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心の旅人  作者: あだちゆう
壊れる
7/30

スランプ

さて、話を一学年前に戻そう。

学年トップのランキングに位置している一組に在籍していたときの話。


ある時から、ほとんどの勉強が手につかなくなった。

わからない。

とにかく、ありとあらゆるやる気が失われてしまった。

例えるなら、

「今から、八十キロの荷物をマンションの五階まで運べ。運んだら千円やるよ。」と言われて、

「まあいいや」

と放り出してしまったような感じ。

限界まで頑張ったらできないことはなさそうだし、その向こうにも報酬がある。

だけど、その報酬に何か意味か価値があるのかと言われると、

何も見えなくなってきたのだ。



理由は、いくらでもそれのようなものを挙げることができるかもしれない。

必死に努力しても勉強についていけなかったとか、母親との関係だとか、友人関係とか。


まあ、ブレーカーが落ちる要素は、何百本もあるタコ足配線のように無数にあったわけだ。





ふっと、すべての力が抜けたようになり、物事を考えようにも、まとまらず、鉛筆を持っても手が震えるようになった。


教師たちは、「甘えだ」とぬかして来る。

「やる気がないんだったら、やめたほうがいいよ。」

自分としても、そうかもしれないと思い、重い体や頭をなんとか我慢して動かす。ところが、テキストと向き合ううちに、吐き気をもよおして、トイレで胃液を吐く。


全く理解できない数学の課題が、英語の課題が重くのしかかる。

目の前に現れたのは、未解読言語の山だ。

その未解読言語の山を周りの奴らはよじ登る術を心得ている。それも要領よく。

全くわけの分からない授業を耐え忍ぶように何時間も時間のたつのを待ってやり過ごすしかない。

抱えきれない課題の山!

義務!

いかにしても、全力を尽くそうにも、決して終わることのない、絶望じみた分量のやらなければならないこと。

その不可能なことを可能にしなければ、留年が迫っている。



ああ、きっと問題はああいった観念的なことではなくて、きっと目の前の勉強が全く手につかないとか、進路をどうするかとか、そういう具体的なことなのかもしれない。

そして、いつも僕はその課題から逃れるために、白昼夢に逃げ込む。


わけの分からない数学のテキストを開き、数行ノートに書いただけで手が止まる。

基本・基礎、練習問題、そんなものはやった覚えがない。

いきなり、応用でも発展でもない、最難関レベルのものがボンと与えられる。


英語に至っては、日本語訳を読んでも何を言っているのかさっぱり分からない。

何回読んでも分からない。

科学や医学、文芸や社会学についての論文じみた幾ページにわたるものを、一回であっという間に終えてしまう。

どうしてもこの先に進むことはできなさそうだ。

それなのに課題は次々とのしかかってくる。

かれこれ、一年もそういう生活が続いてくるといい加減絶望的な気持ちにかられる。

僕はいつもいつも負け続けているのだ。


しかし、それができなければ僕に未来はない。

逃げることはできない。

ああいやだいやだいやだ。

逃げたい逃げたい逃げたい。

楽になれたら。

しかし、だめだだめだだめだ。

どうしたらいいんだ。


下校中、憂鬱な気持ちで下を向きながら校門を出る。



「そんな勉強が人生に役に立つんかいな。」

「頭のいいやつの考えていることはようわからん。」

と笑われたことをどこかで思い出す。



ふと海のほうを見渡す。

今日はあの橋は見えないみたいだ。





校舎の門の下のほうで、籠に教科書やらノートやら過去門やらを詰め込んだ数学教師ドクがタイミング悪く見張っていて、声をかける。


ドクは分厚い過去問、しかも背表紙やカドのあたりで生徒を叩くため、その過去問はよれよれになっていた。

ところが、ドクは立派な教師として、何人もの生徒を上位の大学に送り込む指導力を持ち、社会的にも尊敬されていたため、そういった行為は問題ないとして見過ごされてきた。

騒がしく反抗的な生徒を鎮めるためには、仕方のないことだろうと。


「おう、ハルか。お前、そういや一組だったよなぁ。

今はっきりいうけれど、君は、一組の一番ビリ。

帰るのか?部活はしないのか。

ああ、帰宅部か。

お前はどこの大学を目指しているんだ。」

「○○大・・・っす。一応。」

ドクは苦笑しながら、

「○○大か・・・まあ、夢はいいけどね、夢は・・・。」

(この前は、「特に目標は、ないです。」などと言おうものなら、「目標がないのはいけないよ。ちゃんと具体的に決めないといかんよお」などといっていたのに。)

「数学の点数が落ちてきているぞおお。数学だけじゃなくて、全体的に、だよな?

こんなんじゃいかんよ?

気合が入ってない証拠だよ。

たるんでる。

ダメ。

このままじゃ単位はないし留年確定だなあ。ふうーっ。

これ以上甘えてないで、もっとがんばらなければいけないよなあ。

はああああーーーーーーっ。」


聞こえよがしにため息をついてくる。


(甘え、って何?

僕、必死に頑張ってきて、どうしようもなくなってるんですけれど。)


「あと、提出してくれたノートだけれども、いくつか解いていない問題があるし、君、解答写したでしょう。」

「あ・・・あ・・・はい、すみません。」

「あーとね、君はなんで授業中いつも足を組んでるの?なんでいつも足をゆすってるの?

授業聞かないで、目はどこか別のところさまよってるの?

それって、やる気がない証拠だよ?何?そんな授業うけるきないの?」

「あっ・・・すみません・・・。直します。」

「あと、たまに、机に肘つくのもあれ、やめたほうがいいねえ。」

「大学行きたいんだったら、しっかりしなきゃ。」

「あのねえ、大学生になると自由だけど、もっと勉強しないと卒業できないよ?」


心臓がまるで毒の混じった血液を送り出すように元気なく鼓動を打つ。

頭の中は疲れ切った物質が満ち溢れていて僕から思考力を奪い、その代りありとあらゆる逃げのための意味のない言葉の羅列を言い訳のように生み出していく。

胃の中でせりあがる不快感。


心の中で「もうたいがいにしてくれ」と思う。


何か言い返したいのだが、自分は生徒で相手は立場が上。

じっとだまってそれを受け入れるしかない。そうしているうちに心の中に黒いもやもやがたまってきて自分の心をチクチクと刺すのがわかる。


彼の話の込み入ったことはほとんど覚えていなかった。



完璧でなければならない。

一つでも間違えると、教師にこっぴどく過ちを追及される。

いつどこで、こんな状態の僕は失敗を犯して、それを断罪されるのだろう。

いつどこで、僕の存在は否定されるのだろう。


どのタイミングで!?


何がきっかけで!?


常に注意してなければならない。


安心しきった瞬間に、恐れていたものが起こる!


だから、いつも気をつけていなければならない!!


眠っていてはならない!


いつ、ふとしたときに、「僕を裁くあるじ」がやってくるのかわからない。


常に目を覚ましていなければならない!


「何を、自分の中に閉じこもってウダウダ暗いこと考えてるんだ!

甘ったれるなよ!

自分の中にこもってないで、現実をしっかり見据えなきゃいかんぞ!ええ!?」


そうやって、僕たちは、様々なことを我慢し耐え忍びながら、競争に打ち勝って上にのぼらなければならない。

耐え忍んでその先にある仕事は?


大人たちは口をそろえて、

「社会人になると、学生の時とは比べ物にならないほど大変だ。そんなんじゃ生きていけない」とはっぱをかけるようにのたまう。


前向きな振りをしなきゃいけない。


弱音を吐いたら、暗いと笑われる。


周りに迷惑をかける。誰も助けてはくれない。


僕は、今でも死んでしまいそうなほど窮屈なのに!


・・・だったら、なぜ、皆さんは死んでしまわないんでしょうか。


全国のニュースで、中高生の自殺を聞くが、あれはきっと、窒息しそうな社会のなかで自分のペースで生きることを許してくれないことに対する命を張った抗議であったり、復讐であったりするのだろう。


それが不思議で不思議でたまらなかった。



帰りの電車の中で、息が苦しくなり全身から血の気が引くのを感じた。

まあ、貧血の一種かもしれないが、それが耐え切れないように思えた。

今すぐにでもどこかに倒れこんでしまいたい。どこかにうずくまることができたらよかったのだが、そんなことをしたら、どうなることか分からない。


駅を降りて、駅前のショッピングモールのベンチで横たわる。

近くのおばちゃんが、「学生さん、あのね、迷惑だからここで寝るのはやめて」と追い出す。


もう、限界だ・・・。


そんな日が続いて、ある時ふと、全身から力が抜けてすべてがどうでもよく思えてきたのだった。

この先、この重荷を背負い続けながら道を歩き続けなければならないと思うと。




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