1日目-G
ガタン、ガタンと電車の走る音、振動は今ではとても小さな音になっている。騒音対策にと、音が出る原因であるレールの継ぎ目を減らしたからだ。しかし無くなったわけではなく、時折ガタンと響く音と座席から伝わる振動に揺られながら彼女、八條鴉鳥は居眠りをしていた。
「ちょっと! 何で取るの!」
「いいじゃねえか一個くらい」
夏場に冷房の効いた車内。心地よいと言えばよい空間での眠りは、隣から響いてきた声に邪魔された。
「六個だよ、ピノは六個しかないんだよ?」
「六分の一」
「十七パーだよ、結構重いってその割合は」
「ケチ」
「ソウマも自分で買えばよかったのに」
どうもアイスを巡って喧嘩しているようで、うるさいなぁと目を向けたら見たことのあるケースがあった。皆川が刀を入れていたあのケース。一瞬彼が居るのかと思ったが、知らない二人組しかいない。
しかしちょっとしたきっかけで脳裏にあの光景が浮かび上がって、胸が苦しくなる。今なら逃げられる。彼は言った、〝この地域に来るな、それで何事もない。いいな?〟と。
どうする? このまま行っても何も出来ずに終わるのが落ちだ。今なら、逃げられる。何も見なかったことにして引き返すか?
「そういや俺たちのやることは」
「もっかい確認しとく? まずは如月と合流」
「鈴那だったか」
「そうだね、それと零……は、別行動だったからえーっと零亜がいる。合流したらまずホロウの撃破。終わり次第イミテーションの掃討、場合によっちゃ地区ごと焼き払うからその辺はまた言うね」
〝ホロウ〟〝地区ごと焼き払う〟その二つのワードで関係のある人たちだと分かる。皆川と東條たちのグループがお互いに相手側がやったと言っていた。でもどちらがやったことでもないのは知っている。三つ目の勢力、それがやったとしか思えない。そんなところに〝焼き払う〟などと言うともうそうとしか考えられない。
「ねえあんた達」
接触しないという選択肢はないだろう。どのみち地域ごと平気で焼き払う以前にあんな化け物があの場所だけの騒ぎで終わるはずがない。もしかしたら同じように炎に包まれるかも知れない、世界中が。
今逃げたとして、それは先延ばしになるだけだ。
「あ、うるさかった? ごめんね」
最後の一個を突き刺しながらそう言う彼の手には黒い靄のようなものが見えた。
「ホロウコピー、あんたらの仕業?」
「なにホロウコピーって」
「とぼけないで。あの影みたいな化け物、それに呪炎結界だっけ? なんでも燃やすあの炎、原因はあんた達なの」
「ありゃ、知ってる人かな。君どこの所属?」
「聞いてるのはアタシ、答えて」
強めに言うと弱々しいというか、気の弱そうな彼は引き気味に両手を挙げる。
「ちょぉっと落ち着こうねぇ? ね? 協定があるじゃん、ほら、人の多いところで戦闘はしないってのが」
そんなこと言われても知らない。
「答えろ」
「僕たちに責任無いよ、邪魔した来栖たちに責任があるよ。ね、ソウマ」
「確かに、あいつらがいなけりゃこうはなってなかっただろうな」
「と、言うわけです。原因僕たちじゃないよ、違うよ、こんなところで争うのやめよう。ね?」
取りあえず聞くだけ聞いて信用しない。皆川も、東條達も、こいつらも、信用は出来ない。これという証拠がないし、どこかを信じたとして未来に辿り着く事が出来そうにない。
「アタシも争いたい訳じゃないし」
「だったらこれで終わりにしよう? 次会うときにどういう立場か、そのときにまたでいいじゃないか。僕も呼ばれただけで状況が分かってないし、場合によっちゃ敵味方入れ替わるかも知れないからさ」
「あっそ」
席に戻って窓の外に視線を投げる。そろそろ街中と田園地帯とが変わる場所だからだろう、田畑がちらほら見え始める。この先の駅で乗り換えて、更に先でバスを何度か乗り換える予定だ。乗り換えの度に本数が少なくなっていくのは、使う人が減る地域に入るから仕方が無いのだろう。
だんだんとスマホの電波も入りが悪くなって、ネットサーフィンをやめて目を閉じる。どうせ暇なのだ、到着まで寝て待とうと。
しばらくうとうとしていると乗り換えの駅に着いた。電車を降り乗り換え予定のが来るまでの数分、熱気に蒸されることとになる。都市部に比べればまばらとは言えそこそこ電車待ちがいる駅では、自販機の売り切れの赤いランプが光っている。
「あっちぃな」
「魔法使用禁止って結構不便だねー……うわ、全部売り切れ」
「マジかー」
「こういうときこそ最後の一本出して欲しいよね」
「最後?」
「自販機ってね、補充してすぐに冷たいの出せるように売り切れでも一本残ってんの」
偶然近くで待つことになって話が全部聞こえてくるが、片方を女に置き換えたらいいカップルにでもなるんじゃないかこいつらと言うような感じなのだ。男友達の二人と言うよりなにか違う。
しばらくして乗り換えの電車が来た。人が結構乗っていて、降りる人よりも乗り込む人数が多く座ることは叶わなかった。そしてまたも偶然か、それとも狙ったかそこそこ窮屈な車内ですぐ隣にあの二人だ。
「そういえば、君はどこまで行くの」
「あんたには関係ない」
「んーそう突っぱねることないじゃん」
「しつこい!」
「なにイライラしてんのさ。はなから放棄する予定のエリアに追加で四人も派遣される、君がどう動こうが状況は僕らが動かす。詳細不明の炎使いもホロウもすべて片付ける。君は事の成り行きだけ見ていればいい」
そう言うからには行き先は同じなのだろう。そして何が起こっているのかも知っている。
「皆川とか東條とかでもダメなのに、弱そうなあんた達でどうにかなるっての」
どちらの仲間だろうか。
「追加四人って言ったよね。僕とソウマ、途中で二人合流して現地で残り二人と合流。異例なんだよ、単独で戦線を崩せるのが六人も投入されること自体、そして投入せざるを得ない相手が居ることも」
二人? 皆川は一人だった、東條達は結構な人数がいた。別の勢力なのか。聞かされたことに対して浮かび上がって来る光景がない、ならば会ったことがない人たちということだろうが……。
「そうだ、皆川と東條って人のこと、知ってる限りで能力とか聞かせて貰えないかな。後、来栖ってやつ知ってるかな? たぶん鉄砲使ってるんだけど」
「来栖は知ってる、東條達と一緒に居た」
「そっか……邪魔してくる可能性はあるね。二人の能力、教えて貰える?」
「代わりにあんたの能力教えてよ」
「嘘を言うかも知れないよ」
「アタシも言うかもね」
「別にいいよ、信じる信じないは僕の勝手だ。僕は一応後方支援担当の魔法使い、状況次第じゃ最前線でも戦うし、取りあえずは魔法を一通り使える」
「武器は」
「魔法」
「……東條達は武器と異能って言ってたけど」
「あいつらは呪具使いだ。ちょっと前にばらまかれた汎用魔装で人を武器に変えて使う連中で、制限付きだと思う」
「東條達の言い分と丸っきり違うんだけど」
「どっちが本当だと思う? 君が判断しなよ」
「じゃあ信じないけど違うとも決めつけない」
「うん、こういうところじゃまず疑って掛かれ、ミナの影響かな」
「ミナ?」
「皆川、珍しく救援要請してきたからねぇ……」
「知ってんの」
「まあね。今までやり合って一回も勝てたことないけど。確かに強い、本気出したら時川って人以外じゃ勝てない」
「時川……」
言われてみれば何か言っていたような気がするような……いや、言っていない? どこかで会った、誰だ?
〝いつの日か、あなたが運命を変える〟
ふと思い出された。
そうだ、そう言われた、時川に、時川漣に。
どこだ、どこで……浮かび上がるのは行った覚えのないどこかの屋上だ。
「髪の長い……時計持った女の人、時空間制御の……」
「そうそう、知ってるじゃん。なーんかねえ、ミナに入れ込んでるからミナに何かあるなら事象を強制的に巻き戻して介入したりとかしてさあ、もうメチャクチャ厄介。今回もそれだよたぶん、ミナってば夏休みから逃げられなくなったとか変なこと言うからさー」
それを聞いてくすっと笑ってしまう。確かもう百回以上とか言っていたはずだ。永遠に続く休みはもはや休みではない。無限の地獄と変わりが無いだろう、学校学校とストレスが溜まってのたまの休みはいいが、休みたくもないのに休み続けろというのはある意味終わりのない強制労働と言えるのではないだろうか。
「逃げられない、か」
「そう。裏側に落ちることは普通に生きていたらまずない、そして落ちたら戻ることは出来ない。君も関わった以上は普通には戻れない。親、友達、自分の当たり前、そんなものを平気で捨てられないとすぐに死ねるよ……って言っても、大抵落ちてくるのはそれが平気で出来る人か、無理矢理やらされても壊れない人だけどね」
「あんたは」
「んー……僕は寮生だったし友達って言ってもとくに居なかったしねぇ。色々ありすぎて今だし、とくに思うこともないね」
「そっちは」
何も言わない……目の前のと比べればがさつそうな方に振る。
「俺は勉強しなくていいならどうでもいい」
まったくもって参考にならなかった。
「した方がいいと思うけどね。曲射とか弾道計算できた方が勘で撃つときの精度もよくなるし」
「俺は近接オンリーだから関係ねえし」
「その近接技だってミナのパクリじゃん」
話をしているうちに降りる予定の駅が見え、電車が速度を落としていく。
「あ、そうだ。君、僕たちと一緒に来る?」
不意にそんなことを聞かれ、なぜ聞いてくる? そう考えてしまう。どうせ向かう先は同じだ、あの場所に向かうバスは一本しかないから当然一緒になるだろうし。
「一緒にって言うか、どうせ一緒に行くことになるでしょ」
「だね。途中まで一緒に行こう、いろんなパターンを経験した方がいいだろうしね」
駅が近くなってブレーキが掛かり、止まりそうになって進み止まりそうになって進みという感覚を覚える。
「自動制御かぁ……あーでも手動制御の最後のカックンもあれだけど」
ブレーキを掛けて解除してを繰り返すような動きでゆっくりと止まり、ドアが開く。冷房の効いた車内に流れ込んでくる熱気に外に出たくないと思うが、出ないことにはどうにもならない。
さっきまでの駅と違い、明らかに人が少ない。やはり地方に行くほど電車よりも車になるからだろうか。駅自体も小さく、自動券売機と改札があるだけで無人だ。降りて行く人は居るがここから乗る人はほんの僅かだ。
「バス停で合流なんだけど……」
駅から出ると自販機を背に数名の男に囲まれている女が居た。
「なにあれ、カツアゲ?」
「ちょっと脅迫じみたナンパだと思う……不味いよソウマ、なんとかして」
「鈴那だぜ? あんな雑魚が勝てるわけねえ」
「それが問題なんだって。下手して殺したら後始末が面倒だから」
「ああそういう」
囲んでいるのは田舎のヤンキーみたいな連中だ。夏休みだからとちょっと都会側に出てきて女漁り、そんなところだろう。
「おい鈴那、そいつらボコっちまえよ。なんかあったらキリヤが焼くってさ」
「あらそう」
「バカそういうこと言っちゃ――」
いきなり陰り、肌を突き刺すほどの日差しがあったにも関わらず気温が一気に下がる。寒いと思った時には汗が凍り付き痛みを感じた。
「仙崎君、後は頼むわ」
「いぃぃ……」
涼しい顔で完全に凍り付いた男達の間から出てきたのは、美人のお姉さんだ。長い黒髪を掻き上げながら歩く姿を見て、雪女? なんて思った。
「ちょっと……鈴那、あれ」
「大丈夫よ、体表面を氷の膜で覆っただけだから」
確かにヒビが入って動き出そうとしている。
「行きましょ。バスも来たことだし」
パンパンと彼女が手を叩く。途端に周りで驚いていた野次馬たちが倒れていく。
「うわぁ……」
「気にしないの、行くわよ」
バスに乗り込んで、思い出す。ここで誰も乗らなかったのに、変わったと。自分以外に三人も乗った。一人少ないのでは? と思いつつも走り出したバスの中、冷房を暖かく感じて身体に付いた氷を落とす。
「それでこの子は」
「知ってるけどなにも力が無い人」
お姉さんが隣に移ってきて、顔を合わせる。
「私は如月鈴那、あなたは」
「八條……鴉鳥」
如月と聞いて東條達のグループに居た盾使いを思い出す。
「もしかして盾使うちっこい女の子の」
「あら、零亜ちゃんの知り合いなのかしら。あの盾はアイギスって言って壊せない盾よ」
「そういえばさっきの駅で二人合流って」
「そうだよ、零亜は」
「先に行ったわ。あの子は使用制限を受けてないから」
「鈴那もだよね? 魔法使ったらサーチに掛かるから使うなって聞いてるんだけど、いいの?」
「いいのよ。むしろ私や零亜ちゃんがサーチに掛かったら、仙崎君ならどうするの?」
「逃げるね、勝ち目のない敵に接触なんてしたくないから」
「そういうことよ。それから、今日は野戦するから今のうちに寝ておいたほうがいいわ」
「りょーかい」
その後は何もなく、誰も乗ってくることもなく、何度か乗り換えて退屈な景色を眺めていた。冷房の効いた車内からは、ずっと同じような風景の田園地帯が流れ見える。壁に貼られたバスの時刻表を見ると、週に一本だけのバス、近くに学校はなく僻地ということもあってか本数が減り続け今の一本だけ。そんなバスに乗客は、ぼんやりと窓の外を眺める鴉鳥と仮眠を取っている三人だけだった。
肩ほどにまで伸びた髪を指先でくるくると。中途半端な長さが原因だろうか、肩に当たって跳ねた髪をまっすぐにしてやろうと弄って暇を紛らわす。都市部から電車を乗り継ぎ乗り継ぎバスに揺られてしばらく、スマホは完全に圏外となって手持ちぶさた。
「ひまだなぁ……」
頬杖をついて、でこぼこのアスファルトにバスが揺れ、景色も揺れる。
「そうだ、この辺で」
ふと森の暗闇に目をこらす、例の変なものが見えた。人の姿を墨で塗りつぶしたような真っ黒なソレ。ぶるりと身震いをした、おいでおいでと手を動かしている。冷房の寒さではなく、恐ろしさを感じさぁっと身体が冷える。今のは何だったのかと、見間違いじゃない、もう一度目をこらすとその場所には何もいなかった。
見間違い。それはない。確かに誘っていた。
「何か来る!」
「お出迎えね」
鈴那に手を握られる。窓の外で何かが光を反射して、その次の瞬間には衝撃と共にバスが傾く。
「槍……!」
壁を突き破ったのは槍、傾いた車体は元に戻ることなく倒れて土手に落ちる。
「ひっ」
ヒュウッと風を感じ、妙な浮遊感に包まれて目を開けると斜面を転げ落ちるバスが見えた。鈴那に抱かれて空を飛び、触れる肌は氷のように冷たい。
地上に視線を落として、運転手は……と、思った時には何かが光りながらバスに命中し爆発を起こした。
「中塚の、剣」
「仙崎君、槍。城代君、剣」
「零亜いるんだよね」
「えぇ」
「コールサイン・ネーベル、エンゲージ」
いつの間にか杖をサーフボードのようにして空を飛んでいた仙崎が急降下して、槍が飛んで来た方目掛けて何かを飛ばす。離れた所で土煙が上がり、お返しと言わんばかりに多数の槍が飛ぶ。
「俺も行くか。レフィン、エンゲージ」
ケースから刀を取り出す。それは皆川が使っていたものと同じだ。ビュオッと強い風と共に地表に突っ込んで、風を連れて構えていた中塚に斬りかかった。
「三宅と、中塚……」
「知り合い?」
「別に」
「そう、止める必要はないわね」
浮遊感が消えゆるりと地上に降りていく。本来降りるはずだったバス停のすぐ近くに降り立つと、夏の熱気と生臭さが出迎えた。吐きそうになるが、こらえる。
「あらあら」
喉元までこみ上げて来たものを胃に押し戻して前を見る。
「あーちゃん……なんでいるの」
「ツグミ、あんた」
死神のイメージを引き起こす大きな鎌を肩に抱え、乾きかけのこびり付いた血に汚れたツグミが泣きそうな目でこちらを見ている。
「わたし頑張って殺したよ、なのになんで何度も何度も出てくるの」
「ツグミ……」
ゆらりゆらりと今にも倒れそうな足取りで近づいてくるが、鈴那が庇うように前に出る。
「あなたはどう思う? 本物か、それとも偽物か」
「偽物」
躊躇いなく言った。自分が持っているツグミのイメージと照らし合わせれば違うと、川で斬りかかって来た時や時々見せるあの怖い気配を思えば、偽物だと思えてしまった。
「正解よ」
鈴那が手を向けると、正面にあるすべてが凍り付いた。色が霜の白に飲み込まれ、風に揺れる木々も草も、川の流れも夏の空気すらも動きを止める。
「消えなさい」
凍り付いた空間が崩れ、白い吹雪となって空に消えていく。後に残るのはバス停の残骸だけだ。
「やりすぎだと思うのだが」
皆川の声がした。どこからだろうと探すが姿が見えない、しかし隠れられるのはバス停の影くらいしかなく、そこから姿を見せた。あちこち凍っている。
「あらそんなところにいたの。ごめんなさいね」
「八條、バス停で待つと言っていたはずだが、忘れたか」
言われてみれば……そんなこと言われたような気がする。皆川の言いたいことは分からなくもない、覚えていたらそこに居るから巻き込むなと注意して欲しかったのだろう。
「……ごめん忘れてた」
しかしそれで思い出した。炎に焼かれ身体がひりついて、吸い込んだ空気に内から焼かれる痛みを。
「まあいい。それで、どうする? 信じ切るのか、疑い切るのか、それとも中途半端に行くのか……どれだ」
「まだ……決められない」
「だろうな。でも、巻き戻せる時間が増えた分こっちのカードも増えた」
「この人たちとか」
「そう。どうにも出来ないのなら援軍を呼べばいい。これから使える時間が増えるから、先手を打って敵を減らすことも、呼び込む仲間を増やすことも出来る」
「だったらさ、あんたがここに来ないって言う選択肢はないの」
「それも有りだ。その代わり他の場所で何が起こるか……分かるよな」
「ここと同じようなことが起きる?」
「かもな……っと、そろそろだ」
「何が」
「本来ならここでかなり待ってから迎えが来るはずだったが、ちょっとばかし騒ぎ起こしたからな」
親指で背後を指差すと、おじさんの軽バンが走ってきていた。
「八條のおじさんと、ツグミが乗っている。で、それは果たして本物か偽物か」
「どういうことそれ」
「最初からすべてを疑え。八條がここに来た時点でこのエリアの人間が全滅しているという可能性もある。炭焼場で見ただろう、人のふりをした怪物を」
「もしかしておじさんの……そんなことって」
あの時だって、普通に見えていて、それでも蹴り飛ばされた姿を見てホロウコピーだと分かった。
だが、何故それを皆川が知っている? あの時見捨てて逃げたのは本物だったのか?
「全部見ていた。偽物が何をするのか、火炉を使おうとしていたから壊した、川でツグミに斬られたのも、八條と一緒に空を飛んでいるのも、山火事の中でのことも見ていた」
「あれが全部偽物のあんただってこと?」
「どうだろうな、今こうしているのも偽物かも知れない。さあ、決めるのは自分自身だ」
皆川が道端に避け、軽バンが止まる。窓が開けられおじさんが見えた。すごく嫌な感じがする。
「アトリちゃんこれいったい何があったんだい」
「違う……おじさんじゃない!」
「アトリちゃんなにを――」
ヒュッと風切りの音がして、飛んで来た大鎌がフロントガラスを突き破りおじさんに突き刺さる。途端にその姿が黒いものに変わり、溶けて虚空に消える。
後ろのドアが勢いよく開き、ツグミが転がり出てくる。
「お、お父さんが、い、いま、溶け、溶けて」
「偽物はさ、斬っちゃっていーよねぇ」
背筋が凍り付く、感じたことのある言いようのない怖さに振り向けば、そこにもツグミが居た。
妙に怖い雰囲気を纏ったツグミ。それを見て安心している自分がいる、それを本物だと判断している思考がある、それが正常だと感じている心がある。
「ツグミ?」
「このあーちゃんは本物だよね? 偽物じゃないよねー」
言いながら近づいて来て、鎌に手を向けると独りでに鎌がツグミの手に納まる。そして、何も言わせずに偽物を斬り裂いた。恐ろしい切れ味で、一瞬にして上半身と下半身とを斜めに斬られた偽物は瞬く間に溶けて消え失せた。
その勢いのまま、アトリの首に刃が添えられる。
「偽物じゃないよね、本物だって言ってよ、斬っちゃうよ?」
「ちょちょちょつぐ、ツグミ! 待って!」
「なーんてね」
鎌が除けられるが、怖さのあまり腰を抜かしてしまう。漏らさなかったのを褒めて欲しいくらいに怖かった。
「つ、ツグミあんたねえ!」
「ねえあーちゃん、今からでも間に合うよ。帰って」
「……嫌」
今更そんなこと言われても、それではい終わりとならないのだから。なら、だったら何が起こっているのかを知りたい、自分に出来ることは少ないが、それでも関わってしまって逃げられない以上は知って、その上で決めたい。
「皆川君、どうするの?」
「そっちが決めろよ、権限は鈴那の方が上だろ」
「あなたはフリーじゃない。私たちの決定に従う必要は無いのよ」
「だったらそれは他人が決めることじゃない、本人が自分で決めることだ」
「そういう割には結構毒牙にかけてるじゃないの」
「誰彼構わず手出ししてるわけじゃない」
「なのにそこそこの人数泣かせてるじゃない」
「手出ししてくる方が悪い。だいたいこんな雑魚放っておいたところで引っかき回すくらいしか出来やしない」
「酷いこと言うのね、その子、生贄魔法に使えば地球の半分くらい焼き払えるわよ」
「使えねえ側からすりゃ無価値だよ」
自分をどうしようかという話が進んでいるが、内容が理解できない。
「あ、アタシをどうしようっていうの」
「簡単に言うと、ここで消滅させるか仲間に引き込むかそれとも道具として捕獲するかだ」
「どれもヤだよ!」
「皆川君としてはどうしたいの?」
「放置。引き込むにしても足手まといだし、消すにしてもループに巻き込まれている以上は下手に出来ない」
「念のために手元に置いておくという考えは?」
「ない」
「捕まえておいた方がいいと思うのだけど。敵の魔法使いに使われたら大変よ」
「気付くやつはいないだろ。ツグミみたいに素質があるなら別としてだが」
「そーお? 手込めにした方がいいと思うんだけど」
「なぜそこまでして取り込みたがる」
「この子、火属性よ。それも、使い方次第じゃ私のよりも強い魔法の材料になる」
「八條を素材として見れば、だろ? 合意の上でなければ最高の力は引き出せないから放置だ。八條も決められないと言ったし」
「だったらいいわ。その代わり、後でその子が原因で事が起こったらあなたがどうにかしなさいよ」
「それくらいはやる。最初から見殺しにしてきたからな、惑星規模の魔法くらいどうにでもするさ」
皆川が地面に座り込んだままのアトリに手を差し出してくる。
「ありがと――冷たっ」
掴んだその手は氷のように冷たく震えていた。さっきの凍結攻撃で相当体温が下がって回復し切れていない。その手を借りて立ち上がろうとしたアトリは、力が入らずに立ち上がれなかった。今まで散々死んで怖い思いをしてきたというのに、今更首元に鎌を添えられた程度でこれでは情けない。
「あ……ダメ」
「あーちゃんこれくらいで立てなくなっちゃダメだよ」
「あんたがあんなことしなけりゃよかったことじゃん!」
「えー久しぶりだったからちょっとびっくりさせようかなーって」
「戦闘中ならまだしも分かってやるのは、さすがにダメだろ」
「皆川君までそんなこと言うー」
ふてくされた顔で皆川を見上げながら言うその姿はなんとなく小動物的なかわいらしさを思わせる。しかしそれを口に出してしまえば、今度は本当に斬られるかも知れない。
「いま変なこと考えなかったあーちゃん?」
「べっつにー」
「そういや鈴那、一つ気になることがある」
「なあに?」
「零亜どこだ」
「あなたと一緒じゃないの? 先に一人で飛んでいったわよ」
「来てないが……まさかドライのコピーと空中戦か」
みんなが揃って空を見あげるが、真夏の空は忌々しいほどに晴れ渡り、突き刺すような日差しを降り注いでいる。
「あそこ!」
「こっちに撃って――」
「皆川君、出番よ」
鈴那に引っ張られ盾のように使われる。
「処理しきれるかあんな数」
皆川が空に手をかざし、光の筋が幾重にも重なって飛んでいく。空から落ちてくる青い光は、皆川が放った光に絡め取られるが如何せん数が多くその隙間を抜けて来る。
「鈴那なんとか――」
「じゃあねー」
「待てこら!」
ツグミを抱えてふわっと浮いたかと思えば、青い光に包まれて姿を消す。
「はぁ……」
「どうすんのあれ!」
「無能力者にはどうしようもない」
遠くに落ちた青い光が弾け、爆発的に大地から氷を生やす。それは次々と落ちながらこちらに向かってきて。
「ホント、運がねえよ」
やけくそで光の筋を放つが、そもそも数が多いこともあって減らしたところで意味が無く、近場に立て続けに落ちて氷に呑まれた。