小田原 昌彦の場合、その五
「かなり先行かれてますね」
「うむ、奴は足が速い、車借りて正解だったな……」
あの噴水の捕獲劇から5日経っていた。
黒猫ルンはさすがに猫又なだけあって、普通の猫とは違っていた。
ルンは追われている事にあの一件で感づいたのだろうか。
それからの移動距離と速度が半端じゃなかった。
大尉は高速で移動し始めたルンに追いつくために、レンタカー屋で黒い車を借りた。
車で移動しないと、ルンに追いつけないと判断したようだ。
5日の間、ルンは全く止まらずに移動していた。
ミーシャさんがレーダーで確認した速度は時速60キロは出ているらしい。
その間、追いつかんがために、飲み食いはほぼ車上でおこなわれ、トイレ休憩さえも惜しんで車を走らせていた。ただ、さすがに女性二人がいるだけに、途中で銭湯を見つければ、かっきり20分だけ入浴をさせてもらえた。
運転は交代制だ。俺は大学に入ってすぐ免許をとっていたので、交代制のシフトに組み込まれていた。他に運転できるのは大尉と、早乙女だけだ。
「しかしよう、黒猫あんな必死こいて走ってどこ行こうってしてんだ?」
「知らないわよ! 猫に聞いてよぉ……」
香織はうんざりしたような顔で言った。
車の後部座席で足を折りたたみ、その隙間に顔をうな垂れている。
その様子から察するに、今回のような状況は異例のようだ。
思ってた以上に苦戦を強いられているんだろう。
現在、午前1時……俺がこれまで運転をしていたが、そろそろ早乙女と運転を変わる時間だ
……眠い……
車を道路の脇に止めて、助手席の早乙女を見やる。
疲れているのか、すやすやと気持ちよく寝ている。
俺は助手席の早乙女の肩を揺すった
起こすのも気が引けるんだが……俺も眠いんだ……
「早乙女さん、起きて〜交代時間だよ!」
「うっせー、バカ親父……俺のXMASプレゼント質に入れやがって……」
俺が声をかけると、早乙女がそれに呼応して何やら呟いた。
早乙女の目尻には涙が光っている……
俺は寝言の内容に思わず、彼の家庭の事情をイメージして目頭が熱くなる。
だが、ここで情に絆されて、運転を肩代わりするつもりはなかった。
もう三度も早乙女が起きずに、ばっくれられているんだ。
この人一旦寝ると、揺さぶろうが喚こうが起きないんだよ。
ふーあれをやるしかないな……4日目から使い出したあの技を……
俺は溜息をついてシートベルトを外すと、助手席の早乙女におもむろに背中を押し付ける。
巨体ならではの俺が編み出した秘技、『デスサンド』。
俺の大きな背中の肉壁とドアに挟まれ苦しむがいい……
オラオラオラー
ギュウウ!!
「ウウ……」
早乙女の苦悶の声が後ろから聞こえてくる。
苦しいだろ……? 起きないと潰れてしまうぜ早乙女さんよ。
「ク、プハーーハ、ハァハァ……」
タイヤから空気が漏れるような音が背後から漏れる。
圧迫によって、あまりの息苦しさに早乙女が目覚めたようだ。
「あぁ、分かったよ! ごめん、変わるから……」
「早乙女さんたのんますよ……」
俺は細い目を更に細めて早乙女を見下ろす。
月明かりを浴びて闇に浮ぶ俺の顔を見て、早乙女は顔を引きつらせていた。
深夜の寝起きに映った俺の顔は、早乙女の眼にどんな風に映ったんだろうな……ククク。
#
明くる日の薄暮の迫る頃、俺達はまた、黒猫ルンと再会することとなった。
ルンはさすがに走り続けて疲れたのか、とある空き地にある土管の上で寝ていた。
空き地の傍に車を静かに止めると、車の陰に隠れて作戦会議が開かれた。
「よし、ピンク、早乙女、お前等本気でやれ……」
本気……超能力全快でやれって事か……
「分かりました! ブルースーツの力思い知らせてやりますよ……」
「頑張ります……」
その大尉の言葉を聞いて、早乙女が拳を勝ち合わせ気合をいれながら言った。
長旅の鬱憤のせいか、眼は血走っていて、網を握り締める手がヤク常習犯のように震えていた。
香織はというと、もう疲労のピークなのか、目は虚ろで最初の頃とは別人のようだ。
「Go!」
大尉の一声を皮切りに、早乙女が雄たけびを上げて猫に突っ込んでいく。
心なしか体が一回り大きく見える。
早い……! 空き地の砂を巻き上げながら、信じられない速さで、ルンに真直ぐに向かっていく。
早乙女は黒猫の手前で地を蹴り、大きなジャンプをしたかと思うと、落下しながらルンに右ストレート……え、殺す気か?
「オラァ!」
早乙女の殺意の篭った声に、ルンは慌てて眼を覚ますと、土管から素早く飛び降りた。
的を失った早乙女だが、お構いなしにその渾身の右ストレートを土管に叩きつけた。
激しい衝撃音とともに、石でできた土管が粉々に打ち砕かれ、その石片が弾丸のような勢いであちこちに乱れ飛んだ。
避けたルンにも無数の石片が襲い掛かる。
だが、その刹那、ルンの周りの石片が突然時間が止まったように勢いを失い、宙でぴたりと固定される。
そして、ルンが欠伸をした直後、それらが地面にストンと垂直落下した。
なんだ、あれは……?
俺はその奇怪な現象を目にして、突っ立ったまま呆気に取られていた。
「超能力だな……そろそろ奴も尻尾を出し始めたか……」
大尉が神妙な口ぶりで言った。
ミーシャさんがそれにこくんと黙って頷く。
ドゴーン!
俺が大尉に顔を向けてその言葉を聞いている間にも、激しい戦闘が繰り広げられていた。
「しねやぁ!」
早乙女がルンに青スーツパワー全快で襲い掛かっていた。
もう網をその手に握っていない。
捉えられないストレスが重なってか、本来の目的を忘れて、超能力を加味した豪腕をいかんなくルンに振るっている。
それを巧みな動きで交わし続けるルン。
外れたパンチが地面に当たると、爆裂音とともに砂埃を巻き上げる。
ピンクは上空に漂いながら、、暴走した早乙女の攻撃に巻き込まれるのを嫌って傍観しているみたいだ。
「3、2,1……」
そんな時、不意に傍にいたミーシャさんがカウントダウンを始めた。
0をミーシャさんが言い終えたと同時に――
パタ……
あれほど暴れ回っていた早乙女が、電池がきれたみたいにその場に唐突に倒れた。
それを見た香織がふわっと上空から降りてきて、早乙女の後頭部を指で突付いた。
反応がないのを確認すると、ミーシャさんに手で×マークを作り何かを知らせた。
「さ、早乙女さんどうしたんすか……?」
俺はその一連の流れが理解できず、ミーシャさんに尋ねた。
「早乙女君が超能力を使って動ける時間は15秒なの……」
「ええ……」
「デブコン、早乙女をここへ引きずって来い……」
「お、俺がすか?」
俺はルンと早乙女の戦いを眺めているうちに、ルンに恐怖を感じ始めていた。
「ほら、行って来い!」
逡巡して中々いかない俺に、大尉が威圧感たっぷりのサングラス視線を向けて怒鳴った。
「は、はい!」
嫌々ながらも空き地に足を向けた時、幸運にも香織が黒猫を追い回している最中だった。
ナイス……香織! 思わず拳を軽く握る。
俺はルンが香織とじゃれあっている間に、早乙女の所までで頭を抱えながら駆け寄る。
そして、彼を素早く担いで、逃げるように空き地を出た。
「デブコン! よくやった!」
帰ってくると、大尉が珍しく褒めてくれた。
普段厳しいんだけど、こういう人にたまに笑顔で褒められると妙に照れてしまう。
力尽きぐったりした早乙女を、車の椅子に寝かせた後、空き地の様子にまた目を配る。
映像を5倍速で早送りしたような速度で、香織がルンを追い掛け回していた。
だが、そのスピードにも全く臆した様子なく、余裕で香の放つ高速の網を交わし続ける。
そして――香織も力尽きた……頭を抑えながら地面で苦しみもがいている……
うわ、めっちゃ頭痛そう……香織……!
俺は思わず香織に駆け寄っていた。
「香織、大丈夫か!?」
「うう、大丈夫……でもない……」
俺は香織の後頭部に優しく手を回して頭を摩ってやる。
苦しそうだ……く、こんなバイトやめちまえよ……
苦痛に顔を歪める香織を眺めていると、行き場のない怒りが込み上げてくる。
だが、そのうちその怒りの矛先が大尉に向かう。
なんで、大尉はいつも見てるだけなんだ!?
そんな思いが急速に膨らんでいく。
俺は大尉に憎悪ににた気持ちを抱き、強く睨みつけていた。