For the first time/それすらも美しく
僕は一度深呼吸をしてから、目の前の扉に手をかける。
先輩がいるとしたらここだろう。でも、手に力が入らない。
何から話し始めればいいのか。
何を言えばいいのか。
いくら考えても最適解と呼べるものは思い浮かばない。
だから、もう考えないことにした。考えた末の言葉は、打算を含んでおり、美しくないから。
真実は美しいとは言わないが、少なくともここでは取り繕っても意味がないと思う。
意を決して、扉を開く。
僕の視線の先にいたのは、部室の中で膝を抱えて蹲っている先輩の姿だ。
「……先輩。」
「っ!!」
先輩は一瞬肩を震わせたが、何も答えてはくれなかった。
「先輩、何かありましたか?」
「……別に何でもないから放っておいてくれないか?」
そう言う先輩は見るからに危なっかしくて、少しでも触ったら壊れてしまいそうなほどだった。
誰が見ても強がっているのは明らかだ。でも、まだ近づいてはいけない気がした。
「何でもないなら、どうして走って逃げたんですか?」
「……ばれてたのか。別に何でもいいだろう。放っておいてくれ。」
「そうはいきません。古都先輩は僕の中で大事な存在ですから。」
「そんなこと言わない方がいいんじゃないのか?彼女に聞かれたら誤解されるぞ。」
先輩は苦しそうにそう言うと、何かから逃げるかのように耳を塞いでしまう。
僕は先輩の言った『彼女』という単語で、先輩がなぜ僕と話そうとしないのかを理解した。
僕に彼女がいると思って、こんなことを言っているのだろう。彼女がいるのに、二人っきりで部室にいるのはいけないと思ったから。
「……先輩。」
「やめてくれ!もう聞きたくない!」
先輩は大声を出して、僕の言葉を遮る。
「先輩、僕は、」
「やめろ!」
先輩は大声を出すと立ち上がり、僕の横を抜けて廊下へ出ようとする。
俯いているため、その表情は良く見えないが、一滴の雫が見えた。
「古都先輩!!」
僕はとっさに先輩の手を掴むと、声を出していた。
「は、はなせっつ!」
「嫌です。ここで手を離したら、先輩とはもう話せないと思うので。」
「ボクはっ!そんなのっ!!」
「先輩、僕は『美しい言葉を探そう部』の部員なんです。だから、先輩をここで離すわけにはいかないんです。」
「もうやめてくれっ!!キミは、彼女がいるのに、ボクをそうやってっ!」
「彼女なんかいません。それは先輩の勘違いです!」
その言葉に、先輩の力が緩む。
「嘘だろ?だって、恋人じゃなかったら、キミみたいな人があんなことするわけ……」
「あれはあの女が勝手にやっただけです。先輩がどこから見たのかはわかりませんが、僕はあいつから離れようとしていましたし、そもそもあいつのことは嫌いです。それでもまだ信じられないなら、クラスメイトに聞いてみてください。」
「……本当なんだな?嘘じゃないんだな?」
先輩は相変わらずうつむいたままだ。
だが、その言葉は先程よりも少し力がある。
「はい。本当です。」
「……そうか。全部ボクの勘違いだったんだな……よかった……」
先輩はそう言うと糸が切れたように膝から崩れ落ちる。
僕は慌ててそれを支える。勿論、事故と言って胸を触ったりはしていない。
そのままの体勢でいるわけにもいかないので、僕は先輩をとりあえずゆっくりと床に下ろす。
先輩は、顔を両手でおさえながら、涙をこぼしていた。
「よかった……ボクの勘違いで……す、すまない。こんなところを……」
「全くです。急に走りだしたと思ったら泣いてるし……すぐに追っかけるのも大変なんですからね?」
「そ、それにしては来るのが遅かったんじゃないのか?」
「会長に捕まってたりしましたからね。というか先輩、僕の表情見たら嫌がっているように見えませんでしたか?」
「よく見てなかったんだ仕方ないだろう。」
先輩はそう言いながら顔を上げて少し笑うと、手で涙をぬぐう。
まだ目は赤く、腫れぼったいが、それすら美しく見えてしまうのは、僕の感覚がおかしいのだろうか。
「先輩、僕は何があっても、この『美しい言葉を探そう部』を守ります。だから、先輩は安心して待っていてください。」
「きゅ、急にどうしたの?なんでそんなこと言うのかわからないんだが……」
「後でわかると思いますよ。」
僕はそう言いながら、首を傾げている先輩を見る。
先輩は、暫く何かを考えていたが、何もわからなかったのか、考えるのをやめる。
「まあ、キミが大丈夫っていうんだから間違いなく大丈夫なんだろうな。安心しておくよ。だって、キミは僕の大事な後輩なんだから。」
先輩はそう言って笑う。
大事な後輩。
そうか。やっぱり先輩にとって僕は後輩以外の何者でもないのだろう。
それが何故か僕の心をギュッと締め付けるようにする。
もっと近づきたいと思う。もっと笑顔が見てみたいと思う。
何故だろう。
いや、そもそもどうして僕はこの感情から逃げているのかわからない。
心に傷があるとかならわかるが、別に僕は普通だ。だから、先輩にこんな感情を抱いても不思議じゃないだろう。何もおかしくないだろう。
「ん?零君、なにをそんなに考えているんだ?」
「あ、いえ。別に大したことじゃないです。」
不思議そうに僕を見る先輩に、そう返し、少し笑って見せる。
そうだ。何も悪くないし、おかしくもない。だって、先輩はこんなにも美しいのだから。
この瞬間に、僕は人生で初めて『恋』を自覚した。
ああ、時間がない……
というわけで、これから更新が遅れるかもです……




