好きなこと、夢中なこと
◆ 好きなことォ?
まー、普通に応えりゃコレだって言うわな。俺にはマシンのことしかないし。ガキのころからいじくってたからなー、マシン買ってくれた親には感謝しないとな。
けどさ、『好き』なんて自覚したことないぜ。思ったのは、人から言われたときだな。『キミはそれが好きなんだね。ずっとマシンの話をしてる』って言われてさ。むしろ俺は、なんで他のやつがちがうんだ? って思ったな。だからさ、言っちまうと好きかどうかなんてさ、他人にアピ―ルするときだけ使うってことだろ。そんなの表明するときなんてねーよ。ぶっちゃけ俺がつくったコードかシステム見せればそれでいい。それで全部伝わる。そこに自分の全部を注ぎ込むんだ。簡単だろ。
ま、そりゃアウトプットしない『好き』もあっていいけどさ。結局あいつらは俺たちがなにができるか、を見てるわけだからさ。そんときはアピールするしかない。そうだろ? 言葉で『好き』なんて言ったって、行動で示さなきゃわかんねえ。
◆ 全く許せませんね。
なんのことかといいますとね、あんな簡単にファンとか言ってもらうと困りますよ。自分は彼女のデビュー前からCDを買ってますし、ファンクラブは最古参ですし、DVDのバージョン違いもすべて持っています。これくらいしないとファンとは言えませんよ。簡単に好きとは言ってほしくない。
単純に言って、好きとは消費量のことです。ポテトチップスが好きな人は消費量も多いでしょう? アイドルが好きな人はグッズの購入が多くなるし、多くなってこそファンです。自分たちが彼女を支えているわけですよ。
仮に、何もしてない人が『好き』と言って伝わりますか? 本気だと思いますか? 何もしてないくせに好きって、気持ちだけじゃないですか? そんなことはありえない。それは興味がないと言っているに等しいんです。買わなきゃその子は消えちゃうし、好きな状態も保てないんですよ。言ってる意味わかります?
だから自分は自信もって言えますね。何が好きで何が嫌いか。消費順に並べればいいだけですから。単純でしょう。
◆ 好きなものはありますか、と聞かれた。
わかりません、と私は答えた。では休日はなにをされていますか、と聞かれて、私は丁寧に答えた。確かに習い事には多くの時間を費やしていた。でもそれが好きかどうかはわからなかった。
なぜそれが必要なのだろう? 私は今まで両親から指示された、多くの習い事をこなしてきた。無数の問題の一発で解き、大人でも悩むような難題にすらすらと答えた。それは義務だと思っていたし、時々苦しいと思うときはあったけれど、わかりやすい目標はありがたかった。越えるべき壁がわかりやすい。難しい問題をやっつけたという気持ちが私を支配した。ただ、やっつけられない問題はかなり苦だった。達成感を得られないから。
好きなことはなんですか。夢中になれることはなんですか。本気になれることはなんですか。
そんなものはない。
ただ、友人は私のことを、「なにを話していても苦しそう」と言った。私には何もないのだろうか?