episode zero『追放勇者は勘違いを正す異能を振りかざす』 伍
――安心して、お父さんとお母さんのことは忘れないから。例え、お父さんとお母さんが僕と赤の他人になっても僕は二人のことを絶対に忘れないから。
◆
【三人称視点】
無詠唱で七発の《ファイアバレット》を顕現し、魔王ヘルベルトに向かって放ちながら聖剣を正眼に構え、そのまま上に剣を掲げて素早く振りかざす。
「聖剣に選ばれし勇者リュート=オルゲルトが命ずる。魔を退け、滅ぼす力を顕現せよ――快速聖蒼斬」
「闇よ、凝縮して我を守る盾となれ! 《ダークネスウォール》」
タール状の闇が魔王城の床から溢れ、壁を形成――炎の弾丸を飲み込む。
しかし、リュートの勇者の光の斬撃を受け止めることはできずに破壊されるが、そこでリュートの斬撃も力尽きて光の粒子となって消え失せた。
「奈落の闇よ、聖なる者を底知れぬ絶望の淵へと堕とせ! 《ナラク》」
魔王ヘルベルトがリュートと戦っている間、魔王妃ミレディが何もしていなかった訳ではない。
かつて魔王妃ミレディが勇者ラインヘルトだった頃、魔王と熾烈な戦いを演じた際に勇者ラインヘルトの聖なる力を弱体化させ、激しい倦怠感でまともに立っていられなくした究極の弱体化魔術だった。
(……この魔術で拮抗していた私と魔王様の力の均衡は崩れ、私は魔王様に捕らえられ、魔堕転生で淫魔女王に……魔王様の妻になった。その力を今度は私が使い勇者を堕とす……因果を感じるわね)
しかし、魔王妃ミレディの予想通りにはならなかった。
薄く引き伸ばされて展開された結界師の障壁が弱体化の闇沼を完璧に覆ったのだ。
「あゝ、主よ! 迷える子羊達に道をお示しください! その御光で遍く全てを照らし出し、あらゆる邪悪をお祓いください! 《主の光は世界を照らす》」
カルミア教の最高位――教皇、教皇を輔弼する枢機卿、そして大聖女神カルミアに認められた聖人や聖女としか使えないという治癒術とは別の体系に位置する聖なる技――神聖術。
その圧倒的な力をリュートは発動し……。
(しまった……流石にこれはやり過ぎたか)
勇者の領分を超え過ぎた力を使ってしまったリュートは当初は回避しようとしていた魔王戦そのものへの概念干渉を行うことを決めた。
せめて、魔王戦だけは自分だけの力で勝ちたかった……歪めたくなかった。その気持ちを塗り潰し、リュートは作戦を再構築する。
「…………まさか、神聖術まで……貴方、聖人でもあるの!?」
《主の光は世界を照らす》の聖なる光の余波に当てられてボロボロになった魔王妃ミレディが、驚愕の色を浮かべる。
「さて……やっぱり二人同時に相手をするのは骨が折れる。魔王戦だけは勇者として戦いたいからね。多少残酷だが、君達は魔族だ。俺達正義が悪と戦う時、全てが許容される……そうだよね?」
全てを飲み込むような漆黒の瞳を炯々と輝かせたリュート。
「騙し討ち、大切なモノを破壊する、大虐殺、家宅侵入、器物破損……その全てが正義である勇者には認められる。そうだろう? だって勇者は、全ての人間の、正義の味方なのだから」
最早それは勇者では無かった。
支離滅裂なことを言い放ち、しかしその事実に気づいていない。
「……お前は本当に勇者なの? いや、そんな訳はないわ。聖剣に選ばれるのは正義感に溢れ、高潔な魂を持つ者だけ。貴方みたいな、貴方みたいな外道が絶対に聖剣に……勇者として認められる訳がないわ!」
魔王妃ミレディは闇に堕ちた。つまり、勇者であることを捨て、魔に堕ちた人間からすれば裏切り者だ。
その魔王妃ミレディに、勇者の正しい在り方を語る権利はないことは自覚していた。
だが、それでも魔王妃ミレディは目の前の勇者が、勇者を冒涜するような悍ましいナニカが許せなかった。
人間や魔族――種族の垣根を超えて共通する倫理観の中で、リュートは絶対に許せない存在として魔王妃ミレディの瞳に映ったのである。
「うん、だから勇者になれなかったよ。魔王を倒すためには、魔物によって平穏を壊された俺が魔族に復讐するためには勇者という大義名分が必要だったのにね。魔王と戦うのなら勇者だって思っていたんだけどね、ちょっとだけ困ってね。いや、困っていないか。俺の力で聖剣を騙せば、勇者だって認識させれば……いや、勇者であると改変すれば良かったからね。神聖術だって魔術だって、治癒術だって、結界術だって、元々俺には使えなかった。俺はただの、ちょっとだけ貧乏な家に生まれて家族と三人で暮らす普通の子供だったんだから。だからね、認められた訳じゃない……いや、そもそも認めるってのは何様だって話だよね。選ぶのはいつだって《勘違いを訂正する言霊》を持つ俺。でも、全知全能の力で全てが解決したらつまらないじゃないか。まあ、要するに縛りプレイってことだよ。……って言いながらかなりの回数《勘違いを訂正する言霊》を使わされてしまったけどね」
「……つまり、貴様は必要のない者達を勇者パーティの仲間として身勝手な理屈のために魔族を虐殺したというのか。この戦いでは勇者パーティの仲間達も命を落としたのだろう? お前が巻き込まなければ彼らが死ぬことは無かった。……それに、我を倒したところで魔物が消える訳ではない。寧ろ、その逆だ。統率を失って暴走することになる」
「いいんだよ、それで。俺は魔王を殺せれば一区切り打てる。魔物? そんなもの、襲ってこれば普通に倒せば問題ないさ。ただ、俺の平穏を脅かした者達に、ただ対処だけで終わらせて泣き寝入りをするのが嫌だったってだけさ? 根本原因を叩きたくなるのは当然だろう? まあ、俺の前に住んでいた村の住民との関係は良好じゃなかったから、別に連中が魔物に襲われようが知ったこっちゃないんだけどね」
「…………もういい、お前とは会話が成立しないことが分かった。厄災リュート=オルゲルト、魔族と人類の敵である貴様を、魔王として討ち取ってみせる!!」
その日、人類を脅かしてきた魔王と、魔に堕ちた元勇者が、世界を救うために勇者に剣を向けた。
魔王と魔王妃の瞳に宿ったのは、絶対に目の前の厄災を生かしておいてはいけないという強い意志。
「やれるものならやってみろ」
全てを飲み込むような漆黒の瞳だけを爛々と輝かせ、感情が剥がれ落ちたような無表情との対比が不気味なリュートが聖剣をだらりと垂らしながら一歩ずつ魔王妃ミレディへと近づいていく。
「大切な人を殺されたら、魔王、お前はどんな表情を見せるのかな?」
薄気味悪い笑みを浮かべたリュートはこれまでのゆっくりな挙動が嘘のように床を砕く勢いで加速――。
「聖剣に選ばれし勇者リュート=オルゲルトが命ずる。魔を退け、滅ぼす力を顕現せよ――終焉聖蒼剣」
「闇よ、凝縮して我を守る盾となれ! 《ダークネスウォール》」
勇者の持つ最強の技を振り下ろしたリュート。対する魔王妃ミレディはタール状の闇の壁で防ごうとするが。
「あゝ、主よ! 迷える子羊達に道をお示しください! 悪しき闇をお祓いください! 《浄化の光》」
呆気なく闇の壁は崩壊し、魔王妃ミレディを守るものは無くなった。
「――ミレディ!!」
魔王ヘルベルトが間一髪お姫様抱っこで魔王妃ミレディを救い出したことで終焉聖蒼剣を回避することに成功した魔王妃ミレディ。
「姫の危機的状況を救う王子様……全く、これじゃあ俺が悪役みたいじゃないか。……だが、これならどうだい? 騎士剣術-閃光-」
女騎士のジェシカが独自に完成させた最速無比の突き……を途中でキャンセルし、リュートは聖剣を掲げた。
「聖剣に選ばれし勇者リュート=オルゲルトが命ずる。魔を退け、滅ぼす力を顕現せよ――終焉聖蒼剣」
「闇よ、凝縮して我を守る盾となれ! 《ダークネスウォール》」
リュートが狙ったのは魔王ヘルベルト。対する魔王ヘルベルトは闇の壁を顕現してリュートの一撃に対抗する……が。
「あゝ、主よ! 迷える子羊達に道をお示しください! その御光で遍く全てを照らし出し、あらゆる邪悪をお祓いください! 《主の光は世界を照らす》」
リュートはニヤリと嗤い、終焉聖蒼剣を上回る速度で神聖術を発動した。
神聖術は闇の壁を消し去り、その余波で魔王ヘルベルトにダメージを与えた。
魔王ヘルベルトは動けない。神聖術のダメージが動きを鈍らせていたのだ。
そこにリュートの無慈悲な一撃が振り下ろされる。
「――やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
◆
【三人称視点】
魔王ヘルベルトは死を覚悟し……ゆっくりと目を開けるとそこざ紛うことなき現実であることを悟った。
鮮血が魔王の漆黒の鎧を赤く塗らす。足元に崩れ落ちた愛する人は真一文字の傷を受けていた。
魔王妃ミレディはあの時、神聖術の余波で弱った体を無理矢理動かして魔王ヘルベルトとリュートの間に割って入った。
そして、魔王ヘルベルトがその身に受ける筈だった傷を代わりに受けたのだ。
「良かった…………貴方が、無事で」
魔王妃ミレディは弱々しく呟き、優しい眼差しを魔王ヘルベルトに向けた。
少しずつ魔王妃ミレディから体温が失われていっている。
「…………悲し、まないで。私は、いつまでも貴方と、共にいるわ」
少しずつ目から光が失われ、体温が失われ、魔王妃ミレディは完全に死体という物と化した。
もう二度と魔王妃ミレディは魔王ヘルベルトに微笑んではくれない。共に魔族の将来について語り合ってくれない。魔王ヘルベルトの隣に立って支えてくれることはない。
――愛する人は、もうこの世にはいない。
「ちっ、狙いがズレたか。しかし、まさかあの状況で動けるとはね。それが愛の力というものか。全く――反吐が出るよ」
リュートの全てを飲み込むような漆黒の瞳が魔王ヘルベルトと魔王妃ミレディに向けられる。
「…………見るな」
「――ん?」
「その目で我が妻を見るな。これ以上、我の大好きな人を貶めるな」
怒りに燃えている訳ではない。凪いだ、冷たい怒りを孕んだ瞳を向けられ、リュートは意外そうに魔王妃ミレディから視線を外し、魔王ヘルベルトだけを見据えた。
「意外だな。てっきり大切な人を殺されて怒り狂うと思っていたが……」
「我は怒り狂いたい……だが、冷静さを失っては貴様には勝てん。……妻のためにも絶対にお前には負けられない。今ここで貴様を殺し、我は妻の無念を晴らす!」
魔王妃ミレディの亡骸を玉座に座らせ、魔王ヘルベルトは魔剣を持ったまま加速した。
「魔剣に選ばれし魔王ヘルベルト=シューベァトが命ずる。魔を退け、滅ぼす力を顕現せよ――暗黒星雲撃」
「聖剣に選ばれし勇者ラインヘルト=ティヴォリッシュが命ずる。魔を退け、滅ぼす力を顕現せよ――星煌燦然撃」
魔王ヘルベルトとリュートの七連撃同士がぶつかった。
「聖剣に選ばれし勇者リュート=オルゲルトが命ずる。魔を退け、滅ぼす力を顕現せよ――快速聖蒼斬」
「遅い! 魔剣に選ばれし魔王ヘルベルト=シューベァトが命ずる。魔を退け、滅ぼす力を顕現せよ――快速邪赫撃」
リュートの斬撃に同種の斬撃をぶつけた魔王ヘルベルト。
「魔剣に選ばれし魔王ヘルベルト=シューベァトが命ずる。魔を退け、滅ぼす力を顕現せよ――快速邪赫撃」
更に、二発目の快速邪赫撃がリュートに襲い掛かる。剣士としては人類でも上位に位置するリュートよりも、魔王の剣術の腕のほうが僅かに優っていた。
だが――。
「な、何故、何故我がダメージを」
それでもリュートは絶対に倒せない。危機回避モードをより、リュートに与えられたダメージは全てダメージを与えたものがその身に受けるのだ。
魔王ヘルベルトは自身の攻撃のダメージをその身に受け、更にリュート自身の攻撃と受けてどんどん弱っていく。
「聖剣に選ばれし勇者リュート=オルゲルトが命ずる。魔を退け、滅ぼす力を顕現せよ――終焉聖蒼剣」
リュートの放った終焉をもたらす勇者の必殺技がトドメとなり、魔王ヘルベルトは命を落とした。
リュートは《キリング・フィールド》と《インシュレーション・フィールド》を解除し、涙を流して抱きついてきたエレインを抱擁した。
◆
【三人称視点】
「良かった……リュートさんが無事で」
エレインは数十分後には、ようやく泣きやんだ。
ジェシカはそんなエレインを優しく見つめながら、複雑な表情を浮かべていた。
グローレン、ウォーロン、レスター……共に魔王討伐を喜びたかった仲間はもういない。
もし、魔王との戦いでリュートが魔王の命と引き換えに命を落としていたら、きっとジェシカの心は壊れてしまっていた。
ジェシカは、仲間達の死を悲しむ一方で、死んでしまったのがリュートじゃなくて良かったと思ってしまった自分を最低だと思った。
ジェシカは普段こそ気の強い女騎士として振舞っているが、中身は乙女だ。
ジェシカには好きな人がいる。その人は、普段ぽやんとしていて、しかしいざという時には頼りになる、ジェシカのことも女扱いしてくれ「甘えたい時は甘えればいいんだよ」と困った表情で言ってくれる……そういう人だ。
どうやらエレインも同じ人が好きなようで、ジェシカはライバルとして警戒していた。
しかし、勇者パーティとして旅をしていれば間違いの一つや二つ起こしてくれるだろうと思っていたのに、その期待を裏切り、リュートは二人に手を出さなかった。
これで魔王討伐の旅が終わる。旅が終わったらどうなるのか? 勇者パーティは解体されるのだろうか? みんなバラバラになってしまうのか。
とはいえ、例え勇者パーティが維持されてもリュートとの関係はそのままの可能性が高い。
結局、ジェシカとエレインは自分から告白する勇気が無かった。告白した結果、これまでの関係が崩れるのが恐ろしかった。そうしてグダグダしていた結果、リュートは二人に手を出すという間違いを犯さずここまで来てしまった。
せめて切っ掛けが欲しかった。なんらかの形でどさくさに紛れて気持ちを伝えられる状況が、或いは自分が追い詰められて意思を伝えられる状況が欲しかった。
だが、それこそ高望みし過ぎだろうと、ジェシカとエレインは思考を断ち切った。示し合わせた訳でもないのに、二人は全く同じ考えに行き着き、そんなことはあり得ないと断じたのである。
「……しかし、まさかリュートさんが神聖術を使えるなんて驚きでした。使えるなら、そう言ってくれれば良かったのに……」
「あっ、そういえばそうだった。勘違いしているよ、俺は魔王や魔王妃と剣技と魔術だけで戦ったんだ。それと、魔王妃は元勇者じゃない、元々魔族だったんだよ」
魔王妃の亡骸の手から聖剣が消え失せ、同時に世界の歴史から一人の勇者の存在が抹消され、魔王と幼馴染の関係にあり、魔王の側近として伴侶として魔王を支え続けた魔王妃ミレディの存在が刻まれた。
「それじゃあ、国に報告しないとね」
リュートは魔王ヘルベルトと魔王妃ミレディの首を落とし、木製の箱に収めて魔王討伐の証として持ち帰った。
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【三人称視点】
「魔王を倒したのは、ヴァルファス王国第一王子、ルウェリンだ。皆の者、世界は平和になったぞ!!」
金髪に碧眼、絵に描いたような王子が剣を振り上げて声を上げる。
それに合わせて民衆達が歓声をあげる。
「ん? リュートか。まだここに居たのか。もう帰ってよいぞ」
かつての仲間である女僧侶と女騎士を侍らせた王子が整った彫刻のような顔を歪めて、下衆な表情を浮かべる。
魔王を倒した功績はリュートのものだ。聖剣を振るうリュートと魔剣を振るう魔王の剣速は最早人外の領域に至り、それはそれは壮絶なものだった。
だが、その功績の上澄みは全て王子に掻っ攫われた。挙句、仲間の女僧侶と女騎士にも裏切られ、王子の嘘を肯定されてしまっている。
それに対し、勇者の称号を剥奪された、勇者(元)は。
(……どうしよう。こういう時ってどんな表情をすればいいんだろう? 疑問に思われても面倒だし。自然自然……自然ってなんだろう?)
リュートはあくまで自然にこの状況に相応しい表情を作ろうとするも、その感情が分からず上手く作れない。
考えた挙句面倒になったリュートは無表情でその場を後にし、魔王討伐以前に住んでいた村に戻った。