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能因草子パーティメンバー、それぞれの休日⑤

【三人称視点】


 異世界生活百六十四日目 場所コンラッセン大平原、能因草子の隠れ家(旧古びた洋館)


「俺、前々から思っていたんだが……絶対におかしいと思うんだ」


 能因草子の隠れ家にある織田に割り当てられた部屋に、後田、楠木、木村、犬吠埼の四人が呼ばれ、恒例の男子会(ただし、草子達と合流してからは初)が開催されていた。


「俺達は異世界に夢を抱いていた。ケモ耳の獣人、触手に襲われるエロフ、ドワーフ娘、くっころな女騎士、宿屋の看板娘、盗賊に襲われた令嬢達……奴隷少女達のハーレム……あわよくば白崎さんや夢咲さんを加えて……なんて妄想していた。しかし、どういうことだ? 異世界に転移したのに、何故俺達は未だに男五人で男子会をしているのだ!?」


 織田の絶叫に、後田、楠木、犬吠埼が「そうだそうだ」と囃し立てる。

 唯一、ヲタク組ではなく不良組に分類される木村は――。


(……ヲタさん達も結局佐伯さん達と変わらないよね?)


 と、内心で思いながらも表情には出さず、なんでこんな場所に呼ばれてしまったのかと遠い目をしていた。


「そもそも、奴隷制度自体根絶されたし……いや、奴隷制度は悪いと思うよ? 悪いと思うけど、異世界で奴隷ハーレムって夢じゃないか? ……というか、本当に草子ってなんなんだ? 奴隷解放をしたならハーレムだって作れるだろうし、実際にお弟子さん達は可愛らしいんだろ? 男の娘もアリだと思うし……それに、何気に獣人に、エルフに、ドワーフに、宿屋の看板娘に、貴族令嬢に、女騎士に、クラスの美少女達に……とりあえず異世界のハーレムテンプレは全部網羅しているのに、何故ハーレムになって……いるのか? なんとも煮え切らない感じだし……本当にアイツは何をしたいんだ? 好きじゃないなら独占するなよ!」


 当然ながら、織田達の主張は間違っている。

 織田達にだって自分の願望を叶える機会があった。実際に白崎はいなかったが、夢咲とは途中から行動を共にしていたのだ。

 しかし、織田達は行動を起こさなかった。夢咲達が強くなっていたことで、織田達が「異世界に転移したヲタクが知識チートでハーレムを築く」というテンプレは不可能になったが、それでもまだ方法はいくらかあった。


「……草子君って草食系なのかな? でも、それならなんであんなに美少女達を侍らせているんだろう?」


「侍らせているんじゃなくて、文字通り勝手についてきただけなんじゃないかな? 草子君って別にハーレムを作りたいとか、そういう下心があって動いている訳じゃないし。だから、白崎さん達も草子君のことを信頼して、好きになったんじゃないかな? ……まあ、それも今はまだ片思いに近いみたいだけど」


 暴走しがちなヲタク達の手綱を引く役割になりつつある元不良なのに常識人枠の木村が「絶対に俺の役割じゃないんだけど……他に適任いるよね!?」と内心思いながら草子を弁護する。


「まあ、確かに草子君って基本的に本を読んでばかりいてクラスの女子とかにも興味がなさそうだったし……というか、オープンキャンパスに参加しろよって紙配られた次の週からは何故か不定期で学校を休んでいたよね? 僕、草子君に面白そうなライトノベル、何かあるか聞こうと思った日にいないな、と思ってびっくりした記憶がある。でも、欠席って言われてなかったし……もしかして、先生にも気づかれていなかった?」


「えっ? そうなの、犬吠埼君。白崎さんも何も言ってなかったし、もしかしていなくても気づかれないくらい興味を持たれていなかったとか? ……あはは、まさかそんなに影薄かった草子君が異世界に来てハーレム男になるなんて……俺達よりディープなヲタクだとは思っていたけど、こんなに化けるとは思わなかったよ。……まるで異世界モノの主人公だな」


「……すまん、異世界に転移したら俺、主人公になれるんじゃないかって思っていた」


「「「()も」」」


 異世界に行けば、どんなダメ人間であってもハーレムを築ける。勿論、そんなものは幻想だ。

 朱に交われば赤くなるとは言うが、結局変わるか変わらないかは自分次第ということである。

 織田達はそれを理解していなかった。ヲタクは異世界に行けば必ず主人公になれると錯覚していた。


 勿論、非日常に置かれた状況で突然弾けるタイプというのはいままで目立たなかったモブだ。その中に織田達は当てはまるだろう。

 その点においては、人並み以上に能力が高くてバランスも取れているけれど、逆に言えば意外性も発展性もない登場人物よりも救いがある……が、それは普通の非日常という一見すると矛盾するような状況に置かれた場合だ。


 異世界カオスというのは、それに当てはまらない。

 暮らそうと思えば飛ばされる先さえ良ければそれなりの暮らしができるし、ジャンルさえ選べば頂点を取ることだって可能だ。

 冒険者として成功することもコツコツと努力していけば可能だし、一定レベルにはそれこそ誰だって到達できる。


 しかし、ヴァパリア黎明結社の隠れ蓑に関わった途端、難易度が激変する。並みの主人公ならば瞬殺される領域――そこで戦うためには超越者(デスペラード)に至る必要があり、そこまでこれば後は相性の問題だ。

 ヲタクの知識は彼ら超越者(デスペラード)との勝負の際に役立つ……が、そこまで来れば最早ヲタクである必要はない。


「そもそも草子君ってナニモノなんだろうね? 白崎さん達もこっちの世界に来てから色々と話を聞いたみたいだけど、聞けば聞くほど本当にナニモノなんだろう……って謎が深まるばかりだ。オープンキャンパスに行って大学教授に絶賛されて、そこからクラスでの成績が急上昇したって聞いたけど……それって本当にあり得るのか? 人ってそんな簡単に変われるのか?」


 「異世界に行けばヲタクは変われる」って言っていた人と同一人物とは思えない発言である。


「実は俺、一学期の考査の時に用事があって職員室に行ったんだけどさ」


「……不良に職員室って似合わないな」


 木村は佐伯達の取り巻きで、なんちゃってでも不良だった。不良といえばアウトローなイメージだ。そんな木村が学校の法の象徴である職員室に行く姿は想像できない。


「まあ、織田君がそう言いたくなる気持ちも分かるよ。……本当に考査とは関係ない用事だったんだけど……その時に木村ちゃんがテストの成績の一覧が載ったプリントを持ったまま固まっていたんだ……そういえば、若干口元を歪ませていたっけ?」


「木村ちゃん……って、木村先生のことだよな? 国語系を担当している美人の……というか、見たのか?」


「いや、いくら不良でも先生のスカートをめくるとかしないよ!?」


「いや、それはアウトだろ!! ……そうじゃなくて、成績」


「……見る訳ないだろ? 成績がいいなら比較してやったぜ! やれるけど、俺って自分で言っていて悲しくなるけど頭悪いからさ」


 激しく落ち込む木村の肩を織田はポンポンと軽く叩いた。

 後田、楠木、犬吠埼も優しい眼差しを木村に向け、「分かっている」とばかりに頷く。

 木村はここでようやく気づいた。不良である木村とヲタクである織田達――対極にある自分達の唯一の共通点。


「ちっきしょぉぉぉぉぉぉぉ!!」


 木村の叫聲が屋敷の中を駆け巡った。



【木下花奏視点】


『やはり、一位は白崎華代さんですか。才色兼備の委員長さんは我が校の誉れですな』


『相沢秀吉君も性格さえ良ければ優秀で素晴らしいですが……流石にそれを求めるのは酷でしょう』


 禿げ散らかした教師が下心丸出しの表情を浮かべながら白崎を絶賛し、眼鏡の教師が眼鏡をクイッと動かしながら相沢の性格に文句をつける。


(ああ……馬鹿らしい)


 作品論が凝縮され、一つの決められた答えのみを押し付ける、まるでロボットでも量産したいのかという学習指導要領を読んでいた私は教師達の会話を聞きながら内心溜息を吐いた。

 ここは自称(・・)進学校だ。進学校などでは断じてない。

 集まる生徒もお世辞にも賢いとは言えず、教師の質もいいとは言えない。たまにまともな教師が赴任してくることもあるが、そういう教師はパワハラやセクハラ、生徒からの逆イジメやモンスターペアレントからの重圧に心を折られてやめていく。


 それに、ここでは出世の道はない。とある教育大学を卒業した者だけが出世できる、先輩後輩の関係が強いここで、女子大の文学部出の私に出世の可能性はほとんどない。……それに、女であることも不利な要素よね。


 大半の教師にとって生徒とは己の出世の道具に過ぎない。優秀な生徒を育てたということはそれだけで泊がつくものだ。

 まあ、禿げ散らかした教師には、単純に白崎さんに対する気持ち悪い執着があるようだが……クラスの高嶺の花な美少女を教師が権利を利用して思い通りにするとか、それエロ漫画の世界ならともかく現実でやったら取っ捕まるぞ!


 私は……こんなことのために教師を目指していた訳ではない。

 楽しい授業をしたかった。文学の面白さを生徒に伝えたかった。だから、研究者ではなく一般企業への就職でもなく、教師を選んだ……それなのに。


 私は腐りきった教育の象徴を机に戻し……そこで一枚の紙が目に入った。

 禿げ散らかした教師や眼鏡の教師が持っていたものと同じもの……決して公にすることはできない全生徒の成績の一覧表。


 それを何気なく眺めた瞬間……背中にナイフを突き立てられたような錯覚を覚えた。


 その生徒の名前は能因草子……食べたいほど本が好きだという一風変わった自己紹介をして、クラス全員から引かれていた生徒だが、それ以外は授業中も静かで、まるでいないと錯覚するような存在感の無さがあった。


 成績は高くない。白崎さんや相沢君には遠く及ばない……表面上はそう見える。

 でも、これは絶対に違う。一人だけ真面目にテストを受けていない人がいる。


 目立たないような点数で、しかし遊び心を忘れない。

 高得点の生徒や低得点の生徒にしか目がいかない、自分のことしか考えていない教師には一生分からないだろう。


(ああ、舐められているんだな……私達って)


 ここまでストレートに生徒に舐められたことは無かった。

 現代文65点、数学49点、歴史66点、地学基礎63点、英語50点。平均からほど近い位置に設定された点数の一の位を読むと59630(ごくろうさん)


 ちなみに、昔はご苦労様でしたも目上の人に使っていい言葉だったが、現在はご苦労様は目上の人には使ってはいけない労いの言葉とされている。上司に使うべきなのはお疲れ様ですの方だ。

 ……そこがまたムカつく。


(少しカマをかけてみようかな?)


 舐められたままでは終わりたくない。今回は特殊なパターンということもあり、苛立ちを覚えた私は能因草子という生徒を試すことにした。



 能因草子という生徒は少し冴えない、普通の男子高校生だった。クラスの中では目立たない、異世界に行ったら弾けるタイプという印象だ。

 しかし、私の予想ではこの能因草子は綾小路タイプである。つまり、高尚な方法で目立たない生徒を演じるという矛盾したことをしているというよくよく考えれば面白い人物である。

 まあ、要するに気づかないお前らは馬鹿だと暗に言っているってことね。


 まず、私は気づかれない程度に何度か能因草子を当て、解答させた。その際、威圧してはぐらかされないようにするのも忘れない。……まあ、その時点で私の目論見はバレているかもしれないけど。

 能因草子は嫌そうに懇切丁寧な答えを口にした。クラスからは称賛の声が上がらない。本好きだからそれくらい答えられて当然とでも思われているのかな?


 そして、その答えられた問題のみを抽出して小テストを作って授業中に出す。ついでに「全員の成績を発表してみようかな?」と意地悪なことを言った。

 その結果……。


「やっぱり……舐めているよ、この子」


 きっちり百点満点中五十点を取った能因草子……何故だ、何故授業中には答えられたのにテストになると半分しか解けない。

 能因草子の意思は分かった。……結局、高校にその程度しか価値がないと言いたいのよね。

 できるのに実力を隠す、それは目立ちたくないから。それに、目立ってまで頑張る価値がこの学校の授業にはないから。

 狙って成績を取れるということは勉強は人並み以上にできる。もしかしたら成績最優秀の白崎さんですら勝ち目がないほどの知能を有しているのかもしれない。


 まあ、気持ちは分からないまでもない。私だってこの職場は嫌いだ。なんのために教師になったのかも分からない。思いがあるのに、何も変えようとしない、当たり前のように上から指示された授業を淡々とこなすだけの私は私利私欲に塗れ、生徒を第一に考えない教師と一体何が違うのか……。

 ただ、素直に勿体無いと思った。周りの目が気になるから、目立つと面倒だからと折角賢いのに、それを披露する場が、伸ばす場がない。


 出る杭は打たれる……あの男子高校生はそれを理解している。だからこそ、表面上は平均値の、変態なだけの男子高校生を演じている……変態ってかなりインパクトのある個性だと思うけどな。


 そんな、高校というシステムそのものを馬鹿にしたような能因草子に変化が現れた。

 彼がとある国立大学のオープンキャンパスに参加した翌日から、彼の授業への打ち込み方に変化が出た。


 授業に打ち込む姿勢が違う……明らかに目立たないように立ち回っている時とは異なる姿があった。

 その一方で能因草子は高校を休むことも増えた。出席日数が足りなくならないように計算して的確に休んでいる……これでは目立って仕方ないだろうと思ったが、誰も草子が休んでいることに気づかなかった。あの、白崎さんでさえもだ。


 気づいているのは私だけ……能因草子に興味を持ってその行動を注視していたからこそ気づけたのだと思う。


 ますます意味が分からない。なんで、授業に真剣に打ち込むようになったのに、高校を休む日が増えているのか。矛盾しているじゃないか……。


 能因草子の不審な動き――その理由は意外な場所からもたらされた。


『久しぶりね、木下さん。元気にしていたかしら?』


 大学時代に取ったゼミの担当教授で、卒業論文を書く際にお世話になった(もり)林子(りんこ)先生……しかし、大学を卒業してからは連絡を取ったことがなかった。


『貴女の勤めている高校に能因草子って高校生がいるわよね? ……あの子、凄いわよ。きっと、文学研究の歴史に名を残すことになると思うわ』


 何故、森先生の口から能因草子の名前が出たのか分からなかった。


 森先生と能因草子の間に接点はない。彼はただの高校生だ。大学の教授と関わるとなればオープンキャンパスだが、森先生が勤めているのは女子大。

 能因草子が女子大のオープンキャンパスに行くというのは意味が分からない……しかし、大学と関わるとなれば、それ以外に思いつかない。


『もしかして、木下さんは知らなかったのかしら? 最近文学研究の舞台に現れたばかりなのだけど、既に文学研究者の大半が彼に期待を寄せているわ。国立大学のオープンキャンパスに現れた新星――その文学知識は……大学教授と互角、或いは凌駕するかもしれない。古代から中世文学研究の第一人者、浅野天福教授の評価ではね。そして、他の研究者達も同じような見解を示している。様々な大学が彼の住所をなんとか特定して紀要を送りつけて、「是非うちの大学に来て欲しい」と暗にアピールしているようだけど、彼の気持ちは固そうだし……そもそもうちは女子大だから……もう、いっそ彼のために男女共学にしてもいいとは思うのだけど、文学研究の価値をまるで理解していないのが昨今の世論だし、お嬢様学校であることに拘りを持っているお金持ち(ブルジョワ)を説得することはできない……流石に諦めたわ』


 彼はオープンキャンパスで一体何をしていたんだ?

 確かに賢いとは思っていたし、その実力を認めていたけど……まさか、たった一度オープンキャンパスに参加しただけで引く手数多になるなんて。……これ、前代未聞じゃないかな?


 能因草子はオープンキャンパス以降、度々大学に足を運んでいるらしい。大学に問い合わせたところ、高校を休んだ日にも大学に行っていた……あっ、大学に通っていたから高校を休んでいたのか。

 能因草子にとって高校は息の詰まりそうな場所で、大学は彼に最も合った場所だったのだろう。その気持ちは分からないでもない……。

 これ、教師としてはどうするべきなのか? 能因草子を全力で応援してあげるべきか、しっかり高校に通うように指導を入れるべきなのか? ……いや、成績は下がっていないし、居ても居なくても気づかれないのならそもそも高校に通う理由が高校卒業認定以外にあるのか……。


 迷った末に私は能因草子を指導することをやめた。この高校で彼に得られるものはほとんどない……ならば、彼が沢山のものを得られる場所で、伸び伸びとやりたいことをやり、才能を発揮した方が絶対にいい。それが合理的な時間の使い方というものだ。


「……まあ、教師としては私の授業が価値がないと見られているってのは確かに悲しいけどね。……まあ、事実だし」


 自分でも寝てしまいそうなつまらない授業を生徒達に強要している。その自覚はある。

 もっと私のやりたいように、楽しい授業をしたい……でも、それはこの環境では無理だ。

 高校というステップを飛び越えて半分大学という次のステップに足を踏み入れている文学の天才に、私は憧憬を抱いた。

 


 一学期の期末テスト――能因草子が猫を被らなくなってから初めての考査の結果が出たその日、職員室は阿鼻叫喚の渦中となっていた。

 予想外の番狂わせに教師達が衝撃を受けている中、私は一人机に座り、白崎さんの実力を高く評価しながら下卑た表情を浮かべ、相沢君の性格の問題点を何様だという視点から批判していた教師達に内心で「ざまぁ」と呟いた。

 本当の天才が今まで爪を隠していた。できる問題とできない問題を完璧に見極め、教師を嘲笑う点数を叩き出していたのに、それに気づいた教師以外は私以外にいない。これほど楽しいことはない。


 成績は学年十位、現代文と古典の成績は学年一位。ほぼ無名の、変態性というマイナス要素しかない冴えない男子高校生がたった一つの領域でも我が校の高嶺の花(アイドル)に優ったということは教師達にとっては驚愕の事実だったのであろう。

 模範的な生徒の偶像化するなら、白崎さんのようなタイプが望ましい。白崎さんが容姿端麗、成績優秀な模範的な生徒であるというのは教師としては色々と楽なのだ。


 だからこそ、その看板に傷が付くのは困る。教師達が阿鼻叫喚の声を上げているのはそれ故だ。


「失礼します。木下女史はいらっしゃいますか?」


 その阿鼻叫喚はまさかの本人の登場で更に収集がつかないものになった。

 青筋を立て、笑っていない笑いを浮かべている能因草子の姿にはSAN値がゴリゴリ削られそうな凄みがあった。


「木下は私ですが……どうなさいました? 現代文と古典は満点だった筈ですが」


 何か間違いがあっただろうか? 成績が最も高かった教科の教師に何故怒りをぶつけるのか、全く意味が分からない。


「どうもこうもありませんよ。実力テストと中間テストでは怒りを抑えていましたが、流石に三度目は許せません! この〈作者の……「おほほほほ、これは失礼致しました。どうぞ、続きは生徒指導室で聞かせていただきますわ!!」


 完全に口調が崩壊していた気がするような……あの時、本当に頭が真っ白になったのよ。

 まさか職員室に乗り込んできて現代国語教育の闇を堂々と暴こうとするなんて……そんなことをしたら教師に一気に目をつけられて退学にされるかもしれないわよ!!


 幸い、能因草子は理解があるタイプだった。私も〈作者の意図〉という作品論的な考え方は違う考えを許さない正解主義には苛立ちを感じていたし、気持ちは彼と同じだった。

 でも、私は一公僕……学校教育に蔓延る闇を払う力はない。そのことを彼も分かってくれたらしい。


「もしかして……木下女史って教育大学じゃなくて文学部出身ですか?」


「…………ふぇ?」


「いや、テクスト論とかもしっかりと分かっているみたいですし、大学の文学研究を知っている人が高校のカリキュラムとの間に疑問を感じている人特有の苦虫を噛み潰したような表情をしていますよ」


「……それ、どんな表情ですか!? ……まさか、同僚にも分かってもらえない気持ちを生徒に分かってもらえるなんて。……まあ、生徒であって生徒じゃないような気がしますが。ねえ、文学研究界の期待の神童さん」


「あはは……誰ですかね、そんな過大評価をしているのは。俺はただの本好きを拗らせた変態なんですけどね。……木下女史とは仲良くできそうですね。まあ、一生徒が何を偉そうにとお思いかもしれませんが……今後ともよろしくお願い致します」


「ええ、私も貴方みたいな生徒がいれば良い刺激を受けられそうだわ。今後ともよろしくね、草子君」


 これが私と草子君の本格的な出会いだった。それから、私の卒業論文が入った紀要を森先生から送りつけられたらしい草子君が、反論を纏めたレポートを提出してきたのが禁断の恋の恋文(ラブレター)かと思われて一騒動に発展したり……色々あったけど、一気に騒がしくなった高校はモノクロだった教師生活に鮮やかな色彩を帯びさせてくれた。


「草子君! 私を草子君のライバルにしてくれないかしら!!」


「はぁ? 木下女史、貴女は先生で俺は生徒。文学研究の道では木下女史の方が先輩です。それなのに、こんな本好きを拗らせた変態な男子高校生を捕まえてライバル宣言なんて、恥ずかしくないのですか?」


 草子君、貴方は分かっていない。いえ、分かっている上であえて分からないフリをしているのかもしれないわね。

 いつか貴方は文学研究史に名を残す。そんな貴方のことをほぼ無名の時代から知っていたっていずれ自慢できる時代が来ると思う。


 いいえ、そんなのは建前……私は草子君と教師と生徒なんて離れた距離の関係でいたくないだけ。

 私の世界に色を与えてくれた、楽しかった女子大生時代(あの頃)を貴方は思い出させてくれた。


 貴方とならきっと、もっと楽しい日々を送ることができる。

 だから、もし許されるのなら、貴方を私のライバルに……。


「…………分かりました。こんな俺でよければ。木下女史、今日から俺は貴女のライバルです」


 困った表情から一転、普段の彼からは想像もつかない優しい微笑みを浮かべた草子君が、優しくしかしハッキリとした声でライバル宣言をしてくれた。

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