〈作者の意図〉を否定するために真の〈作者の意図〉を追い求めるのは正直皮肉にしか聞こえない。
異世界生活十二日目 場所エルフの里 深緑図書館
『デルフィア英雄譚』は俺の世界でいうところの貴種流離譚に分類される内容の物語らしい。
貴種流離譚とは説話の類型の一種で、若い神や貴人が漂泊しながら試練を克服して、神となったり尊い地位を得たりするものを指す。……確かギリシア神話や日本文学にもいくつか例があったな。ギリシア神話だとオイディプースとヘーラクレース、日本神話だとスサノオ神話、古典だと『源氏物語』と『伊勢物語』が挙げられるか。
『デルフィア英雄譚』のあらすじは既にジェレミドが語った通りなので省略する。写本はこの図書館に所蔵されているだけで二十八冊、四系統に分けることができる。
論文は七十二、その中にジェレミドが書いたのは三つか……新しいことがそこまで書かれている訳でもないし、一冊でよくね?
と、ここまでが昨日から今日まで調べて得た情報だ。
最初こそ、本を写しては食べる俺の姿に絶句していたセルジア達司書だったが、所蔵している本を傷つけている訳でも食べている訳でもないので特に問題がないと判断し、その後は本喰いに反応することも無くなった。……彼ら的には特に問題ないんだな。図書館での飲食って。
また、エルフが書いた論文を読んである傾向にも気づいた。……こいつら、全員先行研究を鵜呑みにしてやがる。ろくに比較・検証もせずに引用し、論文を書いているから間違った研究結果が出たとしてもそれを知る術がない。
……そりゃ、エルフの研究が寿命の短い地球の人間に劣る訳だよ。こいつらの研究、あまりにも杜撰過ぎるもん。
ということで、こいつらの研究は全くあてにできない。……自力でやるしかないか。
しかし、なんで本来の研究そっちのけで異世界の貴種流離譚を研究しているんだろう? 俺の真っ先に取り組むべき研究って「『堤中納言物語』の一篇『逢坂越えぬ権中納言』の作者小式部の正体」だよねッ!
当初、今回の研究について作家論、作品論、テクスト論、カルチュラル・スタディーズの四視点から研究をしてみようと考えていたが……〈作者の意図〉を狂信する連中に一泡ふかせるためにはもう少し何かが欲しいところだ。
まあ、どのような手法を用いるかはとりあえず置いといて、まずはどのような切り口から『デルフィア英雄譚』を研究するかを考えなくてはならない。
幸いにして『デルフィア英雄譚』には気になる箇所があった。
貴種流離譚の代表的なテクストの一つに『桃太郎』というものが存在する。まあ、あらすじをダラダラと語る必要は無いだろう。
一、お婆さんが川で大きな桃を拾う。
二、桃を切ると中から赤子が生まれる。桃太郎と名付けられる。
三、鬼の噂を聞き、桃太郎は鬼ヶ島に鬼退治に向かうことになる。お婆さんから黍団子をもらう。
四、もらった黍団子で犬、猿、雉を従える。
五、激戦の末に鬼を懲らしめ、奪われた宝物を取り戻す。
『桃太郎』と『デルフィア英雄譚』を比較した場合、『桃太郎』には描かれていない敵サイドの状況が『デルフィア英雄譚』にはこと細かに描かれている。
『桃太郎』と同じように勧善懲悪の物語として描きたいのならば、敵方に感情移入してしまう可能性は極力排する必要がある。だが、『デルフィア英雄譚』は寧ろ排するどころかその部分を必要がないところまで細密に描いている。ジェレミドの言葉を信じるなら、この物語は戦争を肯定するために書かれたことになる……が、これって本当に戦争を肯定するために書かれたのか? 貴種流離譚であることすら怪しくねえか? いや、構造的には貴種流離譚の形態を取っているけど。……推理小説の形式をとりながら犯人を明確にしないことで独自の形式を目指した芥川龍之介の『藪の中』的な感じか?
となると、まずやるべきことは『デルフィア英雄譚』が書かれた時代の情勢を調べることか。
調査によると、この時代はエルフとダークエルフの戦争真っ盛りだった。現在はダークエルフが普通にエルフの里にいることからも分かるように和平を結んで和解しているが、当時は戦争一色、エルフの若者を戦争に駆り立てる本が数多く出版され、逆に戦争に反対する本は出版を差し止められ、書いた者は非エルフとして処刑された。……要するに検閲だな。
そんな時代に出版された『デルフィア英雄譚』はエルフを戦争に駆り立てる作品として賞賛された。当時の研究を一切検証せずに踏襲し続けている研究者も戦争を肯定する作品として読んでいるということなんだろう。……まあ、なんとなくだけど全体像が分かってきたな。後は証拠さえあれば万全だな。
これが事実ならあの老害に一泡ふかせられる。
しかし、皮肉だよな。〈作者の意図〉を否定するために真の〈作者の意図〉を追い求めることになるとは。……これってどんな分類になるんだろう? ……作家論?
◆
あらかた本を写して食べ終えた俺は、イミリアーナに依頼し『デルフィア英雄譚』の作者――シャール=ナ・ジェイス・フィエの生家に案内してもらうことにした。
当初は二人で行く予定だったのだが、どこから嗅ぎつけてきたのか聖達も同行することになり、結局全員で行くことになった。
歩いて十分、目的地着。……予想した通り廃墟だった。
まあ、何万年前とかそういうレベルだから廃墟になっていても仕方ないよね。まあ、エルフの寿命は8,000〜10,000歳らしいからエルフ的には人間の感覚でいうところの何百年になるんだろうけど。
廃墟に入る。【全マップ探査】を使用。……そこそこ広い屋敷だったみたいだな。そして、地下にも空洞が広がっている。入り口はかつての書斎か。
旧書斎に移動。古びた机を蹴り飛ばすと、床が外せそうな切れ目が。
「まさか、隠し部屋ですか! 草子さん、新発見ですよ!!」
でしょうな。あの学者達なら生家を訪ねようとはしないだろうし、わざわざ廃墟を探索しようとする物好きもいないだろう。……そんな物好きは俺くらいか。
地下への階段を進む。その下には隠し部屋があった。書きかけの手紙が一つ、シャール宛ての手紙が山積み……やっぱりあったか。灰色の脳細胞無くても推理ってできるんだな。
「草子さん、一体どういうことですか! なんでダークエルフの集落の住所から手紙が送られてきているんですか!!」
リーファが絶叫した。リーファ絶叫、どこかのライトノベルにあった委員長絶叫の亜種だろうか? こんなBL狂いの絶叫いる?
というか、俺に聞くなよ。分からなかったら答えようがないじゃないか! ……まあ、分かっていないのなら、こんなにスタスタとシャールの生家に来る訳がないんだけど。
「えっ、分からない? 要するに、シャールさんはダークエルフと交流をもっていたんだよ。この手紙が動かぬ証拠だ」
「「なんで、戦争肯定の物語――『デルフィア英雄譚』を書いた作者が敵方のダークエルフと交流を持っているのよ!!」」
絶叫が二倍になった。リーファと白崎だ。……耳潰れそうなのでマジでやめてくれませんか! 後、頭クラクラしてきた。………寝不足かな? 昨日楽しみ過ぎて夜寝れなかったし……ってあれ、俺のせい? あれー?
「簡単に言うと『デルフィア英雄譚』は戦争を肯定するための物語でも、貴種流離譚でもなかった。寧ろ、戦争反対の意思を込めた物語だったってことだ。これまでの学者は、いや全てのエルフは読み違えていたってことだよ」
『……でも、なんで分かったの?』
聖が心底不思議そうな表情でこちらを見ている。仲間になりたくてこっちを見ているのではないようだ。……こいつとは絶対に仲間になりたくないけど。
……えっ、お前と聖は同じ変態仲間だって? ……本当に同列に扱うのやめて下さい。後生ですから。
「『デルフィア英雄譚』を読んだ時に疑問に思ったことがあった。エルフとダークエルフが全面戦争をしている時代にも拘らず敵方のダークエルフの状況をこと細かに描写できたのは何故だろうかって? それで実は、シャールは戦時中もダークエルフの友人と交流をしていたんじゃないかと思ったんだよ。といってもこれだけ時間が経っているから既に証拠も消滅しているかと思ったけど意外と残っているもんなんだな。【結界魔法】様様だ」
手紙が綺麗なまま残っているのは掛けられた防御魔法によって風化と虫食いを防いでいたからだろう。
シャールが几帳面な性格だったからこそ、老害を倒す決定打を手に入れることができたのだ。……ありがとう、シャール。貴方のおかげでエルフの文学研究に風穴をあけることができる。
そのお礼になるかは分からないが、俺は貴方と貴方の物語――『デルフィア英雄譚』に掛けられた誤解を解くことを約束するよ。
その後、俺達は深緑図書館に戻って他にも根拠になるものが無いかを確認することにした。
明日はシャールと文通していたダークエルフの生家跡を訪ねる予定だ。
◆
【三人称視点】
ロビン=ティル・ナ・ノーグは野心家である。
エルフ族長オーベロン=ティル・ナ・ノーグの息子として生を受けたロビンは、数年前までその秘めたる野心を隠して生きてきた。
族長という地位に拘り、自分こそが族長に相応しいと思い続ける日々。
族長に興味を示すことなく趣味のBLに命を懸け、いつかBLを広める旅に出ようという夢を抱く、自分よりも族長に近い場所にいる姉への劣等感と怒り。
彼はあまりにも自己中心的な考えを抱いていた。ロビンを王として崇め、ロビンに逆らうものは徹底的に排斥する国家を設立しようという野心を抱いていることからも、それがよく分かるだろう。それを見抜いたオーベロンは、全てのエルフのために尽くし、全てのエルフの代表者となるべき族長には相応しくないとロビンを族長の地位から遠ざけたのだが、ロビンはそのことに気づいていない。
このままでは自分が族長になることは絶対にあり得ないという現状を理解したロビンは、遂に族長の地位を手に入れるために自らの姉――リーファ=ティル・ナ・ノーグを殺害しようと動き出したのである。
族長になるためには手段を選ばないロビンも、外面は好青年を装った。特に若いエルフ達はロビンを次期族長に押し、ロビン派という派閥が誕生している。
彼らにとって、族長になる気がないにも拘らず族長に最も近い立ち位置にいるリーファは許しがたい敵だ。少しでも焚き付ければリーファを暗殺することも厭わないだろう。
だが、用意周到なロビンは奥の手を用意しておくことにした。
オーベロンと母ティターニア=ティル・ナ・ノーグ以外で唯一ロビンの本性を知る存在。ロビンは彼に会うために大樹海へと足を踏み入れたのである。
「お久しぶりです、大師父」
拱手し礼を尽くす相手は、ユェン=シー・ティェン・ズン。一説には1,000,000歳と言われるエルフの仙人である。
普段は俗世との関わりを好まないが、ロビンのような選ばれし者にはその力を貸すとユェンは語っている。
「お久しぶりです。功夫は積んでおりますかな?」
「ええ、私は族長になるためならどんな努力も惜しまないつもりですので。……本日は、我が姉リーファを殺すためにお力添えをと思い参りました」
「なるほど、しかしいいのですか? たった一人の姉を殺してしまっても」
「ええ、姉を慕う気持ちは微塵もありませんから。恨んだことこそあれ、愛したことなど一度たりともございません」
「まあ、ロビン殿がそれでよろしければ私にも異論はありませんが」
その後リーファ殺害の打ち合わせをし、ロビンは樹海を後にした。
「しかし、あの若者達も愚かですね。そんな愚かな方々が現れるからこそ、私は今まで生き永らえることができた訳ですが。……そろそろ不死になる術を見つけなくてはなりませんね」
目を細め、独白するユェンの胸元にはヴァパリア黎明結社のシンボルである六芒星に十字架を合わせた意匠のペンダントが輝いていた。