【犬吠埼啓視点】結局異世界でも虐げられてきた者が虐げられ続ける運命は変わらないようだ。
僕と織田君、後田君、楠木君はとある趣味を共有している言わば同志である。
その趣味は、世間一般で言うところのサブカルチャー。その中でも最近は特に異世界ものというジャンルにのめり込んでいる。
僕達は、異世界に行った時のためにと称して人知れずサバイバル技術を鍛錬したこともあった。中には実際にアウトドア施設で講習を受けたり、実際に何度かキャンプを実施したこともある。
高校に行く時も常に十得ナイフを荷物に忍ばせていた。
勿論、実際に異世界召喚が行われると信じるほど現実と二次元を混同していた訳ではない。ただ、そうやって同じ趣味を共有する同士達と過ごすのが楽しかった。
だから、あの日――教室に異世界召喚の魔法陣が出現した時は嬉しさと困惑が入り混じったような感じだった。きっとそれは僕だけじゃない、織田君達も同じだったと思う。
だけど何も準備していなかった、心の準備ができていなかった他のクラスメイト達よりは遥かに優遇された立ち位置にいた筈だ。
僕達は誰よりも先にスキルを得る機会を手にした。この世界に召喚した神様からタブレットを奪い取り、その中から目ぼしいものを選んでいく。
織田君はチートスキルの【経験値アップ】とアイテム詰め合わせ《聖騎士》、聖騎士を選んだ。
後田君はアイテム詰め合わせ《弓使い》と弓使い、【魔力察知】を選んた。
楠木君はアイテム詰め合わせ《武闘家》と武闘家を選んだ。
そして、僕はアイテム詰め合わせ《枢機卿》と職業枢機卿を選んだ。
ここまでは完璧だった。だけど、現実は得てしてそう思い通りにいかないものなのだろう。寧ろ、ここまで完璧に進み過ぎていたのだろう。
「オタク共を取り押さえろ! 虎雄、白鬼、大介、猛!!」
不良のリーダー佐伯が命令を下し、四人の不良が一斉に僕達を追いかけ始めた。
僕達は必死で走った。息が上がり苦しくなっても必死に走り続けた。ここで捕まれば夢の異世界は崩壊。それどころか全てが終わる。だけど、僕は丑寅に捕まってしまった。
幸いなのか捕まったのは僕だけだったようだ。四人全員が捕まるという最悪の事態だけはどうにか免れたが、僕の異世界生活はお先真っ暗だ。
「ちっ、一人だけか。まあ良い、俺達も行くぞ!」
佐伯は僕の首根っこを掴んでそのまま扉へと進んでいく。僕はここで抗っても無駄なことを理解していたから、特に抵抗もせず彼らに従った。
悔しくて噛んだ唇から血が出たのか、口の中に鉄の味が広がった。
◆
異世界生活一日目 場所???の森
「おい、オタ。なにボサッとしてんだぁ」
扉を抜けて異世界に辿り着いて聞いた第一声が、それだった。
その男を正確を端的に表しているような粘着質な声に、僕は彼らから逃げようのないという現実を再度思い知らされた。
異世界に行くのが楽しみだった。だが、異世界に来て僕が感じているのはどこまでも底なしの絶望感。どうやら、僕はただ異世界に行きたかったのではなく、織田君達と一緒に異世界に行きたかったようだ。
失って初めて知った友達のありがたみをしみじみと噛み締めながらいると、思いっきり顔面を殴られた。
殴ってきたのは、粘着質な声の主でモヒカンなチンピラ――丑寅虎雄。鬼門なのか、虎〃言っているだけなのかは地球にいた頃からの謎だ。不良ではあるが、佐伯が居なければ暴力の一つも振るえない所謂なんちゃって不良という奴である。……ス●夫の上位互換か下位互換か、よく分からない奴だな。
「おい、オタ。てめえらの得意分野だろ。こういう時に役立つからてめえら社会のゴミどもに生きている価値があるんだよ! とっとと異世界について話せ。全て話せ」
……ふっ、この佐伯という不良は全く世の中の道理というものを理解していないようだ。
オタクは全く何も生み出さない、社会のゴミだって? なら、そのサブカルチャーによってどれほどの経済効果が生み出されているのか、お前達は知っているか?
最早サブカルチャーは日本の主産業の一角まで上り詰めてきているんだよ! うん、サブなのにメインって矛盾してるな。
最近は海外でもアニメや漫画がクールジャパンとして人気を集めているんだよ。……まあ、世界第二位の漫画大国でJapan Expoが開かれているフランスには元々bande dessinéeっていう漫画文化があったから、元々アニメや漫画を受け入れやすい土壌ではあったんだけど。
「ふっ、どっちが主導権を握っているのか気づいていないようだね。僕が話さなければ困るのは君達だろ? なら、頭を地面に擦り付けて『犬吠埼様、どうかお教え下さい』って言うくらいのことをしてもらわないと」
この場で主導権を握っているのは現状僕の方だ。僕が話さなければ不良達は彼らが馬鹿にしたオタク知識無しでこの異世界という未開の地を生きていかなければならないのだから。……少なくとも不良達はそう思い込んでいる。
いくら殴られようとも口を開かない限りは僕の勝ちだ。例え殺されたとしても、情報だけは守られる。だから不良達は僕を殺せない。
「ふっ、俺には【即死】のスキルがある。てめえの命の蝋燭なんて一瞬で吹き消せるんだよ。命が惜しいならとっとと口を割れ」
「僕の命を奪うのかい? でも、それだと君達が聞き出したいことは一生聞き出せないと思うよ」
「ちっ、オタクの癖に変な時だけ頭がキレる。佐伯様、ここで殺っちゃいましょうよ」
オールバックなチンピラ――畠山が嗜虐的な笑みを浮かべながら佐伯に進言する。
「おい、畠山」
「はい!」
「黙っていろ。あのオタを殺す前にまずてめえを殺すぞ。……コイツを殺したら元も子もない。コイツが口を破るようにするのがてめえらの仕事だ。それができねえなら、お前達に価値は無い」
「……ッ! はっ、はい」
畠山は目に見えて青褪めていた。
佐伯にとって、取り巻き達に便利な道具以上の意味は無いのだろう。
使えないのであれば価値は無い。佐伯に嫌われれば苛める側から苛められる側に回るというのは佐伯を頂点とするコミュニティの中では常識だった。
それでもまだ地球にいた頃は良かったのかもしれない。佐伯にできることは苛めることのみ――直接命を奪うことはできなかった。
苛めで人死が出るのは苛められっ子が自殺の道を選ぶからであり、佐伯のような苛めっ子が苛めたことが直接の死因では無い。
勿論、僕の考えが不謹慎なもののことは承知の上だ。苛められっ子が自殺の道を選ぶのは生きるのが辛いと思ってしまうほど追い詰められてしまうから。それは、苛められっ子だった僕自身理解しているつもりでいる。
まだ完全に心が折られてしまうところまで行かなかった僕には彼らの気持ちを完全に理解できるとは言えない。僕には同じ趣味を共有できる仲間がいた。彼らが居たから生きられた。だが、果たして彼らが居なかったら僕はどうなって居たのか、少なくとも本当に最後まで追い詰められた苛められっ子に比べれば幾分か幸福だった僕にはその気持ちを完全に理解することはできない。
だが、それを踏まえても今の佐伯はかつての苛めっ子だった佐伯よりも遥かに厄介なのだ。
佐伯を端的に表す言葉は「俺のものは俺のもの、てめえのものも俺のもの。全て俺様によこせ!」だった。
だが、果たして地球においてそれは本当に全てだったのか?
今の佐伯には、相手の目に見えて持っているものだけではない。相手の命――即ち人生すらも奪い取ることができる。気に入らなければ【即死】を使えばそれで人生を終わらせられる。
今の佐伯に奪えないものは無い。逆らえば死ぬ、少しでも機嫌を損ねれば死ぬ。佐伯のコミュニティで生きるのならば、全て佐伯の思う通りに動かなければならない。……普通ならば。
今の俺には価値がある。少なくとも佐伯も含め不良達はそう思い込んでいる。
本当は、そんなものが無くても異世界で生きること自体は可能だ。この世界の人間なら亜人なり知的生命体に遭遇できれば、この世界で生きる知恵を得ることは可能だろうし、最悪誰とも会えなかったとしてもなんとかなってしまう可能性は無きにしも非ずだ。
勿論、生存確率は大きく下がるだろう。だがゼロになる訳では無い。
佐伯達がもし僕から有用性が失われたと分かれば僕はすぐさま殺されるだろう。僕の知識が無くても異世界で暮らせることが分かってもゲームオーバーだ。
正直、さっきは死を恐れていないような口ぶりで挑発したが、本当は物凄く恐ろしい。……こんなところで、夢も叶えられずにいる死にたくない。
だから、僕は少しでも情報提供を引き延ばしながら少しでも時間を稼ぐ。だからと言って何かが変わる訳でも無いだろうが、少なくとも今すぐ殺されるよりはマシだ。そして、その時が続くうちは少なくとも取り巻き達よりは安全が保障される。……まあ、その取り巻き達は今でも自分が僕よりも優位な立場にいると思い込んでいるみたいだけどね。
「とりあえず、まずはてめえらが何を選んだか確認する。ちゃんと使えるものを選んでいるよな! もし使えねえなら今ここで【即死】るぞ!!」
佐伯達は持ち物の確認を始めたようだ。佐伯は魔剣レーヴァテインを、丑寅は魔剣フリークダイアモンドと霊薬を、栗栖は天之瓊矛を、畠山は魔法書ネクロノミコンを、赤城は雷霆槌ミョルニルをそれぞれ選んだようで、それぞれ自慢するように出している。
……結構北欧神話寄りだな。若干日本神話とかクトゥルフ神話とか錬金術とか混じっているけど。
……というか、丑寅。その魔剣フリークダイアモンドは嬉しそうに見せびらかすものじゃないぞ。神話通りなら「相手は死ぬ、自分も半分死ぬ」というフレーバーテキストが付いているネタ武器だ。
ふふふ、オタクを馬鹿にするからそんなネタ武器を選ぶ羽目になるんだよ。本当に滑稽だな。
そうか、半分死んだ自分を霊薬で回復させて元通りにするって魂胆か。……うん、佐伯に「俺のものは俺のもの、てめえのものも俺のもの。全て俺様によこせ!」で全部奪われると思うけど。
「おい、オタ! てめえは何を持ってきたんだ? あっ、そういえばてめえ縛られて動けねえんだったな。代わりに俺が見てやるよ」
僕が選んだのはアイテム詰め合わせ《枢機卿》――僕にとっては有用なものだが、佐伯達にとっては無用の長物だ。
「ちっ、俺達には使えそうにないものだ。これはてめえにやるよ!」
……いや、それ元々僕のなんですが。そんなしたり顔をするようなことでも無いと思うんですが。
というか、縛られているから装備できない!
「佐伯様、コイツ十得ナイフ隠し持っていやがった!」
僕のリュックを漁っていた栗栖が十得ナイフを見つけたようだ。……くっ、まさか見つけられるとは。
「オタ、いいもん持ってんじゃねえか。コイツは貰ってやるよ!」
いや、上から目線で言うくらいなら貰わなくてもいいですから、とっとと返して下さい。
それは、僕の大切なものだァ!!
「とりあえず、持ち物については確認したな。次はスキルの確認をしたいが……おっ、そう言っていたら勝手に何か出たな」
ちっ、オタク知識無しにステータスを表示しやがった。つくづくヌルゲーな異世界だな。
不良達が盛り上がっている中、僕もステータスを呼び出しを試みてみる。頭で想像しても出てこない……ということは何かキーワードが必要なのか?
「……ステータス?」
あっ、出た。ってことは関連ワードを口に出すとステータスが表示されるって仕様なのか?
-----------------------------------------------
NAME:犬吠埼啓 AGE:16歳
LEVEL:1 NEXT:10EXP
HP:29/29
MP:33/33
STR:15
DEX:20
INT:16
CON:35
APP:8
POW:32
LUCK:9
JOB:枢機卿
SKILL
【回復魔法】LEVEL:1
【神聖魔法】LEVEL:1
【魔力回復】LEVEL:1
【体力回復】LEVEL:1
ITEM
・月桂の聖樹杖
・枢機卿の法衣
・枢機卿の帽子
・学生服
NOTICE
・通知一件
→未使用のポイントが後100あります。
-----------------------------------------------
この三つのアイテムはアイテム詰め合わせ《枢機卿》に入っていた杖と法衣と帽子のことだろう。
……織田君達三人に回復職の僕が加わることで完璧になる筈だった。そのためにスキルを選んだ。
それが裏目に出た。今の僕に攻撃手段は無い。不良達を倒すことはできない。
「おい、オタ。てめえのステータスを教えやがれ」
僕に佐伯達のステータスを知る術はないように、佐伯達に僕のステータスを知る術はない。
佐伯達は殴る蹴るの暴行を繰り返し僕にステータスを吐かせようとするが、僕は終始一貫口を閉ざした。
やがて、佐伯達も諦めたのかステータスを聞き出そうとはしなくなった。
結局異世界でも虐げられてきた者が虐げられ続ける運命は変わらないようだ。
だけど、僕はまだ諦めた訳ではない。例えどれだけ暴行されても、ほんの僅かでも生きられる可能性があるのならば、それに縋り付く。
僕にとっての異世界生活は振るわれる暴力の痛みとの勝負のようだ。……こんな異世界生活は望んでいなかったんだけどな。