グルフ・トライスキーの場合 その3
「さて、出ようか」
グルフはテンロンに顔を向けて言った。
まだベッドに横になっている、ジスパーを横目に二人は部屋を出ていこうとすると、
「ちょっと待て……」
ジスパーが初めて自発的に、グルフ達に声をかけてきた。
その声を聞いて、グルフとその隣のテンロンが立ち止まり、一斉にジスパーに目を向けた。
グルフは何か思い当たって、顔を少し上に向けると、ジスパーから扉に視線を戻し、淡々と言葉を連ね始める。
「宿代なら心配するな、ここのオーナーとは古い付き合いでな、俺の知り合いと言っておいたから、傷がいえるまで、好きなだけいればいい」
そこまで言い終えると、テンロンの肩を後ろから押しながら扉に向って歩き始める。
テンロンは肩を押されながらも、ジスパーへきょとんとした瞳を何回か向けていた。
「違う……その事じゃない……」
「あん? まだ他にあんのか? 金か? しゃーねーな」
グルフは呆れた表情を浮かべ大きく息を吐いた。そして、ジスパーと仲間の山賊から奪い取った金の一部をポケットから取り出し、部屋の隅にある古びた木の台に置いていく。
銀色のコインを丁寧に八枚重ねて置くと、ジスパーに振り向かず手を上げて、
「あばよ」
と、扉に手を掛けるが、それとほぼ同時にジスパーが大きな声を放つ。
「待て!]
グルフはここまでしてまだ何かあるのか? と思いながらも、ジスパーに体を完全に向けると、外へ向けられていた気持ちを抑え、どっしり構えて話を聞いてやる事にした。
無口な男がここまで声を荒げるには、それ相応の訳があるのだとグルフは思ったからだ。
「お前たち……天空城探してるんだろ?」
「そうだよ〜良く知ってるね」
「馬鹿、さっき話してただろ」
「そっか、グルフは頭いいね〜」
「だから、そういう問題じゃ……第一お前は、」
テンロンが間の抜けた事を言ったので、目を細めてグルフが言葉を挟んだ。
それに対して更に気が抜ける発言を返すので、二人はジスパーを蚊帳の外に置いて、可笑しな言葉のやり取りを続けていた。
「だから…………聞けよ」
騒がしい二人の傍らで、ぼそぼそっとジスパーは呟くものの、二人に声は届かない。
ジスパーは考えていた。どうやればこの間抜けな奴等に、余り多く語らずに、自分の意図を伝えれるのか。
二人の騒がしい会話の乱れる中、首を傾げながらいい案を思い浮かべる。
そして、何か思いついたようで、少し自信ありげだが、飽くまでポーカーフェイスを保ちながら、二人の方に体を向けて、
「天空城は俺の家だ……」
驚愕の事実を短く語った。一瞬で部屋の喧騒が静かになったかと思うと、二人が会話していたそのままのポーズで口を開けたまま、ジスパーの方へゆっくり首を回して、無機質な表情を向けた。
「お前今なんて言った?」
「だから……あれは俺の家だ」
ジスパーはベッドから足を下ろすと、胸元で腕を組んで目を閉じたまま、同じ言葉を繰り返した。
微妙な雰囲気が部屋を包み、誰も言葉を発しないまま時は過ぎていく。
グルフが口を開けたまま可笑しな顔を晒していたが、急に低く笑い出すと、つかつかとジスパーに歩み寄る。
間近までやってくると、グルフはジスパーの後ろ頭をいきなり叩いて、
「嘘は泥棒の始まりだぞ! それにもうちょっとつくならましな嘘があるだろ、センスねーなー」
と言ってからは、抑えていた笑い声を大きなものに変えて、ジスパーの背中を何回も揺さぶった。
「天空城がお前の家だって、アハハハ! 笑わすなよガハハハ!…………う……が」
グルフは笑い出すと止まらなかった。しかし、余り笑いすぎると、彼の持病ともいうべきものが外に現れる。
笑う事を突然、何かが喉につっかえたように止めると、表情を一変させて神妙な面持で、胸を押さえたまま丸椅子によたよたと腰掛ける。
「苦しい……テンロン、水くれ……」
「あぁ……分かった!」
テンロンは急いで部屋のテーブルに置いてある水の入ったボトルを手にとり、それをグルフに手渡す。心配そうにグルフの様子を見つめるテンロン。
グルフはボトルの蓋を震える指でねじり開けると、チョッキのポケットから何かの錠剤を取り出しそれを口に放り込んだあと、ボトルの水を勢い良く口に流し込んだ。
「カハッ! うぅ……糞、てめぇが笑わすから、死ぬかと思ったじゃねーか」
声を低く濁らせ、グルフが訝しげな目をジスパーに向けて言った。
苦しそうなグルフの後ろに回り、テンロンが背中をさすってやっている。
ジスパーはその様子を目を細めながら、観察していた。
「グルフはね、心臓が悪いわけじゃないんだけど、神経がたかぶりやすくて、動悸が激しくなってドキドキがとまらなくなる時があるの」
グルフの背中を心配気に摩りながら、ジスパーに顔を向けて今の状況を説明すると、
「余計な事いってんじゃねー! グフ……駄目だ、ちょっと俺も寝るわ」
グルフはテンロンに怒鳴るものの、その影響で更に神経がたかぶったのか、苦しそうに顔を歪めると、自分のベッドに歩み、靴を乱雑に脱いで力なく仰向けに横たわった。
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グルフは横たわるものの眠りに入ってはいなかった。薬が効いて神経の高ぶりが治まるのを、神に祈るような気持ちで待っていた。
――――1時間くらい経っただろうか、グルフの表情に安らぎのようなものが浮んでくると、半身を起こしベッドに置いたボトルの水を喉を鳴らし飲み干すと、一度大きく息を吐いた。
「はぁ、死ぬかと思ったぜ……もう馬鹿笑いは止めとこう……」
力なく弱弱しい声で語るグルフは、さっきまでとは別人のようだ。
その様子を見て、テンロンは多少安心したのか、硬い表情を緩めて、安堵の息を漏らした。
「大変だな……」
ジスパーは気まぐれに、哀れみのような言葉をグルフに零した。
「ち……、で、さっきの事は本当なのか?」
グルフは軽く舌打ちをしたが、もう気力が残っていない様子で、ジスパーのさっきの話に戻した。
「うむ、俺の家だった……というべきかな」
語尾をそれとなく過去形に戻すと、ジスパーの目にどことなく影のようなものが暗く差しこむ。
沈黙が長引き始めると、テンロンがその先を促すように問いかける。
「ジスパー、何があったの?」
ジスパーはテンロンに細い目で一瞥してから、太ももの辺りで手を握りこむと、静かに低い声で語り始めた。