二二六仮説
昭和11年に起きた2.26事件から今年で80年。青年将校らの思いはむなしく散ったが、かくあればその後の日本はこのようになったかも、というシミュレーション作品です。現在の日本の政治状況も念頭に描きました。共感いただけるのではないかと思います。
二二六仮説
一
首相以下要人の襲撃と主要官庁の占拠からなる計画の説明を受けた参加青年将校は賛意を示し、計画の細部につき質疑を行った。独り発言しない安藤大尉に対し、野中大尉が意見を求めた。安藤はようやく口を開いた。
「今上陛下は、君臨すれども統治せずという英国の君主制を皇太子時代の英国訪問で学ばれ、深く感銘を受けられたと聞く。一方、田中義一首相を叱責辞任させるなど、ここぞというときには発言もされる。英明であらせられるといえよう。」
一同何を言い出すのかと訝しげな表情をしたが、安藤は続けた。
「要人を殺害し、主要官庁を占拠して軍上層部から真崎大将への組閣の大命降下を上奏したとして、陛下はどのように対応されるか。重臣を殺害し、帝国憲法をないがしろにする武装蜂起を是とされるか。非として上奏を退けられたとすればどうなるか。軍上層部はひるまず再度上奏するのか、大命降下をかち取ることができるのか。我が上層部はそこまで腹が据わっているのか。吾輩はあてにならんと思う。陛下から叱責されて態度豹変、我等を賊軍とすることになりはしないか。」
「もっともです。そう考えれば本計画は甘い。だとすればどうすればよいとお考えか。」野中が聞いた。
「そもそも保元平治の乱から蛤御門の変に至るまで、官軍賊軍の別は天皇を手中にするかどうかによっているのは諸君承知ではないか。」安藤は一同を見回した。皆思わず安藤の言葉に聞き入った。
「腐れ重臣どもや官庁建物などはどうでもよい。宮城を占拠して陛下の身柄を我等の手中に確保することが最も重要であると吾輩は思う。そして陛下に直接我等の意図を説明申し上げ、我等の期待する施策を勅令で実施する。重臣どもや行政各省は後でついてくる。諸君、いかがか。」
「なるほど。しかし、陛下が我等の意図を理解されず、施策実施の勅令発布を拒絶されたらどうするのか。」野中が問うた。
安藤は一同を見回して決然と言った。
「陛下は日本国民を赤子と慈しまれる父であるはずだ。我等の意図や我等の期待する施策を理解せず拒絶されるのであれば、国民の父とは言えまい。そのような存在は我等と国民にとっては無用の存在で、推戴する理由などない。吾輩は、陛下とその家族に銃口を向けてでも勅令発布をかち取る所存だ。」
一同思わずたじろいだが、安藤はたたみ掛けて言った。
「吾輩を不敬とするのなら、諸君、この場で吾輩を斬れ。」
口を開く者は一人もいなかった。安藤は言った。
「決起するからには勝たなければならない。勝つためには手段は選ばない。絶対不可侵とされる天皇も銃剣で脅しつけなければならない。そもそも天皇が絶対なのではない。国民が絶対なのだ。北先生もそう言っているではないか。」
「もっともです。天皇制はそれ自体が目的なのではない。国民の幸福のためにあるはずだ。自分は安藤さんの見解に賛同する。」栗原中尉が最初に口を開くと、一同は次々に同意を表明した。
二
宮城はあっけなく安藤大尉らの手に落ちた。
憲兵隊を装った栗原中尉以下の数名が、門衛に、かねてより監視下にあった赤色分子が爆弾を所持して宮城内に侵入したとの通報を得たので至急捜索逮捕したい、協力されたしと告げると、門衛は顔色を変えて通用門を開いた。栗原らは直ちに門衛を拘束し、あっというまに各連隊の将校下士官兵が宮城内に侵入、武装警護官全員を捕捉して無血占拠したのである。
占拠後宮城の各門は直ちに閉ざされ、各隊が重機関銃を配置してこれを守備するとともに、御所建物周辺には鉄条網を張り巡らし、土嚢で守備陣地を構築、何人の通行も許さない態勢をとった。
天皇は就寝中を侍従に起こされ、宮城が青年将校等に占拠されているとの報告を受け驚愕したが、直ちに軍装に着替え執務室に赴いた。侍従を従えた天皇は、廊下の要所に直立し銃剣を持つ兵卒を不愉快げに一瞥して部屋に入った。
ここでも銃剣を所持した兵が各隅に配置され、敬礼して直立不動の安藤・野中両大尉が天皇を出迎えた。
天皇は執務机を前にして椅子に座り、侍従が傍に侍立した。侍従は安藤・野中に目を据え、「お前たちは何者か、この事態は一体いかなることか。」と叱責した。
安藤は臆せず侍従に対して答えた。
「歩兵第三連隊安藤大尉と野中大尉であります。今般東北農民をはじめとする国民の困窮を傍に、財閥ほか一部階層が富の不正なる蓄積集中を図りおること、そのほか国家存立の趣旨に反する諸状況を一気に打破せんがため、おそれながら陛下の御親政を仰ぐべく、歩兵第三連隊、近衛第三連隊ほか将兵千五百名にて決起したものであります。」
「馬鹿者。帝国憲法のもと帝国議会と内閣に政治を委ねておられる陛下が、お前たちの無法な要求をよしとされるはずがないではないか。」侍従が即座に答えた。
「おそれながら陛下が信任し給う帝国議会や内閣が国家の重大事態に対応し得ぬが故に、我らは決起したのであります。」安藤が侍従に対し答えると、意外にも天皇が口を開いた。
「重大事態とはどういうことか。」
安藤は天皇の方に体を向け直答した。
「おそれながら陛下の赤子たる国民、とりわけ東北地方の農民は近年農作物の不作から小作料の支払いもできず、多額の借り入れを強いられ、子女を身売りし、なお日々の食事にも事欠き餓死する者も相当出ております。これに対して議会・内閣は何らの手立ても講じないばかりか、生産手段を独占する財閥を優遇し、上層階級のみが富の分配を受けております。」
「地方の困窮については報告を受け承知しておる。政府はそれなりの対応をしておると思うが。」天皇は安藤に言った。
「おそれながら国民に近い我らには政府が真剣に対応しておるとは思えません。この場にも東北地方やその他農村出身の兵卒がおりますが、彼らの家族友人の困窮振りは悲惨としか言いえぬものがあります。皇国の基盤は地方農村にありますのに、現状不在地主が益を得ておるのみにて、耕作を担っております小作人たちは日々やせ衰え家族を死なせ、将来に何らの希望も持ちえぬ状況に立ち至っております。しかのみならず都市部においても労働階層は低賃金にて雇用者から搾取収奪を受け、これまた日々の生活に追われて子弟に高等教育はおろか中等教育の機会をも与えることもできず、次世代もまた貧困のままに生涯を送るものとあきらめております。皇軍を支える国民の多数は貧困のまま据え置かれ、一割以下の階層が九割以上の富を独占しているというのが皇国の現状であります。おそれながら陛下はこれをよしとなさいますか。」
「朕にできることは国民のために憂慮しその幸福を祈ることのみである。朕が政に介入することはできぬ。」天皇は厳かに答えた。
間髪を入れず侍従が言葉を発した。
「陛下のお言葉を直接に賜るだけでも恐れ多いことである。かしこまって直ちにこの狼藉をやめ、原隊復帰のうえ沙汰を待て。」
安藤は天皇と侍従の対応を予期していたものか、全く動じず二人に対して言った。
「我らは決死の覚悟にて参っております。引きあげる気など毛頭ございません。国民多数の困窮を救恤するための施策とそのための勅令案を用意いたしております。これをご高覧賜り勅令を発布し賜わぬ限り断じて退きません。」
「馬鹿者。いい加減にせぬか。」と侍従が怒声を発した。
「黙れ。」野太い声を発するとともに、安藤は腰の拳銃を抜き放ち侍従の胸にこれを向けた。天皇も侍従も身体を強張らせた。
「天皇制とは何か。国民あっての天皇ではないか。憂慮するだの祈るだけだの、それしきのことしかなし得ぬ者ならば、国民にとっては居っても居らなくてもよい存在である。この際、ロシア皇帝ニコライ二世とその家族のごとく、天皇一家をこの世から葬り去ってもよいのだ。貴様もそのお供をするがいい。」
天皇と侍従は言葉もなく蒼白となった。
三
急ぎ参内した斎藤内大臣は事態をすぐ飲み込んだ。
御親政へ移行するとのことだが、何のことはない、陛下に銃剣を突きつけ勅令発布を強要しようとしているに過ぎない。しかし、困った。天皇一家の身柄を拘束されては迂闊な対応はできない。どうやら東宮様も拘束されたようだ。ここは時間を稼ぎ、青年将校らが隙を見せるまで耐えるしかなかろう。老練政治家である斎藤は腹を固めた。
天皇の在室する執務室で安藤は御名御璽のある勅令を斎藤に手交して言った。
「内大臣閣下、御親政の嚆矢たる勅令であります。閣下より所管部署へ下令願います。」
斎藤は勅令なるものに目を通した。
その要旨は次の通りであった。
一、飢餓に直面する東北地方農民に至急食料を給付すべきこと
二、所管は内務省たるべきこと
三、財源は皇室財産を以ってこれに充てること
四、期限は三月十日とすること
五、配給は各地方の連隊を以ってこれに従事せしむべきこと
斎藤は、乱暴な連中だが現下の課題に真摯に取り組もうとしているには違いない、皇室財産を使うか、なるほどと少しばかり好感をもった。そして勅令書面から顔を上げ、天皇に目を向けた。天皇は目で止むを得まいと告げていた。
「勅令確かに賜りました。早速に実施いたします。」と斎藤は奉答した。
宮城の外では普段どおりの朝が明けていた。岡田首相以下政府の誰も「御親政」が開始されたなどとは承知していなかった。斎藤から伝えられて岡田以下驚倒した。最も当惑したのは陸軍大臣だったかもしれない。いずれにしても、天皇一家を人質に取られては迂闊なことはできない。とりあえず、この「勅令」なるものを実施して時間稼ぎをしよう。いずれ打開の機会が得られるだろうということで閣議一致した。
斎藤が驚いたのは、各地方連隊が既に勅令の趣旨を承知して食料配給の発動準備をしていたことだった。これは意外に手強い。知らぬ間に青年将校団は各地方連隊、少なくとも東北地方の諸連隊と連携しているのだ。陸軍はいずれ安藤らが実質支配するやもしれない。
翌日斎藤が、内閣以下に勅令を伝達し実施に着手した旨報告に参内すると、既に二番目の勅令が準備されていた。その要旨は次の通りであった。
一、小作料を支払えないため借財をしている農民に対する債権を皇室が買い取るべきこと
二、買取後の債権については無利息とし返済期日は二十年後とすべきこと
三、所管は内務省、各県知事が実務責任を負うべきこと
四、本年末日までに申し出のない債権は無効となすべきこと
債権総額がいかほどのものか、斎藤には見当もつかなかったが、有価証券の処分によってなんとかなるだろうと高を括った。
さらに次の日斎藤が勅令二号実施着手の報告に参内すると、またも勅令が準備されていた。その要旨は次の通りであった。
一、小作料支払のために子女を遊郭に身売りせる者多数あり
二、身請料を皇室財産から拠出し子女を解放帰郷せしむべし
三、帰郷費用及び当座生活資金を各自に支給すべし
四、身請料立替金は無利息とし返済も各人の任意によるものとす
五、本件所管は内務省とし、各警察署長が実務責任を負うべきこと
また皇室財産から拠出か、まあこの程度の追加なら可能だろうと斎藤は納得する一方、遊郭経営者も困惑するだろうと余計な心配をして自らを笑った。
四
宮城が安藤らによって占拠され、天皇一家が拘束されたという事実は、政府の緘口令にもかかわらず、自ずから世間の知るところとなった。報道機関は此れをどのように報じたものか困惑気味であったが、「御親政」が始まったこと、東北地方農民救恤のための勅令が発せられ、政府は直ちにこれに従っていることは、一応に報じられた。安藤等の言う九割の貧困層には、現下の難局についての打開策が出て今後自分たちへの恩恵もあるのではないかとの期待が生じた。一方、一割の富裕層においては、とりあえず自分たちの権利が制限され徴税等の賦課はないので、静観しているというのが大勢であるものの、統治機構に大きな変革が生じていることに危惧を覚える向きもあった。
政府は、勅令が一般的な内容ではなく具体的なもので、政府の権能を制限するものでもないため、困惑しつつも警察その他行政機関に対しては通常通り各部門の役割を果たすように伝達した。宮城の外は全く普段通りであった。陸軍大臣及び参謀総長はさすがに軍の統制を失った責任を認め、斎藤内大臣を通じて辞表を提出したが、天皇は受理せず、従来通り任に当たれと命じた。もちろんこれは安藤等の進言によるものであり、安藤等は極力彼らが実施したい事項に集中することとし、その他は従来の統治機構に手をつけない方針であった。このことで天皇は少しく安堵したようだった。奇妙な事態であった。陸軍の統制はとれているのか、いないのか。実態は上層部と現場とが分裂しつつあった。各地方の連隊レベルはほぼ安藤等に与した。そしてそのことは徐々に公然と表明されるようになった。安藤等が事実上各連隊、そして地域によっては師団本部も含めて指揮権を掌握するに至った。陸軍上層部はこの事態を受け入れざるを得なかった。戦国時代の下克上さながらであった。形式的には陸軍省も参謀本部も権能を従来通り有しているのだが、実態は異なることになったのである。戦時でないことが幸いしたというべきであろう。
関東軍も朝鮮・台湾駐留の各軍も、本国で生じたこの下克上に困惑していたが、統帥権が天皇にあるには違いなく、異常時には中央にお伺いをたてることとして一応通常の体制を維持していた。
もう一つの部門、外務省も困惑していた。各国大使は報道や独自ルートによって、彼らから見るとクーデターが起きたものとみなし、本国に通報したが、岡田首相以下の内閣が辞職したのでもなく、各国駐在の大日本帝国大使が召喚もしくは解職されたわけでもないので、各本国はとりあえず静観せよとの訓令を各国大使に下しているようだった。外務省の儀礼担当が苦にしたのは、仮にいずれかの大使が交代する際等天皇謁見の必要が生じた場合、銃剣所持の兵卒が常時天皇の傍にあり天皇を拘束監視している状況では、天皇の威厳は維持できるのかということであった。銃剣だけは勘弁してほしかった。
こうして早くも三月十日が来て、東北地方の困窮農民への食料配布が無事完了した旨、斎藤内大臣から天皇へ報告がされた。天皇は満足の意を示したが、これは本心かもしれないと斎藤は感じた。
この日その場で新たな勅令が発せられた。今回は労働者の生活向上を期するもので、その趣旨は次の通りであった。
一、東京市及び大阪市においては生活困窮者のための施設を設け、飲食と宿泊をさせ自立の支援をせよ
二、所管は内務省とし、東京市長及び大阪市長が実施責任を負うこと
三、財源は皇室財産を以ってこれに充てる
四、東京市及び大阪市の労働者の最低賃金を一日あたり×円××銭とし、雇用者がこれに違反した場合には罰するものとせよ
五、一日当りの労働時間は八時間を超えてはならないものとし、やむをえぬ場合には時間当り倍額の割増賃金を支払うものとせよ 雇用者違反の場合には罰するものとせよ
六、所管は内務省とし、本年十月末までに実施せよ。
七、東京市及び大阪市在住の労働者子弟のための奨学金資金を皇室財産から支給するものとする
八、成績優秀にて上級学校への進学に適する者を対象とし学費全額を賄うものとせよ
九、所管は文部省とし、本年十月末までに実施せよ
これは、と斎藤は困惑した。財源が皇室財産を以ってする事項には誰も反対しないだろうが、労働条件をかく規律するとすれば雇用者の経営に大きな制約を与え経済界の大きな反発があるに違いない。さすがにこの点、安藤に質さざるを得なかった。「労働者の労働条件をこのように勅令で縛るのは、雇用側の大きな反発を生む。今までの勅令は各界それなりに受け入れてはいるが、このように法律によらず契約自由を制限するのは乱暴ではないか。」
安藤が答えた。「閣下のご懸念はもっともです。しかし、ただいま仰せの契約自由など観念的なものに過ぎません。実態は雇用者にのみ有利になっており、労働者と雇用者には対等の関係がありません。既にこのことは閣下もご承知のはずであり、近年多少政策にも反映されております。それをこの勅令では徹底するのであります。」
「徹底はいいが、経営に悪影響を与えて景気も後退するではないか。」と斎藤が反論すると、安藤は笑って言った。「閣下、労働者の賃金が増え消費が増大すれば景気は長期的にもさらに良くなります。今の景気は公共事業によるもので国の財政面から見れば限界がありましょう。現に高橋大蔵大臣は軍事予算の削減を求めているではありませんか。財閥経営者諸君は今まで労働者を搾取して利得を得ています。その不当利得を吐き出せばよろしい。将来の正当な利益まで奪うつもりはありません。政府にはそれをうまく説明できる有能な官僚が揃っておりましょう。」
一理ある、乱暴だがこの際乗ってみよう、と斎藤は決断した。
五
意外にも経済界からの大きな反発はなかった。「有能な官僚」の理論的な説明が功を奏したこともあるが、財閥は昨今軍部からの批判や脅迫が増していたこともあり、財閥の存立を否定されかねないような事態をこの種社会政策によって回避できるのであれば、これを受け入れた方がよいと判断したのだ。中小企業経営者からは大きな不安の声が出たが、財閥経営者は価格転嫁を受け入れるとしてこれを沈静化させた。時間外労働が高コストとなったため、新規雇用が拡大し失業率は低下した。各企業の利益はしばらく低迷したが、安藤が予見したように消費の拡大により徐々に回復していった。賃金が向上したと言っても欧米各国に比べればまだ低水準であるため、輸出品の価格競争力は維持しており輸出も好調で、経済の長期安定は誰の目にも明らかとなり、民心は落ち着きを取り戻すようになった。
奇妙な下克上体制もいつしか自然なものと受け取られるようになった。宮城の占拠状態は従来通りであったが、歩兵第三連隊ほかの交代として各地方連隊が派遣され将兵の休養も図られるようになった。陸軍上層部は徐々に退役等により安藤等と対立する幹部が減り、なお微妙な関係にはあったが、ほぼ安藤等の意向に沿った体制になっていった。関東軍ほかの在外軍隊も同様であった。安藤等は国内、台湾、朝鮮、及び満州帝国の経営に専念し、それ以上の対外拡大はしないことを方針とした。社会変革には相当の労力を要することを理解していたし、経済も安定して無理な膨張政策をとる必要がなかったからである。軍事政策は専守防衛を旨とした。特にソ連に対する備えには十分な配置をすることとし、関東軍には最新の航空機ほかの兵器を供給することとした。朝鮮での生産活動はこの軍需に対応できるように高度化が徐々に進み、朝鮮国内の経済状況も向上した。ここでも労働条件の向上が図られ、教育の機会も向上し、朝鮮民心も安定してきた。
欧州で戦争が始まった時点では安藤等の下克上体制は定着し、宮城の鉄条網や土嚢も撤去され、兵卒の守備は継続しているものの、天皇を銃剣所持の兵卒が監視するという状況は解消していた。安藤等は陸軍将校のまま天皇の侍従として近侍する形となっていた。天皇も安藤等を信頼するに至った。老齢化した閣僚は徐々に交代し、有能な官僚出身者が大臣に任じられるようになった。安藤等の発する勅令は、これら官僚出身者との緊密な連携により確実に実施されていた。帝国議会はその権能を維持していたが、政府との対立はなく、良好な関係を維持していた。実質は安藤等の「御親政」の追認機関でしかなくなったのかも知れなかった。概して国民は政治というものに関心がなくなったようだった。欧州の大戦勃発により外需も拡大し、経済成長が著しくなったことも影響していた。
いつしか日本は世界の債権国になりつつあった。イギリスが悲鳴をあげてもアメリカはなお欧州に参戦することをためらっていたが、昭和十七年の夏になってようやく、ルーズベルト大統領は国内を説得して参戦、戦費調達のために日本に対して米国債の引き受けを依頼するに至ったからである。安藤等はこれを受け入れることとした。イギリス王室に親しむ天皇の意向も反映されていた。
欧州の戦乱は長期化し容易に終結する様子を見せなかった。天皇は戦局情報に大きな関心を示した。天皇の将棋の相手も務めるようになっていた安藤は、陛下は戦争好きなのではないかと考えおかしくなったが、大元帥陛下が戦争好きでは困るとも思い、将棋に代えて囲碁を天皇に勧め、その相手を野中にさせた。戦争長期化の間に欧州の軍事兵器は過激化した。ドイツはV2ロケットをさらに上回るV3ロケットを開発し、目標地点にかなり正確に到達させることができるようになったばかりか、弾頭の爆薬搭載も数トンと飛躍的に大きくなった。地上では米ソがドイツ領内に侵入して敗勢は明らかになったものの、ヒトラーは、開発に成功したばかりの原子爆弾をこのV3ロケットに搭載してロンドンを破壊し、刺し違えようと考えていた。陥落間近のベルリンにも原子爆弾を用意し、ロンドン破壊を目にした上で米ソ兵を道連れに第三帝国の終焉を迎えようとしたのだ。昭和二十一年年初、それは現実となった。ロンドンに原子爆弾搭載のV3ロケットが着弾、イギリス王室とイギリス政府は消滅した。数日後、ベルリンも原子爆弾で消滅。多数の犠牲者を伴って、戦争は終了した。
天皇は非常な衝撃を受けた。イギリス王室のために喪に服し、ひと月近くふさぎこんでいた。やがて少し気力を回復し、安藤に言った。「お前たちの政策は正しかったね。戦争はいかん。これからは軍装はせぬこととする。」
安藤らの体制が定着してからは、天皇も宮城外に出るようになり、軍装にて騎乗し安藤らを従え、宮城を一周することを日課としてきたが、「今後は平装で歩くことにするから、お前たちも同様にせよ。」と言った。
翌日からそれは実行されたが、随行の人数も少なく目立たなかったためか、近くを通り過ぎる市民も天皇一行であることに気づかない様子だった。天皇はそれが愉快であるようだった。傍の安藤に笑いかけ、「これがお前たちの望んだ世の中なんだろうね。」と言った。安藤は答えた。「さようでございます。陛下と政府の有り様は、鼓腹撃壌が理想でございましょう。」
日出でて作し日入りて息ふ 井を鑿ちて飲み田を耕して食らふ 帝力我において何か有らんや
安藤が吟ずると天皇は頷き、天皇もこれに和した。奇しくもこの日は安藤らが決起して丁度十年後の二月二十六日であった。
(了)