#1 追いかけっこ
「やあ、猫さん」
明け方から雨が降り続いているせいで、普段なら様々な種族で賑わっているはずの、人通りの少ない昼過ぎの路地を我が物顔で歩いていた黒猫が、不意に声をかけられびくりと震え顔を上げた。
「飼い主さんが心配してるよ」
雨除けにローブを羽織った少女が、上から黒猫を覗き込む。
少女が言ったように、黒猫はよく手入れされた美しい毛並みと質の良い白の首輪をしている。
「ンナァ〜」
黒猫は独特な鳴き声と共に、リンと鈴を鳴らし空中を蹴り3歩で屋根の上まで駆け上がってしまった。
「猫さん、魔法が使えるんだね」
へぇ〜とどこか呑気に感心する少女に、後ろから同じようにローブを羽織った青年が声をかける。
「尻尾が2つあるだろう。あれは猫又という、100年以上生きた猫が存在昇級したと言われる魔獣だ」
魔力を用いて様々な超常現象を起こすことを魔法と呼び、また魔力を宿す獣を魔獣と区別する。
「そんなことよりさっさと追うぞ」
「はあい」
少女は返事をすると、足にグッと力を入れて身体能力に任せた1回の跳躍で屋根の上まで到達し黒猫を視界に捉えすぐさま駆け出す。青年は少女とは対照的に、素早く壁を蹴り上がりまるで黒猫の位置がわかっていたかのように最短距離を疾駆する。
2人をまんまと巻いたと油断していた黒猫は慌てて走る速度を上げる。
狭い路地、壁と壁の間や屋根の上、はたまた塀に空いた小さな穴まで潜り抜け、時には空中を蹴り上がり縦横無尽に雑居区を逃げ回る。
しかし、それでも2人を引き離せた気配はない。
少女は黒猫の急な方向転換に惑わされつつもその圧倒的な速度ですぐに追いつき、青年は少女の背後に付きながらも黒猫の足運びや顔の向きなどから進行方向を予測し続け最小限の動きでついて行く。
(ふむ。足場や視界が悪くても猫又を追えるのは流石の身体能力だな。だが猫又捜索の依頼を受けた目的は…)
「ナァ〜オ〜」
黒猫は先程までとは違う鳴き方をすると、なんと姿を消してしまった。
「ええ⁉︎」
少女は驚き、思わず急停止してしまう。それを尻目に、青年は走っていた屋根の上から躊躇なく飛び降りた。少女はすぐさま追いかけると、消えたかのように見えた黒猫は青年の前方にしっかりと確認できた。
「どういうこと?」
少女は青年に問いかける。
「猫又は数瞬だが姿を消す魔法を使う。まあ正しくは光を吸収して錯覚を起こす魔法らしいがな。それでも足音や蹴り上げた水飛沫まで無くなるわけではないから、よく観察すれば問題ない」
「そんなことできるのアリウスだけだよ!」
「では昔のようにおれの後ろを大人しく着いてくるんだな、クレス」
アリウスはニヤッと笑い、わかりやすくクレスを挑発した。
「プッチーン…!もう子供扱いしないでって、言ってるじゃん!」
クレスは走る速度を上げ、勢いよくアリウスを追い越すと共に、バチッと音が鳴り被っていたフードがはだけると濡れ羽色の髪が跳ね、ゴールドアンバーの瞳が爛爛と輝いていた。
「もう守ってもらってばっかりじゃないんだから!」
黒猫は慌てて魔法で再び姿を消し、クレスは今度こそ逃さないと意気込み集中して水飛沫が跳ねる方向を見定める。
何度か明後日の方向に飛び出してしまうことはあったものの、繰り返すうちに高確率で見極めてくるクレスに黒猫も諦めたのか全力疾走をやめ、次第に小気味の良い足音が3つ雑居区に鳴り渡っていた。
雑居区が黄昏に包まれる頃。店仕舞いする商人が、通行人が、仕事帰りの冒険者が、はたまたこれから忙しくなる夜の店の従業員、新人たちを引率する冒険者が2人と1匹の追いかけっこを見守る中、路地が重なるちょっとした噴水広場に誰ともなく足を止めた。
「雨も上がったか。そろそろ夜になる、依頼主に届けよう」
「うん」
クレスがひょいと拾い上げるのを、黒猫は抵抗せずに大人しく腕の中に収まった。
「そういえば…なんですぐ捕まえずに走り回ってたんだ?」
アリウスの今更な質問に、クレスは黒猫と顔を合わせ答える。
「猫さんは、思いっきり体を動かしたかったんだよ。多分、夜には自分で家に戻ったんじゃないかな?」
ねえ〜?と黒猫に問いかける。
「ニャア〜」
「たまにはそういう時間も必要だもんね」
「ニャ」
「なんだクレス、猫の言葉がわかるのか」
クレスはキョトンとしていたが、次第にアリウスの言ったことがおかしくなったのか笑い出し目尻に涙を浮かべた。
「あはは!アリウスなに変なこと言ってるの〜?」
わかるわけないじゃんとなおも笑うクレスに、アリウスはバツが悪そうに呟く。
「なんなんだ…」
◆◆◆
「それではこちらにサインを」
「はい、確かに。ああ、本当によかったわ」
場所は雑居区から離れ、商業区の少し外れにある屋敷。猫又の捜索依頼を出した飼い主の家にて、2人は滞りなく依頼を完了したことを示すサインをもらいにきていた。
屋敷は大きく、過度な装飾はないが品の良さが素人目にも容易に想像でき、庭も広くよく手入れされているが、さすがに空中を駆る猫又には狭いのかもしれないと感じたクレスは飼い主に提案を持ちかける。
「あの、もしよかったら、わたしが猫さんをお散歩に連れて行きましょうか?」
飼い主の女性は高齢というほどではないが、先ほどの黒猫の奔走を思い返すとついていけるほど若くもない。ただ若くてもついていける者は限られるだろうが。
「まあ、それはありがたいけれど…」
「不安なら、依頼という形でギルドを通してくれてもいい。ただ、指名依頼ということで少し値は張ってしまうが…」
あまり問題なさそうだとアリウスは立派な屋敷を見る。
「そうね…もし迷惑でないなら、月に1度お願いしようかしら」
「今度は勝手に抜け出したらダメだよ、猫さん」
「ニャア」
「あら、ミツコシさんがこんなに懐くなんて珍しいわ」
「ミツコシ?」
「この猫又さんの名前よ。私よりずっと前からこの家にいるから、名付けたのはご先祖なのだけど」
「そうなんですね。またね、ミツコシさん」
「ニャ〜」
◆◆◆
ギルドにて依頼完了のサインを見せ報酬を受け取り雑居区にある自宅へ戻る帰り道。ポツリとクレスが呟いた。
「わたしも猫又飼おうかなあ」
「猫又に存在昇級するのは1000匹に1匹と言われている。買おうと思って売っているもんでもないしな。それに、訓練ならもう十分ではないか?」
「はあ…アリウスは、相変わらずだなあ」
わかってないなあとなおもため息をつくクレスに、眉間にシワを寄せたアリウスは呟く。
「だから、なんなんだ…」