第二十六話「午前六時」
翌日上海の時計で午前一時、ステラからニューヨークに到着したという連絡があった。
引き続きルーラシードの居場所を特定するように伝え、あと三時間後にはラヴェルと蘭翻さんがニューヨークに到着するため、可能な範囲でルーラシードの具体的な場所と人相を確認して、ルーラシードを多少無理やりにでも合流する様に指示した。
私は蘭翻さんの自宅のマンションの向かいにある歩道から、アスカと大哉は職場を近くの公園から監視してユキナらしき人物が現れないかをチェックしている。
私の監視するマンションは午前一時だというのにエントランスから出入りする人が何人もいる。部屋への入り口は建物の外見からは確認ができないため、必然的にエントランスを確認することになる。
しかし、ユキナの能力を感じ取る気配も、ユキナ自身も全く現れる様子がない。
携帯電話が鳴る。
『姐さん、大哉ッス。会社にいるこっちも音沙汰はないッスね。警備室の明かりが点いてるだけで人の出入りすらないッス』
「ありがとう。そのまま待機していて」
『了解ッス』
終話をして妙な違和感を覚える。ユキナは余りにも動いていない。
アイツは人を操ることは出来るけど、基本的に単独行動が原則だ。
上海からニューヨークの人間を操ることはできるけど、その指示はかなり曖昧なものになってしまう。
例えば『私の目の前の女を捕えろ』なら捕らえたかどうかが見れるので、上手く行かなければ次の指示が出せる。でも、自分の見えない場所では捕らえたかどうかが不明だ。失敗していた場合に指示をするのが難しい。仮に携帯電話越しに状況を確認するとしても限界がある。
だから、必ずユキナは現場を見て指示を出す。監視カメラなりドローンを飛ばしてカメラで見たり、何かしら媒体を介すとしても現場の近くにはいる。
ユキナはその辺りにいた見ず知らずの人間にレイラフォードを殺させるようなタイプではない。信用できるのは自分だけ、自らの手で殺すタイプだ。
ユキナが能力を使った時点で蘭翻さんは会社にいた。だから会社にアスカ達は待機してもらっている。でも今は深夜だ、普通は会社にはいないだろうから、念のため自宅に張っている。
もしこの二箇所以外であれば、もう一度能力を使わないと居場所は特定できないだろう。
なのに、まるでその気配がない。まだユキナに情報が伝わっていないのか?
伝わっていないという可能性は一番高いけど、その可能性に頼って見逃してしまっては元も子もない。何か裏があるのではないかと考えたほうが良いだろう。
午前四時頃、ラヴェルと蘭翻さんがニューヨークについたとラヴェルから携帯電話に連絡があった。
蘭翻さんは怒っているというより唖然としているようで、もうどうにでもしてくれという状態だそうだ。
ステラとお互いに現地組同士で連絡を取り合って、レイラフォードとルーラシードを出会わせるように伝えた。事前にステラとも連絡を取っていたようで、ルーラシードの居場所は概ね特定できたようで、空港から三時間程度の地点にいるようだった。
今から最短で三時間、つまり何もなければ『午前七時』に蘭翻さんとルーラシードが合流することが可能なわけだ。
今度はステラに連絡を取り、念のためラヴェルと合流するよう伝えた。
ラヴェルの魔法は強いが地力ではステラに勝るものはいない。本当に念のためレイラフォードである蘭翻さんを守るために、合流してもらったほうが良いだろう。お互いに合流に向かうのだ片道三時間なのだから一時間半――つまり午前六時前には合流できるだろう。
――午前六時を過ぎた。
しかし、相変わらずユキナが現れる様子がない。どうなっている?
今ユキナが持っている情報は、能力に抵抗のある者が上海に女性が一人、そして固まって女性三人と男性一人、ニューヨークに男性が一人。もしかしたら、他にも反応があるかもしれないけど少なくともこれだけの情報は入っているはずだ。
ユキナはレイラフォードしか殺さない。ルーラシードを殺すことは無い、不可抗力でもない限りそこは徹底している。だから、男性がいるというニューヨークに行くとは思えない。
来るなら上海のここだと思っているのだが……。
「今、あなたの考えていることは手に取るようにわかるわよ……」
聞き覚えのある声――いや、世界で一番聞きたくない声が聞こえてきた。
「来たわね、ユキナ!」
声の聞こえる方を向くと、歩道の真ん中を悠然と歩く忌々しい存在がいた。
天然パーマの黒いミドルヘア、目の下にはクマがあって何が可笑しいのかニヤニヤと笑っている。普段と違って身につけているのはゴシックロリータの服ではなく、黒のTシャツに赤のフレアスカート。今のコイツに殺気は感じられない、その身なりからも戦う気がないのがわかる。
即座に大哉に連絡を取る。
「こっちに来たわ!」
『合点承知の助!!』
一言伝えるだけで意図を理解してくれた。これならあと五分もしないうちにこちらに到着するだろう。
「しばらく見ない間に随分とお仲間が増えたみたいね……」
「お前と違って私は洗脳や誰かを従えるのではなく、対等な仲間を作っているのよ。信じ合える仲間だからこそ頼りになる。今もお前が来たことを近くにいる仲間に連絡したわ、お前と会ったこともない人たちだけど、お前を倒すことに協力してくれているわ……。これが仲間の絆よ!」
「ご高説垂れているところ申し訳ないけど……。私の能力『全てに愛される力』はあらゆる人から愛される力……。仲間なんて言ういつ無くなるかわからない絆よりも愛という繋がりのほうが重いのはあなたも知ってるでしょ……? 洗脳なんかじゃない……。この能力を使えば私は誰からも愛される。そんな愛する私からの『お願い』なら何でも聞いてくれる……。こんな風にね……」
ユキナがそう言うと、赤い閃光と共にどこからともなく大勢の人々が走って現れた。老若男女を問わず百人以上はいるだろうか、異様な集団がユキナの周りを囲んだ。ユキナ的に言えば『ユキナの事を愛して止まない者たち』がユキナを守りに来たといった所か。
ユキナの言う通り愛は重い。しかし、ユキナの言う愛は偽愛だ、真実の愛ではない。
私達の目的は現れたユキナを足止めして、ニューヨークにいるステラとラヴェルが、蘭翻さんをルーラシードの元へ連れて行く時間を稼ぐことだ。
でも、ユキナはもっと早く現れると思っていたら、合流直前になってようやく姿を現した……。それが意味するところは……?
「レイラ=フォード……。あなた今こう考えているでしょ……? 『どうしてコイツは今更出てきたのか』って……教えてあげないわよ……」
「悪巧みをしているっていうことだけはわかるわ。もちろん、こっちだってそれなりに対応はしているわよ」
「へぇ……。お互いに上手くいくといいわね……」
「そうね……。それじゃあ、サッサとレイラフォードを出しなさい……」
「出せと言われて出すバカがどこにいるってのよ」
こういう下らない問答で少しでも時間を稼ぎたい……。
お互いに睨み合って静寂な時間が流れる。
「レイラ姐さーん! 来ましたよー!!」
「魔女の姿、拝ませて貰うわよ」
大哉とアスカが全力疾走して来た。肉体という枷が外れているから全力疾走しても疲れることはないし、常にトップスピードで走ることが出来る。ユキナという洗脳能力の持ち主がいる状況下では他人に依存する移動手段は危険だ、だから走るのが一番早い。
いや、実際には自転車や他の手段もあるけど、異世界生まれのアスカは乗れないから結果的に走ることになった。
「大哉! ユキナと市民の人達の手足を拘束して!」
「了解ッス! ヒーローは遅れて来るんスよ!」
大哉が右手を前に突き出すと、白い光と共にユキナの手足に五ミリ程度の太さの黒い紐を結び、身動きが取れなくした。
ユキナは手首を後ろで縛られ、足首も同じく縛られたため、立ったまま身動きが取れない状態になった。
その後、次々に洗脳されている市民の人達の手足も拘束して身動きが取れないようにしていった。足を縛られた人たちはバランスを崩して次々に倒れていき、道路に横たわっていった。
「作戦通りッスね! カーボンナノチューブを出せて操れるように短時間ながらも特訓した甲斐があったッスよ!」
「へぇ……。面白い能力ね……」
手足を縛られた人たちが芋虫の様に動いてユキナの足元に集まり、まだ拘束されていない人達がユキナを囲むように立ち並んだ。
「何を考えているか知らないけど……。正確に私だけ攻撃出来るかしら……?」
例え周りに集まったところで正確無比なアスカの衝撃魔法なら、手足を縛ったユキナを仕留められるはず……!
「アスカ! 最終衝撃いける!?」
声をかけるも反応が無い。
アスカの方を振り向くと、右手を前にかざしながらも震えて怯えるような顔をしたアスカがいた。
「なによ……。何で周りにあんなに人がいるのよ……。少しでもミスったらおしまいじゃない……」
アスカがそう呟いている間にも人々は少しずつユキナの足元に集まり、段々に重なっていき、膝くらいの高さまで積み上がっている。
本来のアスカであれば例え周りに何があろうと正確に対象だけを重力で貫けるようになった……のだが、周りに無実の市民が集まっているのだ、いきなりの本番でこのプレッシャーは十代半ばの少女には負担が大きすぎたか……。
「気にしないでアスカ、今ユキナを倒せなくてもまだ他にも手段はあるわ」
怯えるようであり、悔しそうで今にも泣きそうな顔をしている。こんな顔をしているアスカは初めてだ。
アスカは普段強気な性格をしている。それだけに、何もできずに自分が情けないと感じたときほど動揺してしまうのだろう。
本来であれば単なる時間稼ぎの囮作戦だったのだ、気に病むほどのことではないのだが……。
「あら、金髪クソバカ女の手下は人を殺すことも躊躇するような意気地なしなのね。人を殺すって言うのはこういうことよ」
まさかコイツ……!
「アスカ! 大哉! 目を瞑って!!」
「この中で一番年上の方にお願いするわ、自らの舌を噛み切って死になさい」
大哉がまだ拘束をしていなかった者の中にいた八十代くらいの男性が右手を勢いよく挙げ、次の瞬間には自らの舌を噛み切ってそのまま地面へと無抵抗に倒れてしまった。
「ユキナ……! アンタ何してんよ……!!」
倒れた男性の口からはだらだらと止まることなく血液が流れ続けていた。
「嫌ぁ……。何で私こんなことしているのよ……。私のせいで人が死ぬなんて嫌よ……」
「アスカさん! アイツは魔女なんでしょ!? アスカさんの世界がどんなだったか知らないッスけど、アイツがいたからアスカさんの世界がめちゃくちゃになったんですよね!? 放っておいたらもっと死ぬ人が増えちゃうんッスよ!」
アスカは下を向いたまま無気力に膝を地面に付けてしまった。
「私は殺したくなかったんだけどね……。あなた達が私に手を出そうと――殺そうとしたから抵抗するために関係ない人間を殺すことになっちゃったじゃない……」
ユキナが鼻で笑い、目を細めてニヤリと笑いながらこちらを見てくる。
何が抵抗だ……。見せしめって言うのよ、こういうのは……。
「さて、そろそろ拘束を解いてもらってもいいかしら……? 手足を紐で結ばれると動きづらいのよね……」
ユキナは大哉に拘束を解くよう、目線を合わせて促してきた。
「ね、姐さん……」
大哉も私に目線を合わせてくる。こんなの選択肢なんてあってないものじゃない……。
「構わないわ……」
「了解ッス」
大哉が市民の人たちを縛り続けていた拘束を停止し、ユキナや他の人達の拘束も全て解いた。
「そっちのワンコ君は忠犬ね……肝も座ってるわ……。どう……? 私の元で働かない……?」
「御免被るッスよ! アスカさんのいない所には行かないッスよ! ワンワン!」
「愛の力かしら……? そういうのは嫌いじゃないわ……。でも、私の元に下らないなら死ぬしかないわね……」
ユキナが右手を天に掲げる。
「全てに愛される力……。周りにいる私を愛する者たちへ……レイラとその下僕二人の手足を拘束しなさい……」
今の時刻は午前六時半……。ユキナと会敵してからまだ三十分程度しか経っていない。
ステラ達が蘭翻さんをルーラシードの所へ連れて行けるのは早くても午前七時……。
ユキナはまだ能力で場所を特定していない、蘭翻さんの居場所はまだバレていないはず……。
なんとかあと三十分粘ればステラが二人を出会わせてくれるはず……!
しかし、両手両足にそれぞれ三人ずつ取りついて大の字の状態で立たされて身動きが取れなくなった。もちろん、大哉と膝をついていたアスカも同様だ。
ユキナの身体を赤と黒の霧が包んだ。
霧が晴れるとそこには赤と黒のゴシックロリータの服装を身に纏い、腰には無骨な日本刀を帯刀したユキナが立っていた。
ゴシックロリータの服装はユキナが誰かを殺す時の意思表示。そう、私たちを明確に殺そうという意思表示だ。
帯刀している日本刀を抜き、切っ先をこちらに向ける。
「さぁ……。終わりにしましょ……」




