秘密基地
アリアは上機嫌だった。アリアを抱き抱えているハワードも上機嫌だった。
「お父様。お父様、楽しみね!」
「ああ、そうだね」
薬草が載った図鑑を両手で抱え、はじゃくアリアと「うちの娘可愛い」と隠しきれずデレデレになって庭を歩いているハワードを使用人達は暖かい目で見ていた。
今日は、アリアが待ちに待った温室のお披露目だ。使っていなかった温室を改装して、ジゼルの弟の薬を作るの!と言った甲斐があり温室の中でも薬を作れる様に小部屋まで設置しようとハワードが言った時はアリアは両手をあげて喜んだ。
そして、ハワードは可愛い娘の為に魔法と資材、人員を最大限に使い三日と言う短期間で完成させたのだ。
「ほら、あそこだよ」
元々あった温室よりも立派な外観。壁は中が見えない様になっており、屋根はガラスで太陽の光が室内全体に行き届く様になっている。
温室全体に防御壁魔法がかけられており、守りも万全だ。入り口の扉にはアリアの肩の高さとハワードの腰の位置に魔石が埋め込まれている。
「アリア。魔石に触れてごらん?」
アリアは言われた通りに触れるとハワードは杖を取り出し翳した。
「『この者の魔力を記憶せよ』」
ハワードが唱えると二つの魔石から光が放たれた。光はすぐに消え、扉が自動的に開いた。言うならばこの魔石は鍵の様なモノであり魔石に登録された者しか扉を開ける事しか出来ない。おまけに入室記録までわかる便利なモノだった。屋敷の各部屋も同じ仕様になっているため、驚きはしない。
「さあ、どうぞ。お姫様」
扉が開いた時から目を輝かせているアリアを見て微笑み、抱き下ろすとアリアは興奮気味に中へ走って入っていった。
この温室で育てる薬草は今からハワードと共に決める為まだ何も生えていないが、階段状になっている花壇の間には水が流れている水やり不要の設備とデリケートな薬草用に水が流れていない花壇。あと、暗い場所を好む薬草用に日陰が作られている花壇があった。ベルナールド家の薬草の温室を見て、ここまで完璧な設備を想像していなかったアリアは驚いた。
花壇以外にもソファが置かれてあり寛ぐスペースもある。中でも驚いたのは、温室の壁際にある一本の木だ。ソファの側にある木は温室の中に日陰を作ってくれている。
(この木、精霊樹ではないかしら…?)
触れるとほんのりと暖かくなる木をポカンと口を開けて見上げている。
「いい木だろう?私が子供の頃にこの木の下でよく本を読んだり、昼寝をしたりしていた木なんだ。疲れた時は不思議とぐっすりと眠れるんだよ」
精霊樹とは、名前の通り精霊の加護が強い木の事であり癒しを与えてくれる木だ。懐かしそうに目を細めているハワードはどうやら精霊樹とは気づいていないようだ。
(素晴らしいわ。精霊樹のある温室で育てた薬草がどうなるか楽しみだわ)
「すごい!お父様が疲れたら、ここで休ませてあげるね」
研究欲がウズウズと掻き立てられる。うっとりした目で精霊樹を眺めた後、子供らしく振る舞う事も忘れない。ふふんと胸を張って言うと、大きな手で頭を撫でられた。
「はははっ。そうだな。疲れたときはお願いしよう。アリア、アリアの秘密基地も見てみようか」
「ひみつきち!」
ハワードがさしたのは小屋だ。小屋といっても木で作られたものではなく、煉瓦造りの可愛らしい小屋だ。中で火を使える様に煙突もあり、温室の外に煙がでる設計になっている。同じ様に魔石に登録をさせて扉を開くと薬品が収納出来る様に棚があり、机と椅子や鍋と機材もきちんと揃っている。休憩用のソファも勿論ある。他にも扉がありトイレと洗面台、シャワー。別の部屋には本棚があり、薬学書が既に置いてある。他の本も入れれる様にちゃんと空きスペースまである。
小屋というより家だ。
きゃーきゃーと騒ぐアリアにハワードはご満悦だ。
「お父様っお父様っ!これ、なあに?あれは?どうやって使うの?」
ハワードに質問したのはアリアが見慣れぬ機材だ。実際、エリザベス時代にも見た事がないモノばかりであった。興味津々なアリアの質問にハワードが眉を下げた。ハワードに薬学の知識はほとんどない。温室の花壇の配置や設計、この部屋の設計や揃えた器具は薬学に詳しい知人に全て任せていたのであった。アリアがたずねても答える事が出来ず、眉を下げて今まで薬学に興味がなかったことを悔やんだ。
「アリア、すまない。知人に聞いて用意したものばかりでね、私も詳しくはわからないんだ。アリアが良ければ詳しい者を手配しようか?」
「うん!頑張って勉強するね。お父様が病気になったら、私が治してあげる!」
「ア、アリア…」
ハワードの申し出はアリアにとって有り難かった。図鑑を一通り見たが、アリアの知らない薬草が数多くあったのだ。本の情報以外も欲しい。器具も調べれば分かるが、実際に使っている所を見た方早いだろう。
(出来れば、弱味を掴んで下僕二号にしたいわね)
アリアの言葉に感動して「うちの娘は天使だ」と目頭を押さえているハワードはその天使が物騒な事を考えているなど微塵も思っていない。
小屋を一通り見て回り、精霊樹の下にあるソファに腰掛けるとハワードの膝の上で持ってきていた図鑑を広げて温室で育てる薬草を決めていく。ついでにハワードがどれだけ薬学について知っているか調べたかった。
「これとね、これとーー」
「む。アリア、これは毒草と書いてあるぞ」
「毒草は薬になる事があるんだってー。それに、きれいでしょ?」
「そうか。アリアは賢いな」
「えへへ」
「ただし、毒草を触ってはいけないよ。誰かに頼む様にしなさい」
「はーい」
最低限の薬草の知識しかない事を知ったアリアはこれ幸いにと「これも綺麗だから」「これ、可愛い」などといって毒草や珍しい薬草を頼んだ。想像以上に立派な設備だった為、事前に選んでいた薬草以外にも追加をしたがスペースには充分余裕があった為、残りはハワードが温室の設計を頼んだ薬学に詳しい知人に頼む事となった。
ハワードは、すぐさま王城に出向いた。「すぐに手配しよう」とアリアに言うと「お父様、大好き」と頰にキスまで貰ったのだ。休日であった為、アリアともっとゆっくりと過ごしたかったが可愛い娘の初めてのおねだりだ。早く薬草を手配せねばと少し後ろ髪を引かれたが、自分より娘の喜ぶ顔の方が優先だ。
急ぎ足で廊下を歩くハワードを行き交う人々は慌てて道を開けた。屋敷では子供達に甘い父親であったが、ベルナールド家の当主でありこの国の大臣でもある。
そして、魔術開発や古代魔術研究、魔導師部隊などのこの国の魔術に関しての機関である魔術官庁のトップだ。
向かった先は、薬学研究や薬師育成を行う機関の薬術官庁のトップでありハワードと同じくこの国の大臣及び王族のお抱え薬師でもある男の執務室だ。
「失礼する」
「なんだ。ハワード、今日は休みじゃないのか」
ノックをして、返事を待たずに扉を開けて中に入った。無礼だと怒りを買ってしまう行為であったが、その男はハワードとは幼馴染とも悪友とも呼べる仲であった。
突然入って来たハワードに怒りもせず、書類からハワードへと視線を向けた。筋肉質で強面な男は薬師と言うより軍人と言った方がしっくりくる。
本人は「殴るより治す方がいい」と言うほど温厚な性格をしている。
「ああ、休みだったがお前に急ぎで頼みたい事があってな」
「丁度、俺も休憩したかった所だ。茶淹れるから座っとけ」
アバンズ・アシュレイ。彼も公爵家の当主であり、わざわざお茶を淹れる姿を見られれば従者は卒倒するだろうが今はアバンズとハワードしか部屋の中にいない。アバンズがお茶を淹れる事は趣味の様なモノなのでハワードは何も言わない。アバンズが淹れるお茶は一流の従者に引けを取らない程旨いのである。
「で、どうしたんだ?」
「ああ、前に設計を頼んだ温室でコレを育てる事にしたんだ。コレの手配といくつか他にも見繕ってくれ。金に糸目はつけない」
「お前が「薬草を育てる最高の設備を教えてくれ」って言ってたアレか。一つの温室にありったけを詰め込んだからな。俺が使いたい位だ。入りきらねぇってのもあるが、うちにも一つ欲しいくらいだ」
ハワードが温室を作るにあたって、相談したのはアバンズであった。アシュレイ家は、薬師の名門であり薬草の温室はいくつも所有している。
今まで、アバンズが薬学の重要性を何度言っても全く興味を示さなかったハワードが突然薬草を育てる温室とその中に研究ができる部屋が欲しいと相談してきた時は驚いた。やっと興味を持ってくれた事に喜び、薬師として羨ましい程の設備を詰め込んで出来たのがあの温室であった。
「とても喜んでいたよ。感謝する」
「だろうな。ーーーって、なんだこりゃぁ?!」
アバンズは、満足気に笑うとハワードが書いた薬草のリストを見てお茶を噴き出した。
スタンダードなモノもあるが珍しい薬草や毒草の名前が並べられているかと思えば、薬草に分類されない草花や雑草もある。
「おいおい。その薬師、大丈夫なんだろうな?詐欺師の類に掴まされたんじゃ…。ハワード、薬師が欲しいなら俺がちゃんと手配してやるぞ?」
「必要ない。(将来の)一流の薬師だからな。優秀な事は私が一番知っている。将来、魔風病の特効薬を開発するかもしれない」
「魔風病?!お前が前に悩んでたアレか!お前がそこまで惚れ込んでいる薬師か……
(ハワードがそこまで信頼する人物か。とんでもなく優秀なのは間違いないだろう)」
「当たり前だ。この国…いや、世界一(の可愛い娘)だ。彼女の為なら私はなんでもする」
「!?そこまでか。彼女って、女なのか?レイティアさんが怒るんじゃ」
「レイティアも私と同じ気持ちだ。あの子の為なら全力を尽くせと言っている」
「あのレイティアさんまで……」
昔から知っているハワードとレイティアは才女と言われる程の人物であり、二人の目に狂いはない事を知っているアバンズはその二人にここまで言わせる人物に想像を膨らませていた。
ハワードとレイティアは、完全に親の欲目でありアバンズとハワードの言葉の行き違いを指摘する者はここにはいなかった。
「絶対に(嫁には)やらんぞ」
「ああ、分かっている。ハワード、よければでいいんだ。うちの薬師、いや息子をその薬師の元で働かせてくれないか?勿論給金などいらんし、次男のレオナルドはまだ十二だが親の欲目抜きで優秀だ。薬学の知識は充分にあるし、機材も一通り使える。魔法薬も作れる。引き抜きを恐れるなら、俺にもどの様な人物か報告するなと言っておく。そこらの薬師よりも口は堅い」
「丁度いい。助手を一人頼みたい所だったんだ。よろしく頼む」
「そうか!感謝する!薬草は任せろ。すぐに全て手配しよう」
「よろしく頼む」
行き違いが生じたまま、がっちりと握手をした二人はそれぞれ違う事を思いえがいていた。
ハワードは、言わずともアリアの事しか考えていない。アバンズは、優秀な薬師の元で息子を鍛える事が出来ると喜んでいた。
この一件で、一番苦労するのはアバンズの息子であるレオナルドであったがまだ本人は知る由もなかった。