1日目-F
冷房の効いた車内からは、ずっと同じような風景の田園地帯が流れ見える。週に一本だけのバス、近くに学校はなく僻地ということもあってか本数が減り続け今の一本だけ。そんなバスに乗客は、ぼんやりと窓の外を眺める彼女一人だけだった。
肩ほどにまで伸びた髪を指先でくるくると。中途半端な長さが原因だろうか、肩に当たって跳ねた髪を何の気なしに弄って退屈そうにしている。都市部から電車を乗り継ぎ乗り継ぎバスに揺られてしばらく、スマホは完全に圏外となって手持ちぶさたなのだ。
「ひま……」
頬杖をついて、でこぼこのアスファルトにバスが揺れ、景色も揺れる。
そんな中、ふと森の暗闇に変なものが見えた。人の姿を墨で塗りつぶしたような真っ黒なソレ。不気味に思い、ぶるりと身震いをした。冷房の寒さではなく、嫌な感じがしてさぁっと身体が冷える。
今のは何だったのかと、もう一度目をこらすとその場所には何もいなかった。
見間違い。それはないと思う。
どこに行った? 探しているとバスがだんだんと速度を落とし、当たりには街灯も自販機も何にも無いバス停に止まる。せめてもの救いはバス停が屋根付きな事くらいか。
降りてバスが走り去ると、本当に何もないとしか言えない。
「なんでこんなクソ田舎なんかに……」
彼女は、熱気とそこから見える田舎の景色に嫌気が差した。冷房の効いた車内とは打って変わってむわっとした夏の暑さが辺りを満たす。それだけですぐにでも帰りたいと思える。
「帰りたい……」
八條鴉鳥は叶いもしない願いを口にするが、バスの時刻表が目に入って完全に諦めた。次のバスは来週のこの時間だ。電車を降りて駅から出たときには、まだ商店街やいろんな施設があったがここは本当に畑と田んぼと民家に山しか……。
「マジ? こんなド田舎で夏休み過ごせって?」
ことの始まりは昨日の朝だ。いきなり〝お父さんとお母さんちょっとお仕事で遠くに行くから、親戚のおじさんのとこに行ってなさい〟なんて言われて、夏休みの宿題と着替えを勝手に送られてほぼ手ぶらで一人田舎町へ。
「高三になってありえねーってこんなの」
家に一人留守番させたところで心配するような年でもないのに、そう思いながらもここ数年会っていない親戚へ顔を見せることも兼ねてか半ば強制的に送り出された。
バス停で待っていれば迎えが来る……と言うことらしいが、頭が痛くなるほどのセミの大合唱に森から流れてくるじとーっと、むわーっとした空気に襲われてすぐにでもここを離れたいと思う。
しかしバス停の影から出れば真夏の日差しがある。
「げぇ……」
暑いが待っていれば迎えが来るここで待つか、それともひび割れ日差しを照り返すアスファルトの上を歩いて見るか。
アトリが選んだのは、
「歩こ」
道は知っている。
おじさんの車に乗って移動した時のことは覚えている。いつ来るかも分からない迎えを待つよりも、道は分かっているのだから歩いた方がいいだろう。それにここでじっとしていると蚊に刺される。耳元で響く嫌な音を払いのけ、日差しの下を歩き始めた。
「あっちぃー」
半袖Tシャツにショートパンツで少しでも涼しく、なんて考えたのが間違いだった。薄手の長袖と長ズボンにするべきだった。いつの間にか蚊に刺されていて痒いし、突き刺さり炙るような日差しに肌がヒリヒリしてすでに赤い。軽い火傷のような火照り方だ。
日陰を歩こうにもどこに影がある? そんな場所だ。バスから見えていた景色は田園風景。木陰すらない道が延々とあった。
このまま歩いていたら熱中症でぶっ倒れるんじゃない? 割とリアルな問題だ、交通事故は他人事でも熱中症はあり得る。ポケットに手を入れれば160円ある、ペットボトルの飲み物を一本買えるが自販機なんてものは見える範囲に存在しない。
「マジですかい……」
都会の暑さとは違う。ビルの照り返しやアスファルトに足元から焼かれるようなそれとはまた違う、直射日光に焼かれ蒸されると言うのがいいだろう。田んぼが多いせいか吹く風も湿って生温く、汗をかいているのに風に当たって涼しいと感じられない。
まっすぐ歩いているのに、いつの間にか畦道を踏んでいたりふらふらして溝に落ちそうになったり。まだそんなに歩いていないし時間も経っていないのにヤバイと自分でも分かる。都会人が、休日デフォで引きこもる人間が来る環境じゃない。
喉が渇けばコンビニでも自販機でもすぐそこに、暑かったら適当にショッピングモールにでも入って涼めばいいし。そもそも夏休みは冷房の効いた家に閉じこもる主義のため、外を歩くための装備を知らないということもあるか。
つまり身体も夏の暑さに対処する術を知らないから慣れていない。
「あ……これ、やばっ」
力が抜けて崩れ落ちる。意識が朦朧として、身体に力が入らない。汗がどんどん流れ口の中がぱさついている。周りに人は居なかった、もしかしたらこのまま死ぬのだろうか。