105・本当に打ち明けたい事
グルオフは、びしょ濡れになりながらも、まだ心に『重石(自分の真実)』を抱えている翠に、躊
躇わずに切り出した。
「ミドリさん、貴女が気にしている事が何なのか、大体察しはつきます。」
グルオフのその発言に、陸へ再び戻ってきた翠は、服を絞る手を止めた。
「・・・・・多分、僕以外の全員が分かっていますよ。ね?」
グルオフが振り向くと、クレン・リータ・ラーコも静かに頷く。爽やかな笑顔のまま。
その顔が、今の翠にはとてつもなく眩しく感じていた。だから、彼女は思わず真下を向く。
波紋が消えた水面に映る自分の顔を見た翠は、ふと旧世界の『浴室』を思い出す。
旧世界でも、その顔は散々見てきた。洗面台の鏡で。
しかし、旧世界で暮らしていた当時、翠は自分の顔が好きになれなかった。
別に、顔のどこかが嫌い・・・というわけでもなければ、自分の顔を見る行為自体が嫌いなわけで
はない。
ただ、何となく、好きになれなかった。
だが今の翠には、その真理がわかった。鏡とは、自分自身のありとあらゆる箇所を見せてくれる。
自分が見たくない事も、目を塞ぎたい事も、鏡は平然と見せてくる。
水面に映る翠の顔は、『はっきりしない顔』だった。
悲しいような、寂しいような、辛いような表情。
そして、口から発せそうで発せない、自分の気持ち。
いつまで経っても、口はモゴモゴしているのに、言葉が出てこない。出ようとしない。
胸の奥底で引きこもっている言葉に、早く出てくるように急かすものの、心のドアは開きそうで開かない。
翠はついさっき、『4人を絶対に信じる』と、心に決めたばかりだった。
それでもまだ迷い続けている自分に、翠は自分自身が嫌になってしまう。
・・・いや、翠が信じられないのは4人ではない。
『自分自身』だ。
4人も翠を信じているのは、彼女自身も十分理解している。
なのに、まだ『へそ曲がりな自分』が、心の中に居座っていた。
その事実に、翠はこのまま川に沈んでしまいたい気持ちになってしまう。
真実を言いたくても言えない自分に、苛立ちすら感じてしまう翠。
だから翠は、2回も川に落とされたにも関わらず、川から出ようとしない。
それは、また突き落とされるのを恐れているからではない。
流れる水の冷たさが、考えすぎて煮えたぎっている翠の心体を冷やしていた。
しかし、それは単なる翠の思い込みでしかない。もう既に、翠の唇は青く変色して、体も無意識に
震え始める。
疲れ果てた翠の脳は、体のあらゆる感覚を完全に無視しているのだ。
そんな彼女に痺れを切らしたのは、クレンだった。
クレンは川の中へと足を踏み入れ、固まっている翠を強く抱きしめた。
弟の突然の行動に、姉のラーコは顔を真っ赤にさせながらグルオフの両目を塞いだ。
リータも、「ひゃっ!!!」と、女子のような小声を漏らす。
当然、翠も先ほどとは違う意味で唖然としていた。
クレンの体はとても暖かく、冷え切った翠の心や体を、徐々に温めてくれる。
まるで彼女を逃さないように、ギッチリ抱きしめるクレン。
華奢なクレンとは思えないくらいの力の強さに、翠は身を委ねるしかできなかった。
「ミドリ、私は君を信じているんだ。今も昔も。
僕をボロボロの状態から拾ってくれた時から、ずっとずっと・・・・・貴女と共に歩んできまし
た。
その道中で、貴方は私達を裏切ったり、見捨てたりするような事もしなかった。」
「そうだね、僕も信じてる。ドロップ町が襲われた時、率先して僕や兄を守ってくれた時から。」
「そうね、私も信じている。弟を引き合わせてくれた、あの王都で・・・」
「僕も当然信じていますよ、貴方は僕にとって、『希望』そのものですから!」
「・・・・・皆・・・」
翠をガッチリ抱きしめているクレンは、精一杯の気持ちを翠に伝えようとして、腕力が強くなって
いるのだ。
まだ目的地に到着はしていないものの、ここまで歩めた感謝の気持ちと、これからも翠と一緒にい
たい気持ち。
そして、これからも続くであろう旅路も、翠と一緒に歩みたい気持ち。
その気持ちでいっぱいになっているクレンに、もう恥じらいも何もない。
クレンに限らず、3人もこれからの旅路は、翠と一緒に挑む気満々である。
もし、翠が途中でリタイア・・・・・なんて事はしないと分かっていても、もし彼女が旅路を諦める事があったら、4人も同時に辞める。
もしくは4人全員が翠にぶつかる。そして、どうにかして翠の気持ちを立ち直らせる。
4人の歩みは、翠あってこそだから。彼女がいなければ、ここまで来る事はなかった。
・・・いや、ここまで来られたのは5人だからこそ。誰か1人でも欠けていたら、今はなかった。
こんなチャンス前にして、逃げ出す・・・なんて事になれば、遅かれ早かれ国は破綻する。
生活が破綻するのが先か、正気を失った人間やモンスターに襲われるか・・・のどちらか。
彼女達の旅は、決して着の身着のままではなく、この国の未来を背負うもの。
おふざけ半分では歩めない、険しく厳しい旅。そんな道を、5人は引き返せない段階にまで、歩みを進めていた。
だから、当然翠以外の4人は、引き返す気は一切ない。
もうこの運命に全てを賭けていいくらいの意気込みでいる。
翠も当然、そのつもりである。ただ、翠はずっと悩んでいたのだ。
それは、『転生者』であるかを告げるか・否かではない。
『転生者』である自分が、この国を救う権利があるのか・否か である。