episode zero『追放勇者は勘違いを正す異能を振りかざす』 柒
なんで、僕は『悲しい』んだろう? こんなにも『辛い』と思わないといけないんだろう? もう、嫌だよ、ずっと苦しむなんて嫌だよ! 僕には『辛い』なんて感情も『悲しい』なんて気持ちもいらない! 勘違いしているよ、僕には『悲しい』や『辛い』なんて感情はないんだよ。
◆
【三人称視点】
村を出て草原を歩く。
「そういえば、この道って俺が勇者となって初めてできた仲間と歩いた道だっけ。確かジェシカだったな、女騎士の」
リュートの住んでいた村は魔物の侵攻に遭った。幸いリュートが素早く対処をしたことで甚大な被害が出ることは無かったが、リュートの平穏が揺るがされたことには違いなかった。
平穏を破壊されたリュートは、魔族の討伐を決意し、聖に「聖剣に選ばれた勇者」だと勘違いさせ、聖剣を帯刀して魔王城を目指して旅を開始した。
その後、鎧や盾などの勇者にしかその真の力を引き出せないとされる武器を探しながら旅を続けたのである。
その途中、女騎士や女僧侶、武闘家や魔術師、狩人が仲間に加わり、パーティは盛り上がった。
あの頃は本当に楽しかった。激しい戦闘の末に仲間も何人か死んでしまい、仲間と一緒に慟哭したのも、不謹慎ではあるが、今から思い返してみれば人生で一番楽しかった時間だったのかもしれない。
充実した時間を思い返しながら、村人Aに戻ったリュートは草原を進む。
武器すら持っていないリュートに狙いを定め、魔獣達は襲い掛かろうとする。――だが。
「勘違いしてるよ。君達が戦う相手は魔獣――そして、俺のことは認識できないんだよ」
言い終えた瞬間、魔獣達はリュートを見失い、互いに互いを襲い始めた。それは宛ら蠱毒の如く凄惨な状況だった。
だが、リュートは飛んできた血液に顔を顰める程度で、その光景に特に何も思わないようだった。
◆
「お久しぶり、魔王軍の皆様」
最初は何者か分からなかった魔王軍に所属する魔族達も、その正体が魔王を殺した勇者リュートであることに気づき、怒りを露わにする。
「……貴様、勇者リュートか。我らが主君――魔王様を殺し、今度は我らを根絶やしにしにきたか?」
魔王亡き後魔王軍を指揮する知恵者――オルフェースが低い声音で尋ねる。
「いや、違う違う。勇者は廃業してね。それで、一つ面白い提案をしにきたんだよ。……ねえ、君達人間が憎いよね? なら、殺しちゃおうよ。俺も微力だけど手伝うよ」
予想外の提案にオルフェースは疑念の目を向ける。
「……何故だ。お前は人間の勇者だ。……それが今度は魔王軍の味方か。何故、そんなことをする。そして、何が目的だ?」
「う〜ん。野望とかは無いんだけどね。実はさ、魔王を倒して国に帰ったんだけど、そしたら手柄を王子様に横取りされてさ。挙句殺すために騎士団を派遣されたんだよ。ふざけているよね。ふざけているよね。いや、別に手柄とかはどうでもいいんだよ。だけど、殺しに来るってのは流石に無いじゃん。俺は村に帰って楽しく畑仕事をしていただけなのに、ちょっかいかけて来るっていくらなんでも腹立たしいじゃん。魔王を倒した名声も、見目麗しい仲間も別にどうでもいいんだけどね。ただ、傲慢すぎるというか。俺の命まで取りに来るってのは流石にやり過ぎでしょ」
ドロドロとした声音で垂れ流すように言葉を紡ぐ。
それは、英雄として讃えられる勇者リュート像とはかけ離れた本性――仲間にすら見せなかったリュート=オルゲルトという人間の片鱗だった。
「……そういえば、さあ。なんで俺が魔王討伐に乗り出したと思う? 俺の大切な居場所が、日常が魔族に壊されたからだよ。だったら、迎撃するよね。普通。それと同じだよ。俺はね、目立たず静かに畑を耕して暮らしたいんだよ。だけど、魔王軍も王国軍も俺の日常を破壊しに来る。君達は人間に恨みがあるんでしょ? なら、協力した方がいいんじゃないかな? 俺の望みはただ一つ。俺の日常が壊されないこと。そのためだったら、俺は悪魔にだって何にだって魂を売るよ」
「――この外道が!!」
オルフェース達の怒りは沸点に達していた。人間のために戦った訳ではない。自己中心的過ぎる身勝手な男によって魔王は殺されたことが許せないのだ。
世界一醜い心を持った存在を殺すべく、オルフェースが、魔族達がリュートを殺すべく戦闘準備をし――。
「ああ、そうか。残念だよ。……みんな、勘違いしてるよ。君達の主君、魔王様を殺した勇者はヴァルファス王国第一王子ルウェリン=ヴァルファス。あっ、それからもう一つ。君達と俺に面識があるってのも勘違いだから」
その瞬間、オルフェース達からリュートに対する怒りが消え、魔王を殺した憎むべき勇者――ルウェリンとその仲間達への憎悪が膨れ上がる。
「皆の者! 敵はヴァルファス王国にあり!! 速やかに出発するぞ!!!」
「あっ、忘れてた。もう一つ勘違いを正さないとね。君達はルウェリンを倒したら自害するんだよ。生きて帰れるなんて勘違いはしちゃダメだからね」
リュートは不適な笑みを浮かべ、死亡宣告をすると、打倒ルウェリンに燃える魔王軍達よりも先に到着するべくヴァルファス王国に向かった。
◆
「……やっぱり間違っていたんじゃないか?」
「ううん。きっと彼はきてくれるよ。……仲間想いな彼は、私達が裏切ってもそれが偽りだと信じて必ずもう一度王宮に来てくれる」
不安そうな女騎士を励まし、自分に言い聞かせるように女僧侶は言の葉を紡ぐ。
女騎士と女僧侶は結託して勇者リュートを試そうと考えた。
彼なら、きっと本心を見抜いてもう一度王宮に来てくれると。そして、その時は本当のことを告げて、告白をしようと……勿論、告白のことはお互いに口にしてはいないが、自分こそが勇者リュートと結ばれたいと思っていたのである。
「やぁ、お久しぶり。……ジェシカ、エレイン」
そして、待ち望んだ時がやって来る。
「「リュートさん、ごめんなさい!!」」
ジェシカとエレインは謝った。そして、自分達の想いを告げた。
それに対して、リュートは。
「……あゝ、そういうこと。なんとなく、そうじゃないかと思ったんだよね」
今まで仲間に見せたことのない、最高の顔芸を披露して見せた。
それから、一人語りを始めた。
「俺はね、とある町に生まれたんだ。ごく普通の家でね。お父さんとお母さんも普通、ただ、ちょっとだけ貧乏な――本当にごく平凡だったんだよ。だけど、その家庭に生まれた俺は普通じゃなかったんだ。俺はね、世界の勘違いを訂正できる《勘違いを訂正する言霊》を持って生まれてしまった。それ知った両親はね、歓喜したよ。それは、もう壊れてしまうくらいにね。もし、貧乏だってことを勘違いってことにしたら、金持ちになれる。世界すら騙すことができるとんでもない能力だったんだよ。幼い俺はただ、両親に褒められると思ったから、幸せになれると思ったから、世界の勘違いを正した。でも、そうはならなかった。どんなに裕福になっても両親は更に裕福になることを求めた……もっと裕福になりたい、もっと美しくなりたい、もっとカッコよくなりたい、これが欲しい、あれが欲しい……欲望には際限がない。両親は俺を愛してはくれなくなった。俺は両親にとって《勘違いを訂正する言霊》を使える道具に成り下がったんだ。だから、もう見てられなくなった、そんな欲望に塗れた豚成金に成り下がった両親のことは。だからね、断ち切ったんだ。家族の縁を……あっ、殺しちゃいないよ。だって大好きな両親だもん。今も王都辺りで豪商でもやっているんじゃないかな? それでね、俺はこの《勘違いを訂正する言霊》が嫌いになった。だって、望めばそれこそなんだって手に入るんだから。勇者の地位もそうして手に入れたものなんだよ。知ってた? 知ってた? アハハ、知る訳ないよね。だから、今度は《勘違いを訂正する言霊》に頼らずに自分の力だけで生きたいと思ったんだ。……でもその矢先に襲われたんだ。魔王軍に――俺はその復讐を成し遂げたかったから勇者になったんだよ。だけど、復讐は自分の力で成し遂げないといけない。だから、みんなとの旅は本当に俺の実力とみんなの力で成し遂げた。いや、本当に充実した時間だったなぁ」
元々リュートの中に残酷な部分があった可能性は十分にあり得る。
だが、《勘違いを訂正する言霊》という強過ぎる力が、リュートを育てた環境がリュートを歪ませたことを否定することもできない。
この時、女騎士と女僧侶は旅をしている時には知らなかった――リュートの可哀想な一面を知った。
「……俺にとって、俺の日常を壊すものだけが敵だ。だからね、二人にどんな考えがあったとしても日常を壊す側に回ったのなら、もう敵なんだ。安心して、殺したりはしないよ。だって、俺達は仲間じゃないか」
リュートは薄っぺらい笑顔を浮かべ、女騎士と女僧侶を見つめる。
「君達はね、勘違いしてるんだよ。君達と一緒に冒険した勇者はルウェリン。その気持ちも、全て彼に対するものだよ。そして、俺とは何の面識も無いんだ……でも、勇者ルウェリンは魔王との戦いで勇者の武器や防具を操る力を失ったんだっけ? それじゃあ、もし王都に魔族の残党が侵入してきたら全滅しちゃうかもな」
「……リュ……ト…………お願い……やめて……」
「……私達……んな……つもり……じゃ…………」
急速に記憶が書き換えられていく。女騎士と女僧侶の記憶の中のリュートの顔がルウェリンに書き換わる。
最初は存在していた不快な感情が、徐々に、徐々に薄らいでいく。
いや、そもそも女騎士と女僧侶の記憶の方が間違っているのだから、訂正されるのは自然の摂理だ。
後にはルウェリン王子に対する愛だけが残るのみ。
「さようなら、女騎士、女僧侶、武闘家、魔術師、狩人……君達との旅の思い出は俺だけが覚えているから、だから安心してね」
◆
ジェシカとエレインは目の前に見ず知らずの青年がいることに驚いた。
ここは、ジェシカとエレイン、そしてルウェリン王子の愛の巣だ。そこに、遺物が紛れ込んでいるという事実に苛立ちを感じていたジェシカとエレインだったが……。
「なんで泣いているのよ。何か、悲しいことがあったの?」
青年は涙を流していた。感情が消えてしまった青年の顔に流れる一筋の涙。
それを見た瞬間、ジェシカとエレインは胸が締め付けられるような気持ちを抱いた。
この目の前の青年のことは知らない筈だ。なのに、その姿を見ると鼓動が早まる。助けなければ、守ってあげなければ、という強い使命感に駆られる。
「『悲しい』って何?」
全てを飲み込むような漆黒の瞳がジェシカに向けられた。
その全てを呑み込んでしまいそうな瞳にジェシカは怖気づいてしまう。しかし、それでもジェシカは伝えなければならないと思った。
――ここで伝えなければ絶対に後悔する。自分の知らない自分が、目の前の青年を救って欲しいと懇願している。
「心が痛んで、辛くて、泣けてくるような気持ち。でも、大切な感情よ……この気持ちが無ければ前に進めない。辛い、悲しいと思えなければ喜びは薄らいでしまうわ。それに、悲しいことを知っているからこそ、人は大切な物を守ろうとするのよ」
それは、エレインも同じだった。ジェシカの言葉を引き継ぎ、全てを飲み込むような漆黒の瞳を真っ直ぐ見つめ返す。
その暗い闇の奥底に少年がたった一人で泣いている姿が見えた気がした。
「なるほど、そういう感情もあるんだね。知らなかった。教えてくれてありがとう」
「「ま、待って!」」
「なんでだい? 邪魔者は退散させてもらうよ。末永くお幸せに」
氷のような冷たい表情を浮かべながらジェシカとエレインが必死に手を伸ばすが、リュートは足を止めなかった。
自分でも何故見ず知らずの青年にここまで強い感情を抱いたのか分からない。二人が愛を向けるのはルウェリン王子、ただ一人だ。
感情を伴わない氷の表情のリュートの頬を涙が伝い、リュートの心の奥底で少年が抹消された筈の『悲しい』という感情を抱いたまま、いつまでも泣き続けていた。
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ジェシカとエレインは、共に魔王を倒したルウェリン王子――愛する勇者様と共に戦ったが、勇者としての力を失ったルウェリン王子に戦う力はなく、オルフェース率いる魔王軍の残党に健闘虚しく敗北し、王都は壊滅した。
一方、復讐を達成して満足したオルフェース達も自害し、ヴァルファス王国の王都と魔王軍は同時に壊滅した。
「やはり、彼こそが我らの主人となるべきお方ですね」
王都の惨状を目の当たりにし、リーフィンドは恍惚な表情を浮かべた。
「これで、魔王軍、ヴァルファス王国、そして両親――彼は全ての関係者を戦火に巻き込むという形で清算した。……リーフィンド、今回は我々が手を引くべきでしょう。もし、彼の平穏を脅かす敵と判断されたら元も子もないですからね」
フレデリックはリュートに接触しようとするリーフィンドを諭し、リーフィンドを連れてヴァルファス王国の王都を後にした。
「先人の言葉を使えば、来世にワンチャンだ」
「地球という異世界からやってきた転移者の言葉ですけどね。……まあ、それしかありませんし、ここではない世界で主人様と巡り会える日を楽しみにするとしましょう。そして、主人様に世界を手中に収めて頂くのです」
――そして、この因縁は世界の壁を超え、異世界カオスへと続いていく。
◆
「うんといこせ。どっここいせ。うんといこせ。どっここいせ」
奇妙な声を上げながら鍬を振り下ろす。
ほっかぶりに年季の入った作業着という勇者らしからぬ衣装は、やはり伝説の鎧以上にリュートに似合っているように見える。
「こんにちは、リュートさん」
「こんにちは。朝から精が出ますね。メリエルさん」
「これ、お裾分けです。良かったら」
「おっ、美味しそうな林檎だ。今日はおやつにアップルパイでも焼こうかな? あっ、これうちで取れた栗です」
「ありがとうございます」
近所の若奥様から林檎をもらい、代わりに収穫したばかりの栗を籠に入れて渡す。
「やっぱり、若い女性にお礼を言われるのは嬉しいよね。例え、元男でも……ってそのことを知っているのは俺だけだし、もうあの人はメリエルさんなんだから、別人だって考えた方がいいよね。難しいな、感情の整理って」
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ここは、辺境のとある村。神樹の加護に守られた、それ以外はごく普通な、どこにでもあるような長閑な村。
だが、この村には、この村が歪であることを知る者がたった一人だけ居る。
彼の者の名はリュート。元勇者にして今は村人Aを名乗るただの農民。
リュートは今日も畑を耕す。神樹の枝を折って作った世界でたった一つの鍬で。
その手が血塗られていることを知る者は――彼以外にはもうほとんどいない。