3日目
「あっちぃ……」
窓から差し込む日差しから逃げるように寝返りを打てば、次の瞬間には落ちてツグミにぶつかる。
ドンッと、不意に、直撃だ。
「いったぁ……」
「あーちゃん重いよー」
「ごめん」
寝汗でびっしょりだ。
その上二日も風呂に入らず服もそのまま。
「臭い」
「……自分でも分かる、うん。でも着替えないし」
「私の着る?」
「それはそれでなんかやだ」
「でもお風呂入らないと臭うよあーちゃん」
「……じゃあ、シャツと短パンだけ貸して」
「はーい」
ツグミが押し入れから服を引っ張り出す。
そしてこの状況を考えてやっぱり申し訳なく思う。
いくらツグミがいいよと言ったとはいえ、人様のベッドを使わせてもらって持ち主がタオルケットだけで床に寝るという状況はいい気分ではない。
「やっぱアタシが床で寝るからツグミは」
「いいってば。たまには畳の上で寝るのも気持ちいいからね」
「背中が痛くなると思うけど……」
フローリングの上で寝て翌日酷い目に遭ったことがある。いくらそれより柔らかいとはいえ、同じ結果に辿り着きそうだ。
「あーちゃんどれがいい」
あれこれと並べられはしたが、どれもツグミの体型に合ったものばかり。
「なんか、サイズ合いそうなのがなさげなんだけど……」
「じゃあお母さんの……これとか?」
かなりよれよれで、家の中で着るならいいけど人に見られたくない。
「他のは」
「んー……この前もらったけど着られないやつー」
「もうちょっと襟が狭いやつ、なんかそれ胸見えそう。てか引っかかったら肩からずり落ちんじゃない」
「後はー……うーん、ない」
「しゃあない、そのよれよれので我慢しよ」
と、手に取ってみればザラザラのゴワゴワ。
「着たら肌が傷む!」
「だってそれ畑仕事用だもん」
「……じゃそっちの」
一度も着ていないのか、今し方封を開けたそれは新品のにおいがした。
ちょっと鏡の前で会わせてみるが、襟ぐりが広く深く、じゃっかん見える。
「生地はいいんだけど……あーでもそのゴワゴワは嫌だし、ツグミの無理矢理着るのもあれだし……しゃあないか」
「おー、新品だからこのまま雑巾にするものなんかなーって思ってたけど、あーちゃんが着てくれる」
「てかこんなの誰に貰ったの?」
「この間コンビニで会ったお姉さんにね」
「知らない人に貰ったの、これ」
「ここじゃ要らないものは使ってくれそうな人にあげるのー」
「いやそれゴミ押しつけられてるだけじゃん」
「だって綺麗な人だったんだもん。つやつやさらさらの長い髪の人でね、いっつもジャージ来てる人でーお菓子とかジュースいっぱい買ってるんだ」
「……なにその人」
この季節に、ジャージ? 暑くないのだろうか。
「たまーにあの川の橋のとこで会うんだけど、その時はお菓子とか結構くれるよ」
「ツグミあんた餌付けされてない」
「あーちゃんは私のことをなんだと思ってるー?」
「小動物的な?」
素直な感想だった。
「あーちゃん」
しかし返されるのは、背筋が冷たくなるような、昨日のようなものほどではないが似たような声だ。
「な、なにツグミ」
「悪気がなくても、言っちゃイケナイ事ってあるんだよ」
「背が低いことが」
「あーちゃーん」
怖い。
違う、低い声じゃない、斬り裂かれそうな雰囲気が。
下がる、離れる。
「ツグミ……」
窓際まで、後がない。
後ろを、外を見ればちょうどパトカーが止まって警察官が走ってくる。
「警察?」
それを見てツグミは、はっと我に返るかのように怖い気配を消した。
「なんのようかな」
かなり慌てているようで、玄関を開けて呼ぶ声が響いた。
すぐにおばさんたちが対応してなにやら話し声が聞こえたかと思えば、ドタバタと音がしておばさんが部屋に来る。
「ツグミ、今日は家に居なさいね! 今からお母さんたち出かけてくるから」
「何があったの」
「お父さんが……殺されたって」
おばさんはそう言うと急いで外へと、パトカーへと向かう。
「…………………………………………えっ」
しばらくの間を置いて、固まっていたツグミは口を開いた。
「なんで? どういうこと? だってお父さん、朝は……」
崩れ落ち、泣きこそしないが震えていた。
「何かの間違いだって……そんな、こんなことってないって、ねえ……約束が違うよ」
「約束?」
「あーちゃん」
見上げる顔は今にも泣き出しそうだが、我慢している。
「今すぐ、どっかいって。ここから離れて」
「なんで、また急に。おじさんが……その、殺されたっていうのがホントだったら」
「お願い、あーちゃん。お金、あるから、私の自転車使って駅まで急いで! お昼前の電車逃したら、夕方までないから、ねえ、あーちゃん」
「ツグミ、泣きながらでいいから説明して。訳が分からないって」
「始まるから! だから、早く、ねえ!」
「何が始まるの」
「皆川君が――」
とんっと、静かな足音に気付いたのは何故だろう。
そこに居るのに、しっかり目で見ているのにそれを意識が捉えようとしない。
アトリと、振り向いたツグミはそれを見ながらしっかりと認識できていなかった。
「影人形……」
ツグミが呟いた。
それはまるで人の影だ。
二人にはそうとしか見えていない。
その形でしか認識できていない。
「なに、こいつ……」
「逃げよ……窓、開けて」
外に裸足のまま飛び出すと、微かに白く霞んで煙のにおいがした。
そのまま離れる。
「あいつは」
「あれ、いなくなってる」
振り向き部屋を見れば見当たらない。
「なんだったのあれ。ツグミ、影人形って言ってたけどあれは」
「……ごめん、あーちゃん」
「どうしてあやまんの」
そう聞くと、ツグミは黙り込んでしまう。
「ツグミ」
「…………。」
黙ったままでアトリの後ろ側を見る。
つられて視線を向ければ、真っ赤に染まった皆川がそこに居た。
「手遅れ、だからだろう?」
「なにが! それにその血は」
「あぁ、これか。八條のおじさんの、だ」
「まさかあんた」
「殺したよ。で? お前らはなんですぐに逃げなかった? ツグミ、分かってたろ」
「ほんとだなんて、思ってなかったから」
「警告はした、まあどこに付こうが構わんがな」
いつの間にか皆川の手には黒いナイフが握られ、辺りには火の手が回っていた。
不自然なほどに生木が燃え、青く茂った下草がしおれて火炎に焦げる。
「皆川、あんた」
「八條鴉鳥。運がなかったとか、そういう考え方でいいと思う」
彼が一歩踏み出すごとに踏んだところから炎が溢れる。
「この火もあんたが」
「さあ、どうかな。そこにある事象で判断することが悪いとは言わん、しかし重要なのは正誤じゃない」
皆川がナイフを向けてくる。
「それが間違いでも、自信を持って自分で選んだと――」
家が爆ぜた。
その破片は飛び散りながら燃え上がり、火炎の津波になってアトリ達に襲い来る。
何も感じなかった、家を支える太い梁は一瞬で人を潰すには十分すぎた。