第十六話「推論の推論」
私は悩んでいた。
タイドさんが最後に言った『何がラヴェルにとって最も良いかまで考えろ』という言葉が頭を掻き回している。
「何が一番良いんだろ……」
教会から宿屋までの帰り道、空を見上げた私はつい独り言を呟いてしまっていた。
「ラヴェルのこと?」
私の呟きをステラは聞き逃さなかった。
ラヴェルにとって一番良いのはお父さんであるタイドさんの事を詳しく知ることができること。そして、生きていることが分かった今は会える事だと思ってたけど……。
その一方でタイドさんは会いたくないって言っているのに、そんな気持ちの人に会わせてそれでお互いに幸せなのか……?
「レイフォードのラヴェルとルーラシードのラヴェルのお父さんが近づいたら、それだけで全部解消しそうだけど、それじゃあ駄目なの?」
「駄目ではないと思うけど、出来ればそういう本人の意志を無視した事はしたくないっていうのが本音ね……」
レイフォードとルーラシードは結ばれることで絶対的な愛が生まれる。言い換えれば、どんな嫌いな相手でも愛が生まれてしまう。
そんな力を利用せず、本当にお互いのことを認めあった上で親子愛を育んでほしい。
「そもそもどうしてラヴェルのお父さんは、ラヴェルに会いたくないんだろうね」
ステラが深い闇が近づく空を見上げながら問うてきた。
確かにただ会いたくないだけならともかく、自分を死んだことにして名前まで変えて、友人であるジャックさんに娘を預けて離れた土地に住むようにしていた。
ここまでするほど会いたくないって相当な理由なのだろう。
「ねぇ、ステラ? あなたがもし私に会いたくないって思うようなことがあるとしたらどんな時?」
「えぇ? ワタシはレイラのこと大好きだからいつでも会いたいよー?」
「だから、もしその私と会いづらい時があるとしたらの話よ」
「うーん、そうだなぁ……。何か失敗しちゃった時とか……?」
「なるほど……。失敗した時か……。確かに何かやらかしたとき――後ろめたいことがある時は会いづらいわね……」
もしそうなら、タイドさんにも何か後ろめたい事があるってこと……?
後ろめたい事があるから認識阻害魔法でそれを隠している……。じゃあそれはなにか……?
私の手元にある情報で思い当たるものがあるとしたら、あの魔法の跡地くらいしかない。
今手元にある情報を無理やり繋げるなら、魔法の跡地で何か後ろめたいことをして、それを隠すために認識阻害魔法を使い、その上でラヴェルを遠方の地で生活させていた――ということになる。
でも、例え何か後ろめたい事があっても黙っていればわからないはず。そこまでする必要があるのだろうか……?
何となく筋は通っているけど、何かあと一歩足りなくて完全に繋がらない感じがする……。
宿屋に着く頃には空は完全に闇に染まり、都市内の建物に点いていた灯りが消え始めていた。
宿の部屋では、就寝していてもおかしくない時間にも関わらず、私達の帰りを待ちながらラヴェルとアスカが話し合いをしていた。
教会へ向かう前と違い、いつもどおりのラヴェルに戻っていた。
「あ、レイラさんおかえりなさい」
「二人共どこ行ってたのよ」
「またタイドさんの事で何か良い情報がないか探してたのよ。まぁ、二人に伝えられるようなものは持ち帰ってこれなかったけど……」
「何よそれ、無駄足じゃん!」
「伝えられることが無いという事がわかったというのは重要なことなんだからね」
無駄ではないし、何なら今までで一番スゴい収穫があるけど二人に喋ることが出来ないのがとても辛い……。
「それより、二人は何を話してたの?」
タイドさんのことを黙っているのが辛いから思わず話を変えてしまった。
そして、話題をそらすのも本当に下手で時々自分が嫌になる。
「今日のは割と近場だったので、今度は数日かけてでも遠方に行ってみたいなって話をアスカちゃんとしてたんです」
「確かに遠方でも戦闘があったって記録があったわね。何なら遠方のほうが資料もしっかりと残ってるし色々とわかるかもしれないわね」
「今日アタシもレイラと一緒に役所で資料を読んできたから、ラヴェルに提案してみたのよ。よりタイド様の功績が詳しく見ることが出来るかもしれないって!」
「な、なるほど……。ちなみに資料を読んで、アスカは何か気になる点とかはあった?」
「……? いえ、特になかったわ。あるとすれば各地で戦闘を行ったタイド様の功績がスゴいというくらいかしら? 王国民の救出に関わった人数がタイド様だけ段違いに多いのよ! やっぱりみんなタイド様の魔法が頼りだったのね!」
やっぱりアスカには何か認識阻害魔法がかかっている気がする。
流石に妄信的であっても、様々な違和感を持っておかしくない内容ばかりだったというのに。
「えっと、レイラさんちょっといいですか……」
ラヴェルが耳打ちしてくるので何かと思ったら、アスカと話していて話が噛み合わない事があるのが気になったようだった。
私も認識阻害魔法が使われている可能性があると推測していると伝えると、ラヴェルも納得した様子だった。
翌日から一週間程度かけて都市から遠方の戦場跡地へ訪れた。
都市近郊と違い、一帯には大きな穴は特に空いておらず、見渡す限りの平原には薄っすらと雪が積もっていた。
平原の向こうには空に浮かぶ雲より高い山々があり、平らな地平線との違いから一際目を引く存在だった。
「地図ではこの辺り一帯で戦闘があったって書いてあるけど、特に何も痕跡はないわね……」
「確かにこのあたりは昔と何も変わってないですね。恐らく戦争が終わってから、この十年で草木が成長したくらいの変化しか……。手がかりがなくて残念です……」
白い息を吐くラヴェルが少しだけ肩を落とす。
一週間かけて期待しながら来ただけに、見た範囲での手がかりがなくて落ち込むのも無理はない。
「タイド様がここで戦ったという大地を見れただけで十分な成果よ!」
「あの山もすっごく大きいし、雪も降ってるし楽しいよねぇ!」
かつて戦場だった地の空気を大の字になって吸うアスカは聖地巡礼ツアーの感覚だし、地面に座って雪を触っているステラは観光気分だし、まぁ変に暗いよりはいいんだけどもうちょっとこう、緊張感というか、そういうのが欲しい。
「アスカぁ! 雪だるま作ろうよ!」
「ステラってホントに子供ね! 雪だるま作れるほど雪が積もってないでしょ!」
「ふふ、あの山に向かってもう少し進むと一気に雪が増えるんですけどね、このあたりだとまだそこまで積もらないんですよ」
ラヴェルが微笑ましい顔で二人を見守っていた。
こうやって見るとやはりラヴェルが一つ抜き出てお姉さんなのがよくわかる。
「もっと進めば降ってるって、ラヴェルこの辺りについて詳しいのね。何か資料でも読んだの?」
「いえ、特に調べていないんですけど。あれ? そういえば、なんで知ってるんだろ……?」
その違和感から、私の中で一つの推論が生まれた。
もしかしてという話から更にもしかしてなんて言う飛躍したレベルの、そんな合っているかどうかもわからないような推論だけど、無理やり筋が通そうとするような内容だった。
「ラヴェル、さっき自分がなんて言ったか覚えてる……?」
「えっ? 資料は特に見てないってことですか?」
「それもだけど、その前。『このあたりは昔と変わってない』『草木が成長したくらいの変化しかない』ってまるで当時見たかのように話してたじゃない」
「あ、あれ? そんなこと言ってました……?」
ラヴェルがこんなところで嘘をつくとは思えない。きっと本人でも気が付かない無意識のうちに発言していたのだろう。
推論の推論の一つ、それがこれだ。
「ラヴェルは戦争当時、この場所に来たことがあるんじゃない? もしかしたらそれだけじゃない都市にもいたことがあるし、都市で暮らしていたとか」
「流石にそれはないですよ。戦争時中はジャック父様の所に預けられたんですから」
そんなことはありえないとラヴェルは笑っている。
しかし、ラヴェルには話せないから知らないだけで、私はその理屈がおかしいことを知っている。
タイドさんの言う通りジャックさんがハーツグランさんであるなら、タイドさんが戦争へ向かうときにジャックさんも同行していたはずだ。
だから、戦争に同行していたジャックさんにラヴェルを預けるという事は出来ない。
今のラヴェルはレイフォードになったことで魔法への抵抗力が高いけど、レイフォードになる前の――三年以上前の魔法抵抗力の低い頃なら認識阻害魔法が効くはずだ。
つまり、ラヴェルの記憶にある子供の頃の記憶や認識については当てにならない部分があるということになるのではないだろうか。
そして、魔法抵抗力が高くなった今、その当時の消されてしまっていた記憶が現地を見ることで蘇りつつあるのでは……?
「どうかしましたか? レイラさん?」
「あ、いや。色々と考えてただけよ」
このことをラヴェルに伝えて良いものか……?
自分の記憶が間違ってるかもしれないと言われるのは、自分そのものを否定されるようなものだ。適当な推論を軽々しく言わないほうが良いだろう。それで先日、ラヴェルを落ち込ませるようなことをしたばかりなんだから。
「戦争があった頃ってラヴェルは何歳くらいだったの?」
「その頃だと、大体六歳から七歳くらいですね」
「その頃の記憶ってある?」
「うーん……。もう十年近く前のことだから流石に曖昧ですね。どれが何歳の記憶かわからないので、単純にジャック父様が出てくる記憶は戦時以降という認識ではありますけど」
確かに私も高校生の頃の記憶とか、中学生の頃の記憶とか、記憶には何か他の属性が紐づいて刻まれている。
それがラヴェルにとってはジャックさんという節目の存在なのだろう。
だから、仮に自分の記憶に矛盾や違和感があったとしても『ジャックさんと一緒にいるから』『ジャックさんと一緒にいないから』という二つで分けられてしまって自己解決している可能性がある。あくまで推論レベルの話だけど。
「それくらい子供の頃が曖昧だと、タイドさんの顔や声ってもう覚えてない感じ?」
「そう……ですね、自分でも悲しい話ですけど声も顔も覚えていないです……。尊敬はしていますけど、声も顔も覚えていないし、何をしたかも知らなかった。だから知りたいと思ってずっと旅をしたかったんです。でも、ようやくこうして色んな資料や現地を見れたから今もの凄く充実してます……」
語っている途中からラヴェルの瞳から涙が溢れて行くのが見えた。
カメラもビデオも録音機もない世界だ、子供の頃に、それも十年前に亡くなった人の人の記憶など無くなってしまうのも無理もない話だ……。
ラヴェルにとって何が最も良いか……か。