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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

過去作

砕け散ったあの空は

作者: きりねのゆるり

後味の良さは期待しないでください。ボーイズラブにチェックは入っていますが、一要素として含まれるだけで主軸は女主人公の恋です。

 

 何年も前のことだ。まだ私が、世界にはどうしようもないことが存在するなんて考えたこともなかったくらいに小さかった頃の、何の変哲もないとある平日。私は確かに、それを感じ取っていた。

 彼の隣であの空を見上げた瞬間に。疑問も抱けぬほど鮮明に、鮮烈に、強烈に。その想いは私に刻み込まれた。

 何年たっても、その想いは変わらない。例えそれが叶うことのない望みだとしても、手にするべきではない願いだとしても。私はきっと、この気持ちを抱えながら生きて、そして死ぬ。

 これは、長い長い私の片想いの話。

 

 ◇◆◇

 

 カチャリ、と軽やかな音。耳に入ったその音の正体を探り視線を流せば、予想通りというべきか、そこには慌てた様子で足元の小さな鍵束を拾い上げている彼の姿があった。

「ごめん、邪魔するつもりじゃなかったんだけど……」

「気にしなくっていいですよ、先生。そろそろ休憩の時間だもの」

 どこかバツの悪そうな顔にクスリと笑いが零れる。彼のこういうそそっかしいところは嫌いではない。

「ね、先生。お茶にしましょ? 今日は美味しいマドレーヌがあるの」

「マドレーヌか!」

「ええ。お好きでしょう?」

「一番の好物だよ」

 先ほどまでの表情から一変、彼はまるで幼い少年のように輝かしい笑顔を向けてくる。とくん、と小さく高鳴る心臓をいつものように宥め、お茶の準備をさせるために使用人を呼びつけた。

 真白いテーブルクロスの敷かれた小さな丸机に、二人分の茶器が用意される。かちゃかちゃと、ぶつかるたびに小さな音が鳴る。お茶の時間を告げる音だ。

 縁が緑色のカップが彼のお気に入り。私のカップはその色違いの、真っ赤な縁のもの。

 机の真ん中に置かれた砂糖壺から一掬いの甘さを紅茶に加える。私も彼も、甘いものは好き。彼の方は、砂糖壺の隣に鎮座する蜂蜜をたっぷりと溶かし込むのが常だ。味も大好きなのだけれど、蜂蜜が溶けていく様を見るのも好きなのだと言っていた。

「美味しいね、都子ちゃん」

「ええ、とっても」

 美味しい美味しいと顔を綻ばせる彼がどうしたって愛おしくて仕方がない、だなんて。その想いを隠すのにも、もう慣れた。

 

 彼――南條斎は、私にとって最も特別な人間の一人だ。六つ年上の幼馴染で、今は私の家庭教師でもあって、そして……私がずっと前から恋している相手。

 彼の笑顔が好きだ。眉がきゅっと下がって、煌めく雨粒のような色を浮かべる目をする。その目が、好きだ。

 彼の声が好きだ。ふにゃりと気の抜けた声に名前を呼ばれるとほっとする。長閑で耳をすぅっと撫でるような声。

 彼の感情表現が好きだ。素直で、裏表がなくて、よくおどおどする。先生、と呼んでみればどこか照れくさそうにする、わかりやすいところが好き。

 私は、彼が好きだ。

 好きで堪らない。大好きだ。大好きで大好きで……恋している。

 だから私は———

 

 ある日の会話を思い出した。

「都子ちゃん」

「なんですか」

「本当にいいの?」

「構いませんよ」

「なら、いいんだけど……」

「そもそも、私に選択権はありません。満さんも知っていることではないですか」

「まあ、ね」

「いいんです。……初めから、わかっていたことですよ」

「でも」

「満さんの方こそ、いいんですか」

「俺は……俺は、そもそもあいつに、何も伝えるつもりは、ない」

「……そう、ですか。まあ、貴方が嫌と言ってもどうにもならないでしょうけれど」

 私には、幼馴染が二人いる。

 一人は彼……薫さん。

 もう一人が、北上満さん。私よりも三つ年上で、とある会社の跡取り息子。私達のお父様同士が友人……と呼ぶには少しばかり損得の絡んだ関係で、それゆえに私達は幼い頃からお互いを良く知っている。

「私は……私達は所詮、お父様達のお人形なんですもの」

 この言葉が彼の心の柔い部分を抉ると知って、それでも、言わずにはいられなかった。これはきっとただの八つ当たりだ。

 常には自信に彩られている顔が、くしゃりと辛そうに歪んだ。

 満さんはすごい人だ。頭が良くて、沢山の人に囲まれる人気者で、跡取りとしても期待を寄せられている。そんな自慢の幼馴染で……おんなじ人に、恋をしてしまった。私の、婚約者。

「諦めるしか、ないんです。私も、貴方も。そうでしょう?」

 私達は、その決定に逆らえない。

 

 外は土砂降りの雨。帰宅直前に急に強まった雨足に、彼は苦笑していた。飾り気のない黒い折り畳み傘を携えて、彼は玄関を出ていった。叩きつけるような雨粒が、私達の世界を切り離していく。

 見送りを終え、先ほどまでいた部屋に戻る。彼が帰った後のこの部屋は、なんだかとても味気ない。

 カタリ、と背後から音がした。振り向くと使用人が一人。一対の深い蒼の瞳が、こちらを覗き込んでいた。じっ、と吸い込まれそうな視線に、なんだか落ち着かなくなってしまう。

「どうかした?」

「いいえ、何も」

 この使用人は、父が数年前に連れてきた。蒼い瞳に白い肌、そして何よりも目を引く眩い金糸の髪が、彼女の出自を示している。

 リエラと名乗るこの使用人が、私は少し苦手だ。真っ直ぐにこちらを射抜く視線も、色のない笑みも、隙を見せない振る舞いも、なんだか人間離れしているように思えてしまう。

 何より……彼女は、変わらないのだ。我が家に来た時から今に至るまで、寸分たがわぬ姿を保っている。髪の長さすらも、まるで毎日伸びた分を切りそろえているかのように変わっていない。

 そんな彼女が、私は少し怖い。

「……お嬢様」

「なぁに?」

 だから。そう、珍しく彼女から声をかけられて、少しばかり声が上ずった。

 そんな私の様子にも、彼女は何も感じてはいなさそうだ。淡々と、抑揚はしっかりとあるにもかかわらず、なぜか感情を読み取れない声が紡がれていく。

「お嬢様は、南條様のことを好いておられるのですね」

「……そうよ」

「叶わぬ思いと知りながらも、お嬢様は恋をしているのですね」

 にこり。また、彼女は色のついていない笑みを浮かべる。その態度は、ともすれば私を馬鹿にしているようにも見えるけれど。私はただ、ぞわり、と何か冷たいものが身体を走り抜けていく心地がした。

「嗚呼、御可哀そうなお嬢様! 恋しい方がいるというのに、貴女の想いは成就しない! いいえ、成就させてはならないだなんて!」

「貴女……一体何が言いたいの」

 駄目だ、と思った。直感的に、彼女の言葉に耳を傾けてはいけないと、そう感じた。

 しかし、そんな危険警鐘はもう遅い。

 彼女の言葉は、止まらない。

「ええ、ええ、簡単なことですわ! 私は貴女を憐れんで、救いの手を差し伸べたいのです! 自分の生き方すら自由には決められない、外からの鍵に閉じ込められた、箱入り娘のお嬢様!」

 だって、そうでしょう。

 どこまでも愉しそうに、どこまでも無意味な声音で。彼女は高らかに言い放つ。

「お嬢様、手に入らない幸せも、自由を奪う足枷も、すべて全て凡て総て――――」

 くるり、くるくる。ひらりと舞い踊る彼女に合わせて、たっぷりとした黒の全円のスカートが形を変える。

「壊して、奪って、飲み下してしまえばよろしいのです!」

 ぐわんぐわん。頭が揺れる。舞い上がる彼女の金の髪。ぐにゃり、と目の前が歪む。世界が歪む。

「だって、だってだってだって……ねぇ、お嬢様? もしも貴女が籠の中の小鳥でなかったとしても……」

 彼女の言葉は毒だ。どろりと溶けた悪意とたっぷりの純粋さの中に、醜悪な自己愛を混ぜ込んだ、とびっきりの媚薬にして偽薬。

 甘い媚薬が脳を溶かし。

 熱い偽薬が心を壊す。

「南條様は、決してあなたを選ばない。そう、知ってしまっているのですものね」

 これは、私を殺す緩やかな毒だ。

「さあ、貴女を阻むものを壊しましょう! 掴めぬ煌めきを塗り潰し、叶わぬ願いを砕きましょう!」

 すっ、と手を掴まれる。ひんやりとした、白い手。まるで人形のように熱のない腕が、じんわりと私の熱を奪っていく。

 寒い。

 ただ、ただただ寒い。搾取される私の温もりに体中が委縮し、心が機能を徐々に停止させていく。

 手を取られ、何かまた、ひんやりとした物を押し付けられた。

「お嬢様、これは貴女を導く光です。貴女を救う輝きです。そして、貴女を永劫の苦しみから解放する、たった一つの鍵なのです」

 硬い、冷たい、軽い、でも重い。

 キラキラと光を反射して。

 ――――そのナイフは、私の手に。

 

「愉しい宴の、幕開けです」

 

 ぐさり。

 笑ったまま、美しく気味の悪い無機質な笑みのまま――――

 

 リエラは、彼女は、息絶えた。

 

 自ら、私の手に握られたナイフに、腹を突き当てて。

 ただただ動けぬ私を無視して、一度それを腹から引き抜いて。

 その刃を、私の腕ごと掴んで、喉元まで押し当てて。

 そして……笑って、死んだ。

 淡々と、坦々と、耽々と。

 寸分の狂いもなく。感嘆も狂気もなく。

 色もなく、意味もなく、遺志もなく。

 ただ、笑って。愉し気に笑って。

 

 あっさりと、彼女は命を投げ捨てた。

 

 

「お父様、ごめんなさい。親不孝な娘でごめんなさい」

 ぐちゃり。赤の悲鳴。

「お母様、許さなくていいです。だから、許さないでください」

 とぷん。命の途絶える揺らめき。

「ねえ爺や、私はやっぱり愚かな小娘だったわ。期待に沿えなくて、ごめんなさい」

 ぞわり。寒気が止まらない。

「満さんには本当に申し訳ないことをしたわ。貴方にはなんだって相談できた。なんだって、貴方は悲しい顔をして、それでも聞いてくれた。……でも、もう止められない」

 ゆるり。頭のネジが融解していく。

「皆、皆壊してしまうの。壊して、溶かして……そうすればきっと」

 ひた、ひたり。足音が近づいてくる。これはきっと、終わりの合図。

「ねぇ、先生。薫さん。私、きっともう駄目なんです。手遅れになってしまったんです。それはきっと、彼女が何もしなくても、きっといつかはこうなっていた」

 大好きなんです。大好きで、恋しくて……私は、貴方を愛したかった。

「先生……私に殺されてくれますか?」

 驚愕と絶望に染まったその瞳に、私の姿はどう映っていますか?

 

 あの日、私が恋を自覚したあの日。

 あの日の空は、きっと眩しいくらいに晴れ渡っていた。

 今日の空は、鈍重なカーテンを引いたように真っ暗で。叩きつけるような、激しく叫ぶ雨だった。

 

 先生は脅えていた。私に、周りに、この光景に。……現実に。

 そりゃあそうだ。誰だって怖いだろう。幼馴染の年下の女の子が、血塗れのナイフを手に自分に迫ってきたら。

 ましてや、その周りに血の海が形成されているのだから。

 足元の絨毯は、血を吸ってすっかり重くなってしまった。一歩、また一歩と歩みを進めるたびに、目一杯に血を染み込ませたそれは、ぴちゃぴちゃり、と何度も小さな飛沫を立たせる。

「都子、ちゃん……?」

「ねぇ、先生。私、ずっと我慢していたんです。ずっとずっと……先生が考えているよりもずっと長く」

 自分の口から紡がれる言葉に、意味はない。だってこれは決定事項、もはや何があったところで変わることはないのだから。

「先生は、とっくに気付いていたでしょう? 私の気持ちに……だって、貴方はこういう気持ちにとっても聡いんですもの」

「僕は……」

「隠さなくたっていいんです。だって、貴方がそう察していたように、私も気づかれていることを悟っていたんですから」

「だけど……だったら、なんで今更!」

 今更どうしてこんなことを。そう叫んだ彼に、胸が締め付けられる。

 嗚呼、なんて滑稽なのかしら。

 私も、彼も。

「貴方には決してわかりませんよ」

「それは……僕が」

「ええ。貴方が」

 

 “恋して愛することができないから”

 

 だから、叶いっこなかったのだ。

 彼にとっては、私はいつまでも可愛い妹分でしかない。だって、彼は人をそういう形で愛する人だから。

 その在り方を否定なんかできるわけがない。そんなの、個人の個性だ。性愛を求めない生き方だってもちろん尊重されてしかるべきだ。

 ただ、彼はひたすらに不運だった。

 自分自身は誰に対しても恋をしないというのに、こんなにも厄介なお嬢様に好かれてしまったことが。

 二人の幼馴染に、同時に恋をされてしまったことが。

 そして……自分のことを多少なりとも理解し、尊重していると思っていたこの私に……こうして裏切られてしますことが。

「私は我儘だったんです。なんてひどい女だろうって、怒ってくれても構いません。私は貴方の尊厳を踏みにじりました。それはきっと、決して許されてはいけないこと」

 血の海の中ゆらりと進む。

「でも、我慢できないんです。貴方を手に入れられないのなら、いっそ、私の手で……」

「仮に、そうだとして」

 弱弱しい声が、反論する。

「僕以外の人達まで殺す理由なんて、ないはずだろう……?」

 弱弱しく、愛おしい……声がする。

「そうですね」

「ならどうしてっ!」

「私……全部全部好きなんです。この家も、お父様もお母様も爺やも使用人達も薫さんも、大好きなんです。だから……全部ぐちゃぐちゃに混ぜでしまえば、それはきっといつまでも一緒にいられる」

「そんな、そんなふざけた理屈が!」

「ないでしょうね」

 必死に吠える愛おしい人。距離はもう詰めた。右手のナイフは狙いすましたように彼の首に叩き込まれる。

「それでも、あの毒は私にその甘美さを教え込んでしまった……。甘く、狂った毒に、私は負けてしまったんですよ」

 ドクン。彼の返事はない。返事代わりに噴き出る赤。

 ドクン。こんなに勢いよく出て行ってしまうのは、少しもったいなかったかしら?

 ドクン。どく、どく、とくん。

 赤い部屋。籠る血の匂い。ザーザー降りの雨の音はもう聞こえない。

 窓の向こうの空は、まだ雲が分厚く垂れさがっているものの、雨はもうすっかり止んでいた。

 

 首筋にナイフを当てる。

 普通なら、これで綺麗に死ぬなんて無理だろうけれど。今の私ならそれができる。

 リエラの毒は、きっと私を悪魔に変えてしまったのだ。

 そう思っていたけれど、今になってふと思った。もしかしたら、リエラの毒は、私を人間にしたのかもしれないな、と。

 お人形から、人間へ。

 諦めていたものを、醜くあがいて求める、醜悪な人間に。

 そう考えると、なんだか笑ってしまう。

 笑顔のまま、私は彼の亡骸に寄り添い

 

 ――――自分勝手に、醜悪に。

 とびっきり人間らしく、自分を殺した。

 

 

 ◇◆◇

 

 曇り空。一筋の光も見えないようなそんな空模様に、ぴしりと罅が入るように。

 雲の合間から光が漏れていく。

 真っ赤な血の海から、金糸の人形が起き上がった。色のない、笑みを浮かべて。

「嗚呼、哀れなお嬢様」

 そう、一言呟いてから。

「砕け散った、我儘で醜悪な初恋。その末路に相応しい空模様ですね」

 そう言って。

 その姿は、どこかに消えてしまっていた。

 

 《fin》

いつか改稿したいです。

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