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シースライン-解放の約束-  作者: 伏桜 アルト&同居人
5/21

2日目-A

「あーちゃん、あーちゃん起きて朝だよ」

 体を揺さぶられ、朝日と寝苦しさに目を覚ませば美味しそうな匂いが鼻をつつく。

「あれ……え、朝?」

「だってあーちゃん夜になっても全然起きてくれないし」

「…………、」

 時計を見れば六時半で、農家にとっては早い時間ではないが都会暮らしにはこれから起き始めようかという時間だ。台所の方からは朝ごはんの準備だろう、せわしなく動く音がする。

 襖の向こうではおじさんがすでに座って新聞を広げ、その隣ではじいさんがテレビに目を向けていた。

「んぅーーーよく寝た」

「もー寝すぎだよ」

「つっても休みの日って昼過ぎまで寝てるし」

「あーちゃん、早起きしよ?」

「何もない日はゆっくりしたいの」

「だらけすぎもよくないよ」

 続々とおかずが並べられていくちゃぶ台を見て、匂いにも誘われ大きく伸びをすると食卓に向かう。

「……で、なんであんたがいんの?」

「捕まったとしか言いようがない」

 氷の浮かんだ味噌汁の鍋を持ってきたのは、皆川だった。八條の家になぜ部外者居るのか疑問に思うが、周りが居て当然のようにしているものだからあまり騒げない。

「捕まったって、なんで」

「川縁で鮎串焼きにしてたら……」

 すっと視線をおばさんの方へ向け、

「引っ張られた、ここに」

「はぁ?」

「皆川君たらねぇ昨日あのまま山で寝て、川に仕掛けておいた罠で魚取ってまた山籠もりするつもりだったのよ」

「火炉を使わせてもらうだけでご飯まではもらうつもりは」

「いいから食べていきなさい。この夏場に倒れたら大変なんだから」

「……んで、なんで半分以上作らないかんのか」

 鍋を置いて台所に戻ると、美味しそうな色に焼けたいろんな川魚を皿に移して、今度はフライパン片手に卵焼きを作り始める。

「助かるわあ料理も洗濯もやってくれる人って」

「うっせえ」

 若干照れているような声なのは気のせいじゃない。

「あーちゃん、はいどうぞ」

「……あいつが作ったの、これ」

「んーとね、冷や汁と煮物と南蛮漬けは皆川君だね。いつもより豪華だよー」

「男の手料理ってラーメンとかチャーハンとかカレーみたいな簡単なもんばっかで、後はやりっぱなイメージなんだけど」

「洗ってるよ、皆川君」

 目を向ければもう一品作りながらフライパンやボウルを洗っていた。終わればすぐに跳ねた油を拭いて軽く片付けてタマネギを切り始めて……。

「出来る人?」

「さ、さあ?」

 おばさんがご飯をよそってみんなの前に並べられ、ちょうどできあがった二品も食卓に置かれた。

 タマネギを薄く切って水にさらし、鰹節をのせて白出汁をさっとかけたもの。こんにゃくと人参を出汁で煮て、マヨネーズ和えにしてごまをのせたもの。

「もう一皿あっちにあるけど、あれは」

「グラタンとピザ、昼に食べる分」

「焼け、すぐに焼け!」

「昼に食べる分。それにこんだけあったらいいだろ」

「……っ」

「舌打ちしないのあーちゃん」

 しかしまあ、言われてみれば煮物や南蛮漬けなどあまり箸を伸ばさないものもあるが、食べてみたいものもある。

「ツグミ、鮎ってどうやって食べんのが正解」

「このまま齧り付く」

「骨は」

「あんまり気にしない」

 と、アトリが鮎に手を着け始めた反対側。

「皆川君。火炉に火を入れたようだけど、炭焼きでもするのかい」

「ちょっと作りたいモノがあって、高火力が必要なもので」

「ほお、なにを作るんだい」

「秘密です」

「いいじゃないか、おじさんに教えてごらん。あの火炉のクセは分かってるから、手伝えるよ」

「結構です」

「つれないなあ」

 皆川は振られる話を躱しながら食事を進めていた。どうにも人と関わるのが嫌、というよりも苦手なようだ。

 朝食が終わるとそれぞれが動き始める。

 おばさんは洗い物を始め、他は車に乗って田や畑に繰り出していく。

「あ、皆川君。今日の夜は」

「火炉で適当になんか焼いて食べるからいらん」

「昨日もだったよね」

「いちいち降りるのが面倒臭い」

「だったら車で送ってもらえばいいのに」

「そこまでしてもらう必要は無いし、たんに火炉を使いたいだけだからほっといてくれていいし」

 じゃあな、と手を振って出て行く。

「降りるのが面倒って、いまから山行くのあいつ」

「違うと思うよ。暗くないと出来ないって言ってたから、それまでは別のとこじゃないかな」

「別のとこねえ……」

 やることないし暇だし、荷物も届かないし。

「ついて行ってみる?」

 しかし暇だからと男の後をつけるようなこともしたくない。暑いし。

「やだ。やることないつっても、この暑い中でこっそり尾行ってやだね。てか涼しいとこってどっかないの」

 エアコンガンガンに効かせてぐーたらしてもいいが、いかんせん暇すぎる。

「涼しいところ……うーん、川くらいかな」

「虫が多そう。とくに蚊とか刺されたらやだし」

「それは大丈夫、あの辺はいないから」

「じゃあ行こう行こう。案内よろしく」

 身軽な恰好のまま出て行くアトリは、なかなか出てこないツグミを急かす。

「あーちゃん帽子と水筒」

「いらないってば」

「夏の日差しを甘く見たらダメだって」

 肩掛けのバッグに水筒とタオルを入れ、麦わら帽子を被ったツグミが出てくる。

「いいってば、まだそんなに暑くないし」

 そうは言っても寝苦しいと感じるほどに気温は高く、少しだが汗をかき始めているのも事実。

「今はよくても後で持ってくればよかったーって思うかもよ?」

「……そこまで言うなら」

 押しつけられたキャップを被るが、髪にクセがつきそうであまり被りたくないと思う。

「行こ、あーちゃん」

 ツグミに案内されて歩き始める。

 道が分からないわけではないが、歩いて見ると記憶の中にある景色とはあちこち違いがある。記憶の中では田んぼだったところが草だらけの荒れ地だったり、竹藪のはずのところが畑になっていたり、変なのが植えられていたり。

「あれなに」

「バナナだよ」

「バナナって日本で育つの?」

「えーと……毎年実が出来てるのは見るけど、育つ前にダメになっちゃうみたい」

「へぇ、じゃあなんで植えてんの。てか葉っぱの下のタケノコみたいなやつは? あれもしかして花」

「そうだねぇバナナハートっていって食べる人もいるよ。渋柿より渋いけど」

「食べちゃダメなやつじゃん」

 女子二人でわいわい話しながら歩いていると、次第にエンジン音が聞こえてきた。

「バイク?」

「草刈り機だね」

 少し進めば昼に比べればまだ涼しいからか、草刈り機を背負って畦の草刈りをしているおじさんおばさんたちが見えた。

「草刈り機って押していくやつもあるんだ」

「あれ自走式でハンドル握ってるだけでいいんだよ。楽だよー背負うのとか肩に掛けるのとか使うと全然違うしー」

「なに、ツグミあんた草刈りとかしてんの」

「してるよ? 皆川君に使い方教えてもらってちょっと前に初めてやったんだけど、三十分くらいで肩がいたくなってやめたんだけど」

「ん、あいついつからここに?」

「あーちゃんが来るちょっと前」

「つーか、来たのは夏休み始まってすぐだぜぃお二人さん」

 背後からいきなり肩に手を置かれ、声で誰なのかを判断したアトリは腕を捻り上げた。

「ちょまっいだぃっ!?」

「気安く触んな中塚!」

 ふりほどいた中塚は飛び退いて距離を取る。

「がさつな女に興味はねーよ! ツグミちゃん、どう思うこれ? 暴力だよね」

「痴漢? 正当防衛?」

「触っただけだよ俺!? 二人の肩に手を置いただけだよ!?」

「じゃあ強制わいせつかな」

「酷い……ってそんなことより皆川見なかったか。探してんだけど見つかんなくてさ」

「知らないねー」

「どっか寝泊まりしてるとことか、よく居る場所とかでもいいから知らない?」

「さぁー? 草刈り機の使い方教えてもらってからは()()()()()からよく分からないねー」

「そっか……まあ隠してるわけじゃないようだし、一つだけ忠告だ。あいつに近づくな、やべえことしてるらしいからな」

 早口で言い切ると、アトリ達が来た方向へと走っていく。

「なんで嘘ついたの、ツグミ」

「危ないことしてるのはー……中塚君の方だから、かな」

「危ない事ねえ、なにやってんの」

「あーちゃん、知らない方がいいこともあるんだよ?」

 妙に怖い雰囲気を纏ったツグミが居た。

 さっきまでとは全く違う、背筋が凍るような。

「ツグミ? なんか」

「さぁー気にしないで行こー行こー」

 手を引かれ、それでもあの怖い雰囲気を知ってしまったからか何も言えずに歩いた。

 十分ほどだろうか、田園風景を眺めながら歩いていると木々が空を覆い隠す森のトンネルへと入る。

 途端に涼しくなり、水音が聞こえる。

「もうちょっと行ったら橋があるの覚えてる?」

「覚えてるよ。下の方に降りてよく遊んだのも」

 ここは記憶にあるものと変わりが無かった。

 橋まで行けば階段があって、そこから川まで降りられる。昔は飛び込みだ何だとやってるバカがいたが、あんな高さから飛びたくない。

「なーんか、道はよく覚えてないのに場所だけは覚えてんだよね」

「小さいときの思い出ってそんなもんそんなもーん」

「そう? まあ、高校生にもなって水遊びはしないけど……」

「あーちゃん?」

「錆……のにおい、これ」

「しないよ」

「いやうっすらだけどする。まさかあの橋ぼろぼろで鉄筋むき出しとかなっちゃってたりすんの」

「そんなことはないよー」

 思い出の場所がどうなっているのか。

 気にしながら進んでいくと警察官の姿があった。

 数台のパトカーと、橋を渡れないように黄色のテープで封鎖されている。

「なにかあったのかな」

「あったから、いるんでしょ」

 近づいていくと警察官に注意され、追い返される。

 ちょっと覗いてみれば橋のあちこちに引っ掻いたような傷があり、赤いものが飛び散っている。

 ブルーシートを壁にして隠してある場所からは、赤い水たまりが流れ出ていた。

「人が……死んでる?」

「そうじゃない? これ血の臭いだし。動物だったら警察が出てくるとかないっしょ」

「あ、あーちゃん帰ろ」

 不安そうな声で言うツグミだが、アトリはそんなに気にしていなかった。

 日常的に電車との接触事故、車に轢かれた、殺人事件、人が死んだニュースが気にも留めなくなるほど流れる日々だ。目の前で車の事故を見ても、あーぁやったやったとしか思わず素通りする都会にいるといちいち気にしていられない。気にしなくなる。

「……ちょっと下に降りない? 折角ここまで来たんだしさ」

 それにこのまま帰ったところで、炎天下の畑仕事にかり出されそうな予感がする。

「帰ろー」

「じゃあ帰れば。アタシは涼んで帰るから」

 川に降りる道は昔と変わらず丸太を杭で固定した階段だった。

 かなり朽ちてはいるが濡れていなければ滑ることもなさそうで、若干早足で降りて行く。

 高校生にもなって、なんていいながらも久しぶりの自然に気分が昂ぶっているのは確かだ。

「あーちゃん待ってー」

「変わんないなーごつごつした岩場も。ちょっとあっちの方行ってみよ、ツグミ」

「えー上流の方は歩くの嫌だよ」

 コケがすごくて滑りやすいのと、岩の隙間や砂利の下を水が流れていることもあって流れが妙に速いところもある。下手したらずぶ濡れになって流される。

「何言ってんの、昔は一緒に流れに乗って遊んだじゃん」

「乗るって……足滑って流されたのに」

「細かい事は気にしない」

 かなり歩ける場所が少ない上流へ向かって、アトリは岩場を飛んで進んでいく。

「男の子みたいなこと……あーちゃんってばもう」

「なんか言ったー」

「別にー」

 一人どんどん進んでいると、また鉄錆のようなにおいがしてきた。

 それと一緒に焦げ臭いにもいも流れてくる。

 生臭い。

「なに、これ」

 適当に進んで、岩の上から川を見ると赤い何かの欠片が流れていた。

 何だろうかと思いながら慎重に進んでいくと、皆川がいた。

 テントと焚き火に、岩肌から紐を垂らして干し網をかけている。

「あんた何してんの」

「そっちこそ」

 別段驚いた様子もなく、川から網を引き上げ始める。

「アタシは暇つぶしに。で、あんたは」

「見つからないように上流に移動した。今は干物作ってる」

 引き上げた網から魚を掴んで取り出すと、黒いナイフでさっと腹を割いて内臓は川に流す。

「親戚とかいないのあんた」

「いない」

「じゃあなんでここに来たし」

「近場の火炉がここだったから」

「なにすんの?」

 そう聞くと彼はテントへと向かい、なにやら引っ張り出した。

 運動部が道具を入れるような長いケースだ。

 ファスナーを下ろして中から出されるのは、刀。

 鞘から抜かれたそれは錆びてボロボロだ。

「なんでそんなもの」

「溶かして材料の一部に混ぜて新しいのを創る」

「工学科の課題なわけ」

「いいや」

 再びしまい込んで乱暴にテントに投げる。

 扱いからして大事なものではないようだが、それにしては丁寧にしまい込んでいる。

「夏の課題は全部終わらせた」

 そう言いながら網を完全に引っ張り上げ、砂利を掘って作った小さな池に放す。

 思い切り違法行為だがそんなことはアトリは知らないし、皆川はバレなきゃ大丈夫の精神だ。

「……はっ? 夏休み始まってまだ」

「三徹すりゃ終わる」

「ちょい、写させてよ。普通科の範囲って一緒でしょ」

「全部学校のロッカー。番号は961、登校日に勝手に持って行け」

「この根暗野郎、意外にいいとこあんじゃん」

 これで当面は遊んでいられると心の中でガッツポーズをした。

 同じクラスでも話はするが友達とまでは言えない関係が多く、写させてくれるような人はほとんどいない。

「あ、科学のレポートと情報技術は丸写しはするなよ」

「しないってば。あのババアとジジイうるさいもん」

 手際よく魚を捌いて、網に並べていく様子を見る。

 さっと腹を割って内臓を洗い流すと開いて次々に処理していく。

「それもあるが、科学はこの前ネットで発表されたばっかでニュースに出てないやつ参考にしてるし、情報は習ってない範囲を使ってるからその辺も気を付けろ」

「げぇ……条件分岐でANDとOR使ったらIF以外使うなって言われてたあれぇ?」

「くどくど言われるからな。わざわざ非効率な式書かされるのは嫌になる」

「ってそれ出したらまた……」

「言われるけど面倒くさい。どっちにしても面倒なら楽して後から言われた方がマシだ」

「あ、猫だ」

 茂みの中から出てきたそいつは、人を警戒する様子もなく近づいてくる。

「食料取られたらシャレにならん」

「ちょっと!」

 石を拾って容赦なく皆川は投げつける。

 猫はシャーと声を上げ、茂みの中へと逃げ帰って行く。

「ひどっ」

「あのなーここの野良は一匹じゃなくて群れ作ってんだよ。一匹やったらぞろぞろ来やがるから」

「……あぁうん、それはちょいヤだね」

 人懐っこくよってくる猫でも数が多ければ……ぞわぁっとする。

「ちょっとですめばいいが」

 また石を拾って、茂みに思い切り投げ込む。

 鈍い音がした。

「あんたそれはやりすぎでしょ!」

「過程で決めるな結果で決めろ」

 言うなりさっきの猫が走ってきて皆川の後ろで震える。

 茂みの方を見ながらかなり怯えている。

「なに?」

「どう見えるかは人次第だが……」

 急にあたりが暗くなったような気がして、空気が重く感じられる。

 茂みが揺れ、川のせせらぎが聞こえなくなる。

戦闘記録開始(サインオン)個体識別名(コールサイン)薙ぎ払う風(スコール)敵性確認(コンタクト)

 皆川が早口で言い終わるより早く、それが姿を見せた。

 それは、まるで人の影とでも言うか。

 アトリにはそうとしか見えていない。

 その形でしか認識できていない。

「なに、こいつ……」

「虚ろなるモノ。一応はホロウコピーって呼んでる。触れたらその時点でアウトだ、逃げろ」

「あんたは」

「斬る」

 さっきまで魚を捌いていたナイフを左手に、右手には炎が宿る。

「え、なにそれ魔法?」

「ここなら生木に石に水ばっかり、延焼は……消火できるし気にしなくていいか。火の海にするからはやいとこ行け」

 と、言われても後ろを向けば岩場から同じようなのがわらわらと姿を見せている。

「後ろ……来てんだけど」

「八條鴉鳥」

「なに」

「ここに来てから誰かに身体を触られたことはあるか」

「はぁ?」

「答えろ、嫌ならお前も焼き払う」

 本気だぞと、アトリの周囲に炎が溢れ出し、猫が怯えて逃げていく。

「あ、あんたちょっとそれは」

 ちりちりと髪が焼け、服に燃え移って。

「わわわかったからやめて! ツグミと中塚の野郎に触られただけ!」

「どこを」

 ボッと音を立てて炎が遠ざかり、しかし黒い影を阻むように火力を増して立ちはだかる。

「肩」

 皆川がいきなり手を伸ばし、炎に包まれた手で触れてくる。

 触った瞬間、バチッと電気が弾ける痛みがした。

 そのまま爪を立て、

「痛っ」

 ベリベリと何かを引き剥がした。

 それは黒い紋章のようで。

「追跡用の刻印魔法か」

 握りつぶして焼き尽くす。

「道は作る、ついてこい」

「ちょ、なにがどーなってんのこれ」

「説明は後、交戦開始(エンゲージ)

 皆川が炎の壁を消して、刀を拾って上流へと向かって走る。

 立ちはだかる……というより、進路上にいる黒い影、それとのすれ違いざまに首を切りつけ翻って後ろから人なら心臓のある位置を突き刺す。

「わっ、人!?」

「気にするな、取り付かれた時点で意識は死んでいる」

 どさりと倒れたそれは、黒い影が消えて人の姿を見せた。

 首と背中から大量の血を吹き出しながらぴくりとも動かず、ただただそこにあるだけ。

「あの橋の上のも」

「お前らがつけてきて到着するまでの間に殺して、警察があれまでするほどの余裕があるか」

「あー……ないね。ってかつけてないし、ストーカーしてないし」

「はいはいどうでもいい。炭焼場は分かるか」

「知らないよそんなとこ」

「ならついてこい、ペースは合わせないからな」

 言うなり姿勢を低くして走り始める。

 いつも体育では体力が無くて最下位らしいからすぐにバテるだろうと、ペース配分すら考えていなさそうな走りを見て思う。

 これは途中で追い抜ける……なんて余裕を持って追いかけた。

「クソッ、速い」

 しかし河原の砂利は思うように走ることが出来ず、ときに滑り、埋まり、崩れどんどん離されていく。

「待っててばー!」

 叫んでも返事はなく、代わりに後ろから影の迫る音がする。

 彼に追い付かなければ死ぬ、影に追い付かれたら終わる。

 訳の分からない状況で意味不明な脅威に追いかけられて、対抗できる彼は積極的に守ってくれるわけじゃない。

 自力で生き延びろと?

「ざっけんなぁーー!」

 走った、走らないと、逃げないと死ぬ。

 それを頭で、心が理解しているから限界を超えて足を動かした。

 脇腹が痛い、喉がひりつく、浅く速い呼吸が原因だろうか肺が裂けそうなほど悲鳴を上げる、心臓の鼓動が分かるほどに激しい。

 二キロもなかっただろう、小さな滝が見えてそこで皆川は休んでいた。

「意外と早かったな」

 挑発するような、嫌みにも聞こえるそれに返すことが出来なかった。

 川の水に顔を沈めて汗を流すと深く息を吸い込んで呼吸を整える。

「あんた少しはゆっくりでもいいんじゃない」

「あれでも仲間内じゃ遅い方なんだが」

「嫌みかコラ」

「さて、な。ここからちょっと回って山を登る、やつらの追跡能力は低いから歩いても大丈夫だ。まだ休むか」

「いいっ!」

 意地を張っても意味は無いが、なんだか張り合わないと見下されそうで嫌だ。

「じゃあ先に登ってろ、少し休憩してから行く」

「…………。」

 なんだそれは。

 言ってやりたい。

「だったらあたしも休む。疲れた」

 砂利の上に座ってもお尻が痛いだけで、疲れが取れそうには感じられない。

 むしろ少し余裕が出来たせいで不安が膨らむ。

 彼の方を見ても目を閉じて何かを話そうという気配ではない。

「ねえ」

「…………、」

「ねえ!」

「…………。」

「ねえってば!」

「……来るぞ」

「えっ」

 ヒュオッと風を切る音がして、上を見れば誰かが落ちてきて――

「太刀風」

 皆川がボソリと呟いて、鉄がぶつかり合う甲高い音が響いた。

 皆川が吹き飛び、それを境に彼の周囲に空気の揺らぎで微かに分かる、無数の刃が煌めく。

「よお皆川」

「なんだ中塚、殺されに来たか」

「お前を殺しに来たんだよ。これ以上〝影人形〟を増やさないために」

「ふんっ、そうか」

 中塚がアトリと皆川の間に着地して、手のひらを地面へと向ける。

 途端に砂利が赤熱して溶け、剣の形を象る。

「な、中塚、あんたは」

「八條、なるべく遠くに行け。出来ればすぐにでもこの地域から離れろ。もうすぐここは地獄になる」

 にやっと、皆川が笑ったのが見えた。

「どういうこと」

「あいつがあの影の元凶だ、明日辺りここら一帯火の海になるかもな」

「だ、そうだ」

 皆川を囲んでいた刃は背後に回り、動きを止める。

「あんた他人事みたいに」

「実際どうでもいい。誰が死のうが敵になろうが、やることは変わらん。必要とあらばなんだってやるし、その結果に思うことはない」

 皆川が手の中に炎を生み出す。

「選べよ、八條鴉鳥。どっちを信じる?」

「聞くな八條! 何のために追跡魔法を貼り付けたと思ってる、危なくなったらすぐに見つける為だぞ」

「嘘をついていたのは分かっていたこと、どこにいるのかを探るために二人に貼り付けたろ」

「ツグミちゃんが待ってる、早く行け」

「手遅れだ。あの黒い影はどこからたくさん現れた?」

「後ろは俺が片付けた。警察も呼んだし安全だ」

「警察はすでにあの場所にいたはずだ。ホロウコピーとやりあえば音で気付いて見に来る」

「黙れ皆川!」

「お前、どうしてここが分かった? 八條の魔法は破壊した。そして今も辺り一帯ジャミングが効いている。分かるとすればホロウコピーのロストシグナルを辿るしかないはずだ」

「いきなりシグナルパターンが変わって山に向かうのは不自然だったからこっちに」

「それにしてはおかしいな。ダミーを貼り付けた猫は、おおよそ視認できる距離じゃないところから攻撃を受けて止まっている。しかもさっきの二つの攻撃、明らかに八條も狙っていたが」

「そんなこと誰が信じる! お前がデタラメを」

 すっと、皆川は空を指した。

 雲一つ無い空の彼方で光が反射した。

「うちのAWACS(サポート)は優秀でな。誰がどこで力を使ったか、その程度ならこの星の上で誤魔化せるやつはいない」

 中塚がアトリに向きなおり、突進する。

 その手にはいつの間にか歪な剣が握られ――

「えっ――」

 腕が飛んだ。

 血が飛び散って、足元が揺れた。

「ついでに言うが、うちのサポートは超長距離射撃が専門。索敵能力はオマケだ」

 ほぼ真上から右肩を吹き飛ばされた中塚は、その威力に引っ張られて地面に叩き付けられ気を失った。

「なに、今の」

「真上からの射撃だ」

 皆川が別の場所を指差すと、そこに落雷のような音と共に何かが落ちた。

「あんた、も……こいつみたいに、あんたのこと信じていいの」

「それは八條の勝手だ。中塚の言い分を信じるもよし、信じないもよし」

「そんなこと言われたって」

「どのみちホロウコピー相手に生き残れやしないや、どれを選んでも危険なら、何を優先する?」

 そう言われ、アトリが選んだのは――

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