教室
教室に入ると、楽しそうな声が聞こえてくるのだが、誰とも話をしたいとも思わない。
笑いながらこちらをみて指さしてくるクラスメイトがウザったくてありゃしない。
聞こえてくるのは、群れてそこにいない誰かの噂話や陰口で大笑いする声。
進学校とは言え、成績によって分かりやすいクラス分けがなされる。
トップクラスが一組だとすると、ビリが十組という明快なヒエラルキーの構図。
最高の知性と、愚民が同居している学校なのだ。
あとで、話をするが、僕は、一組で入学したが、一気に転落。
十組にまで落ちぶれてしまった。
クラスの雰囲気も虹のように分かりやすく棲み分けがなされている。
一組のクラスの雰囲気が休み時間も勉強をし、話が盛り上がっていると思ったら話題が、フランス革命史についてだとか、細胞を構成している原子構造だとか、新発見の脳内から分泌されるホルモンについてだとか、国際経済におけるデフォルトがどうのこうのだとか。
十組のクラスの雰囲気が授業時間もスマホでゲームをし、花札やカードゲームに興じている。静かになったと思ったら、全員がいびきを立てて眠っているという状況。
そんな校則がどこかにあるわけでもないのだが、東西南北、四つある校門で、一組から二組は北門から出入りし、三組から五組が東門から、六組から八組が西門から、そして、九組、十組は南門から出入りすることになった。
それが、暗黙の不文律である。
正確に言えば、一、二組と、それ以下の組には、越えられない壁が存在している。
三組以下の方針は、「個性の尊重」、「点数では測ることのできない学力」、「一人一人が輝く」という。
本当にそうであったら、どんなにいいことか。
いい加減、オブラートに隠された残酷な事実を受け入れるときが来た。
世の中益々、努力を放棄し、権利だけを主張しなければならない人で溢れかえるようになった。
アホは死ぬまでアホなのだ。
小さな世界を必死でうごめきながら、生きのびて、大変な思いをして生きて、それで、死んでいくのが人間の宿命なのだ。
教師も、公務員も、福祉も、この残酷な事実を確かに知っているはずだ。
口にしたが最後、人でなしのレッテルを貼られ、職をなくすがゆえに、心の片隅にそれをしまい込んでいる。
全人類に対する背徳の思想をわずかでも、思わないように。
一組にも十組の学校の中にはどこにも、僕の居場所など存在しない。
子どものころ・・・幼いときに見て、憧れていた、ファンタジーの世界は、はるかどこか遠くに離れ去っていった。
今あるのは、しらじらしく、つまらない現実だけ。
僕が転落した理由とか経緯はあとで説明することにして、カバンを机にかけると、僕はすぐに図書室に直行し、始業のチャイムが鳴るまで、端っこで息をひそめて、読書にふける。
この習慣は、一組にいた時であろうと、十組にいる時であろうと変わることはない。
読書は、僕にこの塀の外の様々な世界を生き生きと伝えてくれた。
多くの成功者が、そのための方法や知恵を教えてくれた。
そして、幸せということについてもその哲学を伝えてくれた。
多くの詩人が、文学者が、自分と同じことを考えているのだと思い、今すぐにでも会いたくなった。
百年や二百年、ともすると、千年も二年年も前の異なる文化、異なる言語を持っていた人びとと心がつながるような気もした。
それらは、塀の外の自由人が、差し入れとして持ってきた、自由と幸福になるための通信教育のようでもあった。そのことは、気分がふさぎ込んでいた僕に精神的な潤いをもたらした。
しかし、その光も憧れも、僕のほかに誰も分かってくれる人はいない。
本に書かれたことを試すこともあった。
たとえば、店でのお勘定の時に「ありがとうございました。」を言うとか、いつも笑顔でいるとか、成功するためには楽しいことだけをしろとか、トイレ掃除をしっかりしろとか、一年間使ってないものは容赦なく捨てようとか、愚痴を決して言ってはいけないとか、そういった日常生活で実践できることが書いてあって、僕はひとりでできる範囲でやる。
また、友人にも勧めるのだが、「そんなことで人生うまくいったら苦労しないさ。」と笑う。
「ま、たしかに、それはそれで大切なことだけど・・・。」
「科学的根拠はない迷信だ。」
「それよりも、具体的な問題に対する解決を考えなきゃいけないんじゃないか。」
「そんなことに現を抜かすよりも、勉強を懸命にやることだ。」
と先生方も言う。
確かに、そんなことをやっていても、大量の課題や勉強から逃れられるわけでもない。
僕なんかよりも、愚痴を言ったり、他人を傷つける言葉を吐きながらも楽しくやってる人間のほうが好かれていたり、多くの友人を持ちながら、学業も部活もうまくやっているように思われる。
*
校舎のロビーで、唐突に聞かれた。
「ねえ、ハル君っていつも何考えてんの?」
違うクラスの顔見知り程度の学生が聞いてくる。
「え・・・?何考えているかって?」
苦笑しながら答える。自分の意識が急に外に向かう。
「だから、普段、何考えているのかって。」
「あ・・・いろいろ。」
「いろいろって、たとえば?」
「たとえば・・・」
(出てこない・・・!言葉が。
「いろいろ」としか、出てこない。
自分が、脳から溢れるほどまでに考えていることがあって、それをいざ聞かれると・・・。この人間のまえで、語れ、となると・・・!)
「たとえば、具体的にどういうことを、いろいろ、普段考えているの。」
「ぐ・・・具体的に・・・。」
「ハル君ね、もいちょっと物事を客観的に見て、話せるようになったほうがいいよね。それだと、人に全然伝わらないし、試験の面接なんかでも落とされるよ。」
・・・説教された。同学年のやつに。
「あ、えっと、そうね、具体的には、日本の未来のこととか・・・?」
「日本の将来・・・へええ。スケールのおっきなことだねえ。」
(や、やべえ、日本の将来ってなんだー。大嘘吐いてしまったよ・・・。)
「そ、そうだね。今の日本は、えーと、すごく保守的で、えーと、えー・・・このままじゃ、新しい考えが入ってこなくなると思うんだよね。」
「ふうん。ま、いいや。
ところで、そんなことを考えている君は、なんで、一組から十組になっちゃったの。」
その質問をされると、胸のあたりがキュッと縮まり冷や汗が出る。
彼の口調は、人を見下しているのか、それとも純粋な興味なのか、冷徹に突き放しているのか、馬鹿にしているのか、心配なのか、同情なのか?
薄ら笑いすら浮かべず、何を考えているのかわからないポーカーフェイスでされると、たまったものではない。
裏で何を考えているのか、内心どう思っているのだろう。
まさか、「あの事件」のことを知っているのだろうか。
僕は、天然やアホを装いながら、切り返す。
しかし、
そのまま、その学生は去っていった。
(なぜ、あの時、新大陸のことについてだとか、伝えたかった本の内容だとかを口にできなかったのだろう・・・)
僕が聞きたい。
誰も、いつも何を考えているのだ。
いや、考えてなんかきっといない。
ただ、目の前に流れてきた物事に対して、無碍に反応して生きているだけなんじゃないだろうか。
*
チャイムが鳴る。
朝礼の時間だ。
校庭のいつもの自分の場所に立ち、たわいもない話を交わしながら時間をつぶす。
騒いでいる生徒が静まるまでの何分間かを読書の続きや勉強に充てることができたらどんなにいいか。
教師や委員が大声を出しながら、騒ぐ生徒を鎮めるルーチンに、「何かべつの良い方法はないものか」と考えるのだが、その手段を自分が取れるようにも思わない。
いっそのこと、学校自体がなくなればいい。
朝礼では先生方は「規律を守らなければいけない」だとか、最近のニュースや社会問題の話だとか、そういう心に響かない話ばかりをする。
僕が欲しいのはそういう話ではないのに。
そういう話ではない・・・だとしたら、一体どんな話がある・・・?
もっと、熱くなるような。
面白くワクワクするような。
この息がつまりそうな毎日に風穴をぶち明けてくれるような。
一息ついて、安心してゆっくりと物事を考えたり、感じたりすることを許さないかのように、僕たちは毎日のカリキュラムに追い立てられていく。
*
十組の教室では、「しね」だとか「きもい」だとか「じごくにおちろ」「ぶっころす」などといった言葉が三秒に一回は紙飛行機とかボールだとかとともに飛び交う。
文明の気配をもわずかに感じない無法地帯。動物園。
おとなしい別の女子をからかいながら、コンドームを膨らませる化粧のけばい女子に、トランクス丸出しで叫びながら徘徊する髪を逆立てた男子。
私語の収まらない中、授業が始まり、やはり僕は懸命にそれを聞こうとするがいつの間にか寝てしまう。
教師にやる気が全く感じられない。
話していることは日本語に違いない。
違いないのだが、日本語がここまで謎めいた言語だとは。
教師に知識を伝授しようという気概がほとんど感じられない。
これじゃあ法事とかお葬式やなんかの時のお経の方がもっと生き生きとしてら。
日本語はといえば、教師の語る日本語が難解であれば、十組の者たちが語る言語も理解できない。
ついていけない。
どうせ、卑猥でグロテスクで反社会的な暗語に満ちたものだろうけれども。
板書を写しながら眠り、板書が増えていく気配を察知しては起きることの繰り返しである。
そういったことを、午前中の四時間消耗せずにやりすごす。
きっと、教卓と教室の間には、十センチの段差だけでなく、巨大な見えない透明なカーテンがかかっているんだ。
そして、教師たちもそれをきっとはっきりと感じ取っている。
お互いに「それでいいや」とそのカーテンの向こうに飛び込むこともしない。
それで満足しているし、それ以上を望みたくもない。何も伝わりはしないし、伝えたくもない。
それでいい。
誰も、このぬるま湯のような、少し居心地の悪いだけの空気を壊したくもないし、そこから飛び出そうなんて冒険じみたことはついぞ考えない。
考えて憧れても実行に移すことなんて決してない。
きっと笑いものになって、友人が一人もいなくなるということを薄々感じているからだ。
「空気を読む」ということはとても気を遣うことだ。
他人と関わりながら人生楽しむっていうことは、地雷のある遊園地に足を踏み入れたみたい。
人間が怖い。
ニコニコとした仮面をかぶりながら腹では何を考えているか分かったものではないし、その腹の内を正直に打ち明けるという機会も絶望的にない。
教師や友人の顔色をうかがいながら、うっかり空気と言う小さな土俵を出てしまわないように気を遣いながら、その中だけでやり過ごしていく。
何だか、生きていくということは、小さな箱の中にひとつの決まり事で閉じ込められた人たち同士で「どうやっていくか」ということだけを考えていくことみたいだ。
そして、自分も他人もそういうものだと当たり前のように思っているし、それ以上を望むことはない。
*
小テストがある場合は、休み時間を利用してなんとか詰め込んでそのまま挑む。
そうでなければ、休み時間はもっぱら机に突っ伏して寝ることに時間を割く。
心の中では、「早く終われ、早く終われ」ということを考えてながら、ちらちらと時計を見る。
早く自分だけの時間がほしい。
休みたい。
休みたい。
休みたい。
寝たい。
何もしたくない。
十二時半を告げるチャイムが鳴り、昼休みになる。
僕は、クラスを飛び出し、中庭の裏の少し陰になって涼しく風の当たるところで弁当を食べ始める。
もしくは、一人でトレーニングルームに行く。
周りには、日に灼けて真っ黒になった185センチ以上もある運動部の連中が、ひたすら最重量のダンベルやバーベルを持ち上げている。
腕や足腰は、薄い脂肪だけを残し見事に割れ、巨大な筋肉で覆われている。
その傍で、日課の腹筋と背筋と腕立てと懸垂とスクワットを黙々とこなしていく。
何かを忘れるためだろうか。
黙々と打ち込む。こういうポジションの人間だからと言って、運動が嫌いなわけではない。
ひたすら筋力を高める運動をしていると、瞬間たりとも憂鬱なことを忘れられる。ほんの少し割れた腹筋や、固く膨らむ二の腕や胸筋を確認する。動かなくなるまで限界まで使い込んだ筋肉の疲労や筋肉痛は気持ちよい。
誰とも話したくない。
一人でゆっくりしていたい。
自分だけの時間がもっと多く欲しい。
*
世の中の喧騒、あーだこーだと抜かして来る人びとから逃れ逃れ、一つの場所に落ち着く。
それは、心の中につくりだした一つの空間。
そこには誰もいない。
誰もいなくて、ただひとり僕だけが落ち着いていられる空間。
あらゆる現実や、時間の中でやらなくてはいけないことは影のように見えなくなる。
・・・「白い場所」。
どこにでもあり、どこにもないまっさらな空間に僕は憩う。
誰も入ることはできない。
誰も入れてはいけない。
この空間を死守しなければならないように思われる。
心の中。
そこには、宝石のように輝いた光がある。
人は祈るとき、どんな人間もこの空間で祈らなければいけない。
いかなる聖堂も教会もきっと外面的なものにしかすぎない。
本当の至聖所というのは、きっとどこにでもありながら、心の奥底にしかないのだろう。
そこには、いかなる宝石にもまさる価値がある何かがあるような気がするのだ。
それでも、そんな至聖所に憩うことすら許されない。
「何をぼけっとしているの。みんなが動き始めているときに。」
急に背後から声が飛んでくる。
憧れるように親しみ見つめていたものは眼前から取り去られ、僕は何者かに引っ張っていかれる。
世の中で「宝石」ほど役に立たないものはない。
食べることもできないし、ものを運ぶこともできない。
誰にも気が付いてもらえないということがそもそも無価値であるということだ。
荷物を運ぶ作業?
書類を整理すること?
みんなが何をやっているのか分からない・・・。
何か動かなければならないような気もするのだが、誰も動いていないということみたいだ。
我に返り、今、自分が置かれた社会的立ち位置を自覚する。
ああ、そうだ。
これを世間では「ぼっち」とか「便所飯」とかいうのだろう。きっとそれだ。
これって、完全に「根暗な文学青年」じゃないか。
「それのどこが悪いのか」と開き直ることも、正当化することもできない。
きっと、形にすらできないものより、目に見えるはっきりとした陽気さや楽しさ、人を集める技術こそがわかりやすくて価値のあることなのだ。
それを受容できない僕は、そういうイメージを払拭しようと、大勢の前で奇異な行為もしてみせ、笑いもかった。
誰とも関わりたくないという意志に反して。
どうせ、すべてのことが茶化されるに決まっているのだから。
騒がしくて、何もかもが、かき消され聞こえなくなり、見えなくなるような、泥水のようなよどんだ空気の中で、伝わることができるものっていったい何なのだろう。
ただし、教師に叱られないように、睨まれないように、それが恐ろしくて、細心の注意も払いながらすれすれのところで逸脱するかしないかのギリギリのラインでそれをなした。
それが一人前の男になり、認められる条件なのだろうかと勝手に思い込んでいた。
だから、ますます僕は道化になった。
笑いのネタを提供するためだけの役割を勝手に担わされていた。
おかげで、一部の人間を除いては、僕が自分の内側にこもって沈思黙考を繰り返す奴だということはばれないですんだ。
それゆえ、僕は、詩作を辞めていった。
一年前まで、ノートはいつも手元から離さなかった。何十冊も文章がたまっていった。
誰にも分からない、認められないものをノートに何十冊もため込んでいく。
これは、毒だ。社会に適応することを拒むための。
そのことに対して僕はある種の誇りさえ抱いていたと言ってもよいだろう。
この社会に適応していくということは、感受性を殺していくこと。
生きていくということは、妥協して自分を殺していくということで、その自分を殺していることにすら気が付かない、ということ。
この世界は全くの灰色の泥川であり、その中を泳いでいかなくちゃならない魚に、それを正しく描く暇なんて与えられてはいないのだ。