戦の前
小屋に着くと、マリアンヌは、白い綿菓子の様な真ん丸い体に、真っ黒なビー玉の様な目をしたヒナを抱いて、嬉しそうに出てきた。
「お帰りなさい。」
「生まれたのか。」
アレックスも笑顔になって、ヒナを撫でた。
「はい。可愛いでしょう?今朝、卵を割って自分で出てきたんですのよ。イリイが私に預けてくれたのですが、良かったのでしょうか。」
「大鷹は自分で育てず、信頼の置ける人間に預けるんだ。そうしてやってくれ。夜は寒いから、懐に抱いて寝てやって。」
「はい。」
マリアンヌは嬉しそうにヒナを抱き締めた。
「10日程経つと、突然成鳥の姿になる。」
「イリイの様に大きく?」
「それは分からない。普通の鷹か大鷹かは、大人になってみないと分からないんだ。」
2人が話している所に、申し訳なさそうにダリル達が出て来た。
「お客様?」
「うん。後でちゃんと説明するが、貴女には謝らなければならない。」
マリアンヌは、悲しそうに言うアレックスを元気づけるかのように微笑んだ。
「こんなに良くしていただいて、楽しい事を一杯させてくれたんですもの。もう十分ですわ。私を竜国の方に引き渡して下さい。」
「いや違う。それはしない。兄上と取引をした。」
「取引?」
「俺が謝りたいのは、貴女の身体を良くする事が出来なくなった事だ。ボルケーノ王は、石を取ったら、その人は元気になると言っていたが、それは嘘だった。本当は石を取ったら。死んでしまうんだ。だから貴女を良くする事は出来ない。でも、自由にはさせられる。」
「お兄様と取引とはなんですの?」
「ボルケーノ王は、世界を混沌に導こうとしている。それを止め、ボルケーノを倒し、ボルケーノ王国を兄上に差し出す。その代わり
貴女をペガサスからも、獅子国からも自由にするという事で話をつけた。」
「そんな。貴方は、国取りの戦が嫌でお城を出られたのに。」
「国を取るのが目的じゃない。目的は、ボルケーノ王の悪巧みを止める事だ。」
マリアンヌは、真っ青な顔になり、泣き出しそうになりながら、必死になって言った。
「ー危ないですわ!とても嫌な予感がします!私の事なんていいですから、お行きにならないで!」
マリアンヌの指輪が光り、それに呼応して、アレックスの指輪も光った。
困り果てているアレックスの横にアンソニーが立って言った。
「世の中の悪を見過ごさぬは、竜国の騎士たる者の務めでございます。アレックス様は、我らが責任を持って命に代えてお守りし、必ずや貴女様の元にお返し致します。」
ダリル達も頷き、マリアンヌを見つめたが、マリアンヌは尚も不安そうな顔のままアレックスを見上げていた。
「ちょっと失礼を…。」
アンソニーは、前に出て来て、マリアンヌの左胸に手をかざした。
「これは…。初めてだ。この様に清らかな聖なるものは…。アレックス様、やはり、これは、伝説の結界の石でございます。持ち主のお心の美しさと呼応している。これさえあれば、この世の全てが浄化させられるかもしれぬ…。」
アレックスは、アンソニーを横目で睨んだ。
「アンソニー、滅多な事を言うなよ。」
アンソニーは、ハッと我に返り、頭を下げた。
「分かっております。アレックス様の大切なお方は我らにとっても同様に大切なお方ですから。」
アンソニーは、お茶の支度を始めたマリアンヌを手伝いながら、心から申し訳なさそうに言った。
「先程は、本当にご無礼を致しました。どうかお忘れ下さい。」
「いいえ。でも、ボルケーノ様が、世界を混沌に導こうとしているというのは、つまり、穢れを撒き散らそうとしているという事なのでしょう?私の身体にある石が、全てを浄化できるのなら、それを使えば、アレックスは戦わずに済むのではありませんか。」
マリアンヌを見ると、真面目な顔で言っていた。
「滅相もない。そのような事をしては、貴女は亡くなり、私はアレックス様に真っ二つにされてしまいます!。」
アンソニーが恐ろしさに震えて言うと、マリアンヌは笑った。
「それに、王妃様の石1つの力で、7つの不浄の石の力に打ち勝てるという保証はどこにも無いのです。アレックス様は、貴女様を自由にするという目的があって動かれています。貴女様が亡くなりでもしたら、戦意を失ってしまう。戦場で戦意を失うという事は、大変に危険です。どうかお忘れ下さい。」
「分かりましたわ。でも、この石、どうして私の身体に入ったのでしょう。」
「お身体の具合が悪くなったのはいつからですか。」
「8つの時です。今から10年前でした。お庭でお花を摘んでいたら、急に胸が苦しくなって倒れたのです。」
「やはり10年前ですか。火砕流の時期と重なるな。その時に、何かご覧になりませんでしたか。」
「そう言えば、とても眩しい、目を開けていられない程の神々しい光が、山の方で上がったのが見えた直後だった様に思います。」
「その時、地中から聖石が出て、王妃様のお身体に入ったのですな。火砕流と土地を守る聖なる石が出た事は、やはり関連があるのかもしれぬ。」
「ーよく覚えていませんけれど、あの頃は、父も戦続きで、各地で戦争が起きていましたね。」
「そうですね。その関係かな…。」
アンソニーは暫く黙って何か考えていたが、突然話を変えた。
「ところで、アレックス様を好いておいでですか。」
アンソニーがそっと聞くと、マリアンヌは恥ずかしそうにコクっと頷いた。
「私をいつも優しい目で見て下さいます。外に出られなかったというお話はしていないんですけれど、それを分かっていらっしゃるかの様に、色んな事を教えて下さったり、見せて下さいます。包まれている様に、とても安心していられるのです。でも…。」
「でも?」
「私を遠ざけようとなさっています。」
「しかし、お気持ちは逆です。」
「そうなのですか?」
「貴女がしているその指輪は、私がアレックス様に贈った物。心が通い合い、心から好き合っていないと、その指輪の石は、お互いに光る事は無いのです。」
「まあ。」
嬉しそうに頬を赤らめて、指輪を見つめるマリアンヌに囁いた。
「全て終わったら、くっつけて差し上げます。」
「そんな…。」
モジモジしていたマリアンヌは、突然真顔になって、首を横に振った。
「どうなされた。」
「いけません。すっかり忘れておりましたが、私には夫が居ます。」
「自由の身になれるという事は、夫もいなくなるという事ですよ?」
「そうでも、2回も流産しています。とても身綺麗とは言えません。アレックスに相応しくありません。」
「そんな。アレックス様とて、長らくこんな稼業をして、城から出られて、もう4年。叩けばいくらでも埃の出るお身体ですよ?」
「そうなの…ですか?」
「ええ。十中八九。」
「はあ…。」
「それにそんな事を気にされる方でもありませんしね。」
「はあ…。」
その忘れ去られていた夫は、マリアンヌ捜索にも行けず、気が気でないながらも、いつも以上にひたすら政務に打ち込み、気を紛らわせていた。
一方、父であるリチャード王も調べを進め、アレックス達が掴んだ事と同様の事を掴んでいた。
「マリー様はご無事です。聖なる大鷹の結界に守られ、居場所は分かりませんが。」
獅子国の聖魔導士が、書物に埋もれた部屋でそう告げた。
「そうか。やはり竜国の第二王子に匿われているのだな。」
「竜国の第二王子?やはり竜国が絡んでいるのですか。」
「いや。アデル王は腹の黒い男だが、あまり策謀は講じない。恐らく状況を利用しただけであろう。第二王子は、アデル王と違い、真っ直ぐだ。マリーの為に良かれと思ってそうしているのであろう。マリーの事は安心して先ず間違いは無い。しかし、7つの石を手中に収めたボルケーノは難敵ぞ。なんとかせねばならぬ。」
「はい。10年前の大火砕流の一件が分かれば、何かの足しになるのではと、調べを進めております。」
「ん。して、出来上がりつつある不浄を浄化する方法は?」
「それも並行して。」
「頼んだぞ。では私は旧友に会って来よう。」
「ー竜国の元国王であらせられますか。」
「うん。」
竜国の元国王、つまりアレックス達の父は、国王を退いた後、身体を壊し、輿に乗ってしか移動出来ないらしい。
リチャードより10位上ではあるが、まだ50歳。引退には早いかと思われたが、失脚させられたというのが本当のところだという噂だ。
元国王は、跡目はアレックスに継がせると言った。
アデルを初め、居並ぶ重臣達は皆反対した。
アレックスの様な喧嘩っ早いバカ正直な人間を王にしたら、国が傾くと。
猛反発をうけ、アデルが国王と決まるなり、隠居させられたのである。
「何か分かったら知らせてくれ。」
「は。」
リチャードは獅子国の聖鳥、大フクロウに乗って、竜国の外れに出掛けて行った。
「名前は付けた?」
アレックスは、マリアンヌの後をちょこまかと追いかけては、抱っこされているヒナを、微笑みながら見つめて言った。
「はい。ミリイにしました。」
「貴女によく懐いている。」
マリアンヌは幸せそうに笑って、ミリイを撫でている。
竜国の軍勢がボルケーノの国境付近に到着するまでの10日ばかりは、こうしてマリアンヌとのんびり過ごせる。
時々、アンソニーとダリルがニヤニヤとアレックスの横顔を見ているのが気になるが…。
何日かして、翼の付いたロバに乗り、例の雑貨商のオヤジが頼んだ物を届けに来た。
そして、出てきたダリル達を見て、目を向いて、真っ青になっている。
「旦那!捕まっちまったのかい!?」
「違うよ。一時的に手を組む事になっただけだ。」
「ー王妃様は?」
「渡さずに済む。」
「ああ、良かった…。ご注文の食料と、えーっと、10年前の各国の記録…って、こんなもん何に使うんだい。」
アンソニーが嬉しそうに駆け寄った。
「ああ、それは私だ。これは素晴らしい。世界中の物があるな。」
「へへん。まあね。俺様に手に入れられねえもんは無えよ。ああ、旦那。」
「ん?」
「彦さんが、アの字は何か困って無えか、手伝う事は無えのかって、毎日来るよ。」
「それには及ばないと言っておいてくれ。子供が生まれるのだから、恩返しは、そっちが終わってから、ゆっくりその内で結構だと伝えてくれ。」
「はいよ。あと、旦那に頼まれ物だ。はい。」
オヤジは懐をゴソゴソと漁り、小さな瓶を出した。
どす黒い血の色の様な液体が入っていて、鈍く光っている。
見たアンソニーの顔つきが変わった。
「小汚え中年の黒魔導士が来て、旦那に会ったら渡してくれってさ。完成品だとよ。なんのだか知らねえが。」
「これは、死者を蘇らせる薬だろう。あいつはそれを作っていた。森から来ていた化物の正体は、その薬で生き返らせた、元人間達だったんだよ。あの時はあんな風にしか生き返らせる事は出来なかった様だがな。」
アンソニーが深刻な顔で言った。
「アレックス様、決してお使いになってはなりませんぞ。」
「分かってるよ。でも、ここら辺にポイと捨てる訳にも行かないだろう?」
「そうですが…。」
「取り敢えず、捨てる場所が見つかるまで預かっておく。」
ヒナがかえって、そろそろ10日が経った夜、アレックスはマリアンヌからヒナを受け取って言った。
「そろそろ10日経つ。突然成鳥になるから、貴女の上で大鷹になったら大変だ。今夜は俺が預かろう。」
「はい。」
そしてミリイを懐に入れて眠った翌朝。
「きゃあああー!」
マリアンヌの悲鳴に、外でテントを張って休んでいたダリル達は飛び起きて小屋に駆け込んだ。
「ふんっ!」
アレックスの苦しげな声は聞こえるが、アレックスの姿は見えない。
「アレックス様!?」
アレックスが寝ているはずの床の上の布団には、立派な大鷹が一羽…。
よくよく見ると、アレックスの左手がかろうじてその下から見えた。
「ミリイ!早く降りて!アレックスが潰れてしまうわ!」
「クワっ?」
ミリイは首を傾げるだけで退かない。
「アレックス様ああああー!」
半狂乱になったダリル達が総出でミリイを持ち上げると、やっとアレックスが出て来た。
「ああ…。死ぬかと思った…。」
「アレックス様!あなたという方はもう!これで2度目ですよ!?」
涙目で言うダリルに、苦笑いを返すだけ。
「2回目…なんですの…?」
「はっ。イリイの時も、そろそろ成鳥になるとお分かりなのですから、懐から出してお休みになれば良いものを、ヒナが風邪をひいてしまっては可哀想だと。」
「本当に優しいのですね、アレックスは。」
嬉しそうにに微笑むマリアンヌにつられて、ダリルも微笑んだ。
「はい。ご幼少の時から動物に好かれるお人柄なのです。」
「私の国でも、動物に好かれる人は心が美しいと言われています。万国共通、本当の事なのですね。」
「そうですね。」
アレックスは2人の会話を聞いているのか、いないのか、ミリイを撫でながら、ミリイと何か話している。
「ダリル。」
「はっ。」
「そろそろ竜国の軍勢が国境に到着する頃だろう。」
「はい。」
アレックスは、マリアンヌに歩み寄った。
「ミリイに貴女の事を守るように言っておいた。イリイが張ったのと同じ結界を張り、何者からも守ってくれるはずだ。ミリイから何があっても離れるな。」
「はい。」
マリアンヌは不安そうにアレックスを見上げた。
「必ず、帰ってきて下さいね。」
「うん。」
照れた様子で俯くアレックスの手を取ると、小指を絡めた。
「約束ですわ。麒麟国の子供達がするんですって。嘘ついたら、針千本飲ますって歌うんですって。」
「そりゃ怖いな。」
少し笑ったアレックスを真剣な目で見つめている。
「だから、きっとですよ?」
「ああ、分かった。戻って来て、貴女が自由に暮らせる所へ連れて行く。」
マリアンヌは寂しそうな目をした。
「アレックス、私は…。」
「ーん?」
アンソニーとダリルの無言の応援も虚しく、マリアンヌはそれ以上言わず、アレックスもまた何も言わず、小屋を出立した。