1日目
「なんでこんなクソ田舎なんかに……」
バスから降りた彼女は、熱気とそこから見える田舎の景色に嫌気が差した。
冷房の効いた車内とは違ってむわっとした夏の暑さが辺りを満たす。それだけですぐにでも帰りたいと思える。
「帰りたい……」
八條鴉鳥は叶いもしない願いを口にするが、バスの時刻表が目に入って完全に諦めた。次のバスは来週のこの時間だ。電車を降りて駅から出たときには、まだ商店街やいろんな施設があったがここは本当に畑と田んぼと民家に山しか……。
「マジ? こんなド田舎で夏休み過ごせって?」
ことの始まりは昨日の朝だ。いきなり〝お父さんとお母さんちょっとお仕事で遠くに行くから、親戚のおじさんのとこに行ってなさい〟なんて言われて、夏休みの宿題と着替えを先に送ってほぼ手ぶらで一人田舎町へ。
「高三になってありえねーってこんなの」
家に一人置いたところで心配するような年でもないのに、そう思いながらもここ数年会っていない親戚へ顔を見せることも兼ねてか半ば強制的に送り出された。
バス停で待っていれば迎えが来る……と言うことらしいが、頭が痛くなるほどのセミの大合唱に森から流れてくるじとーっと、むわーっとした空気に襲われてすぐにでもここを離れたいと思う。
しかしバス停の影から出れば真夏の日差しがある。
「げぇ……」
暑いが待っていれば迎えが来るここで待つか、それともひび割れ日差しを照り返すアスファルトの上を歩いて見るか。
アトリが選んだのは、
「焼ける……」
ここで大合唱を聞きながらむわっとした熱気に茹でられる方だった。
どちらを取っても熱中症になりそうなもので、それならあまり知らない場所で歩くことなど迷子になるとか蚊に刺されまくるとか日焼けするとかいいようには思えなかった。
バス停で待っていても蚊に刺されることに変わりは無いし、照り返しで焼けるのだがまだマシだろう。
……うだるような暑さの中、スマホも熱でへばってそもそも圏外。
手でパタパタと風を送ること一時間。
エンジンの音とアスファルトを走るタイヤの音が聞こえてきた。
「……ダサッ、軽バンとかありえねーし」
軽トラじゃないだけマシか? とも思いつつ、すぐ近くに止まった軽バン。車内から顔を覗かせるのは親戚のおじさんと従姉妹の八條鶇。
「あーちゃんひさしぶりー」
「よっす、つぐ……」
開けられた軽バンのドア。中を見て絶句する理由は泥や草、ボロボロのシートからちら見えする黄色のスポンジがあるからだろうか。
「汚なっ」
「あはは……畑とかで使うから仕方ないよ」
「……座りたくないんだけど」
とは言えこんなところで突っ立っていることも歩いて家まで行くこともしたくはない。
「アトリちゃん、汚くて悪いけどこれでも綺麗にしたんだよ」
どこが綺麗? そう思いつつも乗り込む。座り心地はお世辞にもいいとは言えない。固いしザラザラしているし変なにおいもするし。
外の暑さから解放されるが草や泥に加えなんとも言えないにおいに耐えなければいけない。
「ね、ツグミ。このにおいなに?」
「昨日イノシシとシカ運んだからそのにおいじゃないかな」
「え……なんで?」
「なんでって、捌いて食べるからに決まってるじゃない。皆川君もやってたけど、猟友会のおじさんたちが上手だって褒めてたよ」
「皆川? なんであいつがいんの」
同じクラスで物静か。誰かと話している姿を見たことはないし、とにかく暗い。そして嫌がらせを受けても完全に無視するほどに周りに関心が無い……と言うのがクラスのほとんどの認識だ。
「んーなんでだろ? あーちゃんと同じで案外夏休みだから帰って来たのかも」
「アタシは追い出されたんだけど」
「追い出されたって、一人だと遊んでばっかりだからこっちに」
「あーあー聞こえないー!」
取り留めの無い話をしながら流れていく景色を見れば、見知った顔がそこそこあった。
昔遊びに来ていた頃に見かけたおじさんおばさんやお兄さん、そしてこんなところにまで来て会いたくもない同じクラスの田舎出身野郎。
「お、中塚君も帰ってきてる」
「皆川もだけどあいつとも関わりたくない」
「どして? 近所の評判はいいのに」
「なんでこんなド田舎にまで来て同じクラスの男共と会わないといけないの!? 夏休みってエアコンの効いた部屋でのんびり過ごすもんじゃん」
「……ごめんあーちゃん、うちのエアコン壊れてて」
「マジ……? それマジで言ってる? ねえマジで?」
アトリにとってエアコンとスマホとWi-Fiのない夏休みは地獄である。あとアイスクリームとスナック菓子と炭酸飲料も。
「いやぁ二、三日前から急に動かなくなってねえ。電器屋に電話してもこんな田舎にはすぐには来られないらしくて」
「おじさんマジで? ホントのホントにマジで?」
その答えは、家に到着して外気と変わらない温度と開けっ放しの窓、そして縁側の扇風機のお出迎えで確定した。
「えぇぇぇぇぇ……」
車から降りて数分、すでに汗をかき始めている。
しかも農家と言うこともあってか家が独特のにおいで満たされている。
「相っ変わらず臭い」
「牛小屋の跡と鶏小屋あるし、それに漬け物とかもあるから。そのうち慣れるよ」
長屋を見れば大きなバケツ、反対側を見れば鶏が小屋の外で放し飼いに。
「慣れないし慣れたくない! 服ににおいがついたらこれ取れないんじゃ」
「うーん、私はそんなに気にならないけど」
「ずっとこの環境だからでしょ」
「たぶん……大丈夫、慣れるって」
「うにゃぁぁっこんなとこ嫌だぁっ!」
「まあ上がって上がって」
玄関を入れば、やっぱり余所の家かにおいが気になる。
「あれ、おばさんは?」
「お母さんはおばあちゃんと一緒に畑行ってる。お父さんもあのまま山に行くみたいだし」
それを聞いて誰も居ないのに鍵開けっ放しで無防備だと思うのは、都会人だからだろうか。
「ふーん……じゃ誰もいないの」
「そうだね」
「鍵掛けないの」
「なんで掛けるの?」
「いや泥棒とか入ったらぁ……」
「ここにそんな人はいないってば」
呑気に言うツグミに続いて家に上がって、そして居間に入って一言。
「で、なんであんたがいんの皆川!」
「修理」
一言、たったそれだけ。
脚立の上に立って結構バラバラになったエアコンを弄っている。
「勝手に人ん家に上がり込んで?」
「勝手じゃねえ、火炉を使わせてもらう代わりにやってるだけだ」
つーか、あんたそれ元通りに組み立てられるの? それが一番気になる。直るものが直らなくなったら困る。
「あークソ、めんどくせえこんなボロっちい……これ、で。動け」
カチッと音がして風を出し始めたエアコンは徐々に冷気を吐き出して、直ったことを伺わせる。
「はぁ……っし、組むか」
テキパキと部品を取り付け始めると、カランカランとコップの中で氷が踊る音が響く。
「あ、もしかしてもしかして直ったの」
「修理かんりょー……火入れするから山に行ってくる」
あっと言う間に組み上げると、麦茶を一気に飲み干して縁側から出て行った。
「皆川君ごはんはー」
「いらん」
道具と脚立は部屋の隅に置かれたままだが。
「やったぁこれで冷えるよあーちゃん」
「……リモコンは?」
「え? これはあのダイヤル回して調整するんだよ」
「古っ、いつの時代のやつなのあれ」
「しょ、昭和かな」
それでよく見るエアコンと違って木目の……。
「そうだお昼ご飯」
「アタシはいいや、お腹すいてないし」
「えーちゃんと食べないとばてるよー」
「へーきへーき。それよかコンビニないの、この辺」
「あっちの方」
指さされても、縁側から見えるのは田園風景。
「……どこ?」
「五キロくらいかな」
「ぃ……マジ」
「ちなみに携帯もあっちの方に行かないと繋がりにくいよ」
スマホを出してみれば見事に圏外。ネットに繋がってないと何もできない。
「なにこのクソな環境」
五キロと聞いてそんな距離歩きたくないし、さすがにこの炎天下でネットにつながる場所まで……なんてのも嫌だ。
「クッソ暇じゃん!」
「だったら今日はお休みということで」
「ネットにはいつも繋がってないと不安なの! 分かるこれ!」
通知来たー未読無視ーとかあれやこれやと言われてあとからネチネチと、そういうのもあるが繋がってないとなんとなく不安なのだ。
「あーもうやだ」
畳の上に身体を投げ出す。ずっと座ったままバスに揺られ、夏の熱気に茹でられていたからか背筋が伸びるのが心地よかった。そしてエアコンから出てくる冷たい空気も。
「ツグミはよく耐えられるね」
「私はこれがいつものことだし」
「いつもってなにしてんの」
「うーん……」
少し考えたツグミはアトリにとっては信じられないことを言う。
「畑耕したり、お母さんの手伝いで柴運んだり、漬物漬けたり、鶏に餌あげたり卵取ったりかな」
「やりたくなーい」
「だったら散歩でもする?」
こんな炎天下、真夏の日差しの下で?
「やだ」
「でも暇なんでしょ」
「なんかないの」
「なんにもなーい」
「…………寝る。夜んなったら起こして」
何もないのなら何もせずに時間をすっ飛ばす。
そう考えて目を閉じた。意識が落ちるまでそう長くはかからなかった。