第十九話「承諾」
タイドさんの手記には、ジャックさんが大魔道士ハーツグランさんである事が書かれていた。
亡くなったと思われていた大魔道士が生きていた、それは魔法使いにとって大きなニュースなのは当然だろう。
「ラヴェルの養父様がハーツグラン様だったなんて! ご自宅へ伺うに決まってるじゃない!!」
アスカがこう言い出すのも想定の範囲内だった。
「ラヴェル! 会った当初に養父様を軽んじるような事を言ってしまってゴメンナサイ。ウフフ」
この手の平の返しようだ。この心の強さは見習うべきところすらある。
私達は城塞都市を出て、まずはアスカの実家のあるウリウリ村を経由して、その後ジャックさんのいるヨカヨカ村へ行くこととした。
行きはタイドさんの足跡を辿るために全て徒歩で進む事に拘ってきたが、帰りはむしろ可能な限り馬車などを利用して速度重視で進む事にした。費用がかかるのはやむを得ないが、旅は終えたので歩きに拘る必要もないし、歩く時間を金稼ぎに使ったほうが有益だろう。
ラヴェルはいつもの優しいラヴェルに戻ってくれたけど、次の旅について話すと「絶対に付いていきます!!」と頑なに譲らなくて困っている。こんな良い娘を私の旅なんかに連れて行っても良いものなのだろうか……。自分の世界で幸せに暮していたほうが良いのではないか?
しかし、ラヴェルを巻き込んでしまったのは私が原因だし、うーん……。こんなことを言い出すとは思っていなかったから、素性を明かしたことを今更ながら後悔している……。
三ヶ月くらいで城塞都市からウリウリ村まで移動が出来た。徒歩の二倍の速度だ。
宿屋ブラックタイドを訪れて、スウェプトさんと久しぶりに再会をした。
アスカは問題なく旅をして、タイドさんのことも大いに知り、魔法の使い方も上手くなったと伝えると感激していたが、このままヨカヨカ村まで行くと伝えると苦笑いで送り出された。
更に一ヶ月半ほどでヨカヨカ村まで辿り着いた。
約一年ぶりくらいで帰ってきたヨカヨカ村は特に何も変わっていなかった。そんな一年で変わってもらっても困る。
「父様、今戻りました!」
ラヴェルが勢いよく玄関のドアを開け、嬉しそうな声で叫んだ。
「そんな明るい声も出せるようになったとは。良い旅だったようだな」
椅子に座って本を読んでいたジャックさんがドアの方を向いて微笑む。
久しぶりに娘が帰ってきたにも関わらず、まるで少し外出してきたくらいの対応の仕方だった。それだけ何事もなく帰ってくると信じていたのだろう。
「はい! 充実した旅でした!」
応えるようにラヴェルは満面の笑みを返していた。
続くように私とステラとアスカもモーリス宅へ足を踏み入れた。
「お久しぶりです、ジャックさん。……いえ、ハーツグランさんとお呼びした方が良いでしょうか?」
「……どうやらそちらの成果も上げてきたようだな」
ジャックさん――ハーツグランさんは本を閉じ、感慨深く瞳を閉じた。
ハーツグランさんも色々と思うところがあってラヴェルを送り出したのだろう、これで少しは肩の荷が降りるといいのだけれど。
「あなたが! ハーツグラン様ですか!?」
気がつくとアスカが誰よりも先に部屋の奥に進んでハーツグランさんの両手を握っていた。
「あ、あぁ、そうだが……。レ、レイラ嬢、彼女は……?」
「えぇっと……」
説明するのがなかなか大変だった。
アスカの事も含めて旅の成果について報告することにした。
「――という感じで、教会で『私』が手記を受け取って皆にタイドさんの情報を共有したというわけです」
「なるほど……」
居間にある四人がけのテーブルに五人……は座れないので、お誕生日席の位置へ軒先にあった樽を持ってきてステラが座っている。
ヨカヨカ村を出てから城塞都市で手記を得た所までの話を、所々掻い摘みながらハーツグランさんに説明した。ラヴェルが私の次の旅に付いていきたいという話はまだしていない。
ハーツグランさんが手を顎に当てて思案している。考えていることは何となくわかっている。
「レイラ嬢が教会で手記を受け取ったのだな?」
「えぇ、私が『一人で』情報を探していたときに偶然手に入りまして」
「なるほどな……」
ハーツグランさんはタイドさんが生きていることを知っている。タイドさんとラヴェルが出会ったのかどうか、そこを気にしているのだろう。
「レイラ嬢は自らの旅を諦めたそうだがそれで良かったのか?」
「えぇ、詳しくは話せませんがその方が良いと判断したので」
「……ラヴェルを誰に会わせるのか言えないというので、てっきりそういうものだと思っていたが……」
「多分ハーツグランさんが思い描いている人物と私が会わせたかった方は同じだと思いますが、それは偶然同じだっただけです」
「そうであればレイラ嬢には悪いことをしたな、そして導き出した答えに関しても、貴女には礼を言わなければならない」
ハーツグランさんが椅子に座ったまま深々と頭を下げた。
ハーツグランさんは私が最初からタイドさんの所に連れて行くのが目的だと思っていたようだけど、実際には結果的にタイドさんだっただけだ。
この場では詳しい話が出来ないけど、最初からタイドさんが目的ではなかったというところは伝わった様子だった。
「そ、そんな、私は私の思うままにしただけなので……!」
「父様、一体どういうことなんですか……?」
「ラヴェル、お前はいい旅仲間を持ったな……。私から言えるのはそれだけだ」
「父様……」
私には理由を追求してきたけど、ハーツグランさんに対する疑問は一言で治まるあたり、親子の絆というものを強く感じる。私は共に旅をして仲良くなった仲間と言っても所詮は一年程度の付き合いだ、年季が違いすぎる。
「それで、手記にもあったのですが、ハーツグランさんの使用している認識阻害魔法を解除して欲しいのです」
「父様は本当は水魔道士ではなくて、認識阻害魔法をずっと使っていたんですよね……」
ラヴェルにとっては複雑な心境だろう。水魔道士ジャックの娘であり弟子だから水魔法を選んだのに、実際には全く違う魔法で自分が見ていたものは幻影だったのだ。いくらラヴェルを守るためとはいえ、この事実は重かっただろう。
「ラヴェル、お前には嘘ばかりついてきた。私は水魔法など使えぬし、お前の魔力が高くなってからは魔法が使えなくなったなどと嘘もついた。そして何より、世界中へ戦争に対する記憶を曖昧にさせていた。私もタイドの奴も利己的で恥ずべき父親だ」
「確かに父様が行った人の認識を操るという行為は褒められたものではないと思います。ただ、もしかしたらそれで救われた方もいるかもしれないですし、どちらが良かったのかは誰にもわかりません。でも、人々はいつまでも夢を見ているわけには行きません。夢はいつか醒めるものです、世界の人々は現実に向き合って行くべきだと思います。だから、魔法を解いてください、父様」
父であるハーツグランさんの顔をしっかりと見つめて一言ずつ気持ちを込めて伝えるラヴェルの姿は、傍から見ている私でも輝いて見えた。
ハーツグランさんは右腕をあげ、指をパチンと鳴らすと薄紅色の光が一瞬世界を包んだ気がした。
「これで良かったかな?」
「ありがとうございます」
礼を言うと私は手持ちの荷物の中から紙の束を取り出した。城塞都市の役所で見た資料を、書き写したものだ。
「アスカ、この資料を読んでみてちょうだい」
「うん? 何よ急に……」
始めこそ一枚一枚じっくりと読んでいたアスカだったが、途中から漁るように次々と目線を移して資料を読み漁っていた。
「……なによこれ!! 全部見たことあるのに知らないことばかり書いてあるじゃないの……!」
「それが認識阻害魔法だよ、お嬢さん」
申し訳無さそうな顔でハーツグランさんがアスカに声をかける。
「レイラや魔力の高いラヴェルはともかく……ステラも読めてたの……?」
「えっーと、ワタシも魔法にはかかってなかったから読めてたよ。難しいから殆ど読んでなかったけど……」
アスカが手に持つ資料に力が入る。自分だけ知らなかったという疎外感や劣等感、きっとそういうものに苛まれているに違いない。
この書き写した資料も見せるかどうか悩んだ部分もあった。
見せれば確実に自分だけが私達三人と違っていたことを自覚させてしまう。しかし、タイドさんのことを知りたいという好奇心から始めた旅なのに、アスカだけが偽りの認識で旅を終える事に私は強い抵抗感があった。
「すごいじゃない!! こんな素晴らしい資料が今後世の中に広まるのね!!」
アスカの顔が急に明るくなり、満面の笑みを浮かべた。思っていた反応とかなり違っていて拍子抜けしてしまった。
「レイラ達の旅に付いていった事でタイド様の素晴らしい資料を世界に広まる前に、いち早く読むことができて! しかも、人知れずその身を隠していたハーツグラン様にもお会いできて! アタシはタイド様の功績を世に広める一端を担ったのね!!」
そういえば、やたらと前向きで強引な性格であったのを忘れていた。
ただ、ここまでタイドさんやハーツグランさんの事を第一に考えて思考できるというのは、ある意味誰よりも人の事を思っていると言えるかもしれない。
「ありがとうございます! ハーツグラン様!! これでタイド様の功績が世界に広まります!!」
「あぁ、そうだな……」
ガッチリとアスカに両手を握られたハーツグランさんは、想定外のリアクションに戸惑いを隠せないようだったが、少なくとも一つ心配事が杞憂で済んで良かった。
「それで、これからはどうするのだ?」
話が一区切り付いたところでハーツグランさんが話を振ってきた。ラヴェルだけではなく全員に対しての質問だろう。
「私とステラは新しい旅に出ます。私達は流浪の民ですから」
「出まーす!」
ステラが元気よく手を上げ、座っている樽を足でドンドンと蹴って叩いた。
「ラヴェルはどうするつもりだ……? またここで暮らすか? それとも……」
「……私もレイラさんと共に旅をしたいと思っています!」
「ラヴェル、それは辞めておいたほうが良いって何度も……!」
私が静止するも、やはり意志は固いようだった。道中何度も止めたのだが全く聞く耳を持ってくれなかった。
「……レイラ嬢、それほど困難な旅なのか?」
「命を落とし、二度とここには戻って来れないでしょう……」
私の旅に付いていくということは、強い想いを持ったまま命を絶ち、精神だけの存在にならなければならない。
この内容は魔力抵抗力の低いハーツグランさんに伝えることができない。伝えれば私は死んでしまう。
「……レイラ嬢、新たな旅の内容や行き方はラヴェルには伝えたのか?」
「えぇ、詳しい行き先はまだ決めていませんが、行く方法は伝えました」
「その方法を私に教えて貰えるか?」
「……お教えすることは出来ません」
「つまり、ラヴェルは既にレイラ嬢達と同じく『その先』にいるわけだな」
「……そういうことになりますね」
別に正直に答える必要はなかったのかもしれない。でも、きっと嘘をついたらこの人にはすぐ見破られてしまうだろう。
「……ラヴェル」
しばらく思案したあと、ハーツグランさんがラヴェルの方を向き、厳しくも優しい顔つきで名前を呼ぶ。
「今この時を以って養子縁組を解消し、弟子を破門する。これでお前に帰る家は無くなった。良いな」
「えっ……!? は、はい……!!」
本来であれば絶望するような事を言い渡されたにも関わらず、ラヴェルは微笑みながら涙を浮かべていた。
後腐れなく全てを断ち切って見送るか……。こんなことをスッとできる人間になってみたいものね。私には永久に無理でしょうけど……。
「……もう、どうなっても知りませんよ」
「今回の旅もそうだが、ラヴェルが自分で選んだことだ、自由にやらせるのが親としての努めだ。まぁ、もう親ではないがな」
少し寂しそうであったが、子供が親元を離れるというのはこういうことなのだろう。
世界の移動は四次元的であるため時間の流れが異なるものの、別にこの世界に戻ってこれないわけではない。ただ、時間の流れが違うので一瞬世界を離れただけで数十年時が過ぎている可能性だってある。世界を旅するとはそういうことなのだ。
「うーん、まぁ、本人と保護者の承諾が取れたなら、もう止めはしないけど……」
「ありがとうございます!!」
ラヴェルが立ち上がってこちらを向いて何度もお辞儀をしている。
このあと死ぬ運命にある人物に頭を下げられると言うのも不思議な気分だ。
「それじゃあ、アスカをウリウリ村まで送っていったら私達も旅立ちましょうか」
と、話をまとめて立ち上がろうとすると――
「ちょっと待ってよ、アタシも付いていくわよ?」
「えっ!?」
その場にいた全員の視線がアスカに向けられた。
あれだけ重い空気でラヴェルが旅に付いていくことが決まった後に、この軽さである。
「な、なんでまた……! それにアスカは私達の旅の目的地も行き方も、全く何も知らないでしょ!」
「いいじゃない、面白そうだし。実際に今回の旅はすごく刺激的で楽しかったわ」
こいつ、認識阻害魔法がかかってなくても良いところだけしか記憶が残っていないタイプだな。
「もちろん楽しかったっていうのが一番だったけど、タイド様の事を知れた時、ハーツグラン様にお会いできた時、そういう新しいことを知れた時や新しい出会いがあったときの楽しさっていうものを知ってしまったのよ。まだこの世界は知らないことばかりだし、知らない事ばかりだから、もう私はウリウリ村に戻ってもあの村に収まらない女になってしまったわ」
椅子の上に立って仁王立ちをするアスカ。
行儀は悪いけど、アスカの気持ちはすごくよくわかってしまった。
私自身、レイラフォードとルーラシードを出会わせる旅をしているけど、そこで出会う人々や風景、知識、歴史、そういった物たちにいつも心が惹かれてしまっている。
この世界でもそう、ラヴェルとタイドさんの関係や城塞都市の櫓の上から見た光景には心打たれるものがあった。
「まぁ、確かにその気持ちはわかるけど……」
わかってしまうが故に怯んでしまう。
それが命をかけて肉体を捨てるのに値するのかどうか、私のその気持ちはあくまで副産物だ。
アスカはまだ知らないし知りようがないから私に付いていこうと言えるのだ。
「……アスカ、それは自分の命を失っても構わないくらい強い気持ち?」
「そうね、少なくとも今までの人生で感じたことがないくらいには強い気持ちよ。そうでなきゃこんな長い旅なんて続けられなかったわよ」
確かに尊敬するタイドさんの事を知りたいという気持ちだけで旅をしてきたんだ、ラヴェルの父親とも私達の使命とも違う、アスカの言うただただ知りたいという気持ちはもしかしたらこの中で誰よりも強いのかもしれない。
「……レイラ嬢、もし迷っているなら老婆心ながら助言をしておこう。恨みや妬み、希望や羨望、そんなたった一つの気持ちは長くは続かない。精々人の一生のうちの一時期だけだ、もしそんなものを長く維持できる者がいたとしたら本当の化け物だけだろう。しかし、知りたいという探究心や好奇心というものは新しいものに出会うたびに膨らみ、それが次の探求に繋がる。一つが二つに、二つが四つに、四つが八つに。種子から双葉が生まれやがて大樹が育つように一生涯をかけても探究の旅は終わらないだろう」
大樹のように枝分かれをする並行世界、その全てに物語があり、まだ見ぬ世界が沢山あるだろう。私ですらその一端を見ただけに過ぎない。
ハーツグランさんのその言葉を聞いて、探究心というものの深さを改めて考えさせられた。
その言動から軽く感じられるかもしれないけど、アスカは私達の中で一番旅をしたかったのかもしれない。知りたいという欲求を抑えられる旅人などこの世にはいない。
アスカは既に旅人だったんだ。
「アスカ、大変な旅になるけど覚悟はいい?」
「当たり前じゃない。じゃなかったら言い出すわけないでしょ」
「……仕方ないわね、どうなっても知らないからね」
私は思わずため息をついてしまった。
ネガティブなものではなく、四人でどうやって次の旅をすればいいのか、そんな未来に向かって頭を悩ませるポジティブなため息だ。




