくらいシンプルな方が強い気持ちで過ごせるのかもしれない。
「つまり、大哉は今アスカの後ろを付いていってるわけなのね」
「なるほど……」
「せめて隣を歩くか、出来れば前を歩いて背中を見せてみたら? 私はあなた達の色恋沙汰には興味無いけど、仲間として共に歩ければ嬉しいわ」
「そうッスね、追いかけるんじゃなくて一緒に歩んでいきたいッスね。生涯かけて!」
「まぁ、そこまでは言ってないけどね」
呆れるくらい前向きで元気な大哉を見ていると、こっちまで元気になってくる。
嬉しそうに大哉は去っていった。
「レイラさん、その……」
今度は大哉と入れ違いにラヴェルが声をかけてきた。
些か神妙そうな顔をしている。今思えば、ラヴェルから声をかけてくる時は大体が相談事のことが多い気がする。
「ステラちゃんのことなんですけど……。やっぱりお兄さんと戦って以来落ち込んで口も聞かなくなっちゃって……」
「ステラのことが心配なのはわかるわ、でも今はそっとしておいてあげましょ。私達が出来ることはいつも通り振る舞うことくらい。厳しい対応かもしれないけど本人が解決しなければならない問題だもの、私達が助けることはできないわ。それより私はラヴェルの方も心配だわ」
「私ですか?」
「えぇ。傷は癒えた? ステラのこともだけどあまり一人で抱え込まないようにね、あなたはいつも何かを背負い過ぎてしまっているように見えるわ。まぁ、無意識のうちに抱えきれなくて私に声を掛けに来たのかもしれないけど」
「大きな傷でしたけど、肉体が無いからか精神力で割りと早く回復しました。今のところ無理はしてないから大丈夫ですよ」
「そう、それならいいけど」
ステラに関しては黙ったままもう数日が経っている。
兄であるオロ=ヴェローチェと戦い、何があって何を思ったのか。もちろん事の顛末はラヴェルから聞いてはいる。だけど、それはステラから聞いたものではない。
部屋の隅っこで足を抱えて座るステラを見ると、普段の明るい表情は全く無く、死んだ目をしている。
このままだとステラは精神が死に、消えてしまうかもしれない。
彼女を救うためにも改めて振り返る時が来たのかもしれない。
ステラについて、ステラの物語について。
振り返ることによって、ステラが何を見たのか、どう思ったのか、オロとの戦いの情景も見えてくるだろう。
ステラを助けるためにも、この世界を立つ前に思い出そう、彼女の物語を……。




