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シースライン-解放の約束-  作者: 伏桜 アルト&同居人
19/21

もう、そこに君はいない

 あれの代償はあまりにも大きすぎた。目も当てられない現実を前にして、アトリは歯を食いしばって目を閉じた。

 気がついたのは終業式を前にした最後の日曜日の朝。親が朝から居なかったこと、そしてたまたま早くに目が覚めたことが幸いした。顔を洗おうと洗面台の前に立って、そこに自分とそっくりな別人が映ったからだ。

 紅い瞳に白い髪。一晩にして髪が真っ白になるなんて馬鹿げたことが起こってしまった。アタシはマリー・アントワネットか? そんな疑問を抱いてしまうのも仕方が無いが、今はこの目の色と髪をどうにかしないといけない。

「……なん、なんで、なんでこんなことに」

 心当たりはありすぎるが、兎に角これをどうにかしないと日頃ぐーたらしても怒らない母親もさすがに激怒するだろう。「カラーコンタクトなんて入れて」とかぐちぐち言われそうだが素でこの色になっている以上、どうしようもないし髪も不味い。金髪に染める前の脱色とか勘違いされるともしかすると夏休みの間お小遣い無しとかあり得る。

「あぁ……先が思いやられる」

 取りあえず外出する格好に着替え、やりたくないが()()()()()()()()()()()をシャツインしてキャップを深めに被る。ホワイトヘアで赤い目とか普通に歩いて目立ちすぎる。

 こそこそしながら早歩き、まるで不審者のような動きで近場の何でも売ってるディスカウントストアに向かう。途中「なにあれ」とか「街中でコスプレ?」とかあれやこれやと通りすがりの人にこそこそと言われ、へんなビジュアル系バンドの集まりみたいなのに絡まれて逃げて。しまいにはうさんくさいスカウトマンに写真だけでもとか、カメラ持ったオタク風味に撮られたり。

 恥ずかしくて死にそうだった。

 店に入るなりカラコンとヘアカラーを大急ぎで探して、支払いをしようとするとカラーコンタクトの同意書がなんだとか言われてそこそこの時間を取られた。

 帰りはシャツの中に押し込んだ髪が蒸れて気持ち悪く、全部出してもうなに言われようが無視する思いで走った。

「クソッ、クソッ……なんで」

 ぶつけるものがないイライラを口から吐きながら家に走る。

 知り合いに、とくに同じクラスの連中に誰にも会いませんように。そう願いながら走った。

 が、現実は甘くなかった。

「あ、お前八條か」

 中塚とばったり会ってしまった。

「げぇっ……」

「なんで目が赤……ってかその髪は――」

 躊躇いなくハイキックを頭にぶち当てた。むしろなぜか、こいつだからか、殺しても大丈夫な気がした。

「今見たの全部忘れろ! 忘れて! 誰にも言うなバカッ!」

 頭の中に入った情報が記憶されないように何度か平手打ちしてぐわんぐわん揺らして。中塚が目を回して倒れたのを放置して逃げた。

 家まで全力で走って、中に入ってドアを閉めてようやくというか。息がたえだえで、そのまま座り込んで溢れてくる汗を拭う。心臓がバクバクと、音が分かるほどに激しく動いていた。

 やばいやばいやばい見られた!

 言いふらされたら不味い、周りからなにを言われるか、怖い。

 いや、人の輪という表から締め出されるのが怖い、か。いつも嫌だった、周りは友達作って群れて、楽しそうに過ごしているのに。そこに入ればたぶん楽しいのだろう。それでも入らなかったのは、自由が気に入っていたからか。うすうすだが分かっていた、強い誰かに合わせて笑っていて、それで楽しいと思えるのならいいが、アトリには無理だった。

 一番の問題が、周りに、誰かに合わせると言うことが出来ない。どこかで絶対に疑ってしまう。自分を陥れようとしているのではないかと。不要な疑いが必要の無い距離を生み出してしまう。誰かがふざけて、それをみんなで笑って。そんなことも出来なかった、きっと自分が笑った瞬間に馬鹿にしたとか言われるんじゃないかなんて、無理に合わせようとすると、自分の中にある大切なものがガリガリと削り落とされるような気がした。

 同調、それが苦手だった。なんで無理してまで合わせるの? 馬鹿馬鹿しい、周りに上手く合わせていくことが出来なくなって、部活もせずに学校が終われば家でぐーたら。一人が気楽でいいとか思っている内に人を信じなくなっていた、周りに合わせられなくなっていた。

 班行動だとか小さな、決められたまとまりなら合わせていた。ただただ円滑に進むように。

 だから信じずとも彼らとそこそこは付き合って、死んだ。

 そしてなにが残った? 今更拘る必要の無い日常から締め出されることを怖がる気持ち?

「ははっ……ばっかみたい」

 まだホロウコピーのほうが怖い。

 死ぬなんて平気で言ってるやつらは本当の恐怖を知らない。

 知ってるやつは死ぬなんて言わずに一瞬で、一回で、確実に決めるのに。

「……染めよ」

 今更怖がって、なんになる。今まで進んで輪の中に入る事なんてなかったじゃないか。流されるままで、適当にあしらってここまで来たじゃないか。そう思って、思考を切り替える。今するべきは取りあえず髪を染めてカラコンを入れること。

 黒なら何でもいいか、そう思って何種類か買ってきたヘアカラーを準備する。

 ちょっとずつ塗ってみて、一番近い色で染め上げようという考えだ。しかしそんなものはすぐに打ち砕かれる、時間が経って染まった髪先はいずれも元の色とは違和感を覚えるレベルで違う黒だった。

「マジで……」

 しかし完全に白よりはマシかと、これだと思った黒で染めてカラコンを入れた。鏡に映った姿は、瞳の色も髪の色も違和感バリバリだ。親が帰ってきたら確実にお説教確定コースだろう。しかも髪も長いし、エクステつけたのかとくどくど言われそう。うちの親はそういう所にはうるさい。ぐーたらしていてもなにも言わないが、化粧とかそういう所には兎に角うるさい。「あんたにはまだ早い」そういう定番文句だが。

「どーしよ……いやどーしようもないじゃん」

 自分で髪を切ってもおかしくなるだけだし、だったらこのまま文句言われた方がまだマシか。今から散髪に行くにしても、やっぱり知っている人に遭遇したくない怖さからか行こうという気が失せる。

「って月曜学校あるじゃん」

 しかし、今やっておかなければ確実にみんなにバレる。しかも口うるさい教師に見られたら最後だ。というより、髪型を元に戻したところで色でバレる。詰み。

「あーーーーもうっ! あーやだやだ」

 なにを怖がるか、周りからぐちぐち言われることだ。

 あれやこれや片付けまでして、気付けば昼を過ぎていた。

 キッチンに行っても自分で何か作る気は全くないし、そもそも料理が得意じゃない。戸棚を開けてもカップ麺はないし袋麺もない。冷凍庫を覗いても冷凍食品は弁当用のものしかなく昼に食べる気分ではない。

 冷蔵庫に作り置きもないし、そんなことを思えば親は書き置きもなしにどこに行ったのやら。いつものことだからどうでもいいが。

「いいか、食べなくて」

 コンビニまで買いに行くのも、この昼間の暑い中出歩くこと自体が嫌だ。

 エアコンの効いた家の中でだらだらとしている方がいい。スマホ片手にソファに寝転がって、記事を流しよみしててきとーにゲームして、すぐに飽きた。気分が乗らない。

 退屈だがなにもしたくない、そのまま目を閉じると沈み込むように眠ってしまった。


 次に目を覚ましたのは月曜日の朝。

「アトリいつまで寝てるの」

「ん……」

 親に呼ばれ、そして洗い物をする音に起こされた。

「ん、んーーーーー」

 起きてのびをして、目に違和感を感じた。コンタクトを入れたままだった、なんか注意書きにつけたまま寝ると取れなくなりますとか書いてあったような……。試しに取ろうとして張り付いたような感じで取れない。

「あ、これやばっ」

 目薬を差したりして潤いを与えればいいはずと、慌てて立ち上がると絆創膏をとか傷薬を入れてある箱を漁ってみる。幸いすぐに目当てのモノは見つかり、天井向いて一滴。無事に動いた。

「はぁっ……」

 一安心して、気付いた。なんでなにも言われない? 明らかに髪の色も長さも、目の色まで違うのに。

「あ、ねえ、お母さん」

「早く食べちゃいなさい、もう八時よ」

「えっマジ!?」

 ちょっと急げば余裕はないが間に合う。なんで起こしてくれなかったのかと心の中で恨みながら、自分の部屋まで走って支度して。身だしなみを、髪を整えるような時間なんて取っていたら遅刻確定。着替えて顔洗って、冷めたトーストにサラダもスクランブルエッグもソーセージも全部乗せて一気に食べて野菜ジュースで流し込む。

「うぐっ――んっ」

 詰まらせかけて無理矢理飲み込んで、家を出る。

 ちょっと小走りで急ぐ。こんな時間でものんびり登校していく生徒はいるが、ギリギリよりはなるべく余裕を持ちたいから急ぐ。

 結局教室に着いたのはホームルームの始まる数分前だった。そして、誰も、アトリを見て()()()()()の反応しかしない。彼らにとっては週が明けたら見た目が変わっていた、そうなるはずなのに、今までそうであったようにしか反応しない。

 不自然だ、おかしいと思いながらもなにも言わなかった。言えなかった。

 ホームルームが始まって、そして終わって。誰もなにも、その不自然なところを指摘しない。誰もいない机が一つ。それを誰もおかしいと言わない。教師もそこには誰も居ないと言わんばかりに無視している。そしてアトリの姿のことも。

「ねえ、今日って皆川休み?」

「皆川? 誰それ、他のクラスの人のこと?」

「いやあそこの席」

「あそこは……ずっと空いたままじゃん? なんか余分にあったとかでずっと置きっぱだし。どしたアトリ? 変なもんでも食べた?」

「い、いや別に食べてないし……ちょっと気になって」

「気になるってずっと誰の席でもないじゃん」

 アハハと笑いながらクラスメイトは大掃除の担当場所へと向かっていく。

 どうしてそれをおかしいと思わない。

 そんなことを思っていると、中塚がすれ違いざまにこそっと。

「掃除、ばっくれろ。電気実習棟のシールド室で」

「えっ」

 振り向けば友達と一緒にクラスから出て行く姿があった。

 どうしてそんなことを言うのか、彼も囚われた側? それ以外にないだろうが、アトリの知る限りは皆川しかいない。皆川は積極的に関わってきた方か、中塚は知った上で関わろうとしてきたが失敗したと言うこと。今までだって何度か〝逃げろ〟と警告をしてきた。

 どのみちこのまま呑気に掃除して終業式、無事夏休みへ……なんて言うのは望んでいない。ただ戻っただけ、未来への流れは変わったとは限らない。増えた使える時間でこれから変えていかなければならない。

 掃除場所に向かうふりして、知っている顔がいなくなった隙を狙って渡り廊下を走り抜ける。実習棟は掃除担当が実習担当の教官とその科の生徒だ。しかし大掃除の時には物を運ぶ手伝いで他の生徒も混じる、アトリも不審に思われることなく侵入が出来た。

 階段を上って三階へ。電気工作室の中にシールド室がある。

 中塚は工作室の前で待っていた。

「で、何のよう? 髪の色とかそういうんだったらさようならだけど」

「まさにそれだよ俺の話は」

「あっそ。じゃ、さよなら」

 くるっと回れ右。

「ちょ、ちょい待て! お前のこと見てなんで誰も変に思わないんだよ、なんで誰もなにも言わない。それに皆川だって、先生に聞いても知らぬ存ぜぬだぞ、おかしいと思わないのか」

「…………思う」

 よかった、それをちゃんと認識している〝同類〟がいたと安心するのと同時に、警戒もする。

「なあ、他にも〝いなくなった〟やつを知らねえか。俺が聞いた限りじゃ〝誰も使っていない席〟がもう一つあったぞ」

「東條とか」

 アトリにとっては思い当たるのはそいつともう一人しかいない。今まであった中で異質だと感じたのは、それくらいだ。

「いや、あいつはいた。まじめくさって下で掃除してやがる」

 中塚が窓から下を見る。

 その隣から見ると、確かに。一人落ち葉を竹箒で集めている。

「あんた心当たりは」

「ねえよ。人がいなくなっておかしいと思ってるやつがいない状況だぞ? その中で八條がいきなりそんな、見た目変わったのに誰もなにも言わないってなるとそりゃ……まあ、関係あるとか考えるし」

「……なんとも言えないけど」

 関係あるだろうが、あるとかいうと面倒くさいことは確実にやってくる。ないとか言っても同じだが、後回しに出来るのならそうして情報を先に集めたい。

 はっきりとしているのは、人が失踪した。ただそれだけ、たったそれだけの事実。しかし明らかにおかしな現象が起こっている。教師もクラスメイトも、先週まで絶対にいたはずの皆川零次を忘れていること。そして知らない誰かも同じようにだ。誰も彼らを覚えていない。彼らに関係するところだけ切り取られたかのように、誰も覚えていないし記録も存在しない。彼らが居たであろう証拠は、誰を使わない机という形で残っているが、それを証拠として認識できるのはここにいる二人だけ。

「なんともってなんだよ。いきなり人が居なくなるわ誰も覚えてねえわで、昨日は真っ白な髪で目も赤かった八條が今日は先週と違って髪がすげえ長いし色も違うし、バリバリ違和感あるのになんでみんな気にしねえんだ」

「アタシに聞かれても分かる分けないじゃん。起きたら髪真っ白だったんだし」

「……もしかしてよ、お前も失踪仕掛けたけどなぜか失踪しなかったとかいうのはねえ?」

「さあね」

 そんなこと言われても答えようがない。

「ちったぁ考えようぜー」

「考えろってもねぇ」

 窓から外を見ても何があるわけでもなく、普通に掃除をしている生徒たちしかいない。普段通りの風景の中に〝異物〟が紛れ込んでいるわけでもないし。

「なにも――」

 外から中に視線を戻して、廊下の向こう側に影が立っていた。

「えっ」

「なん――ってなんだありゃ!?」

 アトリが固まったのを見て、同じ方向を見た中塚が驚く。こんな反応をする辺り、こいつは夏休みに入ってから色々知ったのだろう。

「に、逃げ、なきゃ。中塚、アタシらじゃ無理」

「おおおぉぉお前あ、ああ、アレ知ってんのか!」

「触られたら死ぬ! つかアレの仲間入りする!」

 走りだし階段に足をかけた途端、下の階から悲鳴が響く。毎度毎度、神出鬼没なのか気付けばそこら中にいる。触れたら仲間入り、だったら最初はどこから?

 階下に走り降りると惨劇が始まろうとしていた。

 影に食い付かれた生徒が、徐々に影に蝕まれて倒れる。動かなくなった、死んだ? そう思った矢先にビクンッと震え、ゆらりと立ち上がって影に染まりながら近場の生徒に襲いかかって影が増えていく。

 躊躇わず、さっさと殺せばここで食い止められるかも知れない。しかし、普通の人間が目の前で異常な光景を目にして逃げるという冷静な行動すら取れずにいる。どう頑張ったところで殺すなんて判断は下せない、たとえ出来ても実際にやれるやつなんていうのは、まともじゃない奴だ。

「お、おい八條あれはなにが起きてんだよ」

「見ての通り。影に食われて仲間入りしてんの!」

 アトリの場合は……今なら、力さえあれば容赦なくやれるだろう。自分がおかしくなり始めていることくらい分かっている。目の前で首に食いつかれて血をまき散らす同級生を見ても〝あーぁ手遅れ〟位にしか思わない、思えない。怖くて震えるだとか、パニックになるだとかいうことがない。

「こっ、れ」

「死にたいならそこでじっとしてれば?」

 中塚を放って一人逃げる。何も出来やしない。〝あいつの力の一部を使える〟と言われたがどうやって使えばいいのか全く分からない。

 一階まで駆け下りて昇降口に向かう。取りあえず履き替えて走りやすいようにしてから逃げる。戦ってどうにかしようなんて考えはバカの思いつくことだ。戦って制圧するだけの力と数があれば別だが、そんなものが無いのはわかりきっている。

 動きづらくなる前に急げ。パニックに陥った人間は危険性など考えずに動く。階段に押しかけて、人間ドミノ倒しなんていう被害すら起こしたりするのだ。掃除という事もあって校内あちこちに散っていたから、そういうことには出くわしていないが、それが怒らないトも限らない。巻き込まれる前に、早く。

「うわっ」

 昇降口まで来て、階段上から教師が転がり落ちてきた。その胸には箒の柄が突き刺さっている。見上げればふらふらとしている女子生徒が。

「せ、先生が、襲ってきたから……わ、私は悪くないよ、だって先生が……」

「三宅?」

 その背後から影が迫るが、本人は気付いていない。

「三宅後ろ!」

 アトリがそう言っても、放心している三宅に声は届かない。背後から食い付かれ、もろとも階段から落ちる。段に頭を打ち付けあちこちを打ちながら、アトリの足元で血だまりを広げた。

「……っ」

 死んだからか、取り込めないと判断したからか影がアトリに襲いかかる。

 しかし襲いかかると言っても十分に見て対応できるほどに〝遅い〟。怖がってパニックになるから、全く脅威にならないほどのやつらにやられる。

 一歩下がって、掴みかかろうとして空振りした影の脇をすり抜ける。数で押されない限りは大丈夫だ、あちらからは攻撃できるが、こちらからは触れたらアウトという事もあって何かしらリーチのある武器がないと厳しい。あったところでどうにか出来るとも思えないが。

「力って、どうやって使えば……」

 上履きを脱ぎ捨て履き慣れた靴で外に出れば、動くほとんどは影だった。逃げ回る生徒が数人いるが、追い込まれているのは明白。しばらくすれば仲間入りだろう。

 アトリは影の合間をすり抜け、時折フェイントを仕掛けて空振りさせぶつかり合わせすぐに追いかけて来られないようにする。確実に状況は悪くなっているのに、動きに余裕が出始めた。フェイントなんて仕掛けようとも思ってなかったのに、不意にそうした方がいいと頭の中で囁いた別の意思がそうさせた。

 ほんの少しの時間で叫び声は聞こえなくなり、代わりに硝子が割れる音、物が落とされる大きな音や叩き付けるような音が響き始める。

「そこの女子生徒!」

 竹刀片手に走ってくるのはあちこち傷だらけの男子だ。確か生徒会の人だったような気がする。それに、東條たちの集まりの中にいたはずだ。弓を持っているのを見た覚えがある。

「ん、なに?」

「他に生き残りはいないか」

 ついて行くな、信用するなと心の底で誰かが警告している。助けようなんて思っていない、こいつはお前のことを生きるために利用するだけだと。

「あー……一人置いてきて、さっきそこで一人死んだ」

 あいつら二人は正直どうでもいい。

「なら一人なのか」

「そうだけど、なにか?」

「ちょうどいい」

 男子生徒の手が動いた。視線を向ければそこには棘のついた鎖が握られていて、もう間に合わない、体を動かすよりも刺される方が早い。

 魔装、隷属の鎖。撃ち込んだ相手のすべてを支配する禁忌の魔装の一つ。皆川も持っていたはずだ。〝八條は使う側じゃない、使われる側だ〟〝汎用タイプの魔装でそこらの人間を武器に変えて使っている〟〝人を殺して自分の力に変える〟言われたことは覚えている、鎖を突き刺されたらどうなるのか知っている。

 脇腹に突き立てられる、終わってしまう。

 今までとは違う終わりを覚悟した。そして、突き立てられようとした鎖が触れた途端に砕け散った。

「なにっ」

「……あれ?」

 足元に散った破片は黒い粒子になって溶けて消えた。

「テメェなにをしやがった」

「あんたこそいきなりなにしようとした?」

 言い返せば竹刀が振るわれた。しかしそれはアトリにぶつかるよりも早く、振り上げた時点で黒焦げになり振るわれた勢いで砕け、燃えかすがパラパラと当たった。

「チッ、お前も能力者か」

 地面を蹴って校舎の二階まで飛び上がり、いつの間にか構えていた弓に矢をつがえる。

「力、ね」

 自分の手を見て、握りしめる。使い方が分からない、それでも今は確かに発動した。

 自分は火属性だと分かっている。目の前で竹刀が黒焦げになったことでそれは確定だ。問題は使い方、全く分からない。鎖が砕けた理由も分からない。力の使い方が分からないことにはどうにもならない。

「頼れないなら頼らない」

 体をすっと横にずらす。最小限の動きで飛んでくる矢を躱し、弓使いを警戒しながら校舎に駆け込む。管理棟は生徒があまり行っていないはずだが、どうなっているかは予想が付く。こんな状況で頼れる大人がいないのなら、いる場所に行って助けを求めようとするはず。

 一階は誰も、何もいないが上から慌ただしい音が響く。生き残りが抵抗しているのだろう、異能の使い手がいればまだうるさいか、とっくに制圧してしまっていることだろうし上に行くのは間違った判断だ。

 管理棟を駆け抜けて逃げようとまた外に出れば矢が落ちてきた。もう少し早く出ていれば確実に脳天に突き刺さっていたはず。

「しつこい男は嫌われるよ」

「テメェ、仲間に入らねえか。それだけやれりゃ」

「お断り。いきなり襲ってくるなんて、全然信用できないから」

「だったら贄になってくれな」

 弓に三本の矢をつがえ、真上に向かって射る。何がしたいのか分からなかった、そんな放ち方してどうしたい? 注意を引きたいのか、それにしては次の矢をつがえる前にアトリは逃げているから意味が無い。

「何したいのあいつは」

 まあどうでもいいかと。走って距離を取ろうと思って、倒れた。

「あれ……なに、これ」

 両肩から鏃が突き出て、お腹からも腰を貫いて突き出ていた。痺れる感覚がして、腰から下が動かせない。

 ぞろぞろと、十人くらいだろうか。東條たちの集まりにいた連中に囲まれてしまう。

「武器ねえやつ、こいつを使え」

「さあて、どんな武器になるのやら」

 棘付きの鎖が向けられ、刺されそうになるが触れた途端に砕け散る。次々と鎖を刺されそうになり例外なく砕け散る。

「お前ら何やってる!」

「あぁ? 他の生き残りかよ」

「寄ってたかって女の子虐めるってのが、こんな状況でお前らのやることか!」

 人の壁に阻まれて姿が見えないが、声は知っている。

「うるせえ!」

「おめーにも鎖打ち込むぞコラァ!」

「やれるもんならやれよ……いい加減、この終わらない繰り返しから抜け出したいんで。学生相手だろうが殺すぞ」

 空気を押し退ける音がした。如月鈴那と共に空中に転移したときと似たような音。

「どこ見てんだよ」

 真上から声がして、見上げれば黒い塊が落とされ手を取られ視界が0と1の青い羅列に覆われた。再び世界が見えたときには管理棟の屋上で、下で爆発が起きた。

「ダメかっ、残ったな」

「……来栖、あんたどこの味方なの」

 東條たちと一緒にいたはずだが、たった今攻撃してしかも助けてくれたのだろうか。

「俺も巻き込まれ。逃げるためにあっちこっち入っちゃ見たがダメで、お前もループに巻き込まれてどこにもついてないみたいだから使えるかと思ってだが……」

「アタシは役に立たないよ」

「その割には……結構変質してるが」

 手鏡を投げ渡され、自分を映せば紅い瞳に白い髪が映った。

「なんで!? カラコンは……髪も染めたはずなのに」

 来栖が手を動かすと青い半透明なキーボードが現れ、なにやらコマンドを打つ。

「武装がロックされてる……? さっきまで使えたのに」

「ちょっと! これなんで」

「俺の転送は特別に定義しない限りはぱっと見で分かる服とかアクセサリーとか以外全部置き去りだ。つかそれよか俺の武装が使えねえことの方が問題だっての」

 次から次にコマンドを打ってはエラーらしいウィンドウが開いている。

「アタシの目と髪の方が問題だって!」

「んなもんどうでもいいだろ、あいつら相手に素手で戦えって方が問題だ」

「……そりゃそうだけどさあ」

 黒い瞳と黒い髪、今までそれで育ってきて周りもそれが普通なのだ。いきなり色が変わっただけでも慌てるには十分だ、目の前の化け物なんてもう慣れた。

「だいたいこんな状況でオシャレとか見た目とか拘るか? 意味ね――」

 コンッと、転落防止用のフェンスを叩く音に振り向けばさっき囲んできた連中の一人が上がってきていた。

「やる気か」

 来栖が構える。武器はないが素手でやり合う気だろう。

「いきなり爆弾落としてよく言う」

「フラグ直撃で死なねえやつに言われたかねえよ」

 上がってきた男が腕を広げると光と共に巨大な手裏剣が顕現する。

 来栖はそれを恐れることなく一歩を踏み出し、なんの予兆もなく一瞬で消えた。

「はっ? 消えた……」

「……えっ、逃げた?」

 辺りを見回してもどこにも姿ない。

 どこへ消えた?

 そんなことを思った矢先、男の上に姿を現した来栖が脳天に蹴りを放つ。頭が凹んだように見えたのは錯覚ではなく真実、即死だ。

「安全靴なめんじゃねーよ?」

 頭の潰れた男を踏みつけ、完全に頭を潰す。やりすぎだと思うが、確実を求めるならやりすぎぐらいがちょうどいい。そういう考えが自然と浮かんでくる。

「それが出来るなら武器いらないじゃん」

「通用しねえ相手がいるからな……要るんだよ。つーかお前、こんなん見ても怖がらねえのな」

「ホロウコピー相手に怖い思いしてるし、そもそも結構死んでるしあんまそういうの見てもどうでもいいとしか思えないし」

「なるほどな、でも人として超えちゃいけないところは超えるなよ。俺みたいに平気で殺せるようになったらお終いだ。〝普通〟が分からなくなるし、戻れなくなる」

「戻れなく、ね」

 平気で殺せなくても、戻れなくなっている人だっている。巻き込まれただけで日常という〝普通〟の表舞台から、非日常の裏舞台に引き摺り込まれて逃げたくても逃げられずに気付けば裏に馴染んでしまっているアトリがそうだ。

「ねえ、皆川って知ってる?」

「皆川? ……あの刀使うやたら強いやつか」

「そうそう、いなくなって誰も覚えてないし隣のクラスも同じようにいなくなってるのがいるし」

「そりゃ俺だ。俺たちは本来あるはずのない異物だから、いなくなれば〝正常〟な状態に戻るだけ。覚えている方が〝異常〟なんだよ」

「じゃあ覚えてるアタシとか中塚とかは」

「もろ異常だ。……それに、もうお前ら世界から〝異物〟として認識されてるだろうな。巻き戻しがなければ死んだら消滅するぞ?」

「…………あーやだもう、なんで」

「どーしようもねーよ。俺だって巻き込まれでこんなことやってるし」

「巻き込まれただけで、なんでこんな目に遭わなきゃいけないの!」

「そのうちどうでもよくなるよ……ほら、来た」

 ドアがぶち破られ、小柄な女の子が姿を見せる。いつぞやの盾使いだ。

「一応聞くが」

「死んで」

「即答かよ!」

 腕を前に出し、自分の背よりも高い盾を顕現させて突進してくる。

「タイミングが合えば……」

 さっきの男に仕掛けたのと同じように、背後から一撃で仕留めようと転移する。

「如月……確かダメージの蓄積と反射が――来栖!」

 言った時には蹴りが命中し、蹴った威力そのままを一点に、来栖の足に反射されて空中で回転した。体勢を崩したそこに、人を余裕でつぶせる大盾が振り下ろされ足元のコンクリートを砕いて大穴を穿つ。

「あっぶねえぇぇっ!」

 片足跳びしながら真横に転移してきた。

「あんた足は」

「痛えよ? でも気にしてたら死ぬ、殺される」

 突っ込んでくる盾使いに反撃の手段がなく、来栖に手を掴まれ隣の棟内に転移する。

「障壁使えるんでしょ」

「んなもん使えねえよ」

「確か使えるって聞いた覚えがあるけど」

「それ転移の領域占有」

 キーボードを展開しまたもコマンドを打つがエラーばかり帰って来て、それでも諦めずに打ち続ける。

「さっきからなにしてんの」

「重火器の使用申請」

 ディスプレイを滑らせるようにして目の前に出される。そこには三脚で固定された大きなマシンガンが映されていた。

「……なにこれ」

「重機関銃、対空砲だな。いくらダメージを吸収するっても上限無しじゃないはずだ。対人使用は禁止だったと思うけど……これくらいないと心細い。って言うか半端なの使って反射されて逆に死ぬが怖い」

「全然出せてないじゃん」

「なんでか俺の武装が軒並みロックされてんの……ああもうなんでだよ、お、一個使えるのが」

 ガシャリと音を立てて出現したそれは廊下を凹ませた。見たことがないほど大きな銃だ。アトリの身長よりも長く、かなり重たそう。

「アンチマテリエルライフル……なんだこれ? 20mm?」

 出した本人ですら説明読みながら疑問符を浮かべていた。

「バイポッドと……ストックにもポッドか。油圧式のショックアブソーバー……どんだけ反動あんだよこれ。まいっか、伏せ打ち前提でも一発くらい」

 両手で抱えようとして……上がらなかった。

「重っ……」

 もう一度ぐっと力を入れ、窓枠に置いて狙いをつける。

「さーてと耳塞いどけー」

 近場で耳を塞いだところで意味が無いだろうと、離れて教室は入って机を盾に縮こまって耳を塞ぐ。ほんの数秒して体の芯から揺さぶる振動を感じ、一瞬遅れて壁が吹き飛んだ。

「……………………えっ?」

「無理だありゃ逃げるしかねえよ!」

 叫びながら飛び込んできた来栖は頭から血を流していた。撃った反動で跳ねたライフルが直撃したらしい。

「これ、反射……した?」

「そうだよ!」

 腕を握られ、しかし何も起こらずに来栖が信じられと言う表情で自分の手を見る。

「まさか飛べない?」

「……飛べねえ。走るか」

「足は」

「……無理だこれ」

 いまさら痛いのを思い出したのか、立っている様子がぎこちなくなった。

 壁に空いた穴から向こう側を見れば、盾使いが階段を駆け下りている姿が見える。こちら側に来るのも時間の問題だろう。

「で、どうすんの? 来たよ」

「なにが……ってホロウコピーかよ」

 ゆったりとした動きだが、数が多く隙間を抜けて逃げることは叶わない。棟内が静かなのはすでに全員やられたからだろうか、だとすればかなりの数がいるはずだ。

「なんか武装が使えるといいけど……ってあったシステムウェポン!」

 バラバラと部品が落ちて、大量の影が迫る中ささっと組み上げた来栖が銃口を向ける。

「耳塞いどけ」

 そして引き金を引こうと思った時には、影が黒い塵になって崩れ、山を作って脅威がなにもなくなった。

「何かしたか?」

「アタシはなにも。こんなこと出来ないし」

「いったい何が起きた……?」

 廊下に出て見ると辺り一面黒い塵で覆われ、外を見ても動いている影が見当たらない。ここと同じようにすべてが塵になっている。

「……あいつか」

 空を見た来栖が言う。

「どこ?」

「あそこ、ビルの上辺り。光ってるやつ」

 光を放ちながら空を舞い、こちらに近づいてくる何か。

「なんかすごく速くない? 突っ込んでくるのあれ」

「あり得るかもな。捕捉された時点で殺されてないのは、なんか用があるからだろうけど」

「なぜに殺される前提?」

「如月は敵だぜ? 実弾なら四キロ先から当ててくるし、魔法弾なら衛星とリンクすりゃ逃げ場ねえよ」

「あの青いのも如月っていうの」

「ああ、一切の攻撃が通用しない、零。どこからでも当ててくる狙撃手、零亜。あの双子が来たらそりゃあ……終わりってもんだ」

 移動しようと廊下に向き直ると、思い切り走ってきたのか息が上がっている盾使いが見えた。

「げっ」

「反対側から逃げ――」

 走り出そうとしたアトリのすぐ先、壁をぶち破って青い髪の女の子が入ってきた。背中に妖精の翅を三対、片手で抱えているのは橇付きの妙なライフルだ。

「ラーティ!? それは無し!」

 来栖の叫びなど無視して()()()()()()()()()()()()()()()()()。当然そこから撃ち出されるのは砲弾(20mm)は人はおろか装甲だろうが撃ち抜く。

 押し倒され背中に来栖が覆い被さる。その直後には轟音が窓ガラスを破壊し、粉塵を巻き上げる。狙われた盾使いは一発目で盾を貫かれ破壊され、二発目で吸収限界を超えて弾き飛ばされ、三発目で人の形を失い赤色をぶちまけた。

 降り注ぐガラス片と剥がれた天井、それらが来栖に傷を負わせる。

「や、やべえ殺される!」

 しかしそんなものなどかすり傷と言わんばかりに、すぐに起き上がって銃口を向ける。

「なに? ていこう? さいごのひとりになってもあきらめないって、どうして?」

 小さい、それでも氷のように冷たい声。心の中まで見透かす声音が来栖を震わせる。正面切って銃口を突き付け合いながら、少女の瞳に恐怖や不安の色は微塵もない。むしろ、少女は観察していた。これから殺す相手の内面にある情報を解析していた。

 自分に向けられる感情のない視線、体の中まで見られているような錯覚。知っているがどうしようもない恐怖に震えが大きくなり、引き金にかけた指が動いた。

 至近距離でのフルオート射撃。

 その弾丸は少女の前に現れた盾にすべて弾かれる。あらゆる災厄から守る薄水色の盾は、砕くことなど出来やしない。存在が薄くなって姿を消す盾の後ろからゆっくりと少女が歩み出す。

「いのうしゃのせいあつがにんむなんでしょ? なにそのそうび、つうじょうせんしかそうていしてなかったとかいうの」

「お、お前らみたいな化け物が来るなんて考えてねえからだ!」

「たしかに。わたしだってこっちにはいぞくされるはずじゃなかったけど、すこーるがこのへんでいなくなったからかってにさがしにきた」

 武器を投げ捨て拳銃を手の中に呼び出した来栖は躊躇いなく撃った。効かないと分かっていて、少女を撃った。

「むだ」

 顔の前で掴み取ったように握られた小さな手。その隙間から塵が落ちる。

「化け物め」

 逃げの足を繰り出した来栖は、その一歩を踏むことさえ出来ずに撃ち抜かれ体がバラバラになって飛び散る。どうみても即死で、飛び散った破片が天井や壁、床にべしゃりと。

 死んだ人間のこと、そんなことどうでもいいと言わんばかりに少女は視線をアトリに向けた。

 ぞわりと嫌な震えがした。

「なんであなたのなかにすこーるのじょうほうがあるの?」

 頭の中で声が響く。

 〝時計を使え、別の時間に逃げろ、こいつには常識が通用しない〟

 あのとき投げ渡された時計はどこにある? 意識をソレに向ければ、頭の中に黄金に輝く懐中時計のイメージが投影される。

「なーんーでー」

 お腹に細い指が添えられたかと思った瞬間、感覚が消えた。度が過ぎた激痛は意識はシャットアウトするらしい。確かに自分のお腹に少女の指が……いや、手が肉を裂いて入り込んで内臓を掴んで引きずり出している。だがそれを認識しても痛みは感じず血の気が引くというか、失神しそうになる。

「やめろ零亜、こいつは殺すな」

 意識が飛びそうになって、自分の意思とは関係なく声が出ていた。

「……わかった」

「追いかけてこい、お前が必要だ」

 カチリと、どこからともなく時計の音がして景色が溶けた。

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