基準の日-Re
耳に入ってきたのは、穏やかな海が奏でる波の音だった。
このまま目を瞑っていれば、安らかな眠りの中へと誘い込んでくれるかのように波は音を奏でる。
「ここ……」
寝ぼけたような感じで目を開けてみれば、まったく記憶にない場所だった。
「……どこ」
夕焼けに染まる黄昏時の海。
記憶になんて無い、それでも薄らとそれを感じていた。
砂浜に立っているその女が誰なのか分かっていた。
「いつの日か、あなたが運命を変えると私は信じてる」
「アタシには変えられない」
「あなただけなら変えられない。なんど巻き戻しても私の思い描く未来には繋がらない。理想があって、時間はいくらでも用意できるのに絶対にたどり着けない。いくら零次君を助けようとしても、彼が助かる未来は世界の終わり、彼が死ぬ未来はみんなが幸せになる……」
「で? アタシが散々酷い目に遭ったのはあんたの結局はあんたのせいなんでしょ」
斬られて焼かれて影に飲み込まれて。
「ごめんなさい。でもあなたが零次君のモノになってくれると変わるの」
「モノになる? どういうことそれ」
「零次君の隣に立つ人は、仙崎君以外はみんな死んでしまうの。だから、あなたが零次君の武器になって。ずっと付き添ってあげて。生きていれば死んでしまう、だからあなた死んで零次君の未来を繋いで」
「なにそれ……」
いままで散々死んできた。それで? その後は分からない、ただ分かるのは一度だけ死なずに夏休みが終わったのに、気付けば戻っていた不自然な例があること。
「アタシが無事に夏休みを」
「戻したよ」
「っ……」
「あの時間線は酷かった。すべてが虚ろなる者に飲み込まれて世界が死んだの」
だからなんだ。人様の時間を勝手に弄るな。
「あんたさ、アタシになにをして欲しいの?」
「さっきから言ってる。零次君の武器になって、あなたなら未来を変えられるから」
「なんでアタシなの」
わざわざ拘る必要が感じられない。今までだってアトリなんかとは比べものにならない者たちが居た。彼らのほうがより強い力になれるはずだ。
「零次君は自分で時間を巻き戻せるけど、巻き戻さないし自分の行動で運命を変えられないの。でも、外からの動きなら変えられる。あなたと出会うようにするためにあの人達を引き込んで、零次君を誘導したの。後はあなたが自分から零次君のモノになってくれたらまた少し、私の理想に近づく」
「嫌だって言ったら? あんたどうすんの、力尽くとか?」
「やるよ? あなたが死ぬという未来を確定させる、零次君のモノになるしか未来への道が残らないようにしてあげる」
「それでも嫌だって言ったら?」
目の前に立つ女の顔に邪な気配が浮かんだ。
穏やかな波が荒立って、風が渦巻く。
「ねえ、知ってる? 時間が無限にあっても、心は繰り返していく中ですり減っていくんだよ? それが枷になる、無限の中にも有限ができるの、死んだ心って動かしやすいんだよ」
空が曇り雷が響く。
女の声が、聞いたことのある声になる。
「ふふっ、あはははっ!」
異様な光景の中、女は楽しそうで暗い笑い声をあげる。
「あんた……時川、なんで」
「如月を殺して、ねえ。零次君ってばあの女を助けるためなら自分から死にに行くんだから。あの女がいなくなったら零次君も諦めるはず。確実に、殺して、消し去って、次の時間には存在できなくして? ねえアトリちゃん」
「ヤだね。なんであんたの言うとおりにしなくちゃいけないの? 勝手にアタシを……ツグミたちまで巻き込んで!」
怒鳴りつけてやると、途端に音が消える。変わりにカチッカチッと時計の針が時を刻む音が響き始める。
「次で最後にしよう? あなただって何度も死にたくないでしょ?」