グルフ・トライスキーの場合 その2
「うぅ……」
眼帯の男は目に映る瞼の明るさに、顔をしかめる。
鼻に出来る皺3本がちょうど小という字を描いていた。
夢心地から抜け出そうと、意識の歩を外へ、瞼を開けるのに比例して進めていく。
半分くらい開いた視界に映った木造の天井。
口の中はからからだ。
手から背中にかけて密着する白い清潔な布。
布の間に視線を這わせると、包帯が幾重にも巻かれていた。
――俺は死んだはずじゃ……
眼帯男は、かぶさる白い布を剥ぎ取り、起き上がる事を試みた。
しかし、背中に走る鋭い痛みを起点に体中の筋肉を硬直させる。
……どうやら、生きているようだ、
自分の生を痛みで知った彼は、起き上がれない事もあって、無理をせずその場で寛ぐことに決めた。
この後どうなろうと、一回死んだ身と思えば――と開き直って意識を繋ぎとめながら、穏やかな呼吸を続けていた。
――不意に扉が開く音が静寂を破った。
荒々しく無造作なのぶの回転と、扉が外へ弾かれる音。
「よぉ、目覚ましたか?」
グルフは陽気に眼帯男に声をかけた。
「…………………」
「まだ寝てるのかよ」
眼帯男が目を瞑ったまま返事がないので、寝ていると判断すると、一転して訝しげな表情を浮べ、舌打ちを打った。
眼帯男は悩んでいた。
このまま目を開けて、グルフと会話をするのが苦痛だった。
敗者である自分が、みっともなかった。
腕に自信があった眼帯男にとって、複数で襲っていながら負けた屈辱は計り知れないものがある。
だが、元々山賊である彼にとって、それは大した理由ではなかった。
山賊なぞ、プライドを持つに値する人間ではないと自覚していたから。
そんなものはすぐにゴミ箱に叩き込めた。
ただ単に――、話すのが苦痛なだけだった。
彼は人見知りで口下手だった、理由はそれだけだ。
グルフが部屋を去るのを待っていた。
だが、中々グルフは出て行こうとしない。
そのうち尻が痒くなってきた。
眼帯男は仕方なしに、ゆっくり手を尻に持っていった。
気づかれないように本等にゆっくりと――
「なんだよ、起きてるんじゃねーか」
グルフは視界の端のほんの少しの変化を、見落とさなかった。
僅かに掛け布団が震えたのを感じ取ったようだ。
眼帯男は観念したのか、大きく息を吐いた。
「お前幸運だよ、女の写真挟んで置いてよかったな」
グルフは気さくに彼に話しかけた。
本当は眼帯男を殺すつもりだった。
しかし、眼帯男の財布に女の写真が入っていたことで、それを止めることにした。
殺す基準というかグルフのポリシーみたいなものに、財布に女の写真を入れている者は殺さないというものがあった。
それを聞いた眼帯男が、鼻で音が聞こえるように息を漏らした。
笑ったのだ。嘲笑とでもいうべきか。
グルフの甘さに、滑稽さに、心底笑ったのだ。
もう笑うだけじゃ済まされなかった。
無口だが、押し込めている言葉を黙れるほど、彼は成熟していなかった。
「甘ちゃんが……」
低音で囁かれた眼帯男の言葉は、グルフの耳にしっかり届いていた。
グルフが口に当てていた葉巻を、灰皿に押し付けると、カツカツ音を言わせながら、眼帯男が眠るベッドに歩み寄る。
「もう一度言ってみろ!」
眼帯男の胸元に腰のベルトから抜いた、ごつい銃の先を向けてすごんだ。
「…………」
この緊迫した場面でも、無視を決め込む眼帯男。
険しい顔で彼を見下ろしていたグルフが、銃をまたベルトに差すと、両手を頭の辺りに放り投げ、窓際により外に視線を向けた。
「お前さ、今まで良く生きてこれたな」
グルフは皮肉を込めて眼帯男に言った。
「…………」
眼帯男はそれさえも左から右へと流して押し黙っていた。
#
「グルフ〜〜!!」
突然部屋の扉が勢い良く開け広げられた。
女の声だ。しかも若い女。
眼帯男の体が強張る。
――こいつ女連れかよ。
彼は女に免疫がなかった。
無口な上に苦手とする若い女まで部屋に入ってきた。
柄にもなく緊張してしまっていた。
体に冷たい汗を掻き体中の筋肉を強張らせるが、すぐに激痛が走り弛緩させた。
思わず、ため息が漏れる。
「なんだよ、テンロン騒がしいな」
「そんな言い方ないでしょ、散々ただ働きしてるんだからさ」
グルフは慣れた様子で女と淡々と会話を交わしていた。
「で、どうしたよ、なんか会ったんだろ?」
「あ、そーそー、情報集めてきたよ」
眼帯男は目を細めて、テンロンを一瞥した。
緑の短い髪がもじゃもじゃっと外に跳ねていて、赤い短パンに、黄色のシャツ。
大きな黒い瞳に、人懐っこそうに映る八重歯が口元から見え隠れしている。
「黄金の巨人知ってるでしょ?」
「ん? あぁ、天まで届こうかっていう木偶の坊の事だろ?」
「そう、その木偶だよ、そいつについていけば、天空城の場所分かるってさ」
「ほぉ」
眼帯男が瞼をピクリと動かした。
実は彼もその存在をしっていた。
思わず、耳を欹てていた。
グルフは顎髭を摩りながら、何かを考えている素振りを見せる。
その間にテンロンはそーっと、踵を浮かせ音を立てずに眼帯男に近付き、
「わっ!」
大きな声を不意をついたつもりで眼帯男にかけた。
だが、眼帯男はぴくりとも反応を見せなかった。
「なにこいつ〜、つまんない奴――――それなら〜」
テンロンは人差し指を立てると、その先を男に軽くだが、連続して突き出し体に触れまくった。
突付かれまくる眼帯男。
その衝撃が背中にまで届き、痛みが絶え間なく体に走っていたが、我慢に我慢を重ねてそれに耐えている。
――そのうち、飽きてやめるだろう。
眼帯男はそう高を括っていた。
「まだまだまだ〜〜」
その考えは少し甘かったようだ。
まだ突付いてきていた。しかもさっきより早く、強く。
眼帯男の堪忍袋が膨れ上がっていく。
その薄幕が限界を超えて、不意に弾けてしまった。
「この尼……人が黙ってりゃふざけんなよ……」
眼帯男は痛覚を怒りが凌駕したのか、痛みを気にせず勢い良く半身を起こした。
だが、この場面でも顔を平静に保ったままだ。
手を伸ばし、テンロンの胸倉を掴んだつもりだった。
だが、手に伝わる感触が何かおかしい。
「ねね、手みてごらん」
テンロンがきょとんとした目を、自分の胸元に向けて言った。
彼は素直に手に視線を落とした。
――これは
動揺は走ったが、意思の力で表情をなんとか押さえ込み、女に視線を戻す。
能面のような波立つ事がない顔を向けているつもりだった。
だが、表情を保ちきれていなかったようだ。
初めて見せる鼻を伸ばした崩れた笑み。
「私はいいんだけどさ、この場合男は謝るべきじゃないの?」
「す、すまん」
謝ることで、平坦な顔に自然と戻る。
テンロンはそれを聞くと、微笑んだがすぐに胸元に視線を降ろして、
「それでね、すぐに離すべきだと思うんだ、グルフに言わせるとセクハラって行為らしいから」
テンロンは淡々と顔を赤らめることもなしに、冷静に言葉を紡ぐ。
まだ、眼帯男は胸を掴んだままだった。
女の反応に驚いて、呆けていたからだ。
グルフは二人が会話をしだした時から、その様子を黙って眺めていた。
テンロンの胸を掴んだ辺りまでは、平常心でみていた。
すぐに間違いに気づき手を離すと思っていたからだ。
しかし眼帯男がその手を中々離さない事に、だんだん怒りがこみ上げてくると、
「てめぇ、すぐ離せよ!」
大きな声で怒鳴り、凄い形相で眼帯男の方に駆けだした。
その勢いを保ってジャンプすると、靴の裏を眼帯男に向けてきた。
疾風と化した勢いがついた蹴りが、眼帯男に迫る。
その渾身の蹴りを、ひょいと後ろに退いて交わす。
この時やっとテンロンの胸から手を離した。
テンロンがすごい! と感嘆の声をあげて、口笛を吹いた。
蹴りを交わされたグルフは、バランスを崩して壁に激突し後ろに弾かれ、尻餅をついて倒れこんだ。
「この野郎、避けやがって、イテテ」
テンロンがグルフの無様の姿をみて指差し、大笑いしてたが、急に興味の方向が眼帯男に移ったのか、視線を向けると、無邪気な笑みを浮かべた。
「私はテンロン、聞いたからしってるよね、あなたはなんていうの?」
眼帯男は戸惑いを隠せない。
さっき胸を触り放題してしまった。
故意ではないにしろ、女がそんな事をされた男に、平然と接して名前まで聞いてくる。
ついさっきも、普通に自分と接していたし――眼帯男はこの女の思考回路がまるで理解できなかったが、名前を隠す必要も無いかと考え呟く。
「ジスパー……」
「ジスパーって言うのか! うんうん、ジスパーってかんじだよね」
どういう感じだとジスパーは思う。
「よろしくね!」
懐っこい表情で、ジスパーに手を差し出し握手を求めるテンロン。
ジスパーは、ほんの気まぐれで右手を差しだした。
テンロンがきゅっとその手を強く握りこんだ。
小さな白い手。
思わず、顔を赤くしてしまった。
ジスパーは、外に感情を漏らす事をあまりしない。
顔を赤くしたのも、ここ3年ほど無いことだ。
その手が繋がる下で、這い寄ってきたグルフが怪訝な表情を浮かべ見上げていた。
「お前等、仲良さそうだな」
グルフはどこか嫉妬にも似た感情がこみ上げていたが、レソシアの事を思い出し、何考えてるんだよ! と心の中で自分を戒めた。