小田原 昌彦の場合、その二
「申し訳ありません、事情が変わりまして今回は辞退させて頂きます」
俺は今日から行くはずだった、レストランのバイト先へ朝一に断りの電話を入れた。
元々女を調達するためだけに応募したバイトだったが、それをする必要がなくなったため、行く意味がなくなったから断ることにした。
話せば長くなるんだが、簡単に言うと、イブにデートする女性を確保したからだ。
その女性とは、昨日帰りを共にした、近所に住む幼馴染の前川香織だ。
詳しく話すと長いが、
――昨日の夜
俺は家に入ると、一人寂しくキッチンでコンビニで買ってきた弁当を食べていた。
390円のオムライスだ。
ほぼ無音のキッチンでオムライスを食べながら、王様の要求について一人考えていたんだ。
つまり、イブの日に女とデートをすればいいんだと。その女が……学生、フリーターのねーちゃん、お水のおねーさん、年下の高校生、齢80の御婆ちゃん…etcとまぁ、俺の相手がどんな層の女であろうと女であれば良い。
そして、イブに日にその女と一緒に街に出て、飯食べるなりして適当に過ごせば、王様だって何にも文句のつけようがないはずだと。
そう気づいた頃には、香織の携帯の番号を久し振りに打っていた。
プルルプルル〜ガチャ!
『はい、前川です』
『俺だよ俺!』
『あぁ、この番号誰かと思ったら、昌ちゃんか!』
『忘れてたのかよ!』
『ごめん! 忘れてた!』
『ち!』
『それで……えーっとなんか用?』
『お前、イブの予定どう? 空いてるか?』
俺がそう直に香織の予定を尋ねると、香織は少し間を空けた後、
『めちゃめちゃ忙しいよ! 13時には光一とでしょ、18時には武……あーもう面倒くさ……」
『ん?』
『ふ……今年もフリーだよん……え〜ん!』
香織は泣き真似のような声をあげるが、全然フリーの身に悲観した様子は声から伝わってこない。寧ろ楽しそうでもある。
そして、それを聞いた俺にとっては好都合だった。
『なぁ、イブさ、俺とデートしない?』
『え……!? 昌ちゃんと! アハハハ! 冗談ばっか!』
なんか笑われてムカっときたけど、ここはミッション遂行のために抑えて会話を進める。
『冗談じゃねーよ! 頼んでるんだ、ちょっとさ、恋人ごっごでもしないか?』
『ごっこ!?』
『うん、恋人いない同士で繁華街にでも何か食べに行こうぜ!』
『えぇ、驕ってくれるの!? 昌ちゃんが!』
く、そう来たか……1万しかないからなぁ……
俺の流暢に話してたテンポがここで崩れる。
携帯を片手に貯金箱やらカバンに残っているお金を、探り始めたからだ。
ジャラジャラ……
『…………なんかそのかんじだと、お金無さそうだよね! アハハハ!』
図星突かれてしまった……
『く、ばれたか……実はそうなんだよな、今苦しくってさ……』
少しトーンを下げて、本当にお金が余り無いことを示唆する。
『私が驕ってあげようか!?』
うう、これでは俺がたかってるも同然だ。
惨めこの上ない……申し訳程度に、なけなしの1万円の話を加えておこう……
『ふざけるな〜、貧民とは言え、1万円はあるぞ!』
『へ〜一万円で私とデートしようって言うんだ……?』
この言葉は堪えた。プライドごとなぎ倒された気分だ。
寒々とした空気が俺の周りで凝る。
俺は打ちのめされながらも、搾り出すように言葉を添える。
『まぁ、ほら、ラーメンくらいは驕ってやれるぞ?』
『アハハ、ラーメンか〜、苦学生は大変だね〜!』
香織め、完全に俺を馬鹿にしてるな。まぁされても仕方ないけど……
俺はかき集めた金を、床に綺麗に並べてみるが、それでも……12912円しかなかった。
これじゃあなぁ……俺は深い溜息をついた。
すると、その音が向こう側の香織にも届いたのか、
『まぁ、そう落ち込むな、デートはしてあげるよ!』
『――え、本当か!?』
『うん、ただし、条件つけていい?』
『お、おう、どんとこい!』
とはいったものの、少しびくびくしていた。
何を言われるか想像がつかない……
『昌ちゃんもさ、お金ない事だし、私のやってるバイトでもしてみない?』
『――え!?』
俺は思わず言葉に詰まる。
これは考えてもいない展開だ。第一香織って何のバイトしてるかすら知らないし。
『えーと、お前何のバイトしてるんだ?』
『んー……二つ目の条件!』
『あん?』
『バイト先についてから話す!』
『なんでだよー!?』
『なんでも! じゃないと〜……デートしてあげないよ……?』
糞〜、俺の身に迫る危機を知らないとは言え……
俺はいつからか、香織の手のひらのエテ公状態だった。
拒否はできない……呑むしかなかった。
こんなに確実にイブに確保できる女は、香織しかいないからだ。
網走刑務所で3箇月拘留とか冗談じゃない!
それに比べたらこんな事!
『分かったよ、その条件でokだ……』
『まぁそんなに心配しなくていいよ! 死ぬ事はたぶん無いから!』
『な、何怖い事言ってんだよ!』
『はいはい、じゃあ私バイト先に連絡入れとくね〜! また明日〜!』
『明日かよ!』
ガチャ、ツーツー。
とまぁ、こんなかんじで、香織で手を打つ事に決まって、今から香織のバイト先に向かうんだけど、時間も聞いていないし――と途方に暮れていると、
ピンポーン!
もしや……!
俺は階段をドカドカ降りて、玄関のインターホーンを見た。
香織がいる。山にでも上るのかと思わせるようなリュックサックを担ぎ、動きやすそうな桃色のトレーニングウェアを着ている。
おいおい、どんな場所へ行こうって言うんだ……