58・夜を迎える王都
翠の後に来たお客さんは、このお店の『常連』の様子だった。
だが、その人も翠と同じく、フードを深く被っていた。だから顔や性別が認識できない。
でも店長との会話で、その人が『女性』である事は何となく分かる。
「いつも悪いね。」
「いいって事よ! あんたはこの店ができてから、ずーっと通い続けている、常連中の常連さ。
月日が経っていけば、おんなじような店が立ち並ぶのに、あんたはずっとこの店に通い詰めて
くれてるもんな。」
「やっぱりおじさんの味が一番なんです。
引退するまでは、ずっと通いたいと思っていますよ。」
翠は残ったスープを飲みながら、2人の会話を遠くから聞いていた。
やはり、どんなに色々なお店が乱立していたとしても、『常連』や『行きつけ』はある。
特に昔から通い詰めていると、新しいお店は入りづらくなってしまう。
そのお店で食べれば絶対失敗しない上に、値段も把握しているから気軽に行ける。
でも、翠はその女性に、その時点で『ちょっとした違和感』に気づいていた。
そのお店の常連なら、服装などに気をつかう事もなく、割とラフな格好で来てもおかしくない。
もし自分なら、そうしている。
なのに、なぜ女性は、顔を隠すようにフードを被っているのか。
常連なら、長年王都に住んでいてもおかしくない筈。
しかし、何だかコソコソしているような仕草は、まるで『何かから隠れている様』にも見える。
まるで今の翠のように。
「はいよ、おまち!」
「はーい、ありがとー」
その女性はキーメンを一杯受け取ると、『通路側の席』に座る。
そして食べている間も、彼女はローブを脱がなかった。・・・それは翠も同じなのだが。
しかし、キーメンを啜っている最中、ローブの中から見える『女性の瞳』を見た翠は、思わずハッとした。
女性の瞳の色に、何故か『見覚え』があったのだ。まだ言葉を交わした事すらないにも関わらず。
そして、翠の脳内の『一番近い引き出し』が引っ張り出され、出てきた人物が
『リン』
リンの瞳も、その女性の瞳も、
『紫色』
この国では、一体どんな瞳の色が標準なのかは分からない。
しかし、翠が見てきた人々のなかで、『紫色の瞳』をしている人物は、今のところリンしかいなかった。
だから翠の目に留まったのだ。
リンの『家族』については、当の本人もあまり覚えていない様子だった為、あまり深くは聞かなかった翠。
しかし、彼の家族の存命は、まだはっきりとはしていない。つまり・・・・・
(・・・・・・・・・・・・・・・
・・・いや、やっぱりやめておこう。
そもそも『瞳の色』だけで判断できないし、私達は放浪の身だし・・・・・)
瞳の色だけでは決定打に欠けると思った翠は、空のボウルを持って店主の元まで持って行き、「ご馳走様」と言ってその場を去る。
そして、再び市場を散策する。色々と見て回ったり、キーメンに気を取られている間に、もう街灯のランプが点き初めていた。
この世界には『電気』はない。街灯のランプを灯しているのは『魔力』
翠は市場を歩いている時、街灯に手を当てている『初老の男性』を見かけた。
そして、男性が街灯に触れてから数秒後に、その街灯は光を灯した。
翠がかつて見ていた『世界史の教科書』にも、そんな男性を描いた挿絵があった。その人の名は、『点灯夫』
旧世界でも、昔は街灯を点けるのも『手作業』だった。
だからその街灯の点灯と点検を受け持っていた職業、それが点灯夫
時代が進んで、『電気』が発展すると、点灯夫はその姿を消してしまった。
その役目を新世界で担っていたのは、翠が見かけた初老の男性。
市場をあちこち歩いていると、最初に見かけた男性と同じ服装をした人が、同じように街灯を灯していた。
翠は、何だかタイムスリップをしたような気分で、少しウキウキした。
そして、『夜に開くお店』が着々と外で準備を進め、あちこちの店で美味しそうな匂いが漂い始める。
その匂いを嗅ぐだけで、翠のお腹は再び食べ物を求めてしまう。
だが、これ以上食べると翌日に支障が出てしまうかもしれない。
いつの間にか買い物中の主婦の姿はいなくなり、今度は家に帰る人々で、市場はまた別の賑わいを見せていた。
翠は実際に『夜の繁華街』を見た事はない。
そもそもバイトもしていなかったし、夜に出歩くと両親に怒られるから。
だから、実際に見る夜の町は、昼以上に近寄り難く感じる翠。
『大人の付き合い』は、まだ17歳の翠には早すぎるのだ。
(・・・・・でも、もうちょっとだけ歩いてみよう。
もうこうなったら、色々と足を踏み入れないと勿体ないよね。)
翠は、自分でも気づかない間に、頼もしくなっていたのだ。