あらすじの繰り返しにも及ばないプロローグ
息抜きに書いたものシリーズ。
それを自覚したのは、確か八つの時だった。
記憶の中に身に覚えのないものがあるのだ。いつとも知れぬ、まるで白昼夢のように朧げで、けれど夢だと一笑に付すにはあまりにも生々しい。そんな記憶が。
その中では、自分の知らない自分が、出会った事もない人と会話していて、見た事もない景色に心が震わせていた。
それに気づいた時は、まるで自分が曖昧になってしまったかのような、果てしない喪失感に襲われ、しばらくの間言い知れぬ恐怖に付きまとわれる日々を過ごした。
夜は眠れず、母親に縋り付いて自分は一体誰なのだと泣き喚いた。思春期にさえ至っていない精神構造でアイデンティティを失いかけたのだから、まあそれも当然といえば当然だ。
年を経て、自我が芽生え知識が増えていくに連れ、それらの記憶はどんどん鮮明になっていった。いや、というよりは、脳が成長して理解していったと言う方が近しいように思える。
その過程で、ある時を境にこれは前世なのではないかと思うようになった。もちろん確かめる方法など無いし、誰かに言う事も出来なかったが。
その所為で同年代の子供相手に疎外感を覚える事もしばしばあって、家族には後ろめたさを感じたりもした。
けれど悪い事ばかりではない。この記憶に感謝した事だって何度もあった。
例えば、周りの誰より物事を覚えるのが早かった。実年齢より二十年ほど長く生きていた記憶がある訳だから当たり前だ。知識は年の割に多いし、なにより学校などで習う事はことごとく記憶にある事ばかり。
雑学の多さで言えば親からドン引きされてしまうくらいで、授業なんてものは最早記憶を掘り起こす為だけのものとなっていた。
小学校高学年になるくらいの頃には『どこかで聞いたことが……』なんてデジャヴを当たり前のように受け入れるようになっていて、それに気がついた時は悟りでも開いたような気分になってとても感慨深かった。
まあ、その所為で生まれた妙な万能感を持て余して痛い目に遭った事も少なくないが。
さて、そんなこんなで普通とは少し違った人生を送ってきた訳だが、14歳のある日、ふとした事がきっかけでとんでもない事実に気付いてしまった。
「ここ、ギャルゲの世界じゃね?」
と。
これは結構設定を練ってあるので続き書くかも。