ジゼルの罰
平和だったベルナールド家の屋敷に事件が起こった。侍女のジゼルがアリアへと『悪魔の爪』という毒を盛ったというものだった。瞬く間に屋敷中に広がり、ジゼルは拘束されベルナールド家の主人であるハワードの元へ連れて行かれた。
「申し訳ごさいません……っ。私はっ私は恐ろしい事をしようとーーっ」
涙ながらに説明をするジゼルをハワードは冷たい目で見ていた。ハワードの隣には騒ぎを聞いて駆けつけたアリアの母レイティアも座っており普段穏やかなレイティアの瞳も鋭くなっていた。
「そうだな。君の行った事は未遂とは言え、許される事ではない。謝って許される事でも、だ」
「はい。…分かっております」
ジゼルは、ガチガチと震え顔はこれから先への恐怖からか、自分の行った罪の重さからか青くなっている。涙を流し、抵抗することなく素直に罪を認めたジゼルに二人は米粒ばかりの好感は持ったが今にもジゼルに殴りかかりそうな勢いだ。
「彼女を連れてーー」
ジゼルの背後に立っていた二人の騎士達に連れて行きなさいと指示を飛ばそうとしたその時バンバンと扉が叩かれ、勢いよく開いた。
「アリア」
走ってきたのだろう。髪を乱したアリアが部屋へと飛び込んだ。続いて、アリアを追いかけてきたのであろう侍女が入室し、頭を下げた。
「旦那様、奥様。申し訳ありません!お嬢様、今大事なお話し中なのです。お部屋に戻りましょう」
「離して」
アリアは、部屋から連れ出そうとする侍女の手を払い涙を浮かべながら睨みつけた声は冷たいものだった。
「お父様、お母様。私にも何があったか教えて下さい」
アリアのいつもとは違う様子にハワードは一瞬目を見開かせ、眉間に皺を寄せた。
「分かった。そこに座りなさい」
「ハワード!」
ハワードの判断にレイティアは咎める様に声を上げたが無言で首を振った。ハワードの様子にレイティアは不満げだったが、何も言わなかった。アリアを追いかけてきた侍女を下がらせた。
アリアは、着席を促された席に座るとハワードとレイティアを交互に見た。
「教えて下さい。ジゼルに何があったのですか?」
「ジゼルはね、悪いことをしたのだよ」
「悪いこと?何をしたの?」
「アリアが飲もうとした紅茶の中に毒を入れたんだ。毒を入れる事は悪い事でね、ジゼルは悪いことを償う為に仕事を辞める事になったんだよ」
「私飲んでないのに、ジゼル辞めちゃうの?」
アリアはきょとんとして首を傾げた。不思議そうにハワードを見ているアリアにハワードは困った様に眉を下げた。
「その毒はね、アリアの身体を弱くしてしまうものでね…飲んでいればアリアはずっとベットから出れなくなってしまう恐いものなんだ。紅茶に入れた事が悪いことなんだよ」
「ジゼルは飲んじゃダメって、パーンてしたよ?なんで悪い事なの?じゃあ、ジゼルが謝って私がいいよっていったらジゼル働ける?」
騒ぎが起こったのは朝ではなく昼。アリアに紅茶を入れたジゼルはその紅茶に『悪魔の毒』をいれた。しかし、アリアが飲む寸前にジゼルは我に返りアリアの手を弾いたのだ。ジゼルはその場で泣き崩れ、アリアは状況が理解できないフリをしていた。そして、騒ぎを聞きつけた者達にジゼルが連行され今に至るーー。
分からないフリをしているが、アリアは全て分かっている。全てはアリアが作ったシナリオなのだ。
それを知らないハワードは、なかなか理解してくれないアリアに困っていた。ハワードは元々アリアに甘い。アリアが部屋に入ってきた時に追い返していればこの様な事にならなかったが、それをすればアリアに嫌われてしまうかもしれないとアリアに甘い事がアダになってしまった。
「アリア。アリアの飲む紅茶に入れる事が既に悪いことなのよ。今回はたまたま飲まなくて良かったけれど、また同じ事をするかもしれないわ。入れた事でジゼルはもう信用できなくなってしまったのよ」
レイティアは、アリアの手を握りながら言うがアリアは一筋縄ではいかない。
「ジゼルはパーンてしたときに恐ろしい事をしたって教えてくれたの。でもね、ジゼル以外は教えてくれなかったの。なんでもないって…!みんな、嘘ばっかり……」
「アリア、みんなはアリアが悲しい思いをしないように教えなかっただけなのよ」
アリアは、ボロボロと涙を流し始めてレイティアとハワードは困り果てた。アリアに話すなと言ったのはハワードだ。使用人達は全く悪くないのだが、おかげで嘘つきのレッテルを貼られてしまっているのだ。
「違うんだ。アリア、使用人達は私がアリアに話すなって言ったんだよ。私もアリアに悲しい思いはさせたくないからね。私の言うことに従っただけなんだよ。使用人達が私の言うことを聞かなければならないという事はアリアも知っているだろう?」
「逆らったら、お父様に、怒られるから…。でも、ジゼルは、お父様に怒られるのに、教えてくれたよ?
毒、入れたの、ジゼルじゃなかったら…私、毒、飲んでたよ?ジゼル、一番、信用できるよ。なんで、悪いことなの…っうわぁああん」
アリアは言いたい事を言い終わるとジゼルの方に大泣きしながら近づき、ジゼルへ抱き着いた。控えていた騎士達も涙ながらに必死にジゼルを庇うアリアをとめることは出来なかった。
「お嬢様…っだめです。私は、お嬢様に、酷いことを…」
「なんで?ジゼル、は、私が嫌い、なの?」
「……っ。そんなわけ…っ」
お互い涙を流しているアリアとジゼルの光景にレイティアが懐柔された。ハワードの服の袖を掴み、目頭をハンカチで抑えた。
アリアの言うことも一理あるのだ。ハワードとレイティアはジゼルから毒を盛ろうとした訳を聞いている。弟の薬を貰うためだ。本当は一月前から毒を飲ませていたが、今回が初めて入れたという事になっている。瓶が回収される為、今まで捨てていたが「ちゃんと飲ませているか」と確認か疑われているのか分からないがそう言われ弟の薬が貰えなくなるのかと不安になり紅茶に入れたのだと説明した。今回、バレてしまい弟の薬は貰えないだろう。ソレを天秤にかけ、寸前ではあるが思いとどまったのだ。
本来ならば、事前に申し出れば罪になど問われない。けれど、ハワードもジゼルの弟が魔風病であることは黒ずくめの男が接触してきたという一月前よりも以前にマーサ経由で相談を受けていた。治療薬がなく、ハワードもジゼルの給金を上げてやることしか出来る事がなく、薬に飛びつくのは当たり前だ。
「ハワード…。今回の事は、本当に罪に問われる様な事なのかしら…?」
「うむ。私も同じ事を考えていた所だ」
アリアの言う通り、同じ状況でジゼルではなければアリアは『悪魔の爪』を知らずに飲まされていたのかもしれない。『悪魔の爪』は殺傷能力は低いが発見されにくく、身体に馴染んでしまえば原因が不明の虚弱体質になってしまい、治療薬はないとされている呪毒という種類の毒だ。
弟の命とアリアが虚弱体質になる事。しかも、ジゼルは言い訳をせずに素直に罪を認め、どんな裁きでも受けると言っていた事もプラスに働いていた。
「ジゼルの拘束を解いてくれ」
「「はっ」」
拘束を解いた騎士達の声はどことなく明るい。彼らもジゼルの理由は初めから聞いていた為、ハワード達と同じ事を考えていたのだろう。
アリアと共に涙を流していたジゼルは目を丸くしてハワードへ視線を向けた。
「ジゼル、すまない。アリアの言う通りだ。君の事情を考えればアリアに『悪魔の爪』が飲まされていてもおかしくはない状況だった。寸前とは言え、思い留まり申告してくれた君に不誠実な事をしてしまう所だった。
勿論、うちの使用人達を信じてはいるが…話を持ちかけられたのが君でなければアリアがどうなっていたのか分からない…。すまなかった」
「私からも、謝罪いたしますわ。申し訳ありませんでした」
頭を下げるハワードとレイティアにジゼルは狼狽する。本当は飲ませていたのだ。謝罪など、とんでもない。
「や、やめてください!私は…私は…っ」
「お父様?お母様?」
「アリア、すまないね。君の言葉で気付かされたよ。ジゼルはこのままウチで働いてもらおう」
「本当?やったぁ!お父様大好きっ」
わぁいとハワードに飛びついたアリアを抱きしめた。ハワードは「私は…っ」と困惑しているジゼルの背にレイティアは手を乗せ優しくさすった。今、ジゼルの本当の気持ちを察しているのはアリアだけだろう。しかし、アリアはハワードときゃっきゃっと戯れている。
「ジゼル、今回の事を罪だと感じているのならば
アリアへとこれからも誠実に仕える事で償ってくれないだろうか」
「…っ。勿論です。旦那様…っ。お嬢様にこの身を捧げ、命を賭けてお守りいたします…っ」
「ふふふ。騎士の様ね」
大袈裟なジゼルのセリフにこの部屋から笑い声が溢れた。しかし、ジゼルは素直に笑う事など出来ず、良心が刃物で貫かれた様に痛んだのは言うまでもない。