第十一話「水の魔法使い」
村を出て数日後の夜、山道でクマに襲われていた。
いや、実力的にはクマが襲われていると言っても過言ではないのだけど、クマ側からすると襲ってきているつもりなのだろう。
普段であれば、ステラが敵視を取って、攻撃役のラヴェルを私が守りつつ、ラヴェルが最小限の攻撃で命を刈り取っているのだが……。
「アタシに任せなさいよ!」
アスカが増えたことでこの連携は混沌を極めていた。
ステラが釣ってきたクマは二匹。既に一匹はラヴェルが水球で頭をふっとばして倒しているのだけれど、それを見たアスカが自分にも出来ると言い出して聞かなくなった。
そして、今もなお襲いかかるクマが私の全てを守る力に攻撃をしてくる中で言い争いが行われていた。三人も入ると結構効果範囲がギリギリだ、暴れたりするのだけは辞めてほしい。
それにどれだけ大丈夫だと分かっていても、クマが襲ってきているバリアの中に三人いる状態で言い争いをしていると、いずれラヴェルが恐怖で気を失ってしまう。
「あぁもう! うるさいわね! アタシがやるんだから! 最終衝撃!!」
別に唱えなくても良い魔法名を声高々に叫ぶと、クマの頭部から強烈な重力が押し寄せてくる。
頭からメキメキと凹んでいき、最終的には血飛沫や何やら様々なものを飛ばしながらペシャンコでズタボロのクマだったもののみが残っていた。
「どう? 見てたでしょ? 私だってクマくらい倒せるんだから」
自慢気に語るアスカに対して、周囲の警戒や追加の獲物がないかの調査から戻ってきたステラが惨状を見る。
「えぇー、これじゃあお肉も皮も何も取れないじゃんー。何でこんなことしちゃったの、勿体ないー」
「へ?」
思ったことを全て口にするタイプのステラだからこそ言える気遣いのない言葉だが、今回は自分の言葉も代弁してくれていた。
残念がるステラに対して、褒められる事を期待していたであろうアスカは驚いた顔をしていた。
無理もない。村にいた頃であれば死人が出るかもしれないような害獣であるクマを魔法で退治すれば、それだけで英雄だ。
しかし、このメンバーではそれは通用しない。ステラもラヴェルも一級品の能力の持ち主だ。村の英雄と世界的な傑物とでは天と地の差があるだろう。
「最近は季節的なものか土地的なものか、クマもイノシシもあまり見かけなくなったから、シカとかウサギや鳥をワタシが捕まえた方がいいかなぁー。ラヴェルはまだ逃げるの追って攻撃するのは苦手みたいだし」
「まぁ、ラヴェルや私達だって最初は加減がわからなくてこうなってたんだし、アスカも初めてだったんだから、追々慣れてくるでしょ。逃げる動物の狩猟はステラに任せましょ」
「あはは……私も最初の頃は頭だけ残してイノシシ全部吹き飛ばしちゃいましたからね……。逃げるのを当てるってなかなか練習してもうまく行かないので頑張ります……!」
旅を始めてすぐの頃の自分を思い出して、ラヴェルが苦笑いをしている。
始めの頃は情けないところが多かったけど、数ヶ月も旅をしていれば少なからず慣れてきたようだった。
多分ラヴェルはもう私よりもずっと強い人間になっていると思う。少なくとも人間的な能力や魔法使いとしては。
人の想いに勝ち負けは無いと思うけど、私のあの人への想いも、ステラの迷わないという想いも、ラヴェルの父親への想いも、そしてアスカのタイドさんへの尊敬の想いも、誰も等しく強いものだ。それを理解し、お互いを尊敬しあえる、それを理解するのがアスカが最初にぶつかる問題だろう。
「みんなでアタシをバカにして……」
私達が和気藹々と過去について話している姿を見て疎外感を覚えたのか、アスカが涙ぐんだと思った次の瞬間には無言で林の中に向かって走り出していった!
こういうのってもうちょっと、何かせめて捨て台詞をもう一言くらい言ったり、一息溜めてから走り出すものなんじゃないの!?
「アスカちゃん!」
そこに間髪入れずにラヴェルが走り出して林の中に入っていくアスカを追った。
人間関係というか、部下の管理といか、そういったものは本当に苦手だ。
私はどちらかといえば管理職ではなくて事務側の人間だという自負があるから、こういう時にどういう対応をして良いのかワンテンポもツーテンポも遅れてしまう。
かといって私一人では防御しか出来ないから仲間を増やす必要があるけど、リーダーシップがない。誰かリーダーをやってくれる仲間は現れないものだろうか……。
……などと考えている場合ではない。
「ステラ、近くに大型の獣はいないか確認して!」
「もうチェック済み! いないよー!」
「じゃあ、とりあえず命の心配はないか……」
とりあえず、どうすれば良いかわからないなりに林の中に入っていったアスカとラヴェルを追いかけてみることにした。
「はぁはぁ……追いかけて来ないでよ! 大魔道士様に私の不出来さなんてわからないでしょ!」
「そんなことないよ……! わ、私も最初は上手くいかなかったし……! 大魔道士だから魔法が上手く使えるとかどうかなんて関係ないよ……。練習しなきゃ誰も上手に使えないんだから……! うぅ、走りすぎてお腹痛い……」
二人が先に走り続けてしまっていたため、完全に二人を見失ってしまった。夜の月明かりしかないうえに、林の中は木々に囲まれて視界が悪く、眼の前のもの以外は殆ど何も見えない状態だった。
それでも声だけは聞こえるので、声だけでもそこまで遠くではないのはわかる。
「ステラ!」
「道のないところに入っちゃってるから少しわかりづらいけど、距離は遠くないよ」
こういう時にステラの星をみるひとは本当に役に立つ。
運動神経ならステラの方が断然凄いのだけど、かといってステラが先行してしまっては今度は私が迷子になってしまうから、結局私の速度に合わせて二人揃って行かなきゃ意味がない。
ステラの指示に従って、暗い道なき道を走りながら進んでいった。
「あ……レイラ、ちょっとヤバいかも……」
軽快に走るステラが珍しく慌てた顔を見せた。
「なに? クマよりもヤバイものなんて早々ないでしょ?」
「ワタシでも集団相手だと苦手なんだよね……」
「だから、何?」
「吸血コウモリの集団がいる所にラヴェル達が向かってる……」
今までそういうのは全部避けて通ってきたっていうのに……! 全くもう……!
この世界の吸血コウモリも、私のいた根幹世界と変わらず百匹単位で行動する点については同じだけど、根幹世界の吸血コウモリと違ってサイズが大きく進化したようで一噛みでもかなり血を吸われ、傷口も大きい。そのうえで、感染症の心配もかなり大きいから、集団に遭遇したら非常に危険だ。
クマが一撃必殺だとしたら吸血コウモリは百噛必殺といったところだろうか。
何か動物と相対する際は、必ずこちらの数が多い状態で戦うようにステラに探索してもらいながら進んでいたけれど、こういう不測の事態までは流石に対応できなかった。
まさかこの安全な旅路で危険な道なき道を全力で走ることになるとはね……。
「魔法の強さだとかそういう部分だけはその人の生まれ持った力に影響されちゃう……。でも、魔法を上手く使うのなんて、練習すれば出来るようになるの! だからアスカちゃんだって練習すれば!」
「それでもちょっとだけでしょ! さっきのアンタみたいに頭だけ撃ち抜くのなんて上手くいかない!!」
「私のお父さんはアスカちゃんと同じ魔法だけど、足止めしたり対象を選んだり加減が出来てたんだから! アスカちゃんだってできるよ!」
「うるさいうるさい! タイド様の娘のアンタに言われなくたってわかってるわよ! あれはタイド様だから出来た偉業なのよ!!」
静けさの中で声だけは聞こえてくる、少しずつだけど近づいているのだけは確かだ。
逆に言えば音の反響で相手の位置を把握するコウモリ達に取っても、この状況は相手を仕留める絶好のチャンスでもある。
「ラヴェル! アスカ! 周囲に気をつけて! 吸血コウモリの群れがいるわ!」
周りが静かなのもあってか、お互いに声が聞こえるから距離は近いはずだ。このまま間に合わなければ致命傷にならずとも大怪我は必至だ。
「アスカちゃん!!」
ラヴェルがアスカの手を捕まえたのか、私がアスカとラヴェルの姿と同時に見たのは、その上空に敷き詰められたように並ぶ吸血コウモリの集団だった……。
「嘘でしょ……」
私一人なら全てを守る力でどうとでもなるけど、空を埋めるほどのコウモリともなると四人全員を守るのは流石に難しい、精々三人が限度だ……。
一番運動神経の良いステラであっても、百匹を超える吸血コウモリからの攻撃を全て避けるのは不可能だろう。あくまであの娘は少数相手の暗殺術だ。
だけど仕方ない。ステラには悪いけど、この場で助けるべきは生きているラヴェルとアスカの二人だ。死んでいる上に運動神経が最も優れているステラを切り捨てるしかない。
「ラヴェル! 水の手持ちは!?」
ラヴェルとアスカに向かって一歩踏み出し、全てを守る力を展開する準備を整える。
ステラは私の意図を察したのか、私が一歩踏み出す間に三歩下がっていた。
「水袋一杯分しかないです! あっ、でもこれ……」
攻撃は最大の防御だ。私の防御にラヴェルの攻撃が加われば少しでもステラへの被害を減らすことができるはずだ。
しかし、何かを閃いたのか、ラヴェルが地面を触っている。
その時、コウモリの聞き取れないほど高い鳴き声とともに、黒い渦のように大量の吸血コウモリがアスカに向かって飛び込んで行った。
次の瞬間、ラヴェルがアスカを押し倒し、そこに吸血コウモリの群れが襲いかかり二人の姿が見えなくなってしまった。
間に合わなかった……! あと数メートル足りなかった。ステラを見捨てるどころかラヴェルとアスカすら助けられなかった。
「――ステラちゃん! 隠れて!!」
黒い渦のようなコウモリの中からラヴェルの叫び声が聞こえると同時に、何かを察したステラが高速で私の背中に回り込んだ。
「水の戯れッ!!」
ラヴェルの叫び声が放たれた次の瞬間、私の全てを守る力にヒビが入るのではないかと思うくらい数多の『何か』が飛んできた。
後に理解したがそれは雨粒よりも少ない量の『水飛沫』だった。一粒一粒の雫が身体を貫通させるほどの威力で、人間がまともに食らったら全身を極細のアイアンメイデンで貫通させられたかのような状態になってしまうだろう。想像するだけで背筋がゾワついてくる……。
周囲の木々に飛沫が当たり、勢いよく木を貫通して破裂したような音が辺り一面で一斉に奏でられ、まるで一帯が爆発したかのような轟音となった。
飛沫の飛ぶ勢いは暴風となり土や葉を舞い散らせ、全方位に水飛沫は飛んでいたのか、天に向かって降った『雨』は忘れたころに再び雨となって地面へと帰ってきた。
一瞬の間をおいて、中には倒れる木々がいくつも現れ、倒れた木々によってアスカとラヴェルに月光の明かりが差し込んできた。
「大丈夫!? アスカちゃん!?」
一帯が水飛沫によって生じた霧から晴れると、そこには水のバリアに守られて倒れる二人の姿があった。
ついに私の魔法まで真似されてしまったのかと不謹慎ながら思ってしまったけど、二人が無事なら何よりだ。
「だ、大丈夫だけど……」
呆気にとられるアスカを抱きしめ、まるで自分のことのように喜ぶラヴェルを見て、ホッと胸を撫で下ろした。
「よかった……」
「……アタシの自業自得だったんだから、アンタが安心する必要ないでしょ」
「あるよっ! 私のお父さんを好きって言ってくれた人なんだから、そんな想いを持ってる大事な人に……」
私とステラもゆっくりと感動の場面に近づいていった。
危機が去った今、青春している二人に声をかけるのは忍びないけど、ここで一声かけるのも大人の仕事だ。
「アスカ、多分ラヴェルは今回のがアスカのお父さんでも同じように助けたと思うわよ。ラヴェルにとってタイドさんはとても大事な存在で、そんな人を好いてくれる人を――想ってくれている人を守りたいって気持ちは別に不思議なことじゃないと思うけど? 大事な人って言うだけなら、タイドさんがピンチだったらあなただって助けるでしょ?」
「……わかったわよ」
ラヴェルに抱きつかれたままアスカが立ち上がる。ラヴェルはアスカの腰にくっついて離れないままだ。
「感謝はするし、言いたいこともわかったわ。でも、魔法が上手く練習でうまく使えるようになるとは思わないわ。これでもずっと練習してきたのよ」
「うーん、私もステラも魔法に関しては練習してないし、常に全力全開で使う能力だからなぁ……」
「練習したことないよねー」
ステラが私の方を向いて同意を求めてくる。
私もステラも最初から完全な状態の能力が使えて、それ以上の成長もない、良くも悪くも完成された能力だ。
「はい……、それなら私がおじえまず……」
涙と鼻水が混じった声でラヴェルが小さく手を挙げた。
他人事に対してここまで入れ込むことが出来るなんて、お父さんへの愛情もだけど感受性自体が豊かなのだろう……。
隣りにいるラヴェルは鼻水を啜り、涙を拭いて気持ちを取り戻していた。
「元々、さっきの爆発するような刺突する雨が、私が最初に使った魔法だったんです……。三年くらい前、森で動物に襲われそうになったときに慌ててジャック父様の水魔法を真似して使ってみて……」
「いまのを見ると遭遇した動物に同情したくなるわね」
周りにその動物以外に何もいなかったのも不幸中の幸いといったところか……。いなかったんだよね?
「今回は手持ちの水では全然足らなかったから、沼地近くの湿った土の水分も使っていたんです……」
そう言われて地面を見ると辺りが、一面ヒビ割れた冬のお肌のようにカッサカサになっていた。
もちろん、一部は『空に降った』雨が帰ってきて湿っている部分もあったけど。
あと、もう一つ気になったのが、辺りに吸血コウモリがどこにもいないことだ。
あの爆発するような水飛沫で命を失っただけでなく粉微塵になったのか、それとも爆発するような刺突で単に遠くへ吹き飛ばされてしまったのか……。
どちらにせよ恐ろしいので考えないようにしよう……。
「でも、あんな危ない魔法だと使い物にならないから、ジャック父様が色々と教えてくれて今みたいな魔法が使えるようになったんです……。だから……」
「アタシも色んな衝撃魔法が使えるようになるってこと……?」
「うん、一緒に練習しよ」
ラヴェルがアスカの両手を握り、アスカの目を見て笑顔を見せる。それはまるで天使のような笑顔だった。
「……仕方ないわね、食べるのに困りたくないから少しだけ教えて貰ってもいいわよ……」
アスカはラヴェルに目線を合わせずに呟くも、その一言にラヴェルは更に笑みを浮かべた。
「それにしてもラヴェルの魔法すごかったねぇー」
「確かにあれを使われたら獲物だけじゃなくて、下手したら地形まで変わりかねないものね」
「それでも、噂に聞くタイド様に比べたら大したことはないわね」
道なき道を出て、改めて月明かりの見える山道を歩く。
まるでなにもなかったかのような雰囲気が漂っているが、それでも確実にアスカとの距離は縮まったように感じる。
「えっと……ちなみに……ア、アレで大体一割くらいです……」
ラヴェルが恥ずかしそうに顔を手で伏せながら呟く。
全員がラヴェルの方を向いて、顔を引きつらせている。
「えっ……一割って……」
「ち、違うんです! 今回は使える水が少なかったのと力を制御してたからあの程度でしたし! 初めて魔法を使った時も近くに水がなかったから一大事にはならなかったですし、全力を出したら多分湖が一つくらいじゃ足りないので、安心してください!」
水を飛ばして攻撃して、水を持ち運べて、盾にして人を守れて……
あれ? この娘、もしかして私どころか父親のタイドさんよりも優れた魔法使いなのでは……?
「あ、水の上を歩くのと、乗り物みたいに水に乗って移動するのもやったことありますよ。移動するのは水が沢山必要だからよっぽど水が有り余るような場所じゃないと無理でしょうけどね」
格の違いを見せつけられたのは、アスカだけではなく私もだった……。